Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 忍び寄る影 
* * *
――シェーレン国 王城



「ミルガウス人」
「………」
 思わず呟いたアルフェリアに、男は目礼をしてみせた。
 堂々とし、鍛え抜かれた体躯の上には、厳格な表情を持った顔が、しっくりと収まっている。
 とても、影として、人に使われるような器ではなく――例えば、何千人もの頂点に君臨する将軍のような――そんな威容を持っていると、アルフェリアは率直に感じた。
 彼は、その素質が、ある。
「…大した影者がいたもんだな」
「何か」
「何でもねーよ」
 人気の無い、部屋の一室。廊下では、慌しく水の巫女を探す人間達の声があふれている。
 それを背後に、アルフェリアは眼光を鋭くした。
 一分の隙のない、刺すような眼。
「さて…聞かせてもらおうか。俺たちを『分かるように』監視していた理由。突然、姿を見せた理由。ついでに、あんたがミルガウ人の理由。…全部、一つ残らずな」
「もちろん、それはお話する。だが」
 見返す男の眼光も、全く隙を見せない。シェーレンに君臨する、絶対的な太陽の光のように。
 それは、見るもの全てを焼き尽くす鮮烈な力だ。
 ゼルリアの将軍は、ふと戦場で見えているかのような錯覚を覚えた。
 半端な覚悟では、吹き飛ばされてしまう――それほどの存在感。
「『だが』…? 何だよ」
「事は、一刻を争う――共に、来ていただきたい」
「…行くって、どこに」
 そもそも、あの左大臣の手前、アベルを置いて城を出ることは、できない。
「王女の身の安全は、保証される。頼む」
「………」
 とんでもない申し出に、アルフェリアは流石に逡巡する。
 しかし、それが本当か嘘かは、相手の目を見ればおのずと分かる。
「…どこに、行けばいい」
 やがて、低く問うた彼に対して。
「死に絶えた都」
 底光りする眼光を湛えたその男は、地の底に響くような声で、低く告げた。


――シェーレン国 王都裏町



「おやおや――なんだい。『ここ』は昼間は『死んで』るんだ。太陽の光を浴びると、かき消されちまう人間ばかりでねぇ…」
 金髪の青年と、シェーレン人の少女。
 扉をくぐった先で二人を出迎えたのは、物憂げな女の、しっとりと湿った声だった。
 太陽の光は扉の位置で遮断され、室内はからりと乾いた空気と、先の見えない闇が充満している。
「………」
 場所柄、老獪な男でも思い描いていたか――びくりと足を止めた少女に、青年は淡々と、
「あなたの用事は、後でよろしいですか?」
 と言い置いて、ほとんど返事も聞かずに、闇に飲み込まれていった。
 足を踏み出すに出せない少女は、声だけを拾うしかない。
「おやおや――またあんたか。こんな短い間に二度も…――珍しいねぇ」
「取引に来た」
「取引?」
「ああ」
 闇の中で、どのように言葉が交わされているのか、具体的なところは定かではない。
 だが。
「………」
 訪れた沈黙は、声の主がカイオス・レリュードを図っているのだと知れた。
 わだかまる闇は、一歩先のことなのに、まったくそこで起こっている駆け引きを伝えては来ない。
 手ごたえのない感覚は、そこが奈落へと通じているかのような錯覚さえ抱かせる。
 ふと、そこで気配がざわめいた。
 ふふ、と笑う声が闇の中で啼いた。
「その腰の剣にかけて?」
「まあな…いいツテができるんだ。悪い話じゃないだろう?」
「そうだね。これから先、あんたが私のヤマを一つ、計らってくれるなら、喜んで情報を渡そう」
「この、剣にかけて」
「その、剣にかけて」
 少女は、高鳴る胸を持て余しながら、そのやりとりを聞いていた。
「おっと、交わした約束を破るなんて、考えないことだよ。そのときには、どんな手を使ってでも、後悔させてやらなきゃいけない」
「言われるまでもない」
「ほう、そりゃ頼もしいねぇ」
 しっとりとした女の声が、さて、と口火を切る。
「この前、ここに来たときは、この国にはびこる、奇妙な『現象』について、話を聞きに来たんだったね」
「…異国人や、混血児が、よく行方不明になる――そして、王家はそれを黙認している」
「そうだね」
「王室が何を意図して、バカやらかしているのかはこの際どうでもいい。その、秘め事の『アジト』が知りたい」
 そう、大陸中で起こっている、不可思議な『行方不明事件』。そこに王家が関わっているとして、直接指揮を執っていることは考えにくい。王家から依頼を受けた、ならずものたちを束ねる、絶対勢力がいるはずだ。
 そう――もし、『石板』がなどという格好のお宝が手に入れば、最終的に、必ずそこに行き着く、場所。
「…なんだ、そんなことかい」
 安すぎる『対価』だよ、と声はことことと笑った。
「死に絶えた都」
 そこに、かっさらった人間どもを閉じ込めておく。
 時期が来たら、商船に乗せて、他国へ売り捌く。
「いい商売だよ。あの女王がこれを始めてからは、仕事がやりやすくて大助かりさ。何せ、国家のお墨付きだ」
「………」
 少女は、それ以上黙っていることはできなかった。
 底知れない闇の中へと、無意識に一歩を踏み出す。
「それを、やめていただきたいのです!!」
「!? おや…」
「…」
 まどろみの中に溶けて行くような感覚の果てに、彼女の視界が男女の輪郭を捕らえる。
 姿勢のいい、すらりとした姿で佇む金髪の青年の傍らに、ヴェールに顔を隠した、髪の長い女。
 その真の顔は、布の向こうに隠されて、伺うことができない。
 キセルから立ち昇る煙が、くゆり、少女の動いた拍子に起こった風に、細々とたなびいていた。
「あんた…この国の娘だね? あんたみたいなお嬢さんには、キツいことかも知れないが、国がやっていくためには、このくらいのことが必要なんだよ。今の女王だって、好きで人売りなんてしてるわけじゃないのさ」
「そう、知っています。正当なる『水の巫女』の継承者が六年前に死に、後を継いだ妹が、その能力に劣っていたから…!!」
 このままでは、『水』の恵みを維持することができないと、女王は決断を下したのだ。
 水の恵みに頼らずとも生きていける、実利を生む闇の商売。
 だが、そんな後ろ暗いことをしていれば、いつか、必ず太陽神の裁きが下される。
「『死に絶えた都』の教訓を、忘れたのですか…!? 道理に背いて民を犠牲にすれば、それは必ず罰を受ける…」
「犠牲になってるのは、この国の民じゃない。他国のヤツらや、『人外』のヤツらさ。女王様は、自分の国を守るため、他の国の人間を犠牲にすることを選んだ…」
 自分が生きるためには、他のヤツを犠牲にするしかないからね、と。
 諭すようなその言葉を、少女は唇を噛みしめて聞いていた。
「現『水の巫女』は、確かに、死んだ姉に比べ、能力に劣ります…。けれど、まだ水が涸れたわけじゃない。確かに、少し雨の量が、少ないけれど…」
「そうだね。それだけで、十分なことさ。女王は、決断した。私たちはそれに乗った。お嬢さん、これをやめてくれというのなら、あんたがこのシェーレンに水をもたらせるほどの力を提示すればいい。それができなきゃ、所詮、この涸れた国で、誰かの命の上に乗っかって富を――命を得るしかないのさ」
「…っ」
 少女の拳が、握り締められる。
 哂うわけでも、見下すわけでもない。
 女の気だるい言葉は、ただ現実を生きる者の言葉として、少女を打ちのめしていた。
「…」
 そんな二人の様子を、カイオスは静かに見つめている。
 闇の石板が、よりによってならず者にスられた、となれば、必ずヤツらを束ねている組織へと流れ着くはず。
 それが、『死に絶えた都』であれば――しかも、七君主から未回収の石板が今だ眠る地であれば――一刻も早く、向かう必要がある。
 万一、二つの石板がかち合うようなことになれば――一つ一つの力が強大であるがゆえに、その影響力は計り知れない。
 女達の会話がひと段落したら、さっさと去るつもりでいたのだったが――
「…死に絶えた都に行けば、直接、それに手を染めている人たちと、話ができるのですね」
 妙に腹の据わった少女の言葉に、まさかと視線を上げた。
 華奢な少女は、震える身体を何とか保ち、必死に言葉を絞り出している。
「分かりました。そこに、向かいます。――私一人でも、絶対、そこに向かいます」
 そして、直に談判する。
 バカげたことを、やめて欲しい、と。
「………」
「………」
 あまりにひたむきな、そして無謀な決意に、女と青年の視線が、まじまじと合わさった。
 ダダをこねる子供を相手にしたかのような――辟易とした視線。
 カイオスからすれば、これからの道中に荷物を抱えることになるし、女からすれば、アジトに奇妙な小娘が怒鳴り込むのを黙認することになる。
 もちろん、怒鳴り込んで事が収集するはずがなく、よければ追い払われ、悪ければ売られてしまう。
 それを看過するのは、さすがに夢見が悪い。
「…悪いが、彼女のめんどうまでは見られない」
「………分かったよ。アジトまで、私が連れて行こう」
「…」
「本当ですか!」
 目を輝かせた少女を見、女は気だるげにため息をついた。
 あんたも行くんだろ、と青年に視線をやれば、こちらもため息混じりに頷きを返す。
 やがて、三人の影が、裏口から死んだ通りに吐き出され、遺跡を目指して疾走し始めた。

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