――死に絶えた都 遺跡内
「…」
クルスはふと、顔を上げた。
混血児や、シェーレンの民族ではない『異国』の子供たちとともに『どこかに』閉じ込められて、何日か経つ。
閉じ込められる子供は、毎日増え、そのほとんどは混血児だった。
『商品』を死なせないためか、粗末ながら命は持つ程度の食事は与えられていたが、それも一日にパンを一つか二つでは、子供たちの大半がぐったりと顔を地面に向けてへたりこんでいた。
クルスも、空腹のあまり、唇を尖らせていたのだが、ふと吹き抜けるように部屋を席巻した異様な魔力に、はっとしたように反応した。
(…これは)
不死鳥を呼び出す魔力の波動。
間違いない。ティナがこの『近く』にいる。
「ティナ…!」
なぜ、どうして彼女がこの場所にいるのだろう。
クルスは、一生懸命に考えてみた。
自分がいないのを知って、助けに来てくれたのだろうか。
捕まったとき、一緒にいたナナシが捕まっていないところを見ると、ナナシが彼女のところに助けを求めに行ったと考えることができる。
だが、仮に乗り込んできたとして、なぜ、どうして『人間』相手に不死鳥など使う必要があるのだろうか。
アレは、七君主を押さえ込むほどの力を持っている。
逆を言えば、一般人にそんなものを喰らわせるなどと、アレントゥム自由市を滅ぼした七君主に匹敵するほどに、残忍な仕打ちだ。
詠唱に時間もかかる上、放った後には、隙も出来る。
ここの盗賊が何人いるかのは定かではないが、一人で多勢を相手にしようとするのであれば、火の魔法を使うのが手っ取り早いはず。
だとすれば、考えられる可能性は、一つ。
彼女は、闘っている。
人間ではなく――不死鳥を使わなければならない相手と――おそらく、相当高位の魔族と。
ここシェーレンにあって、そんな『魔族』と聞いて、浮かぶものは一つだ。
(七君主…)
よりどころとなっていた『ダグラス』の身体と、七君主としての意識を切り離されたはずではなかったのか。
必死に考えを巡らせていても、過ぎるのは、取りとめもない憶測ばかり。
何とかここを出て、なんとか彼女の助けになりたいものだが。
「ティナ…」
ここには、子供たちだけではない。
自分たちを監視する人間――屈強な男たちが、全部で五人ほどいる。
子供は全部で五十人ほどいたが、さらわれたショックと粗末な食事に呆然と座り込むものを見張る分には、十分な数だ。
倒せるか。
クルスは考えた。
倒せるか――『殺さない』程度に。
「…」
彼は、しゃがみこんだ体勢のまま、そっと岩壁に沿って歩き出した。
はじめの方こそ泣き喚いていたが、時間の経過と共に抵抗しなくなった子供を見張るのは、退屈以外の何者でもない。入り口の近くでぼそぼそと談笑する男たちは、クルスが多少身動きした程度では反応もしなかった。
「…」
(油断しすぎだよ〜)
のんびり呟きながら、彼はこっそりと魔法の詠唱を始める。
このまま、男たちの背後に近づき、「ご飯ちょぅだい」の言葉の代わりに軽い電撃を投げつけてやれば――
(軽いもんだよ…)
ね、と思いかけた、その口が、突然こわばった。
手も。足も――脈動さえも。
一瞬の内に、縫い付けられたように。
彼は、縫いとめられたように、その場に氷付けにされていた。
「あ…」
見開かれた目は、焦点を定められないままに、がたがたと震えている。
汗がぽたり、ぽたりと床にしみを付けて消えていった。
そう――消えていった。
今まで確かに肌で感じていた。
不死鳥の召喚に練り上げられていった、彼女の、魔力が。
糸がほどけたように。
突然に。
「――ティナ」
それは、凄まじい衝撃で少年を打ちのめした。
足が、いつの間にか地面を感じていた。
恐ろしく強力な脱力感が、彼を押さえつけていた。
「そんな」
■
「――」
そこには、異様な沈黙があった。
ただ立ち尽くした意思のない少年。
その少年の傍にふわりと浮かぶ石の欠片は、淡い光を帯びて佇んでいる。
二者の動きは、凍りついたように止まっていた。
その注意は、彼らの前に立ちふさがった紫欄の目をした女へと、吸い込まれるように向けられている。
「…あ」
ティナの渇いた口から、乾いた声が漏れた。
それは、砂漠の乾いた空気に吸い込まれ、細々と消えていった。
今しがた、彼女を取り巻いていた魔力が、それが形を成す直前で――あっけなく霧散したのと、同じように――。
「あ…」
彼女の目の中で輝く紫の光が、かたかたと揺れている。
頼りなく揺れながら――砕け散った魔力の残滓を、必死に追いかけている。
「そ…んな…」
無意識に、言の葉が滑り落ちていく。
視線が、何度も、何度も――今起こった情景を描いては、現実を見せ付けられて追い詰められる。
不死鳥を――呼ぶことが、できるはずだった。
呼ぶことが、できたはずだった。
最後の言葉を――それを呼ぶ最後のくだりを言ったとき、勝利は確実に彼女へともたらされたはずだった。
「な…んで…」
不死鳥を導く魔力は突然途絶え、手ごたえのない空虚な『結果』が、彼女を打ちつける。
そう、不死鳥は、現れなかった。
それは、服従を誓ってくれた精霊からの、紛れない拒絶だった。
彼女の呼びかけに応じることなく、魔力を練り上げたあとの気だるい疲労と徒労感が、全身を鉛のように変えていた。
七君主が目の前に居ることさえも忘れて。
ティナは、呆然と立ち尽くした。
あまりのことに、剣を持った少年が、視界の中ですっと動いたことさえ気付かなかった。
「――っ!!」
どっと鈍い衝撃が腹に走り、何が起こったのかさえ分からず、ティナは崩れ落ちる。
彼女を気絶させた少年は、石の欠片を仰ぎ見た。
指示を、賜るかの如く。
――ふふ…。あはははは!!
不意に、石の欠片は高らかに笑い出した。
それは、石室に反響し、何重にも跳ね返り、いくつものこだまとなって、死に絶えた都の墓地に響き渡っていった。
立ち尽くす少年に、欠片は告げた。
笑いの余韻を、残しながら。
――この女には、僕を倒す『牙』がなくなってしまったようだね! ちょうどいい…属性継承者たちが、続々とこの墓地に集まって来ている。――僕をダグラスと切り離してくれた、憎い『あいつ』もね…。あいつに、殺させよう。今度こそ。
この女を、あいつの手で、殺させよう…!!
ふふ…うふふ……ふふふふふふはは…!! ははははははは!!
高らかに放たれる哄笑は、幾重にも響き渡り、幾重にも重なり合い、幾重にも、その悦びを広げていく。
石の床に転がったティナには、その片鱗さえも届くことはなかった。
ただ、気を失った闇の中で、知らず、彼女は涙を浮かべていた。
紛れもない現実と、自身の失った力とに。
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