Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 死者の啼く場所 
* * *
――シェーレン国 緑の館



 緑がさやいでいた。
 風が、光を運んでいた。
 明るい日差しを受けて、白い建物が佇んでいる。
 その柱に、傷だらけの身体を預け、一人の少年が、空を仰いでいた。
「…不死鳥、来てくれへんかったんやな」
 空には雲がたなびき、強い日差しは遍く光り、空気は澄み渡っていた。
 しかし、それは少年の瞳の表面を上滑りしていくかのようだった。
 空の向こうにある『何か』を見つめながら、彼は呟いた。
「そらそうや…『未来』、変えたんやもんな」
 ほな、行こうかと呟いて、彼は立ち上がった。
 癒えない傷を抱え、足を引きずりながら、彼は歩きはじめる。
「クルス、お前も、分かってるんやろ」
 何したって無駄やさかいな、と少年はため息をついた。
 どうせ、と。
 最後に一言を、空にこぼした。
 まるで、昇ることが適わない、天上の世界を仰ぎ見るように。
「最後には『終わる』んや」


――シェーレン国 王城



「不死鳥…失敗したのね」
 少女は呟いた。
 豪奢な王城の一室。
 今だ『水の巫女』が見つからないと、室外は騒然としている。
 しかし、布を垂らして一線を引いたこの空間の中では、不気味なほどに静かな空気が、ただ漂うだけだった。
「…そろそろ…潮時かしらね。これまで、大体の準備はしてきたし」
 ふうっと息をついて、彼女は髪を払う。
 透けるように白い手が、黒い糸のような線に紛れ、静かにすべり落ちていった。
「そろそろ…誰か、属性継承者に死んでもらわないと」
 この身体を使ってね、と。
 少女は呟いた。
 秘められたささやきは誰にも聞きとがめられることなく。
 室内は再び静まり返った。


――死に絶えた都 遺跡内



「…ティナ…」
 脱力した少年の身体が、空しくその名を呟く。
 ふさふさの髪が、元気を失って力なく垂れている。
 乱れた髪の間に光る漆黒の瞳が、かたかたと震えた。
「………っ」
 岩肌に爪が食い込み、そこから血が滲む。
 それでも力は緩むことなく、なおも強く、跡を刻む。
 傍らの混血児の少年が、びっくりしたように、彼を見上げた。
 ざわざわと、ただならぬ気配が周囲に伝染する。
 子供たちの異様な様子に気付いたか――見張りをしていた男の一人が、舌打ちしてこちらに近寄ってきた。
 ぞんざいに子供たちを掻き分けてクルスの傍らに来ると、素手で岩をかきむしる様子に、辟易と顔をゆがめる。
 突然さらわれた子供が、ショックから自傷行為に走ることは、珍しいことではない。
 商品としての価値が下がるので、放ってはおけないものの、おとなしく座っているだけにしろと諭すのも、骨が折れる話だ。
 ため息をついて、しゃがみこむ。
「おい、坊主…」
 何やってんだ、と続けようとした刹那、
「!?」
 びゅわりと、風が――突風が吹いた。
 否、少年の身体から、大の男を吹き飛ばすような魔力の波動が、一瞬で立ち上がり――発現した。
 周りの子供たちもとばっちりを喰らってこてんと転がっていく。
 もとより、飛ばされた男は、何が起こったかすら、把握できない。
 地面に叩きつけられた身体を上げ、呆然とクルスを見た。
「な…なんだ、このガキ!!」
 ただならぬ事態に、入り口にたむろしていた別の男たちも、わらわらと集まってくる。
 総勢四人。
 岩のようにたくましい体躯をした男たちが、自身の半分ほどの身長しかない少年をずらりと取り囲んだ。
「おい…おとなしくしやがれ」
「痛い目合わすぞ…こら」
「………」
 クルスの目が、ちらりと上向き、憐れな『犠牲者』たちをその目に映す。
「ティナのところに、行かないといけないんだ。――どいて。」
 精一杯の誠意で、彼は警告した。
 最初にして最後の、心からの親切だったが、蹴れば転がるようなたたずまいの少年が口にしたところで、男たちの失笑を誘うだけの結果に終わる。
「はぁ? おかあさんのとこに帰りたいってのか? 無理だっての」
「おい…いい加減にしろよ」
「いいから、座って…な!?」
 どやすように口走っていた男たちの口上が――少年の眼光に見据えられ、ぴたりと止まった。
 視線が、人を絞めあげるとしたら、正に今がそうだった。
 それは、七君主を撃退したカイオス・レリュード、ゼルリア十万の兵の頂点に君臨するアルフェリアをも圧倒する――声のない慟哭だった。
「………っ」
 一斉に息を呑む音が上がる中、低い詠唱が漏れ出でる。
「漆黒の闇よりもさらに深き魔性の地」
 同時に、立ち昇るのは、夜の闇よりさらに深く、果ての無い黒い魔力。
 ゆらりと空を揺らす波動は、空間さえも捻じ曲げながら、術者の怒りを体現する。
 まるで、『場』が悲鳴を上げているかのような。
「絶望の淵に君臨せし、気高き覇者の悲しみよ。汝が怒りの剣、汝が誇りの盾。我が呼びかけに応え――貸し与えん…」
 闇は少年の手に収束し、そこに虚無の塊を形作る。
 その異様な光景に、屈強な男たちも混血児の子供たちも、一歩二歩と後ずさり――少年を中心に、大きな円ができていた。
 クルスは魔力を操り、結集した力を、無情にも男たちの方に掲げる。
 顔を引きつらせている彼らを見て、気の毒には思ったが、ティナの危機には代えられない。警告はした。無視したほうが、悪いのだ。
 クルスは、一瞬目を閉じると、すっと開いた。
 最後の呪を、静かに唱えた。
「我が属性よ、我が声に…」
 その時だった。
「た、大変だ!!! 侵入者だ!! あの『戦鬼』と、右腕のローブが、たった二人で乗り込んできやがった」
「!?」
 部屋の外から飛び込んできた伝令役の声に、異様な緊張が一瞬解ける。
 クルスも、発動寸前だった、己の属性魔法を引っ込めた。
 普段の調子で、にゅーっと背伸びをする。
「ロイドと、ジェイドだ!」
(これで、僕が闘わなくても…)
 うって変わって、無邪気に声を上げた少年を、男どもは気味悪そうに見ていたが、それを口にする前に、遺跡に乗り込んできた『賊』どもが部屋に到達する方が早かった。
 悲鳴――というよりも、絶叫がだんだんと近づいてきて――
「ここか!? 子供たちをさらって閉じ込めてるって場所は!?」
「…」
 彼が閉じ込められていた部屋の入り口に、クルスにとっては、とても見覚えのある影が――ロイドとジェイドが――、血に濡れた獲物を引っさげて、悠然と佇んでいた。

* * *
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