――シェーレン国 緑の館
緑がさやいでいた。
風が、光を運んでいた。
明るい日差しを受けて、白い建物が佇んでいる。
その柱に、傷だらけの身体を預け、一人の少年が、空を仰いでいた。
「…不死鳥、来てくれへんかったんやな」
空には雲がたなびき、強い日差しは遍く光り、空気は澄み渡っていた。
しかし、それは少年の瞳の表面を上滑りしていくかのようだった。
空の向こうにある『何か』を見つめながら、彼は呟いた。
「そらそうや…『未来』、変えたんやもんな」
ほな、行こうかと呟いて、彼は立ち上がった。
癒えない傷を抱え、足を引きずりながら、彼は歩きはじめる。
「クルス、お前も、分かってるんやろ」
何したって無駄やさかいな、と少年はため息をついた。
どうせ、と。
最後に一言を、空にこぼした。
まるで、昇ることが適わない、天上の世界を仰ぎ見るように。
「最後には『終わる』んや」
■
――シェーレン国 王城
「不死鳥…失敗したのね」
少女は呟いた。
豪奢な王城の一室。
今だ『水の巫女』が見つからないと、室外は騒然としている。
しかし、布を垂らして一線を引いたこの空間の中では、不気味なほどに静かな空気が、ただ漂うだけだった。
「…そろそろ…潮時かしらね。これまで、大体の準備はしてきたし」
ふうっと息をついて、彼女は髪を払う。
透けるように白い手が、黒い糸のような線に紛れ、静かにすべり落ちていった。
「そろそろ…誰か、属性継承者に死んでもらわないと」
この身体を使ってね、と。
少女は呟いた。
秘められたささやきは誰にも聞きとがめられることなく。
室内は再び静まり返った。
■
――死に絶えた都 遺跡内
「…ティナ…」
脱力した少年の身体が、空しくその名を呟く。
ふさふさの髪が、元気を失って力なく垂れている。
乱れた髪の間に光る漆黒の瞳が、かたかたと震えた。
「………っ」
岩肌に爪が食い込み、そこから血が滲む。
それでも力は緩むことなく、なおも強く、跡を刻む。
傍らの混血児の少年が、びっくりしたように、彼を見上げた。
ざわざわと、ただならぬ気配が周囲に伝染する。
子供たちの異様な様子に気付いたか――見張りをしていた男の一人が、舌打ちしてこちらに近寄ってきた。
ぞんざいに子供たちを掻き分けてクルスの傍らに来ると、素手で岩をかきむしる様子に、辟易と顔をゆがめる。
突然さらわれた子供が、ショックから自傷行為に走ることは、珍しいことではない。
商品としての価値が下がるので、放ってはおけないものの、おとなしく座っているだけにしろと諭すのも、骨が折れる話だ。
ため息をついて、しゃがみこむ。
「おい、坊主…」
何やってんだ、と続けようとした刹那、
「!?」
びゅわりと、風が――突風が吹いた。
否、少年の身体から、大の男を吹き飛ばすような魔力の波動が、一瞬で立ち上がり――発現した。
周りの子供たちもとばっちりを喰らってこてんと転がっていく。
もとより、飛ばされた男は、何が起こったかすら、把握できない。
地面に叩きつけられた身体を上げ、呆然とクルスを見た。
「な…なんだ、このガキ!!」
ただならぬ事態に、入り口にたむろしていた別の男たちも、わらわらと集まってくる。
総勢四人。
岩のようにたくましい体躯をした男たちが、自身の半分ほどの身長しかない少年をずらりと取り囲んだ。
「おい…おとなしくしやがれ」
「痛い目合わすぞ…こら」
「………」
クルスの目が、ちらりと上向き、憐れな『犠牲者』たちをその目に映す。
「ティナのところに、行かないといけないんだ。――どいて。」
精一杯の誠意で、彼は警告した。
最初にして最後の、心からの親切だったが、蹴れば転がるようなたたずまいの少年が口にしたところで、男たちの失笑を誘うだけの結果に終わる。
「はぁ? おかあさんのとこに帰りたいってのか? 無理だっての」
「おい…いい加減にしろよ」
「いいから、座って…な!?」
どやすように口走っていた男たちの口上が――少年の眼光に見据えられ、ぴたりと止まった。
視線が、人を絞めあげるとしたら、正に今がそうだった。
それは、七君主を撃退したカイオス・レリュード、ゼルリア十万の兵の頂点に君臨するアルフェリアをも圧倒する――声のない慟哭だった。
「………っ」
一斉に息を呑む音が上がる中、低い詠唱が漏れ出でる。
「漆黒の闇よりもさらに深き魔性の地」
同時に、立ち昇るのは、夜の闇よりさらに深く、果ての無い黒い魔力。
ゆらりと空を揺らす波動は、空間さえも捻じ曲げながら、術者の怒りを体現する。
まるで、『場』が悲鳴を上げているかのような。
「絶望の淵に君臨せし、気高き覇者の悲しみよ。汝が怒りの剣、汝が誇りの盾。我が呼びかけに応え――貸し与えん…」
闇は少年の手に収束し、そこに虚無の塊を形作る。
その異様な光景に、屈強な男たちも混血児の子供たちも、一歩二歩と後ずさり――少年を中心に、大きな円ができていた。
クルスは魔力を操り、結集した力を、無情にも男たちの方に掲げる。
顔を引きつらせている彼らを見て、気の毒には思ったが、ティナの危機には代えられない。警告はした。無視したほうが、悪いのだ。
クルスは、一瞬目を閉じると、すっと開いた。
最後の呪を、静かに唱えた。
「我が属性よ、我が声に…」
その時だった。
「た、大変だ!!! 侵入者だ!! あの『戦鬼』と、右腕のローブが、たった二人で乗り込んできやがった」
「!?」
部屋の外から飛び込んできた伝令役の声に、異様な緊張が一瞬解ける。
クルスも、発動寸前だった、己の属性魔法を引っ込めた。
普段の調子で、にゅーっと背伸びをする。
「ロイドと、ジェイドだ!」
(これで、僕が闘わなくても…)
うって変わって、無邪気に声を上げた少年を、男どもは気味悪そうに見ていたが、それを口にする前に、遺跡に乗り込んできた『賊』どもが部屋に到達する方が早かった。
悲鳴――というよりも、絶叫がだんだんと近づいてきて――
「ここか!? 子供たちをさらって閉じ込めてるって場所は!?」
「…」
彼が閉じ込められていた部屋の入り口に、クルスにとっては、とても見覚えのある影が――ロイドとジェイドが――、血に濡れた獲物を引っさげて、悠然と佇んでいた。
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