――シェーレン国 砂漠
砂の大地を、三騎の陰影が疾走している。
先導するのは、ひらひらとしたレースの布で全身を覆い、頭部をヴェールで隠した女。
すぐ後を追うのは、シェーレン人の少女。
しんがりを、アクアヴェイル人の男が守っていた。
「…」
(…妙なことになった)
と、カイオス・レリュードは、前を走る二人の女の騎影を追いながら胸中にこぼす。
緑の館で、奇妙な監視の『眼』を感じ始めてしばらく経って――キルド族の少年が置いていった薬のお陰で、体力が回復した彼は、買出しのついでに裏町に立ち寄ってみた。
シェーレンの情報屋は、――特に、シェーレン国家に関する情報となると――その口を閉ざす。
駆け引きするのにいくつか手札も用意はしていたが、生半可な取引で情報が聞けるとは思わなかった。
昔のツテで、シェーレンの裏事情について、知らないものはないと言われている女を聞き出し、何となく入ってみたその建物に、その女はいた。
ヴェールを目深にかぶり、物憂げな態度で、彼女は彼をあしらいにかかった。
予想していた通り、国家が手を染めている『闇』について、その口は重かったが、カイオスの身に着けた『ある物』を見て、態度が一変した。
彼が、ミルガウス国王ドゥレヴァから託された、国宝ファルシオン。
いくら目利きとはいえ、その剣の真の『所持者』が誰なのか、見抜ける者は少ない。そもそも、お目にかかれる人間自体が、限られているからだ。――だからこそ、彼も別にはばかることなく、普通に腰に佩いていた。
それを、彼女は緊張した面持ちで、指摘した。
――あんた、まさかその剣――『本物』かい? と。
まさか、これが『ミルガウスの国宝』であることを正直に言うはずもなかったが、そこはかとなく逃げ道を作りながら、彼は彼女の誰何を肯定した。その上で、シェーレンの内情を聞き出すことには、成功した。
そんな、わけを知ったげの女と、『マリア』によく似た娘と、――ジュレスたちが盗まれてしまった石板が行き着くだろうと予想される、『死に絶えた都』に向かうことになったのだが。
(不死鳥…)
砂の大地の果てに、その陰影が見える。
その昔、道を誤った王者が、死者に呪われ、朽ち果てた怨念の遺跡。
七君主の石板も、いまだそこにある可能性が高い――もしも、二つの石板が近い場所で、かち合うような事態になれば、めんどうなことになる。
そう、焦る気持ちも半分、魔力の高いティナも連れてくるべきだったか、という後悔の念が半分。
そんな折、当の死に絶えた都から感じられたのが、その、ティナ・カルナウスしか扱え得ないはずの、聖なる力――不死鳥のを呼ぶ彼女の魔力の波動だった。
しかも、肝心の幻獣は、いつまで経っても呼び出される気配がない。
召喚に失敗した、ということなのか。
彼女がなぜ遺跡にいるのか。なぜ、召喚する事態に陥っているのか。そして、召喚に失敗したらしいという事実。
そして同時に脳裏を掠める、不吉な『夢』。
『ダグラス・セントア・ブルグレア』の身体を追われた七君主が、自身が隠し持っていた石板に宿り、今だ遺跡に漂っている――そんな、後味の悪すぎる『夢』。
(…)
それらを引き合わせると、一つの仮説が頭を過ぎる――最悪の、『想像』だ。
ダグラスの身体を追われ、石板に宿った七君主が、何らかの方法で、一人になったティナに接近する。
ティナは空間魔法か何かで、遺跡に連れ去られる。
追い詰められた彼女は、彼女の持つ最強の手札――不死鳥を呼ぶ――…呼ぼうと、する。
そして、それが――失敗した。
現実に、起こりえそうな可能性が高いのが、なお悪い。
「今の魔力」
「…え?」
前を行く二人の女が、声を上げた。
ぴんと張ったヴェールの女の背が、それと分かるほど緊張を孕んでいる。彼女は前を見据え、鋭い視線を砂の彼方へ遣っているようだった。
「随分変わった魔力だねえ…。『属性』ってヤツの型に、はまっていない」
「…そうなのですか。不思議な波動を感じましたけど…」
「不思議、どころじゃない。『不気味』だね。あんなの、普通の人間が扱える波動じゃないよ。天使の力を持った者か、悪魔の力を持った者か――いや、そのどちらとも違う…。一体、何者なんだ…?」
「………」
ヴェールの女の言葉は、巻き上げられる砂に紛れるように、散っていった。
シェーレン人の少女も、カイオス・レリュードも、何も言わなかった。
ただ、三人の脳裏に、それぞれ自身が遺跡を目指す目的とは別の、新たな『目的』が生まれたのだけは、間違いないことだった。
(『国宝』も、『魔法』も知る女、か)
単なる情報屋であるはずがない。
前を駆ける女の背に、その懸念だけをぶつけ、カイオスは手綱を操るのに、専念した。
砂の向こうに見える大地に、人口的な石の影が、くっきりとその姿を現しつつあった。
■
――シェーレン国 死に絶えた都
その空間には、三人の人間が居た。
床に倒れた少女。
亡羊とした瞳を空にあてなく向けた少年。
そして、その少年のそばをふわふわと漂う石板。
声を発するものは居ない。
動こうとするものも。
ただ、永遠に続く無音の空間の中で、石の欠片の放つ異様な光だけが、場を静かにかき乱していた。
――ふふふ。
石版は、哂った。
それは、歓喜と、侮蔑の顕れだった。
――ふふ…あはははははははは!!
無邪気な少年が、生きた蝶を針で縫いつけて喜ぶような調子だった。
石の床に身を投げ出した少女は、何も知らぬままその目を閉じている。
その女に聞かせるように、欠片は続けた。
発光はますます激しくなり、毒々しい光となって、薄暗い墓所を隅々まで照らしつくした。
――所詮は、『時の女神』を操ることは、できなかったんだ。天使イオスと魔王カオスと並ぶ、最初の人、『ノニエル』。感情を持たぬ原始の『ヒト』を統べた地上の統治者。天と地がぶかりあった後、その役目を終え、不死鳥と千年竜に姿を変えた――。
所詮、人がその力を使うことなど、できなかったんだよ、と。
石版は、遍く光で辺りを照らしながら、囁いた。
――さて、僕のかわいいしもべ。この女を暫くの間、どこかに閉じ込めておいてくれないかな?
「…」
七君主の力で操られた少年は、こくんと頷き、女を抱え上げた。
自分と同じ背の高さの、気絶した女を――軽々と抱え、石の廊下を歩き出した。
石板もそれに続く。
ふわふわと漂いながら、彼は、女の使い道と、ここへたどり着くであろう愚かな『失敗作』のことを考え、愉悦にひたっていた。
どのように――弄んでくれようか、と。
■
「っ…」
ティナは、呻いた。
なにか、大きな衝撃に、身を包まれたことは、覚えている。
直後、どこかに飛ばされるように意識を失ったことも。
だが、この、目の前の光景は、一体どういうことなのだろうか。
「…ぁ」
長い間、閉じ込められていた。
その記憶を、彼女は持っていた。
どこからともなく自然に、それは彼女の中にあった。
厳重につくられた石室の中。
どのくらい、そこに居たのかは覚えていない。
ただ、高窓から時折吹き込む季節の匂いと、そこを訪れてくれるただ一人の人の言葉だけが、かろうじて外界と彼女をつないでいた。
いずれは、死を賜る身だった。
自身の持ち合わせた、その特異な力を持つゆえに。
そして、その処刑の日。
ティナは、覚悟を決め、それに従うつもりだった。
なのに、なのに、どうして。
「黒き…竜…」
彼女はおののいた。
怒りに震えた。
そして、へたりこんだ。
アレントゥム自由市の悲劇を――それに、勝るとも劣らない、惨状を眼前にして。
(どうして…)
ティナは、搾り出すように、呟く。
どうして、助けてくれなかった?
「どうして、知らせなかった!! 助けてくれなかった!? 不死鳥!!」
なぜ、なぜ、と。
問う声だけが、空しく闇に散る。
応える声は無い。
――私をこれからも忘れないでいてくれるというのなら、それで力を使ってもいいよ。
クルスを助けたとき、そういった微笑んだ幻獣は、彼女の呼びかけに応じなかった。
当たり前のようにそばにあった、彼女の絶対的な力は、その存在を闇の奥底に消し、決して応えようとしなかった。
「なぜだ!! 不死鳥!!!!」
――忘れたはずの記憶の中の自分と、現在のティナ自身の叫ぶ声が、空しく交差して消えていく。
過去と現在の狭間に翻弄されて、ティナは引き裂かれてしまいそうな錯覚を覚えた。
音も光も奥行きもない海原の真ん中に、一人小さな点のように、放り出されてしまったような。
「どうして…?」
その問いかけを最後に、ティナは闇よりもさらに深い闇の中へ、音もなく、落ちていった。
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