Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 砂荒れる地の涙 
* * *
(あの時…)
 砂漠を行く陰影は、広い大地にたった三つ。
 その、真ん中を失踪しながら、水の巫女――セレアは、ふと、思いを馳せていた。
 死に絶えた都は近い。
 そこに待っているであろう――自分のせいで、売られる子供たちと、そして、母である絶対君主と手を結んで、闇の売買を行うものたちと。
(マリア姉様が…水の巫女で、あり続けていたならば)
 自分の非力さのせいで、母は、他人を犠牲にしなくとも済んだかも知れない。
 今は亡き者に、責任の一端を押し付けるようで、心は晴れない。
 だが、姉のような強大な力を持ったものが、中心にいてこそ、国は保たれ、水は尽きることなく、そして他の弱者を犠牲にすることもなかった――。
「…」
 だから、母に進言しようとした。
 ばかげたことはやめてくれ、と。
 しかし、力も経験も持たない、単なる小娘でしかない自分の言葉では、絶対君主たる女王を動かす力はなかった。
 だから、自分の力で止めたかった。
 酒場に行けば、裏の世界の人間と、つながりを持てるかもしれない、そこから、彼らを説得するツテが、得られるかもしれない、と。
 しかし、共の者もつれずに何とか辿りついた場末の酒場は、予想以上に危険な場所で、――そして、そこで助けくれたのが…。
(姉様を…知っている人…)
 巫女として、誰もが認める圧倒的な力を持っていた姉、マリア。
 五年前のある日、突然、何者かに惨殺されたマリア。
 未来を視る彼女の能力は凄まじく、しかしその能力ゆえに、彼女は王宮を追われることとなったと、妹であるセレアは、そのように聞いていた。
 その過去は――事実となってしまった、時の流れは、後悔することはあっても、変えることはできない。
(姉様を…生きているときの、姉様を…)
 だが、祈るように願ってしまう――もしもあの時――どんな、理由があったとしても――マリアが、王宮を去らないでいたら。
(…こんな悲劇は――起こらなかったのに…)
 死に絶えた都には、子供たちを売買していた裏の住人がいるだろう。
 彼らに、なんとしても訴えなければならない。
 どうにかして――取引から、手を引いてもらえるように。
「………」
 砂に紛れるように、顕れた遺跡の中に、ふと陰影が見えた気がして、彼女は目を細めた。
 闇取引に携わる人間だろうか。
 手綱を握る手に力が入り、鼓動が高鳴る。
 前を行く、情報屋の女が速度を落とし、こちらにも聞こえる声で呟いた。
「ずいぶん、変わった格好をした人間だねぇ…。全身ローブ姿なんて」
「………」
「しかも、混血児の子供なんて、連れてるようだ。けど――盗賊じゃないね。雰囲気が違う」
「…」
 砂の大地をぽつんと歩いていた人影は、馬影を認めると足を止めた。
「知り合いだ」
「そうなのかい?」
「………」
 金髪の男が呟いて、ヴェールの女が応える。
 そのままローブの方に馬首を翻す男を見送りながら、残った二馬の動きは、やがて停止した。
 声の届かないところで、二人はなにやら話を始めたようだった。
 炎天下に待つつらさより、馬足が滞るもどかしさの方が、胸を締め付けていた。
 それを悟ったか、ヴェールをまとった女が鼻で笑った。
「急いだって、何も変わらないさ」
「…」
「それより、面白いじゃないか。あんな、身分の高い男が、あんな、混血児連れた得体の知れない人間に用があるなんてね…」
「ええ…」
 生返事をしながら、ふと何気なく見遣った先にいたローブの陰影に、セレアははっと目を見開いた。
 ――はるか昔。
 水の巫女となる前のこと。
 王族以上の階級しか、謁見不可能な立場にあって、どこかで会ったことがあるような、気がする――あの『気配』を感じたことがあるような、覚えがある…。
(一体…)
 誰なんだろう、と胸中で呟く内に、二人はこちらに向かって戻ってきた。


「――動けるようになったんですね」
 こちらに向かってきた気配に気付いて、足を止めていたローブは、開口一番そう切り出す。
 その手に抱えた布にくるまれた子供が銀の髪をしているということに、カイオス・レリュードは目ざとく気付いた。
 視線を戻して、相手を見る。
 布に隠れた相手の風貌は、相変わらず全く伺えないが、何度か耳にしたことのある彼のミルガウス語は随分と、綺麗な発音だ。
 自身が、アクアヴェイルの訛りの矯正を余儀なくされていたカイオスは、頭の片隅でちらりと思った。
 過去を詮索する気はないが、育ちがいいのかも知れない。
 発しようとする言葉を遮るように、ローブは続けた。
「あなたのような、地位にいる方が、こんな半端者に何のご用ですか?」
「生憎、官位は返上してるんだ」
「…」
「一言、侘びと礼を。死に絶えた都の件は悪かった」
「………」
 淡々としたもの言いに何か勝手が違うと感じたのか、腕の中の混血児の子供が、恐る恐るこちらを見て、慌てて布にもぐりこんだ。
 それを無言で抱えなおすと、ローブは淡々と答えた。
「礼をと言われるのでしたら、こちらのことを見なかったことにしていただけると助かります。混血児を船に乗せているなど――ロイドたちに迷惑がかかる」
「…」
「それでは、失礼いたします」
 そのまま歩き出そうとしたローブを見て、カイオスは何となく悟った。
 彼は、おそらく知っている――ティナの不死鳥の魔力が、死に絶えた都から立ち昇ったこと、そして、召喚されずに消えたこと。
 それを承知で、ばっくれようとしているらしい。
「取引しないか」
「…」
「気付いてるんだろ」
「…高いですよ」
「誰に言ってるんだ?」
「………」
 ローブは、再び立ち止まった。
 何かを秤にかけているような仕種だった。
 やがて、こちらを見るローブの端から、ちらりと藍色の――混血児を示す色の瞳が覗いた。
 混血児は、人の心を読む、といわれる。
 その言葉の示すとおり、全てを映し出し、その真意を探るかのような。
(惜しいな)
 とカイオスは感じた。
 ぶしつけに視線で射抜かれたことに腹を立てるより、一介の海賊がこのような『眼』が出来ることに対する感心が先に立った。
 覇者の目。
 例えば、アベルがこの目を持っていたならば、普段どんなに行動が破綻していても、王位継承者として、ケチをつける人間はいないだろう。
 王者の資質は、能力だけではない。
 人を無条件に従える、はったりに似た力も重要な要素だ。
「…あなたは、『ミルガウスの左大臣』でしょう?」
「だから、今は官位を返上してる」
「そうでしたね。それでは…あなた自身の、混血児に対する認識は、普通の人間とは変わっているのですね」
「ティナにも言われたが、――俺自身の出自の方が、よほどありえない」
「……」
 ローブは、ぱちりと目を閉じた。
 再び開いた瞳には、微かな感情が――探るような調子が、ありありとにじみ出ていた。
「何をくれると?」
「遺跡に捕らわれている混血児の、その後の未来」
 澄まして言い放つと、一瞬鼻白んだような間があった。
 要は、誘拐された混血児を助けて身の振り方を保証する代わりに、七君子と対峙しているであろうティナを助けるのに同行しろとほのめかしたわけだが、よほどこちらの申し出が意外だったらしい。
「安いですね」
 やがて、呟いた言葉に、カイオスは目を細める。
 無言で促すと、ローブは、さらりと言い捨てた。
「世界中の混血児の未来をいただきたい」
「…分かった。後払いでいいか?」
 こちらを貫いていた藍の眼が、そっと布の向こうに消えた。
 混血児の子供をそっと地に下ろし、頭をなでて立ち上がった。
 炎天下の中、待っている女たちの元へ戻る。連れだって歩くその後ろで、カイオスはローブがぽつりとこぼした言葉を、耳ざとく拾っていた。
 ――懐かしい顔だな、と。


――死に絶えた都 遺跡内



「こちらだ」
「ああ」
 疾走する二馬が、閑散とした石と砂の狭間を、砂埃を上げて駆け抜けていた。
 黒髪の将軍アルフェリアと、彼を監視していた賊の男。
 言葉少なに駆ける傍を、景色が流れていく。
(…ん?)
 アルフェリアは、そんな視界の端に見止めた、小柄な影を見て、馬足を緩めた。
 無機質な石の瓦礫の狭間に、微かに見えた生き物らしき影。
 戦場を、縦横無尽に巡っていたクチだ。
 生きているものと、死んでいるものの区別はつく。
「どうされた?」
「いや…ちよっとな」
 言いながら、馬首を返して慎重に探る。
 動物にしては、様子がおかしかった。
 轟く馬の馬蹄を聞いて、おびえている様でも、逃げる様でもなかった。
「………」
 鋭く、影が覗いていた石の狭間に、視線をやる。
 低く次げた。
「出て来な。食やしねーからよ」
「…あれ?」
「あん?」
 警戒したような様子が、一変した。
 ひょこっと建物の間から顔を覗かせたのは――
「クルスじゃねーか! なんで、こんなとこに…!」
「アルフェリア〜」
 ふさふさとした髪を揺らして、少年がひょこっと飛び出してきた。
「この子供は…確か、何日か前、われわれが捕まえたはず…。まさか、逃げ出してきたのか?」
「おい、お前何でこんなとこにいるんだよ」
 後ろから、賊の男が言うのにかぶせ、アルフェリアが低く問う。
「あ、そうだ!」
 ぴょん、と飛び上がって、クルスはまくしたてた。
 普段の少年からかけ離れた、どこか鬼気迫る勢いだった。
「一緒に来てほしいんだ! ティナが…!!」
「…?」
 二人の男は顔を見合わせ、やがて、三人は連れ立って駆け出した。

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