Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 裏切りと信頼と 
* * *
「ティナと俺たちと両方救う方法…か。都合いいけど…そんな方法、無えのかよ!?」
「さあな」
 思わず毒づいたアルフェリアの呟きに応えたのは、副船長だった。
 短剣を構えたカイオスは、ティナとの距離を測ってるように見える。
 その真意は全く知れないが、だがその背中からは、自分たちの保身と引き換えに、今から本当にティナを斬り殺そうとしているようには見えなかった。
「だが、七君主の言葉どおりだとすれば、あの少年を正気に戻せば、あるいは――」
「正気に…」
 アルフェリアは、眉をひそめた。
 七君主に操つられたと聞けば、それは、自分で術を跳ね返すか、もしくは操作主である、七君主自身を倒すしかないが。
「…違うかも…」
 ふと、呟いたのは、クルスだった。
「?」
「あの人、石板を持ってるよ…。カイオスみたいに、意思をねじまげられてるとかじゃなくて、あの石版を通じて、操作されてる…だけかも」
「…そういや、あのガキ、石板持ってるな…」
 クルスの洞察に、感心したように呟いたアルフェリアの隣に、ヴェールをかぶった女が近寄ってきた。
「あの、カイオスとかいう御仁、賊の盗んだモノが集まる場所を、あたしのところに聞きにきた。『誰かが石板を盗まれた』せい、だったのかもね」
「なるほどな」

――ふふふ。ご名答だね。

『!?』
 人間達の話に、突然石板の声が割り込んできて、一斉に視線がそちらに向かった。
 亡羊と佇む少年の傍で、ふわふわと佇む石板が発光している。

――確かに、君たちの言うとおりだよ。この人間から石板を切り離せば、この人間は、僕の人形じゃなくなっちゃうね。ただし…。

 不意に、風が強くなった。
 少年の周囲の空気が――巻き上がり、黒い波動を吹き散らしながら、煌々と光を放って天を衝く。

――こちらに近づければの話だけどね! さあさあ、早く女を殺さないと、魔力の中に飲み込まれちゃうよ!!

 高らかに笑う石板の声に紛れて、ぽつりと呟きがもれた。ヴェールをかぶった女だった。
「すごい魔力だねぇ…。並みの上級魔法じゃ、破れない…――禁術を使うか、高位属性魔法じゃないと」
「おねーさん、そんなこと分かるの!」
 その確信に満ちた調子に、クルスが反応する。
 隣りで眉をひそめたのは、賊の男だ。
「そんな魔術に身を犯されて…。ヴェイクは…あいつは、無事でいられるのか!?」
「さあね。けど、――この遺跡はともかく、現段階でさえ、私たちが吹っ飛ばされるのは、間違いないくらいの魔力だねえ」
「――な…」
 言葉を失った男の代わりに、ローブが口を開いた。
「…さすがですね」
「その口ぶり――本当に『私』を知っているのかい。隠れて生きてきたってのに…。胸くそ、悪いったらないね」
「…」
 掛け合わされる言葉が、ふと不自然に途切れた。
 否、彼らの前方の空間が――爆発した、ように感じられた。
 空気が膨れ上がり、一気に壁際まで叩きつけられる。
 思わず顔を覆った次の瞬間、少年から立ち昇る波動が、黒い軌跡を描いて、矢のように降り注いだ。
「うわ…!!」
「な…」
 避けようにも、風で足を取られ、避けることもままならない。
 ほとんどの人間が、地にへたりこんで降り注ぐ衝撃波から、身を庇っていた。
「………」
 その中で、平然と立ち尽くしていたカイオスは、無言の空間の中を、ティナへ向かって足を進めていく。
 放射される波動が、いくらか身を掠め、血が滲んだが、その足が止まることはなかった。

――ふふ…。早くしなよ。その女を早く…殺しちゃえよ…。早く…早く、さ…。

「………」
 ティナは、ぐったりと顔を俯けて、ぴくりとも動く気配がなかった。
 彼女の至近距離で爆発している魔力波にも、まるで無反応に――意識を完全に手放している。
 それは、彼女を蝕む黒い魔力に、縫い付けられているせいかもしれなかったし、生命力が現状で著しく落ちているせいかも知れなかった。
 貼り付けられた、人形のような。
 どう控えめに見ても、彼女が自分で脱出することは、期待できそうになかった。
 だとすれば、ここでティナを除く――全員が助かるには、やはり彼女を斬るしかないらしい。
――あんたが私を手にかけることがあったとしたら…それでも、やっぱり平然としていそうよね…。
 そんな言葉を、緑の館で彼女が呟いたのは、こうなることを予見でもしていたのだろうか。

「おい、カイオス…!! お前、本気なのか!?」
 腕で視界を庇いながら、アルフェリアが声を上げる。
 死に絶えた都で、彼がティナに剣を向けるのは、『二回目』だ。
 意思をなくしていたとはいえ、それが招いた惨劇に、激怒して七君主に対峙した彼を思えば、今回自分たちの身を守るためとは言え――ティナを犠牲にする判断を、あまりに冷静に下しすぎているように、感じられてならない。
「…じゃあ、お前ならどうする」
 意外にも振り返った男は、そう問いかけてきた。
 平然とした表情を浮かべるその顔のぎりぎりを、飛来した魔力が掠めていく。
 それに動じる様子もなく、彼は続けた。
「少なくとも、現状ではこうするしかないだろ」
「………」
 アルフェリアは、唇を噛む。
 確かに、自分が彼の立場になったとき、とっさに取れる選択肢に、納得のいくものはないと思う。
 だが、それにしても。
(落ち着きすぎだっての)
 まだ、彼が少しでも取り乱す素振りでもしていれば、少しは救いになったのだろうか。
 そのまま踵を返しかけた彼の目が、ふとクルスを捕らえたように見えた。
 しばらくそちらに目を留めて、彼は何事か呟いた。
「――」
 それは、暗号のような言葉にも思えたし、ずいぶんと古い時代の言語のようでもあった。
 思わず眉をひそめたアルフェリアの視線の先で、クルスがはっとしたように目を見開いた。少年には、彼が何を言ったのか、分かったのだろうか…?
(何なんだ…?)
 その答えが見出せないうちに、カイオスは再び背を向けた。
 俯くティナの近くまで歩み寄ると、両手で腰だめに剣を構えた。
 随分と――
(あいつらしくない…構え方、だな)
 錯乱する頭の中で、アルフェリアの戦士としての感覚が、微かにそう告げた。
 悲鳴のような声が上がる。
 それをかき消すほどの魔力が少年の身を犯してさらに強まっていく。

――あんたが私を手にかけることがあったとしたら…それでも、やっぱり平然としていそうよね…。
――ま、まあそんなことなるはずないって、信じてるけどね!



――殺せ!!

 七君主の言葉が、叩きつけられた。
 なぜか――そこだけが、周囲から孤立したように静かに見える空間で、カイオスがぽつりと呟いた。
「悪いな」


「…っ」
 黒い海中に、捕らわれているような感覚だった。
 眼が開いているのか、閉じているのかも分からない。
 ただ、奇妙な浮遊感が身体を支え、何とかわずかに呼吸ができるような状態だった。
 自分の息を吐く音が、耳に跳ね返ってきて、随分とわずらわしかった。
 現実か――幻か――分からないが、ふと、目を上げると、そこに剣を構えたカイオス・レリュードの姿があった。
 切っ先がまっすぐにこちらの心臓に向けられているのが分かる。
(………)
 瞬間的に過ぎったのは、あの『夢』――。
 自分と、彼が剣を振り回して戦っている、もう二度と見たくない悪夢――。
(違うわよ…)
 あの夢は、もう終わったはずだから。
 未来は、間違いなく変えられたのだから。
 だから、もう彼が敵に回るなんてこと、ありえるはずがない。
「………」
 ティナは、必死に目を凝らして、彼の表情を見ようとした。
 なぜか、視界は霞がかかったようで、あまりよく見渡せない。
 それでも、かろうじて見止められた、こちらを見る彼の目は、普段どおり、冷静で落ち着いた意思を宿していた。
(…だいじょうぶ)
 何の確信もなく、ティナはすっとそれを信じた。
 大丈夫。
 亡羊とした――ぞっとするような、冷たい眼ではない。
 彼が『彼』であれば――きっと、大丈夫。
「………」
 自分の口元が微笑んでいることに、ティナは気付かなかった。
 安心したように力が抜けていく。
 闇に取り込まれていく直前、遠く、微かに、声が届いた。

「悪いな」

 そして、彼女の胸部を、ずん、と鈍い衝撃が、襲った。

* * *
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