Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 ミルガウスの闇 
* * *
「…っ」
 ロイドは、唇を噛んだ。
 眼前で繰り広げられている光景を、まるで信じることができない。
 何かの悪い冗談のようだった。
 彼の大事な部下が、その妹によって、攻撃を加えられている。
 アベルの繰り出す魔力は、黒い針のような形状で、それが何十本も細い身体につきたてられていた。
 副船長は、全くといっていいほどに抵抗しない。
 それは、自分たちという『人質』同然の存在があるかも知れなかったし、攻撃を加えているのが他ならぬアベルだというせいでもあるかもしれない。
 このままでは、不死の混血児とはいえ、彼は本当に命を落としてしまうのではないか――。
 突然の、あまりに理不尽な暴力。
 理由すらも、よく分からないままに、アベルは笑いながら魔力を解き放っている。
 その行く末を受け入れているかのような、副船長の無言の降伏は、ロイドに、自分の身をえぐり取られているかのような錯覚さえ与えた。
 仲間が――大切な人間が、傷つけられているのに、見ていることしかできない。
 その、無力さ。
 そして、やりきれなさ。
「…っおい」
 背後から声を掛けられて、ロイドは弾かれたように振り返った。
 壁にもたれたカイオスが、傷を庇いながら眉をひそめている。
「一体、何がどうなってるんだ」
「知らねーよ! いきなり、アベルが現れて、フェイを殺すって言ってよ…!!」
「…フェイ?」
 その名にさらに視線を険しくしたが、その詳細を質すようなことはしなかった。
 混乱状況にいるロイドから一旦視線をはずし、状況を確認するためか、部屋の中を見渡す。
 アルフェリアと賊の男が意識を取り戻しかけているほかは、全員気を失っているようだった。ひとまず命はある。
 それを確認した後、またロイドの方を向いた。
「お前は何でここに?」
「そんなの、どうだっていいだろ!! なあ、あいつを助けることはできないのか!?」
「………」
 確かに、ロイドの言うとおりだが、まったく状況が整理できない。
 何より、戦おうにも逃げようにも、身体が痺れたような痛みに犯されて、満足に動くこともできなかった。
 一ついえるのは、絶対的にやばい状況にある、ということだけだ。
 混血児の回復力で、唯一動けるのであろう――副船長は、突然のアベルの凶行を何の抵抗もなく受け入れて、次々に血の華を咲かせている。
 魔法が使えないはずのアベルは、にこにこと笑いながら、強力な魔術を惜しげもなく繰り出していた。
 その強度は、一瞬でこの場の人間たちを吹き飛ばしたことを考えると、並みのものではない。
 本気のティナ・カルナウスの属性魔法の、軽く上をいくかも知れなかった。
(七君主…か)
 何の根拠があるわけでもなく、感覚的に彼は感じた。
 七君主に寄生された、『ダグラス・セントア・ブルグレア』。
 それに近いものを感じる。
 アベルがどんな経緯で七君主に寄生されたのか。
 それは、今この場で明かすべきことではない。
 ただ、ダグラスと違うのは、アベルは自らが寄生されていることに、――少なくとも普段は――無意識だったこと、それだけ、七君主との精神的な癒着が考えられること――それゆえに、意識の表層に現れた七君主の支配力は、おそらくダグラスのそれよりも、ずっと上であること――。
 そして、何らかの理由で、アベルの意識を乗っ取った魔の大君主は、その『目的』を――副船長を殺すこと――を遂行するために、今行動を起こしている。
(そうか…)
 彼は、ふと思いついた。
 ロイドが言った『フェイ』と言う言葉。
 それが、『ジェイド』と名乗った副船長の本名なのだとしたら。
 以前の死に絶えた都での死闘の際、七君主の意識をその中に潜ませたアベルの目の前で、副船長のローブの中身は、皆の前にさらされた――そう、ティナは言っていた。
 混血児だ、汚らわしいと顔を背けたアベルの内面で、おそらく七君主は見つけたのだ。
 正当なる王位継承者、『フェイ』の存在を。
 混血児の回復能力を持った第一王位継承者は、石板が砕け散った10年前、崖から落ちたものの生き延びていた。
 そして、その混血児を、アベルの内面にひそんだ七君主はひそかに探していた――。
 それが、見つかった。
 だから、行動に出た。
 彼を――本当に、『殺す』ために。
 『ミルガウスにひそむ闇』。
 彼は以前、ダグラスを乗っ取った七君主に対して、その存在を指摘したことがある。
 七君主が、協力をしなければミルガウスを襲うと脅しをかけたときのことだった。
 『強すぎる闇は一つに集まれない』。
 その言葉から、カイオスは、自身がミルガウスにたどり着いたあと、あれだけ執拗だったダグラスの追っ手が、アレントゥムの一件が起こるまでぴたりと止んでいたのは、そこに強大な力を持った闇の存在――同等の力を持った、七君主がひそんでいるせいなのではないか、と質した。
 そしてそれは、ずっと王宮から出たことすら数少ない――そして、アレントゥム自由市の件で珍しく王都をあけた『別の人物』なのだと睨んでいた。
 それが――まさかこのような、身近にひそんでいたとは。
(…)
 符号が合いすぎるな、と彼は自身の立てた『仮説』に胸中で苦笑した。
 アベルが自分で七君主の支配を跳ね返すか、それとも七君主が気まぐれを起こして少女の身体を捨て去るか。
 ――もしくは、よりどころとなるアベルの『身体』の『死』か。
「………」
 状況を打開するために必要な手札(カード)は、どれも実現不可能のように思われる。
 かといって、この場を逃げ出そうにも、自分を含め、満足に身動きできない人間たちを人質同然に取られては、副船長としても、動くに動けないのだろう――。
 少なくとも、自分ひとりであれば、逃げられるはずの副船長が、無抵抗で敵の攻撃を受けているのは、明らかにそのせいだと考えられた。
(ちっ…)
 彼は、眉をひそめた。
 自らが、他人の行動の足かせになっている、という感覚は、決して愉快なものではない。
 同じくやっと身を起こしたアルフェリアも、かろうじて上体を腕で支えながら、何かを言いかけた。
 そのとき、どさりと何かが地に倒れ伏す音がして、少女の華やかな笑い声が響く。
「あらー。もうお終いなんですか? そんなわけないでしょう? もう少しくらい遊ばせてもらえないと、私他の皆さんで遊びたくなってしまいますよー」
「っ…」
 ぽたり、と血の雫が落ちる。
 多少の傷であればすぐに治癒できる、混血児の回復力をもってしても、間に合わないほどの外傷だった。
 急所をはずして細い糸のような魔力に貫かれる様は、空中にピン止めされた標本のようにも見えた。
 ロイドがあまりのことに、目尻に涙さえ浮かべて拳を握り締める。
 助けようにも、逃げようにも。
 どうすることもできず、ただ状況を見守るしかない。
 それは、自身が身を引き裂かれるより、つらいことかもしれなかった。
「…っっ!!」
「あらあら。よかったですね、お兄さま。ロイドさんが、お兄さまのために、泣いてくださってますよー。混血児のために泣いてもらえるなんて、お兄さまは幸せ者ですねー。ああ、『おいしい』。人間の悲哀って、本当にいい心地がします」
「………」
 魔力に貫かれるたび、微かに跳ね上がる体からは、生気のかけらが感じられない。
 いよいよ、その動きが、小さくなったとき、アベルの声以外に、微かな女の声が空間に混じりこんだ。

――命の灯よりもなお赫く。

「………」
 アベルが、手を止めた。
 魔力の貫通がなくなったフェイの身体が、支えを失って地に落ちた。
 ロイドが、はっとしたようにそちらを見る。
 賊の男も、アルフェリアも、カイオスも。
 意識のないはずのその少女が――失敗したはずの不死鳥を呼ぶ詠唱を唱えるのを、信じられない眼で見ていた。

――逸る血よりもなお熱く。

「邪魔、ですね」
 すっと少女が手を掲げる。
 糸のように繊細な魔力が一気にねじ上げられ、槍のような太さにまで成長した。

――古の長 分かたれし果て 汝の真たる名において。

 アベルの細い手が、くいっと折り曲げられた。
 解き放たれた槍が、ティナ目指して疾走していく。
「ティナ…!」
 ロイドが、叫んだ。
 カイオスが、防御魔法を唱えようとするが、間に合わない。
 アルフェリアも必死に剣を手繰り寄せるだけで、精一杯だった。
 為す術なく見守る視線の中で、ティナの前に影が降り立った。
「空高き天の楽園に、舞い降りし、風の一欠けら」
 ふわり、と沸き起こった風に、一片の羽が散った。
「フェイ…」
 ロイドの乾いた声が、純白の羽をまとった混血児へと発された。

* * *
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