Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 ミルガウスの闇 
* * *
 嵐が去ったような空間に、果てしない静寂が落ちていた。
 まだ、ほとんどの人間たちが身動きできないでいるなかで、ロイドのすすり泣いているかのような嗚咽が、空しく響き渡っている。
「っ…」
 その中で、身を起こしたヴェールの女は、ため息混じりに詠唱を始めた。
「空高き天に在りし君。その名は清きシルフィール…」
 回復魔法を唱えて、まず自分の傷を治すと、だるそうに身体を引きずって、今だ意識のないティナの方に近づいてきた。
「本当は、みんな一度に治せればいいんだろうけどね…。悪いけど、優先順位の高い方からさせてもらうよ。この娘、七君主の波動に捕らわれてたんだろ。早く、浄化してやらないと…」
「………」
 傍の壁にもたれかかっているカイオスに、言っているようにも見えたが、その視線の先がどこに定められているのかは、定かではない。
 だが、七君主から受けた傷を癒し、闇の波動で受けたダメージを浄化によって癒せるという――その知識の深さと技術は、並大抵の人間のものではなかった。
 手から光がこぼれ、ティナに注がれていく。
 傷ついた身体をひきずってティナの傍に歩いてきたクルスが、涙をためた目を彼女に向けて、そっと手を握った。
「…ひょっとして、属性継承者か?」
「違うよ。ただの、無属性魔法の使い手さ」
 カイオスの問いかけに、気だるげにため息をつく。
 ティナに手をかざしたのとは反対の手で、自身のヴェールを取り去った。
 豊かな髪がうねり、蒼い光が帯状に零れたかのような印象を与えた。
 異民族の髪の色。
 だが、その眼はアクアヴェイル人にある、青い色を宿していた。
 双碧の持ち主。
「――『エカチェリーナ・ラクシス』。この名で、あんたならすべて分かるだろう」
「エカチェリーナ…」
 眉をひそめて、記憶を辿るような仕種をしたカイオスに代わり、声を上げたのは、賊の少年だった。
「エカチェリーナって、『あの』エカチェリーナかよ!?」
「知っているのか? ヴェイク」
「ああ。兄貴も、…たぶん面識あるはずだぜ?」
 涼しい顔をして、少年――ヴェイクは、肩を竦めて舌を出した。
「おっと――、王宮での話題は、外じゃご法度だったな」
「…」
「まあいいや、どーせ、ゼルリア将軍様やミルガウスの左大臣殿がいらっしゃるんだ。今さら偽っててもどーしよーもねーよな。――そのおねーさん、『エカチェリーナ・ラクシス』って名前が本当なら、9年前まで、ミルガウスの筆頭宮廷魔道士だったはずだぜー。しかも、歴代初、異民族にして、属性継承者でもない無才の人間がさ。その才能買われて、あっと言う間に頂点だよ」
 話題の中心にいる女は、その栄光の影すら漂わせることなく、ティナを癒すのに専心していた。
 ひたむきに少女に向けられた視線は、他の人間の視線を故意にかわしているようにすら、見受けられた。
「…ま、9年前に、ちょっとした事件があって、宮廷から去ったんだけどさー。魔道に対する造詣の深さ、技術力の高さ――あの、ダグラス・セントア・ブルグレアも認めた『天才』だな」
 つらつらと淀みなく女の素性を上げ連ねたヴェイクは、そうだろ、と言いたげに女を見る。
 カイオスが、ぽつりとこぼした。
「どうりで――国宝のことを知っているわけだな」
 クルスがびっくりしたように、顔を上げる。
「おねーさん、そんなにすごい人だったんだ!」
「別に、すごくもなんともないよ。どんなに努力したところで、七君主や属性継承者や…混血児みたいなヤツらには、敵わない。焦って、二重魔方陣に手を出した時期もあったんだけどね…。――村一つ壊滅させた挙句に、今じゃこんな流浪の身、だよ」
 ふっと息をついた女――エカチェリーナは、疲れ果てたような表情を、賊の二人に向けた。
「まあ、あんたらはもっとやるせないか。私は自分の罪を償うために、流浪の身となった。けど、あんたらはただの『言いがかり』で、国と地位と名誉を奪われた…」
「「………」」
 ヴェイクが、微かに傷ついたような顔をしたが、賊の男の方は、重々しく目を閉じただけだった。
 やがて、
「そうだな。今さらながら、申し遅れたが――私は、ローランド・ブロッサム。前シルヴェア王国で、第三騎士団の団長を務めていた。これが、弟のヴェイクだ。国を追われ――賊に身をやつし、闇の売買に手を染めた…。軽蔑いただいて、構わない」
「ちょっ…待てよ! シェーレン王家との癒着を招いたのは、元はといえば、俺が…」
 身を乗り出しかけた弟を無言で制し、賊の男は――ローランドは、底知れぬ光を宿した瞳を、カイオスに向けた。
「このような身で、あなたに言上申し上げるのは僭越だが――。あなたは、七君主と呼ばれる存在と言葉を対等に交わし、なお、顔見知りのような素振りを見せられた。われわれの素性は明かした。よければ、あなたの『真の』素性も、明かしていただければと存ずるが…」
「………」
 微かに逡巡したカイオスを、クルスとアルフェリアが何とも言えない眼で見た。
 場を、再び奇妙な沈黙が支配しようとする。
「私も…聞かせてください」
 震えるような声で言ったのは、先ほどからずっと沈黙を保っていたシェーレン人の少女――セレアだった。
 さきほどの光景が今だ信じられないのか、ショックのせいか――顔を真っ青にして、震える声でそれでも必死に言葉を紡ぐ。
「石板が砕け散って…。七君主が現れて…。そして…これは…シェーレンに降り注ぐ、災いなのですか!? 母が闇の売買に手を染めてしまったから? 私に、巫女としての力が、なかったから…?」
 崩れ込むように肩を落とし、細い指で顔を覆ったセレアに、ローランドがなだめるように手を置いた。
 エカチェリーナが眉をひそめる。
「何だい…。その娘まで、ワケありかい」
 嗚咽をこぼしながら、肩を震わせる少女に代わり、ローランドが重々しく口を開いた。
「――彼女が、現『水の巫女』――セレア・レーヴィング殿だ」
「はあ!?」
「………」
 予想外といえば予想外のことに、エカチェリーナは突飛な声を出し、カイオスは微かに目を細める。
 酒屋での慣れない態度といい、どこか気品のある素振りといい、『庶民』ではない、とは思っていたが。
「その娘が…」
「彼女は、自分に巫女としての力がないせいで、人の売買が行われているのだと、ずっと自分を責めてきた。――なんとか、城を抜け出し、単身で賊と交渉されようとしていたらしい。私も、巫女がそのようなことをお考えとは、存じ上げなかったが」
「………」
 ローランドの言葉に、虚飾が交ざっているようには感じられない。
 弟のヴェイクも、言葉を添えた。
「マジだって。その人、間違いなく水の巫女だよ。俺らは、人身売買の賊側の取りまとめとして、女王のばばあとか、このおねーさんに会う機会もあったからさ…。けど、そのおねーさんが何言っても、ばばあに黙ってろって一喝されるだけだったから…正直、かわいそうではあったかな」
「…」
 その時、エカチェリーナに浄化されていたティナが、わずかに身じろぎした。
 クルスが、話の流れなどお構いなしに、飛び上がる。
「ティナ!」
「…ん」
「…もう、大丈夫だと思うよ」
 ほっとした様子で、彼女が脇を譲ると、クルスが飛びつくような勢いで傍らにへたり込んだ。
「よ、よかった…」
「場所を…移したほうがいいな」
 その様子を視界の端に止めて、カイオスが呟いた。
 ローランド、ヴェイク、エカチェリーナ。
 そして、先ほどから憔悴した体で座り込むロイドと、ずっと泣いているセレアを見て、
「事情を話す。…おとぎ話を、信じるつもりがあるならな。それに、『フェイ』のことについても――聞きたいしな」
 ため息混じりに吐き出した。

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