「おー、城に行ってきたぜ。まあ、殴り込みっちゃ殴りこみ、かな」
「すみません…本当は、私も行くべきでしたのに…」
帰って来たアルフェリアは、ティナの目が覚めたことを、素直に喜んでくれた。
肩をすぼめて、申し訳なさそうに謝ったセレアに声を掛けたのは、堂々とした体躯を持った――実際、ティナには、この人が『賊だ』と言われたとき、『嘘だ!』と思った――どこかの騎士団とかで、団長とかしていそうなほど、貫禄のある男だった。
その体躯に合わず、いたわるような声で語りかける。
「今までの女王の態度を考えれば、あなたが何か仰ったところで、聞く耳を持ってはいただけなかったでしょう。お気に病まれませんよう」
「…ありがとうございます」
「しっかし、あの女王の顔、結構見ものだったよなー」
頭の後ろで腕を組んだ少年――ヴェイクが、兄の顔をうかがいながら、肩を竦める。
「ゼルリアの将軍と、ミルガウスの左大臣と、賊の取り締まりしてる兄貴が同時に『人身売買やめろ』って脅しに来んだもんな。さすがに、驚いてたってかなんてか」
「………」
世界一の大国と、世界一の軍事国家と、闇の売買の請負人が、徒党を組んで説得しにしに来たら、それは確かに怖いかも知れない。
ティナは、想像して、ちょっと女王に同情した。
そういえば、と部屋に姿を現さない今一人の所在がふと気になって、アルフェリアに問う。
「ねえねえ、そういえば、カイオスは?」
「ああ、どっか行くとこがあるって――知人に会いに行くとか、言ってたな。着替えてすぐ出るって言ってたぞ」
「そうなの? 何か、迷惑かけちゃったみたいだから、お礼とお詫び言おうと思って…」
そういえば、とティナは気付いた。
男たちが入って来た前後から、クルスの姿がない。
「クルスも…どこ行っちゃったんだろう?」
首をかしげたティナに、アルフェリアも首を振った。
「さあな」
■
「おかえり、カイオス」
「………」
謹慎中に関わらず、成り行きで政治に関わらざるを得なくなった手前、久々に袖を通した礼服をぞんざいに脱ぎ捨てて部屋を出たカイオスを待ち受けていたのは、きょとん、とした瞳をこちらに一心に向けた、クルスだった。
黒い目が、純真そのものの光で青年を貫いている。
子供そのものの目。
「何だ」
そ知らぬ顔で質したカイオスに、クルスはため息をついた。
それは、およそ10才そこそこの少年にはそぐわない、大人びたため息だった。
まるで、社会の裏に常に接している夜の街の女が、男を嘲けって笑うときのような。
「やられたよ、僕としたことが」
「………」
突然、口調ががらりと変わった。
瞳の光は、まったくのそのまま。
純真な少年のままの視線でカイオスを仰ぎ見ながら、声のトーンは明らかに違う。
その不協和音が、違和感を加速させる。
「いつ、気付いたの? 僕が、見た目と同じ年じゃないってさ」
「…」
カイオスは、沈黙を保った。
相手の意図が読めないうちは、うかつに飛び込まないほうがいい。
眼前に立つ少年は、曲りなりに様々な死線をくぐってきたカイオス・レリュードにそこまでの警戒を抱かせていた。
「あの時さ。七君主を出し抜いてティナを刺す『ふり』をして、剣を向けた時――。あの時、僕に言ったよね?
『刺した後に、できる隙をつけ』って」
「…言ったな」
「よりによって、『百年前のミルガウス語』で、さ」
少年は肩を竦めた。
カイオスは、七君主の唆すままティナに剣を向けたとき、クルスに対してだけ、そう言った。
はじめに抱いた違和感は、最初、彼らがミルガウスに来たとき――取り乱すティナを尻目に、王の前に引き出されてのんびりと態度を崩さなかったとき。
その違和感をはっきりと自覚したのは、その後同行したアレントゥム自由市で彼がカイオスに対して指摘した言葉――。
――気になってたんだけど…カイオスって、何で、そんなに戦いなれしてるの?
それまで、ほとんど剣を取って戦うことのなかったカイオスに対して、クルスは確信を持った物言いをした。
――左大臣なんだよね。気になったんだ。だって、城にいて、全然魔物と戦わないのに、魔物に驚かない…アベルは震えるのに、全然震えない…
他人(ヒト)に対して指摘した割りに、10才という年齢を考えたとき、クルスの落ち着きや洞察力は群を抜いて不自然だった。
あまりそこらへんを考えそうにないティナ・カルナウスは、予想通り、クルスの違和感には全く気付いてなかったが…。
何に対しても、動揺を見せない少年が、唯一冷静さをかなぐり捨てて動揺するモノ。
彼女の危機にカマをかけてみたら、何かボロを出すのだろうか。
それは、何かの策、というよりは単なる思い付きに近かったが――。
ティナを刺し殺すように見せかけて、剣を抜いた時。
あまり深く考えずに、百年後のミルガウス語を使って語りかけてみた。
10才の子供が決して知りえない――ある程度の教養が絶対に必要な、古典の書物でしかお目にかかれないような言葉で。
その結果――ティナを刺し殺すものだとばかり思っていたあの時のメンツの中で、クルスだけがはっきりと反応を返した。
明らかに他とは違う。
意味を解した上での、はっきりとした行動を示した。
現に、ティナを刺した――ように見せかけた直後、その生死の是非も分からないうちに真っ先に動き出したのは、他ならぬクルスだった。
「もしも、あの時僕が君の言葉を理解しなかったら、どうしたつもりだったの? あんな一瞬で状況が左右されるような時に――随分と危険なカケをしたもんだね?」
「…もしも、理解できなかったら…『理解できる』言葉で言い直せば済んだ話だろ」
「………ごもっとも」
仮にも一国を任された青年を相手に、クルスはふっと息をつくと、肩を竦めてみせた。
信じられないことに、話の支配権は、カイオスの方にはなかった――かといって、クルスにあるわけではない。
絶妙な空気が二人の間を流れていた。
クルスの本質を質すべきか、それとも少年が自ら語るのを待つべきか。
(…シェーレンの女王よりやっかいだな…)
涼しい顔の裏側で、彼はふとそんなことを思う。
『ミルガウスの左大臣』と『ゼルリアの将軍』、そして賊の頭が乗り込んできた瞬間の女王の表情は、王者としての威厳はあったが、明らかに憔悴が見て取れた。
自らの焦りに飲み込まれたその時点で――そして、それを相手に悟られた時点で――交渉における彼女の負けは決したようなものだ。
クルスにはそれがない。
自ら、今まで装ってきた『仮面』を脱ぎ捨てながら、そこで完全に開き直って相対してくる。
「で、どういうつもりだ。自分から、開き直るなんてな」
「そうだね。多分、君以外は気付いてないし、ティナなんて、絶対気付きそうにないからさ。一言、言いたくて、さ」
クルスは、透明な目で青年を見上げた。
そこには、純真な光がある。
「僕は、ティナを――守りたいと思ってるんだ。じゃないと、二年間も一緒にいないしね。だから――ムシのいい話だけど、彼女には僕のことを黙っていてほしい。…それだけだ」
「………」
「うー。オレ、ティナが元気だったら、オレも元気になれるから、さ」
にゃははっと笑ったクルスは、いつもの笑みを浮かべた。
ひょいっと後ろを振り返る。
「ね、ティナ!」
「…」
「あ、えーっと。ご、ごめん取り込み中…?」
いつの間にか、近くに来ていた彼女は、状況にとまどいながら、ぱちぱちと瞬きする。
その様子は、すっかり元通りの元気を取り戻したようだった。
「…クルスとカイオス、ねー。珍しい組み合わせ」
「うー、オレがカイオスに話があったんだけどさー。もう終わったから、行くね!」
「う、うん…」
軽い足取りで廊下を戻っていくクルスに二人取り残されて、微妙な沈黙が落ちた。
「あ…あの……」
「……」
言いにくそうにティナが切り出す。
カイオスは、さりげなく遮った。
「悪いが、すぐにミルガウスに出立する必要がある。その前に、今から個人的に寄るところがあるんだ」
「………」
話を終えるように仕向けたが、ティナは、はっとしたように、顔を上げた。
紫欄の目が、何か逡巡するように揺れて、やがて囁くように、呟く。
「ひょっとして…マリアの、ところ…とか?」
「………」
カイオスは、微かに眉を上げた。
ティナは、再び少し言いよどんで、それから言った。
「あのね…ちょっととんでもないような話なんだけど…。『マリア』から、あんたに…『伝言』が、あるのよね…」
「………」
カイオスは、すぐには何も言わなかった。
やがて、少し視線を逸らして、
「時間がない。歩きながらでいいか」
静かにそう言った。
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