――ゼルリア城
「アルフェリア!」
「おう、サラか。久しぶりだなー」
翌日、予定通りにゼルリアの王城を訪れたティナたちを待っていたのは、懐かしい顔ぶれ――妾将軍の宝の海域で一緒に戦った、軍事大国の四竜たちだった。
声を上げた黒髪の赤竜サラに軽く手を挙げて、アルフェリアは懐かしそうに室内を見渡した。
サラの他に、アレントゥム自由市で知り合ったベアトリクスや、小さな青竜のジョニーおじさんも、微笑んで一行を迎えている。
淡い色の髪をふわりと揺らしたベアトリクスが、カイオスに一礼した。
「石板を探す旅は順調だとか…。さすがのお手並みだと、城中でも話が持ちきりです」
「いえ、そのようなことは」
「よそ者の分際だが、責任の取り方は心得ているみたいだな」
型どおりにしれっと受け流そうとしたカイオスに、サラが直情的な言葉をかけた。
言われた本人が口を開きかける前に、猛然と声を上げたのはレイザだ。
「ちょっとあなた! 何様のつもり!? 左大臣様にそんな口の聞き方」
「よそ者によそ者と言って、何が悪い」
「悪いわよ! 失礼だわ! 謝って!!」
「何だ。お前こそ、何様のつもりだ」
視線をぶつけ合ってにらみ合いを始めた二人を尻目に、青竜ジョニーがほっほっと笑う。
「にぎやかですなー」
「…。申し訳ありません」
「構いませぬよ。ところで…普段はにぎやかなはずなのに、元気のないお方もいらっしゃるようですが…」
「…」
「んあ?」
話を振られて、始めてロイドが視線を上げた。
穏やかな老人の目を見て、いたずらをとがめられた子供のように、ふいっと逸らした。
「何でもねーよ。仲間が心配なだけだ」
「仲間…」
「早く、助けにいかねーと…」
きゅっと拳を握り締めた海賊の船長に、ジョニーは沈黙の内に視線を向ける。
思いつめたような様子を眼差しの中に認め、温和な雰囲気をまとった老練の将軍は、眉をひそめてカイオスに向き直った。
「ミルガウスの国王陛下から、書状はいただきましたが…、相当に差し迫ったご事情のようですね」
「はい」
「明かせぬことですか」
「時期がくれば」
「分かりました」
一つ頷いて、老年の将軍は、よいせっと腰掛けから立ち上がった。
とことことカイオスに方に向かい、一通の封書を差し出した。
「陛下は多忙にて、会うことは適いませんが…。北の地へ立ち入るのに必要な書状はしたためられました。お持ちください」
「ご厚情、痛み入ります」
「なに、これしきのこと」
穏やかに場を睥睨した瞳が、ふっと翳った。
「北の地は、北方領主の城砦によって、領土を分かたれています。北方領主には、話をつけてあります。本来は、一夜のもてなしを差し上げるべきなのでしょうが…」
「お気持ちだけ頂戴いたします。時間が惜しいので」
頷いたカイオスは、周囲に――殊、サラと今だにらみ合っていたレイザに――淡々と声をかけた。
「行くぞ」
「はいっ。左大臣様!」
「うおっ」
ころっと態度の変わったレイザに、サラは衝撃を受けたようだった。
気味が悪そうに、同僚のアルフェリアに問いただす。
「何なんだ、この娘は」
「何って…見りゃー分かるだろうよ」
「いや、確かに見れば分かるが…。風変わりな趣味の娘もいるものだな…」
「お前、同盟国の官僚相手に、何気に結構失礼なこと言ってるの、気付いてる?」
「…」
感心したようなサラには、アルフェリアの突っ込みは届いていないようだった。
白竜ベアトリクスが、当たり障りなく話題を変える。
「北の地は、首都にも増して、寒さが厳しい場所。一年の大半が氷に閉ざされています。その分魔物の強さも通常のものとは比べ物にならない…。どうか、お気をつけて」
「そんな…すごいところなんだ」
ティナは、唇を引き結んだ。
自分は、火の属性継承者。不死鳥が使えない今、せめて通常の戦闘では、役に立たなければ。
「けどさ、そんなすごいところを守っている領主さんは、きっととっても強い人なんだよね!」
「あ、そっか…。そんな厳しい環境で北の大地を守っている人だもんね…」
何気なくはじめた相棒との会話だったが、ティナは自分を取り巻く周囲の空気の温度が、微妙に変わっていることに気が付いた。
ゼルリアの四竜をはじめ、ロイドや、カイオス、レイザまで。
「あれ? 何か…私悪い事、言った?」
「いや…」
どことなく言いにくそうなアルフェリアを制して、サラが言葉を重ねた。
「そうだ。北の地は、人間が暮らすには、あまりに環境が厳しすぎる。しかし希少な鉱物が採れる、かなり重要な要所でもある。――だから、その地を治めるには、地位の高い人間がその任に着かなければならない。ただし、都にいられなくなった人間が、だが」
「…あ」
ティナは、自分たちが――無意識とは言え、ゼルリアの人間たちにとって愉快ではない話をしていたことに気付いて、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい」
「いや、気にすることはない。昔の――話だからな」
「………」
普段は、闊達すぎるほど闊達な女性が、どこか遠い目をしていた。
それから、ゼルリアの三人の将軍達に見送られて、城を後にした後、ティナは思い切ってカイオスに聞いてみた。
「ねえねえ、さっきの話なんだけど…」
「…」
「北方領主…ゼルリアの都を追われた人、なの?」
「そうだな」
青い眼は、一瞬言葉を選ぶように沈黙したが、すぐに彼女の欲しかった答えをくれた。
「元チェラの第一王子」
「…え?」
チェラは、ゼルリアの前身だった国だ。
そこの第一王子ということは、つまり。
「ダルウィンの実兄で、王位から最も近いとされていた人物だった」
「そう、なの」
ゼルリア王国のことは、以前にもカイオスから話を聞いたことがある。
緑の館でのこと。
数年前まで行われていたゼルリアとミルガウスとの不毛な戦争。それは、ゼルリアにとって迷惑以外の何者でもなかったが、一つだけ統治の上で役に立ったことがあった。
そんな話をした時、彼はゼルリアの内情が、当時決して一枚岩ではなかったことに、言及した。
流れ者だったアルフェリア、奴隷のような不遇を囲っていたベアトリクス、剣も持てないジョニーおじさん、そして、現国王ダルウィンに反した大逆者『グラン』の実妹である、サラ。
しかも、王位についたダルウィンは『箸にも棒にもかからないバカ王子』と揶揄されていたらしい。
そのゼルリアにあって――王位から『最も近かった』人物。
「第一王子は、優秀だった。誰もが、王の素質があると、認める王子だった。だが、身体が弱くてな…。王を決める決闘じゃ、絶対に勝てないって言われてた」
「……」
言葉を発したのは、アルフェリアだった。
それは、誰ともなく、まるで空に向かって聞かせているようだった。
「だから、王子は自分の一番の部下だった当時の『赤竜』――サラの兄貴グランを使って、他の王位継承者たちを次々と死に追いやっていった。自分が『穏便に』王座に就くために」
「そんな…!!」
ティナは思わず声を上げたが、それすら将軍の耳には届いていないようだった。
彼の、流れる雲を映し込んだ目が、数回瞬いた。
「結局、第一王子の目論見はバレた。殺したはずの末の王子が――ダルウィン陛下が生還して、第一王子を断罪したんだ」
「俺たちの海賊船が、海でおぼれてた兄貴――あ、ダルウィン陛下をたまたま拾ったんだよな」
そのときの縁で、義兄弟ってやつになったんだ、とロイドが、補足するように付け加える。
一つ頷いて、アルフェリアは続けた。
「そう、陛下は生還して、第一王子に立ち向かった。俺は――俺たち四竜はそれに加わった。サラも、な」
「…あ」
あの時、サラがどうして遠くを見るような目をしたのか。
それが、分かった気がした。
『大逆者』グランの実妹。
そう、妹でありながら、サラが現在の地位にいるのは、大逆者である兄を『断罪する側』にいたからに違いない。
それは、兄妹で殺しあった、ということを意味する。
「ま、結果的に言えば、サラの兄貴が全部悪いってことになって、死んだ。――元凶の第一王子は生き延びた。けど、そのままにしとけねーだろ。それで、北の砦に『都落ち』って話だ」
「そう…だったんだ」
「そーだよ」
北方領主の元へ。
そして、更にその果てにある、最果ての大地へ。
折からの風が冷たくて、ティナは思わずかじかんだ手に吐息を落とした。
それは、かつてこの国が味わった悲哀を孕んだように、切なく締め付けるような傷みを、指先に残していった。
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