Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 闇に捕らわれた少女
* * *
「!!」
 ティナは混乱した。
 ゼルリアに向かう道中。
 真夜中の安宿。
 カイオス・レリュードとロイド、二人が休んでいた部屋で音がしたと思って、全員起き出して見に来てみたら。
 何でよりによって、レイザがカイオスの下にいるんだろう…!!
(夜這い!? 求婚!?)
 狼狽したティナの隣りで、エカチェリーナは、大したもんだねぇと感心しているようだ。
 アルフェリアが、勇気を持って問いただした。
「お前ら…何してんの?」
「――襲われた」
「ああ、なるほど女の子から迫られたわけね。ったく、情緒ねーなー。両隣の部屋の人間を起こすよーなことしなくても、二人でゆっくり――」
「け、けだものっっ」
「違う」
 ため息混じりに否定した男は、本当にうんざりしたように視線を横に滑らせた。
 全員の視線が、その先を辿る。
「あ…」
 クルスが何か見つけたような声を上げた。
 とんとんと足取り軽く、部屋の隅に行くと、何か拾って帰って来た。
「これ…短剣だね」
「短剣…なんで、こんなものが」
 眉をひそめたアルフェリアの横で、ティナはやっと、取り押さえられた少女の様子がおかしいことに気付いた。
 結構手荒いことをされているにも関わらず、抵抗する様子も、痛がる様子もない。
 ぼうっとした瞳を、暗闇に向けている。
 だが、それを抑えるカイオスの手は、ぎりぎりと震え、かなりの力を要していることを伝えていた。
「え、何…どういうこと?」
「だから、襲われたんだよ」
 ため息混じりに、カイオスは続けた。
「多分――操られてる」
 その言葉を、理解するのに、ティナには数秒かかった。
 数秒して、やっと理解して、彼女はぽんと一つ手を叩いた。
「あ、なるほどー。七君主の傍にずっと居たから!」
 何で、今まで七君主の隣りにいたレイザが、置いていかれたのか、謎と言えば謎だった。
 だが、彼女を操って、カイオスを襲わせようとしていた――という話なら、納得がいく。
 これまでの道中を考えるに、属性継承者は七君主にとっては『消したい』存在らしい。エカチェリーナも、七君主が直接手を下せないとは言っていたが、『弱らせて自然に死に近づけ』たり、『他人を使って』死に追いやるのはありだと話していた。
「何だよ。国王陛下、ホントにお前に厄介ごと押し付けたんだな?」
「そうだな」
 男たちが会話をする横で、エカチェリーナが、少女の傍らにかがみこんだ。
「七君主の呪いか…興味深いね」
「興味深いで、命狙われたら、いただけねーと思うぞー」
「そうだけどねぇ」
 やっと話が飲み込めたらしいロイドがおずおずと突っ込む横で、彼女はぼうっとした目をしたレイザに、何事か術を施す。
「軽い術だから、何とか解けるね」
 夜の闇の中でも一際光る赤い瞳が、やがて、はっとしたように周囲を映し込んだ後、思い切り表情を曇らせた。
「っ!! 痛っ…」
「ああ、悪い」
 手を放したカイオスを、驚いたように振り返って、レイザは、はっとしたような顔をした。
「左大臣様…!!」
「…」
「私…私…!!」
 感極まったように打ち震え、彼女はふっと瞳を潤ませた。
「私…あなたになら、組み敷かれてもいい…」
「!?」
「どうやら、記憶はないようだね…」
 もの凄い形相で、のけぞったティナを横目で見ながら、エカチェリーナが呟いた。
「まあ、話聞こうか。カイオスも、こんなんじゃおちおち寝られねーだろ」
「…そうだな」
 アルフェリアが提案したのに、カイオスが同意して、真夜中に事情聴取が始まることとなった。


 堕天使の聖堂で、見た光景がある。
 ―― 一つは、『カイオス・レリュード』と自分が、剣を打ち合わせて戦っている、胸が痛むような幻。
 それは、元は七君主の側にいたカイオスが、自身の立ち位置を明確にしていなかった当時――。
 未来に『裏切る』サインとして、ティナの胸に重くのしかかっていた。
 その情景に蓋をされるようにして――記憶の隅に追いやってしまっていた記憶が一つ。
 同じく堕天使の聖堂の幻が見せた――。
 家族と思しき四人の男女の、不可思議なやり取り。
 ミルガウス人の風貌をした男の子と女の子。
 二人の子供を残して、真紅の髪をした女が、手を掲げ、そこに四枚羽の堕天使が降臨する。
 それは、人間に呼び出せるはずのない存在。
 愕然としたティナが手を伸ばしかけた次の瞬間には、――そこに居たのは一人の少女だけだった。
 直前まで黒かった髪の色は、堕天使を呼び出した女が持っていた、真紅の色に染まり――女性も、男性も、少年も消えて。
 残ったのは、彼女ただ一人――。
 真紅の髪。
 ワインレッドの瞳。
 見違えるはずはない。
(レイザ・ミラドーナ)
 堕天使の聖堂で見た幻の中の情景は。
 真実か否か――。


「私、身寄りがないんです。こんな外見だから、引き取ってくれるところもなくて…。手を差し伸べてくれたのが、カオラナ様でした」
 自分が、よりによって『愛しの左大臣様』を手にかけようとした、とはっきり自覚した後の少女は、目に見えて憔悴しているようだった。
 レイザとなると、最近どこか心中穏やかでいられなかったティナ・カルナウスも、思わず同情してしまうほどに。
 雨にぬれた仔猫。
 そんな印象を受けた。
「彼女が――強大な闇だということは、…私、知っていました。けど…私…彼女のところを――離れられなかった」
「それって、――あなたに宿った存在が、強大だっただから?」
「!?」
 びくり、と少女が大きく震えた。
 怯えたような。
 観念したような。
 闇の中にあって印象的な瞳が、揺れながらも真っ直ぐに、ティナを貫いた。
「ティナ、…あなた…私の、何を知ってるの?」
「堕天使の聖堂で、ね」
 ティナは、自分が見た幻をかいつまんで話す。
 他の仲間たちは、驚いたように視線を彼女に集めた。
 『堕天使の聖堂』と思しき場所で、家族と思われる四人の人間たちが、四枚羽の天使の降臨に立ち会ったこと。
 それは堕天使の証――カオス亡き後魔王となる存在『ルシファー』。
 母親と思しき女が、その存在を呼び出した後――、一瞬場面は霧に包まれ、後には一人の少女が残った。
 直前までは黒かった髪は、真紅の赫に染まり抜いていた。
 あたかも、血をかぶったかのように。
 一人なく少女の声が、深々と霧に吸い込まれていった――
「おい、ティナ、それは…」
 言いかけたアルフェリアを、カイオスが視線で制す。
 ティナは、記憶を辿るように、視線を当てなく彷徨わせていた。
 霧の中の記憶は、今思うとまるで『未来の夢』を見ていた感覚に似て、釈然としない部分もある。
 さらにそのときは、一緒に見た幻の指し示す光景の印象が強烈で、すぐに記憶の海に埋没してしまっていたのだったが…。
 記憶を辿りながら語る彼女は、目の前でレイザがかたかたと震えだしたことに、全く気付くことができなかった。
「そう、間違いなく、あれは堕天使の降臨の儀式だった。堕天使は――まあ、堕天使に限らず、高位の精神体ってのは、そうだけど――人の命を生贄に、召喚される。だから…あの時いた少年と男の人は、それで『消えた』んじゃないかと思うのよね…。残ったのはレイザ…だけだとすると、あの時のほかの人は全員…」
「やめて…!!」
 言葉を遮ったのは、かん高い悲鳴だった。
 弾かれたようにティナははっと言葉を止める。
 目の前に、泣き出しそうなレイザの顔があった。
 気の強い顔が、雨にぬれた子犬のように、弱々しく歪んでいた。
「やめて…」
「ご、ごめんね」
 ゆるゆると首を振って、レイザは、弱々しくため息をついた。
 ワインレッドの瞳が、苦悩するように、ぱちりと閉じた。
 深く――強く。
 その視界に、何が映っているのか――
「私…は、パパとママに連れられて…弟と、あの場所に…『堕天使の聖堂』に行った。ママが、堕天使を召喚した…。すごく綺麗で…左大臣さまより綺麗な存在で…。私は、見惚れて…気が付いたら、堕天使と…目が合って…」
 レイザの身体は、震えていた。
 小さな子供が、嫌なことから逃げようとしているように。
「堕天使が…私を…見てて…け、契約を…」
 契約。
 堕天使と、契約とは…。
「転身の儀式、か」
 エカチェリーナが、呟いた。
 月明かりを宿して、幻想的な碧色の瞳が、ゆらゆらと輝いていた。
「混血児の儀式とも通じるね」
「混血児の?」
「ああ」
 ロイドの疑問に、彼女は一つ頷く。
 彼――というより、全員に向けて、彼女は言葉を放った。
「混血児ってのは、身体に天使を宿した存在だ。だが、生まれた時から天使を宿してるんじゃない。元々、その天使を宿していた人間――大体の場合は、親からだが――その力を受け継ぐんだよ」
「へー」
「そうなんだ…」
 魔法を使うティナでも、その手の話は初めてだった。
 『混血児』という存在は、人間から忌むべきものとして知れ渡っているが、実際にその『生態』は謎に包まれている。――知る機会自体が限られている、という事情もあるのだが。
「まあ、ここからが残酷な話なんだけどね…。降臨の儀式をするには、ティナの見たとおり、生贄となる人間を一人捧げる必要がある。――大体は、天使を宿してない方の親が、その役割を担うね。そして、天使を呼び出した後、混血児本人も死ぬ」
「………」
 つまり、新たに天使の力を受け継ぐ子供は、両親とも失ってしまう、ということだ。
「けっ、つまんねーことだよな」
「アルフェリア…」
 らしくなく場を波立たせるような悪態をついた将軍に、ロイドが非難の視線を向ける。
 応えた声は、意外なところから発せられた。
「そうね。つまんないことだわ…。降臨の儀式をして…それで…死んで、しまうなんて…」
 震える声が、涙を孕んで空気に溶けていく。
 膝の上で握った手に、雫が散って流れていた。
「私…一人になって…こ、こんな髪と目だから…誰からも気味悪がられて…。手を差し伸べてくれたのは、カオラナ様だけだった。私…彼女の正体を知っていて…。知っていたのに…ず、ずっと…」
 ぽろぽろと。
 ぽろぽろと。
 堪えきれない感情をこぼしながら、レイザは泣きはらした顔を、カイオスの方に向けた。
 話の最中、ずっと表情を変えなかった青年に向けて、深く頭を下げた。
「ご…ごめんな、さい…。私…あなたに…大好き、な、あなたに…とんでもないこと…」
「………」
 言葉を向けられた青年は、すぐには答えなかった。
 だが、周囲を不安にさせるほど、沈黙は長くなかった。
 彼は、まずエカチェリーナの方に視線を向けて、短く聞いた。
「彼女に掛けられた七君主の術は、解けたのか」
「まあね。まあ、人間ごときの力だから、完全に解けたかどうかの保証はないけど」
「つまり、当面の問題はないということだな」
「…っ!」
 間接的な赦しの言葉に――そして、暗に旅への同行を認める言葉に、レイザの瞳が、はっと見開かれた。
 震える眼差しが宿すのは、期待を含んだ不安。
「え…わたし…」
 言葉を詰まらせる少女にかぶせるように、アルフェリアが現実的な発言をした。
「いいのか?」
「逆に、放置する方が危険だろう」
「そーいうことね」
 確かに、と頷く将軍の言葉が終わらない内に、レイザがしゃくりあげながら、カイオスの手を取った。
 まるで、戴くように包み込むと、きゅっと握り締めた。
「あ…ありがとう…ございます…」
「…」
「左大臣さま…大好き…!!」
 そのまま本格的に泣き出した少女を見ながら、クルスが、わー、コクハクだーと能天気に煽る。
 ロイドは、おおっと眉を上げている。
 衆人環視の告白を、動じるでもまして顔色を変えるでもなく、――見た目は――平然と受け止めたカイオス・レリュードに、アルフェリアは青年にだけ聞こえる声で言ってみた。
「いい子じゃん。一晩くらい付き合ってやったら?」
「バカ言え」
 ため息混じりの否定に、将軍は苦笑する。
 男どもが何を話したか、聞かなくとも検討がついたのか――エカチェリーナは半眼でアルフェリアを睨んだ。
 そのままの流れで、ティナ・カルナウスに視線を向けた。
 今までの分かりやすい反応からすると、この告白に彼女はさぞかし動揺を面に表しているだろう――と思っての行動だったが。
(おやおや)
 後半は妙に静かだと思っていたら、彼女はどこか複雑な表情でレイザのことを見つめている。
 そこにあるのは、動揺ではなく、眩しいものを見るような憧れにも似た感情――だが、微かに、羨望を滲ませているようにも見えた。
「『ありがとう』…か…」
「ティナ?」
 語りかけると、魔法が解けたように、彼女はぱちぱちと瞬いた。
 紫の珍しい色の瞳が、いつもの調子でエカチェリーナを見た。
「あ、えっと、何?」
「いや、ぼーっとしてたからさ」
「え…うん」
 そうね、と笑った彼女は、へへ、と頬をかいた。
「ちょっと…羨ましいな、と思って」
「へえ?」
 眉を上げると、ティナは苦笑した。
 こだわりなく笑って、肩を竦めた。
「私は、なかなか言えなかったのになっと思ってね」
「そうかい」
「そうよ」
 自分の感情をすぐに言葉にできる人間もいれば、できない人間もいる。
 特に後者は、それが本音に近ければ近いほど――大事なことであればあるほど――言葉にできないこともある。
 それを言おうとして、エカチェリーナはやめた。
 代わりに軽く笑った。
「けど、結局言えたんだろ?」
「うん」
「じゃあ、結果的に一緒じゃないか」
「…」
 ティナは、虚を付かれたように黙りこんだ。
 やがて、にこっと笑う。
「うんっ」
 そこには、先ほどみせた蔭りはもう伺えなかった。

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