Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 混血児の隠れ村  
* * *
――???



 黒き竜が、彼の前に現れたのは、ぱらぱらと小雪が舞い散る、真っ青な空が顔を覗かせた、冬の最中のことだった。
 石板が砕け散る前兆といわれる、魔の集念体。
 人が抱く、あらゆる限りの『負』の情念というものを、ぎりぎりまで押し固めて結晶にして、それを空気に溶かし出したような――。
 黒、という色が具現化すれば、このような質感を持つのだろうか――。
 鉱山で見たことのある黒曜石の欠片より、もっと吸い込まれそうな闇の色――
「…あ」
 轟轟と、風が吹き上げていた。
 後ずさりして、逃げようとした足が、何かにつまずいてそのまま後ろに倒れこんだ。
 顔を上げて、目を見開いた後――それに見惚れてしまったことは覚えている。
 月夜のない夜の、吸い取られゆく深遠の色。
 ただ、衝撃が身体を突き抜けて――あまりに強い印象は、突き抜けてしまうと、その後は空っぽになってしまうのだと、渇いた頭の片隅で考えていた――呆然と、その光景に見入っていた。
「…あ、ね、…!」
 震える声が、何か言ったかも知れない。
 それを吐いた口は、呼吸すら不自由に感じる風に遊ばれて、それを聞く耳に、音は届かなかった。
 ただ、自分の身体の一部が何かを叫んだときのように、振動した。
「な、どうして…!!」
 喉が裂けた。
 精神が弾けたのかも知れなかった。
 悲鳴のような雄たけびを上げて、彼の意識は、暗転していった――。


――北の大地



「!?」
 ばっと飛び起きたアルフェリアは、身体を撫ぜる夜気に顔をしかめた。
 随分と、行儀のいい寝相をしていたらしい――いつの間にか上体を覆っていたはずの上掛けがはぐれ、北の大地の冷気が肌着を通して沁みこんで来る。
「っ…」
 今さら、なんつー夢を見るんだろうか。
 ちっと舌打ちした彼の前に、すっと何かが突きつけられる。
「!?」
 思わず、息が止まった。
 視界を覆うモノが、コップだと気付くのに、暫くかかる。
 やっと気付いたとき、陶器が脇にどいて、その向こうから、女の顔がすっと覗いた。
 紫欄の瞳が、夜の闇の中でもよく映える。
「…ティナ」
「大丈夫?」
「…ああ、悪い」
 受け取った陶器の中身は、温められたミルクのようだった。
 彼女の向こうには、ぱちぱちと爆ぜる火と、その向こうで同じようにコップを片手に起きているカイオスの姿も見える。
 二人のほかは、静かに寝ているようだった。
 カイオスは火の番をしていたはずだが、ティナの方はどうして起きているのか――。
 視線に疑問が現れていたのか、ティナは照れたように笑った。
「…いや、私はちょっと夢見が――悪い、というか、不調というか…」
「そーかい。オレも、だよ」
「うん、結構うなされてたから――。もうちょっとしたら、起こそうかなって話してたの」
「おー、ティナが優しくゆり起こしてくれるって?」
「ううん、カイオスが蹴り起こそうかって」
「それは、絶対ゴメンだな」
「あはは」
 白い吐息を零して微笑むティナのようすに、自然に口元が上がっていた。
 そんなアルフェリアに、声をかけたのはカイオスだ。
「で、お前は、何で珍しく呑気に夢なんか見てるんだ」
「呑気ってなー、オレだって、夢くらい見るっての」
「お前の出身地に関わることか?」
「………」
 嫌な男だ。のっけから、図星を突いてきた。
 へっとアルフェリアは喉の奥で笑う。
 意地の悪い言葉だとは思いながら、なるべくそう聞こえないように、彼は吐き出した。
「ぎりぎりまで、自分の生い立ち隠してたヤツに、質されたくはねーな」
「………」
「ちょっと、アルフェリア!」
「何だよ。カイオスだって、自分のこと、最後まで言わなかったんだ。お互い、詮索はナシにしよーぜ」
 非難めいたティナの声に、応えたアルフェリアの声は、予想外に冷たく響いた。
 その冷たさに凍らされたように、息をひそめたような沈黙が落ちる。
 闇に隠れて、ぱらぱらと降っていた小雪が、ミルクの表面にふわりと落ちて、波紋を描いて溶けて行った。
 やがて、そうだな、と静かな声が闇を裂いた。
「それはそうだ。悪かった」
「………」
 あっさりと引き下がったカイオスを、ティナがいいの、と問うように伺っている。
 だが、と続けて、青年は紡いだ。
 何気ない風を装った青い眼が、含みを持って、アルフェリアを射抜いている。
「詮索を嫌うのは勝手だが、それで何かしらこの先、支障がなければな」
「………どこかの誰かさんが、そうだったようにな」
 へっと息をついて、アルフェリアは視線を上げた。
 カイオスは、彼の挑発には乗ってこなかった。ただ、しずかにアルフェリアの答えを待っている。
 不愉快な男だ。
 しぶしぶ、舌打ちと共に、彼は一息に告げた。
「一つだけ教えてやる。村までの道案内はするが、そっから入れる保証はねぇぞ。オレは15年も前に村を追放された身だからな」
「…」
「え」
 ティナが、ぱちぱちと瞬くのを、――そして、その瞳に、信じられないという光と、どうしてと問いかける光が宿っているのを――アルフェリアは、横顔で受け止めて、ふいっと逸らした。
 そのまま、一気に手にしたコップを空けると、突っ返すようにティナに返す。
 戸惑うティナと、ただこちらを見遣るカイオスの視線をかわすように、そのまま横になって、毛布をかぶった。
「悪い、寝なおすわ」
「あ、うん…」
 そのまま、息をひそめて、あちらを向いた。
 寝静まる幾人もの吐息に、呼吸が同化した頃、ティナが小声で話を再開したのが、背中ごしに聞こえた。
「ねえねえ、ひょっとして、さっきカマかけたの?」
「何が」
「『アルフェリアがうなされてたのは、過去に関することか』って言ったこと」
「…まあ、あれだけ隠されると、何かあるかとは、勘ぐるかもな」
「そうよね…。それにしても、びっくりしたー。あのアルフェリアが、あんな言い方するなんて。…大丈夫?」
「俺は別に。ただ…余程のことがあった様だな」
「んー、村を『追放』って…。しかも、15年前っていったら、アルフェリア…10才そこそこでしょ?」
「…そうだな」
 純粋に、不思議そうなティナの、素朴な疑問を発する声は、アルフェリアの冷たい心臓を、ナイフでそぎ落としていくようだった。
 思い出したくもない情景が、いくつか目の前をちかちかとかすめていく。
 ゼルリア将軍の胸中で蘇った景色の断片に対し、女の声に答えるカイオスの言葉は、まるで空の上からそ知らぬ顔をして、事の成り行きを説いているように聞こえた。
「…15年程前、ちょうど、フェイが養子として村からシルヴェア王家に迎え入れられる直前の時期…『北の大地』に、黒き竜が現れたことがあった」
「そうなの? それって、石板が砕け散る、前触れ…よね」
 耳を閉ざそうにも、下手な身動きは、二人にこちらの起床を悟られてしまう。
 じっと息をひそめていると、淡々とした青年の声が、ティナの問いに応えるのを聞いた。
「…ああ。何人かの犠牲者が出たらしい。――北の大地をさまよっていた冒険者が巻き込まれた、ということに、なってはいるがな」
「ふーん」
 言うな。
 それ以上は、言うな。
 全身で叫ぶ心中に反して、身体は石像のように、寝静まったふりを続けていた。
「だが、実際のところは…」
「北の村で、――その『強大な魔力の守り手』として、混血児とか異民族が集住してた村に、現れた。…ってこと?」
「ああ」
「アルフェリアが、追放されたのは、その時の黒き竜の降臨が、原因なのかな」
「さあな」
「けど、可能性はある?」
「時期は重なるな」
 そうね、と呟いた少女が、こくこくと飲み物を飲み干す音がして、暫く小雪の舞う音だけが、暗闇にさざめていてた。
 やがて、何とか脳裏にちらつく光景を抑えて、やっとアルフェリアの意識に闇が這い寄ろうとした頃に、ティナの声が、ぽつり、遠く聞こえた。
「そういえば…邪魔しちゃって悪かったんだけど…。魔封書で何か見てたの? 七つの闇の石板の行方は――全部分かってるんでしょ?」
「…個人的に、知りたいことがある」
「知りたいこと?」
「ああ」
 意識がまどろみに溶けて行く。
 最後の理性の隙間に滑り込むように、男の声が闇に響いた。
「『死者の蘇生術』」

――もしも、そんな方法があったなら。


 彼は、目を閉じた深い暗闇の中で、呟いた。
 もしも、そんな方法があったなら。
 『殺した』姉は、蘇るのだろうか。
 刃が、彼女を貫いた感触。
 血の臭い。
 そして、最期の言葉。
「………」
 答えのない自問に、答える言葉を見つけられないまま――彼は堂々巡りの思考の中で、眠れない時間をただ、重ねた。

* * *
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