Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 雪原の御使い  
* * *
――混血児の隠れ里



 深々と、雪が降り注いでいた。
 石造りの堅牢な建物が、雪に半ば覆われながら、かろうじて人々の居住区の役割を果たす、そこは小さな村――集落と言っても差し支えないほど、こじんまりとした、集住区域だった。
 寒さと雪を少しでも凌ぐため、家屋は半ば地下にもぐるような形で建てられ、半円の屋根を地上に微かに覗かせている。
 外界に小さく開けられた扉から、入り込んだ室内は意外と広く、地下を掘って居住の場を確保しているのだと知れた。
 下に向かって階が進んでいくので、自然、窓と扉のある玄関は『最上階』になる――その小さなガラス越しに、ぼんやりと室外の景色を眺めながら、アルフェリアは何気なく呟いた。
「ったく…。あいつら寒いのによくやるな」
「本当だねぇ」
 応えたのは、エカチェリーナ。
 こちらは、ぱちぱちと火が爆ぜる暖炉を見遣りながら、陶器に入ったお茶を両手で温めていた。
 『村を追放された者』。
 『異民族の名を貶めたやっかい者』。
 本来ならば、村に入ることすら適わなかった二人だったが、一行を出迎えた異民族――この集落のまとめ役をしているという――の『特別の厚情』で、『この建物から出ない』ことを条件に村への入場を許可されていた。
 ――かといって、何か話題があるわけでもなく、ましてお互いの身の上話になるはずもない。
 微妙な沈黙は外に話題を求め、結果アルフェリアの呟きに結実したのだった。
「異空間を引きずり出る魔法陣…か。んなもん、あるんだな」
「そうだね。もともと『空間』は高位の魔族や天使を始めとして、人間だと高位属性継承者にしか干渉することができないモンだけどね。そのときの『理』を利用して、模擬的に空間を歪ませることもできる。『転移魔法』なんてのが最たるもんだね」
「ほー」
 よどみなく話す女の口調に対し、男の相づちは実にそっけない。
 エカチェリーナの方は、特に聞かれることを期待していたわけでもなかったので――特に気にせず、言いたい事だけを、言ってのけた。
「ここは、質の高い魔力を持った混血児たちもいるし、高位属性継承者たちもいる。あれだけの人数が陣を通して一気に空間に干渉すれば、空間も開くだろうさ――理論上は、ね」
「なるほどな」
 理論上は、と言ったエカチェリーナの声は硬い。
 それを耳に感じながら、アルフェリアはあえて聞かなかった振りを装った。
 アルフェリアはこの村の出身だったが、魔法には疎い。――あえて関わらないようにしてきた、といったほうが正しかったが――。
 どこまで歩いても永遠に自分にまとわり憑く影法師のように、ちらりと脳裏に過ぎったその思考を、アルフェリアは意識的に遮った。その代わりに、目の前の女の内実に思いを馳せた。
 二重魔法陣。
 それを暴発させ、魔方陣を禁術へと貶めた人間。
(確か、副船長のヤツが言ってたんだよな…)
 死に絶えた都で、自身のせいで七君主の毒に犯されたティナを背後に、カイオスが戦っていたときのことだ。
 毒と戦うティナの体力を支えながら、見守る戦いの中で、カイオス・レリュードが繰り出した二重魔法陣。

 ――『場には自然の秩序が存在し、それを乱すのが『魔法』――。術者は、乱した場を元に戻すところまでを一連の術とする。場が乱され、その理が発動し、その場が戻る――威力が大きくなればなるほど、その作業は複雑になる。魔法を使った後に、隙もできる。
 ダグラス・セントア・ブルグレアの魔法理論革新によって、その理に干渉するのは容易にはなった。だから、『型』を二つに渡って並行に作成し操る二重魔方陣の理論もないわけじゃなかった…。実際にそれを試した人間もいる。
 村一つ巻き込んで、暴発したが』

 あの時の淡々とした言葉からは、それが『誰』を指すのか、具体的な名前を聞くことはなかった。
 しかし、その後再び訪れた死に絶えた都で、その正体を問われて自身が零した。
 ――焦って二重魔方陣に手を出した時期もあったけどね。村一つ壊滅させた上に、今じゃこんな流浪の身だよ、と。
「………」
 目の前で、気だるげに髪を払う女は、どちらかと言うと、場末の酒場で客を相手取る女に近い印象を受ける。
 とても、そんな栄光に満ち溢れた過去を持っているようには――ミルガウスの王宮で、筆頭魔道士をしていたようには見えなかった。
 同じ時期に城にいたはずの、シルヴェアの騎士ローランドが全く気付かなかったのだから、実際、彼女の変わりようはかなりのものがあるのだろう。
 それは、彼女の『過去』が彼女の光をくすませたのか――。
「そーいやあんた、ミルガウスの宮中にいたことがあるんだよな」
「…」
 何気なくを装って振った話題に、エカチェリーナは予想通り険を孕んだ視線を向けた。
 それをわざと素通りしたアルフェリアに、さらにため息を重ねた彼女は、ふいっと顔を背けた後に、吐き捨てるように呟いた。
「あるよ」
「じゃあ、副船長、…っとフェイとも面識あるのか? あんた、相当高位に居たんだろ」
「私が王宮に居たのは、今から――15年くらい前だったかねぇ。あの方と始めてお会いしたのは、王宮の庭だった」
 異民族の色をした窪んだ瞳が、何かを思い出すように瞬いた。
 それは、閑散とした混血児の隠れ村の冷え冷えとした民宿ではなく、彼女が始めてフェイと会ったときに見たのだろう――遥か遠くのシルヴェアの、噴水の音が爽やかに響き渡る、優しい緑たなびく庭を映しているように見えた。
「齢、まだ3つだった。白い『布』で視界を覆われていたのに、危なげない足取りで歩いてた」
 最初見たときには、信じられなかったけどねと、その時の彼女の驚きを、どこか冷めたような面持ちでエカチェリーナは語った。
「彼曰く、その人間や万物が放つ『気』のようなものが見えるから――別に視界に頼らなくても、生活に支障はないって話だったんだけどね」
「へーそりゃ便利だな」
 アルフェリアの、茶化したような合いの手に、意外にもエカチェリーナは真摯な瞳を向けた。
「便利なもんかい。私も後で聞いた話だが――彼が、王の養子として千年竜の祭壇に祈りを捧げたときの話さ。知っているだろう? 王位継承者となるものが、儀式を受ける祭壇――王と王位継承者、そして三大臣しか立会いを許されない、神聖不可侵の儀式」
「――聞いたことはある、な」
 形式めいた話だが、王位の正統性を民に知らしめるために、『神』――ミルガウスの場合は千年竜の御前で、その力を認めてもらう。多分に儀式的なところが大きいが。
「…千年竜って言ってもね、伝説のノニエルの半身である『千年竜』じゃなくて、ミルガウスが擁する千頭の竜を統べる存在――聖竜の前で、その力を図られるんだけどさ」
「ああ、人の言葉を理解するっていう、とんでもない竜のことだよな」
「そうさ。限られた人間にしか、その姿を見せることはない」
 その試練の場でね、と女は視線を動かした。
 彼女が伝え聞いた内容を正確に伝えようとして――その言葉を選ぶのに苦労している仕種だった。
 何度か詩吟するように、唇が微かに動いた後、結局彼女は結論からずばりと切り出した。
「『死に呪われた子』」
「は?」
「死に呪われた子。その儀式を見ていた、時の左大臣――バティーダ・ホーウェルン様は、私にこう言った」
 もちろん機密中の機密だし、その言葉が一部の人間たちを除いて外部に漏れ出ることはなかったが。
「死に…」
「3歳の子供が、だよ。その視界を奪われてさえ、万物の『気』を読み取る魔力の苛烈さは、それが発現すれば、周囲を巻き込んで『死』をもたらすほどに、強大な果てないものだった」
「…待てよ、あいつ普段は――」
「さらにすごいことには」
 普段の副船長からは、そのような気配などなかったし、そんな力を持っていれば、それに振り回されるのは必然――そんなアルフェリアの反論を封じこめるように、女は言葉を重ねた。
「あの王子様は、あの幼さで、その『苛烈な魔力』を無意識に抑える術を得ていた、ということさ」
「そんなこと、あるのか?」
「『風の属性継承者』」
 その言葉を言い切ったエカチェリーナの瞳が、場末の女のように沈んだ。
 魔力の才をもつ彼女が、もてなかった『才能』。
 視線を落として続ける姿は、自らの影に問いかけているように見える。
「高位属性継承者の資質ってのは、お飾りじゃないってことさね。だが、その強大な力は、属性継承者の素質を持ってしてもなお、完全に抑えられるものじゃない」
「…」
 ふと、女は視線を上げて、アルフェリアに問うた。
「あんた――あの方が、『攻撃魔法』を使うところを、見たことがあるのかい?」
「ないな」
「そうだろうね」
 副船長は確かに、回復や防御の魔法をよく使った。
 相手が魔族であっても、攻撃に用いる手段は剣だけ――攻守共に魔法を使う、同じ属性継承者ティナやカイオスのことを考えれば、確かに不自然な気はする。
 アルフェリアの問いかけの視線に、一見応えるようで、女は少し回りくどい説明をした。
「まあ確かに、魔法にはその人間の『本質』ってのが、深く関係するけどね――。ティナは魔力がなまじ高いから、湯水のように消費して、やたら派手な攻撃魔法を繰り出すのが好きだし、逆に左大臣なんかは、元々あまり高くない魔力を最大限に活用して、実際の魔力より大分効率よく、技を繰り出す――1の力を10に見せるタイプだね」
「ほー」
 言われてみれば、確かにそんな気もする。
「じゃあ、副船長の魔法は…どんな傾向を持ってるっていうんだ?」
「あの方はね。普段はとても穏やかな人間だったよ。アベルさまにも優しかったし、養子に突然つれてこられた状況で、駄々をこねることも、癇癪を起こすことも見たことがない。声を荒げたことすら、――私の知る限りじゃない」
 淡々と挙げ連ねた後、最後の一押しを、彼女は視線とともにアルフェリアに投げた。
「当時、たかが5才の子供が、だよ」
「…」
 そんな子供が――幼児が、本当にいるのだろうか。
 眉をひそめたアルフェリアの疑問に、結果的に答える形で、エカチェリーナは続きを語った。
「いたね。『悟りを開いていた』というよりは、『諦めていた』ようにも見えたけど…。少なくとも、私は、そういうところを普段見たことがなかった。その方が―― 一度だけ。激情を起こしたことがある」
「へえ」
 微かに興味をそそられて、身をわずかに乗り出したアルフェリアを前に、エカチェリーナは相変わらず、けだるげに頬杖をついている。
 視線は、変わらず、過去の日々をさまよっているようだ。
「十年前――石板が砕け散った犯人と決め付けられて、大人たちに崖に追い詰められたときのことさ。よってたかって、何十人の大人が――私を含めて――あの方を追いつめた。そこで、あの方、なんていったと思う?」
「さてな」
 続きを促した視線に、彼女は応えた。
 それは当時、大人たちに追い詰められた王子と相対した自らを、あざ笑っているかのようだった。
「『自分を疑うなら、疑え。国王に断罪されて殺されるくらいなら、自分で自らの命を絶つ』って言ってさ。それまで国王陛下には口答えすらしたことなかったってのにね。…思い切り啖呵切って、あげくにそのまま崖から飛び降りた」
「…まじかよ」
「別に、脚色したわけじゃあないね」
 当時、シルヴェア王子の年齢はたったの7つだったはずだ。
 そんな子供が、シルヴェアの絶対君主にそんな言葉を吐いて、自ら崖に身を躍らせた?
 過去の話を聞いても、アルフェリアの知る『副船長』の、恐ろしいほどの存在感のなさを考えれば、にわかには信じられない。
「…随分、キレた奴だな…」
「つまりね、あの方はそういう『獣』を飼ってるってことさ。普段の様子からは信じられないけど――」
 語りながら、本人の目の前でもないのに、かたくなに『あの方』と礼を取るエカチェリーナの心情の片鱗が、何となくアルフェリアにも分かった気がした。
 彼女は――畏怖している。
 当時7才だった――そして、現在はティナと同い年でしかない、自らより10以上年下の人間に対して。
「…」
「あの方の本質は、『苛烈さ』にある。そして、それを押さえ込む『理性』がある。その理性を取っ払って、激情に任せて攻撃魔法なんて使ってごらんよ。私が引き起こした、悲劇の比じゃ、ないかも知れないね」
 それは、彼のみでなくその周囲にすら、『死』を呼び起こしかねない――。
 『死に呪われた子』。
 それで、バティーダ様は、彼の攻撃魔法を封じた、エカチェリーナはそう言って、言葉を切った。
「………」
 アルフェリアはぱちぱちと瞬く。
 普段は全くぱっとしないあのローブが、そんな大仰な人物だったとは――。
「何か…すげーな。要するに魔法の使い方で分類すると、ティナは派手な浪費家、カイオスはけちな節約家、副船長は、切れると手に負えねー一番厄介な奴ってことだろ」
「………」
 あまりに大雑把なアルフェリアのざっくりした認識に、エカチェリーナの瞳が、険しく――なったように見えて、結局脱力する。
 ため息混じりに女は頷いた。
「…まあ、そーだね」

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