混血児の住む村の気候の厳しさは、ティナが想像していたものよりも、遥かに過酷なものだった。
雪というより、氷を孕んだ風に顔を常に叩かれているような状態で、息をするたび喉には凍りが張り付いているかのように感じる。
そんな中、主にカイオス・レリュードの指示の元、異空間とこの空間を結ぶための魔方陣を――かなり大掛かりなもので、ティナたちだけでなく、村人総動員で、小さな家が建つんじゃないかと思われる広さの陣を、緻密な構成でくみ上げて行くものだ――せっせと雪上に描きながら、ティナはふと、屋外に閉じ込められる形となった仲間を思って、何となく呟いていた。
「何か、かわいそーよね」
「何がー？」
「アルフェリアとエカチェリーナ。だって…。ずっと、家の中で、自由に出入りもできないとか」
息詰まっちゃわないかな、と彼女は素直に心配する。
その二人が二人して、自分のことを『湯水のように魔力を使う』だの、『派手な浪費家』だの言っていることは、夢にも思わない。
「うー、かわいそうだけどさ…。けど、それくらい嫌われてるのに、村に入れてもらえたのが、すごいよね」
「そーね…」
クルスの言葉に、彼女は頷く言葉が消えていくのを感じた。
変わりに、不安にも似た思考の渦が、内側から競りあがってくるのを自覚する。
抑えようと努力しても、蓋をしても、次々と溢れてくる何か。
「………」
森の中で、ティナたちの前に立ちはだかった、混血児を束ねる村の村長――彼自身は混血児ではなく、単なる異民族だったが――彼が、ティナをその視界に見止めて、はっきりと示した動揺――それと同時に、彼以外の混血児達が、ティナに対して表した恐れにも似た『何か』の感情。
(『あなたさま』って言われちゃった…)
今も――
「…」
ティナはそっとため息をついた。
村に入ってからこの方、異民族や混血児たちは黙々と、カイオスの言うとおりに異空間とこちらをつなぐ魔法陣を描くことに集中している。
彼らが持つ弓矢――そこに魔法の力を封じる、という高等技術を持つだけあって、彼らの協力は大変にありがたかった。
が。
「あ、また見てるわね。ティナのこと。あの人たち」
レイザが、半分小声で、半分向こうにも分かるように、そっと囁く。
「うん…」
「ティナには記憶がないから、全然覚えないんでしょ？」
「そうね」
「逆に、あの人たちがティナの過去を教えてくれたら、何か手かがりになるかも知れないわね」
ふふっと猫のように目を細めた少女の、明るい言葉を受けて、ティナはぽりぽりと頬をかいた。
彼女が本心から言っているのか、それとも何かしら気を紛らせてくれようとしているのか、分からなかったが、そこにあるレイザ特有の温かさは、同年代の女の子として、どこかほっと息をつけるものがあった。
(そういえば、同い年の友達…？ って、はじめてかも…)
まあ、強引だし、突っ走るところあるし、多分に夢見ているし、カイオスに対して無遠慮すぎるし。
と、色々胸の中で並べたてた後、けど、と彼女は付け加えた。
(いい子なのよね〜…)
それが一番しっくりくる言葉だと思う。
こんな事態でなければ、宿屋なんかで一晩中話をして語り明かしてみたいかも知れない。
「ってティナ？ 聞いてる？」
「ああ、ごめん。ぼーっとしてた」
覗きこむような視線気付いて、彼女は慌ててぱちぱち瞬いた。
レイザはうっとりした視線を、カイオスに向けて注いでいるところだった。注がれている方は、幸か不幸か、他の人間たちに指示を出すのに急がしそうで気付いていないが。
ティナがひとりごちている間に、彼女の話題はとっくに左大臣の方向に移り変わっていたらしい。
――というより、彼女の99％はカイオスの話題でできている、とティナは思う。
「今日の左大臣様も麗しいわ！」
「…んーと、いつもと同じようにしか見えないんだけど」
「そうね…昨日も素敵、今日も素敵、明日はきっともっと素敵！」
「………」
「何よ、その微妙そうな表情(かお)」
「ううん…何でもない」
様々な感情が交錯した末に、彼女の口が半ば呆然とその言葉を紡いだとき、隣りで聞いていた相棒が、ちょいちょいっと服の袖を引っ張った。
「ねえねえティナ。あの人が見てる」
「ん？」
釣られて見た先にいた人物は、紫の視線を感じるとふいっとそっぽを向いてしまった。
この村の村長だった。
村長、というには随分若すぎる――実際、『混血児』は短命だが、異民族の寿命は多分ティナたちと同じくらいで、実際、老年に差し掛かった人々もいた――男は、神経質そうに顔を固めたまま、あくまでティナを、表面上は意識しない振りを装っていた。
ただ、言葉にされない分、手に取るように態度に表れている。
「あんまり気分いいもんじゃないわね…」
こんなに物言いたげに視線を注がれ、挙句そらされてしまうと、見世物になったような思いがする。
そんなことなどないと分かっていても――窓の影や建物の中から――何人もの視線が、自分を、息をひそめて見ているのではないか――そんな居心地の悪さ。
自分ひとりが照らされた舞台に一人放り出され、暗がりの四方から注意深く観察されているみたいな。
「…なんか、嫌な気分だわ」
「何が？」
「いやだから…」
カイオスの魅力について熱く語っていたレイザは、ティナの表情から言いたい事を察したらしい。
なら、と言いながら、とんと背中を押した。
「自分から、聞いてきちゃえば？」
「はえ？」
「だから、あの村長に。何でこっち見てるの？って」
「…それ、本気で言ってる？」
「本気よー。ここで、ごちゃごちゃ言ってても、何も始まらないじゃない」
それはそうだが、こちらとあちらの間にある無言の壁を突き破って突進していくのは、もの凄く――何と言うか、勇気がいることだと思う。
「何だったら付いて行ってあげるから」
ほらほら、と背中を押されて歩き出して、ティナはついにその男の前まで来てしまっていた。
(うわー)
混血児の村の村長は、こちらのそんな様子に気付いていたのだろうが、特に手を止める様子もなく作業を続けていた。
青銀の髪が薄い汗で端正な顔の頬に数本、張り付いている。
驚くほど繊細な、糸の様な髪の毛。
そして、象牙のような肌。
そこから覗く、ガラス玉のような、碧色の瞳――。
その人形のような無機質さは、どこか副船長の淡々とした態度にも通じるものがあるようで。
(ちょっと…似てる？)
じーっと視線を向けたままにしていたのは、無遠慮に過ぎただろうか。
「ちょっと、ティナ！」
レイザが小声でたしなめながら、ちょいちょいと小突いてきて、やって彼女は眼前の人物が、眉をひそめていることに気付いた。
「あ、すみません」
「いや…。何か、ご用か」
「あの…、用というか…」
「ああもう、じれったい！ 私の過去のこと、何か知ってるんですかって、そのまま素直に聞いちゃえばいーのよ」
「ちょっ…レイザ」
さすがに普段から、あのカイオス相手に突っ走っているだけあって、レイザにはためらいというものがない。
あるいは、雰囲気が読めてないだけとも言うのかも知れないが。
「………」
男は、大きな雪のかたまりを、丸呑みしたような表情をしていた。
こうしてみると、あの副船長より、大分素直に表情が読み取れるかも知れない――そう思って、またじーっと見ていると、咳払いをして、男が呟いた。
「…確かに、私は過去あなたに会ったことはあります。だが…」
「………」
「…だが？」
ティナの視線に重ねるように、レイザも無言でじーっと先を促した。
男は益々顔をしかめた。
「だが…。私が『あなた』だと思った女性は、すでに『亡くなった』はずだ。それに、私がその姿を拝見した15年前、すでにその女性は、現在のあなたと同じくらいの年頃だった」
「………」
「…えーっとつまり」
彼ら混血児は、死んだ人間を――しかも、15年前に、今のティナくらいだった年齢の女性を――見違えたということらしい。
「…なーんだ。じゃあ、明らかに人違いじゃない」
レイザが肩をすくめて、ティナの方を見上げてきた。
うん、と頷くティナの方は、ほっとしたような、肩透かしだったような、微妙な心地が胸の中にわだかまっている。
だが、それにしても全員が全員見違えてしまうほど、ティナはその女性に似ていた、ということなのだろうか。
そして、『不死鳥憑きの巫女』という言葉…
あの、と言いかけた言葉にかぶさるように、意外にも男の方が話題を振ってきた。
「一つ、伺いたいことがあるのだが…」
「へ、あ、はい！」
「何で、背筋まで伸ばしてるのよ、ティナ…」
半眼のレイザのツッコミを横目に、居住まいを正したティナへ、男ははじめて構えた様子のない、苦笑したような表情を向けた。
「いや…あなた方は――フェイを、仲間と言った。『混血児』を――厭わしいと思われないのか？」
「…」
「えーと」
フェイ、と呼ぶその声は、どこか微かな温かさに満ちている。
幼い頃に一人遊びの相手にしていた、ぬいぐるみに語りかける時のような。
「フェイは、この村の出身で、3つの時にシルヴェア王家へたった一人、養子へもらわれていった」
「つまり、それまでは、家族がいたってことよね。この村に」
「ああ」
頷く男の面影を、どこか副船長と重ねた自分の印象を、ティナは思い出していた。
そう、副船長にも家族がいたはずだ。
血のつながった親、そして場合によっては兄弟が。
「あなたは…」
問いかけた言葉が、背後から湧き上がった歓声に遮られた。
「魔方陣が完成したよ！！」
クルスが白い吐息を零しながら、こちらへと走りよってきた。
十数人の混血児、そして彼らに的確な指示を飛ばしていたカイオスの足元に、緻密な魔法陣が刻み込まれ、複雑な紋様が日の光を反射して、きらきらと宝石のように輝いている。
繊細なガラス細工のような。
「すごい…」
思わず呟くその傍らで、
「当然でしょ、左大臣様だもの！」
レイザがなぜか自分の胸を張る。
やがて、整列するように円陣をなして人が輪を描き、さらさらと雪の音が聞こえる静寂の中、静かな唱和が始まった。
韻律。
それは、魔力を顕在化し、螺旋を描いて上空へ運び、雪の生まれる場所へと、逆に吸い込まれていく。
導かれるように、さらさらと雪が流れていき、大地が振動を始めた。
足の下で蠢く地脈が、突然たたき起こされて雄たけびを上げたようにも聞こえた。
静かに、確実に、空間が悲鳴を上げ始める。
それは、微かな亀裂を呼び起こした。
魔方陣が、まばゆい光を放つ。
裂けてしまった大気が悲鳴を上げるかのように、突風が起きる。
引きちぎられそうな風の中で、しかし人々が唱える言葉は、吹き消されることなく、深々と響いていた。
目を閉じ、集中するどの顔にも、汗の粒が浮かんでは、冷たい風に氷の粒となりはてて吹き飛んでいく。
上空へと吸い込まれていく韻律。
抗うように鳴動する大地。
やがて、空が黒い涙を流した――そう、見えたほどにはっきりと。
上空に異空間が――漆黒の髪を、まるで自らの衣装のように優雅にまとった少女が、姿を現した。
「御使い…」
誰かの声がした。
それは、たおやかな微笑を浮かべ、下々に広がる白い大地とそこに群がる人間を、一眼の元に睥睨した。
あたかも、天下を手中にした君主が。
わめきたてる愚民の群れを、嘲って笑うように。
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