Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 怒りの女神  
* * *
 時の移り変わった結果だけを見るのであれば――全てが、順序だてて起こっていた。
 七君主がフェイの放った白い光に飲み込まれ、消滅した。
 闇の大きな力を『消し去った』フェイに対し、時の女神が、鉄槌を下した。
 そして、その進路上に――赤い髪をした少女が躍り出た。
 眩い光が、一瞬辺りを覆いつくした。
 ぱりん、とガラスが割れたような音がした。
 一瞬目を覆った人々が、次に視界を取り戻した時には――レイザの姿は、忽然と消えていた。
 飲み込まれるはずだった――フェイと、それを支えるロイドの、愕然とした表情を残して。
 まるで光に飲まれて――そのまま、溶けてしまったかのように。


「…あ」
 ティナは、呻いた。
 汗で滲む視界の中で、不死鳥が光を放ったのが、感じられた。
 魔力が、意思と関係なくどんどん吸い取られ、体中の熱が――生命が、抉り取られていく。
 自分の意思と関係なく――不死の女神の思うままに…
 そして――
「レ…イザ…?」
 少女が、光に飲み込まれて、消えていった。
 ティナの目が、大きく瞬いた。
 自分を弄ぶ力を、その時彼女の感情が、微かに上回った。
 共に、混血児の村を目指す道中――彼女がティナに明かした――おそらく、偽りのない、本心。
 アレントゥム自由市の崩壊の時のことを指して、彼女は告げた。

――本当は、私、その場にいたのよね。――カオラナ様が――七君主が、街を滅ぼそうとするところに。――本当はね。カッコイイこと言えば、私が『止めなきゃいけなかった』。けど、私怖かったの。

 あの時、レイザは笑っていた。
 けれど、心の中では――多分、きっと、いつも。
 泣いていた。

――私は、『人間』を裏切ったの。魔族の側に、ついたの。けど、結局カオラナ様に捨てていかれて――。左大臣様に剣を向けて…。挙句の果てには、『人間の味方のような顔』をして、フェイ様を助けに行こうとしている。

 堕天使を身にまとった人間の、寄る辺のない孤独。
 彼女は自分を責めていた。
 七君主に寄り添った自分。
 人間を見殺しにした自分を――。

――私…絶対、フェイ様を助けるから。

 誰から?
 そう、それは、『魔の大君主』から、だったはずだ。
 彼女は決意していた。
 闇に――七君主に捕らわれたミルガウスの王位継承者を――今度こそ、見殺しにせずに、救うことを。

――私的に、あんたはライバルなのよね。だから、言っとく。これで誓いを破ったら、恥ずかしくて、これ以上左大臣様に愛を告白できないわ!

 レイザの表情は、毅然としていた。
 彼女が、カイオスにまとわりつくのを見ていると、自分でも良く分からないもやもやに悩まされたが、けれど、その時の彼女は掛け値なしにとても魅力的だと――正直絶対勝てないな、と思った。
 自分を許すために、彼女が自分に課した固い約束。
 フェイを七君主から救うこと。
 だが、彼女が――彼女が今、飲み込まれていったのは…!!

「あ…」
 微かな光が――突破口が、開けたような気がした。
 感情の波。
 うねりをもって、次々と湧き上がるものを、ティナは胸の奥底に感じた。
 ――レイザが、『消えて』しまった。
 あまりにも、あっけなく――。

 この、私の、力で。

「あ…ぅぁ…」
 喉が、引きちぎれるように痛い。
 ほとばしる感情の波が熱い。
 火の属性継承者の放つ魔法よりも――
 さらに高温で、体内をじわりと燃やし尽くしていく。
「わ…たし…は」
 私は、不死鳥の主。
 精霊に――このような侮辱を受ける覚えなど、

 ない。

「も…どれ…」
 血が滾る。
 踊り狂い、全身を炎が這いずりまわる。
 熱い。
 とても、熱い。
 だが。
「もど…れ…!」
 自分の力の犯したことに比べれば――
 その、罪の深さに、比べれば――
「私の、力…! 我が、僕たるお前が…」
 自分の口が、何を言っているのか、ティナには分からなかった。
 周囲が、はっとしたようにこちらを見たのも。
 不死鳥が、優雅に首を傾げて、こちらを見たことも――
「なぜ、我を裏切る!!」
 ぶつん、と。
 音がして、胸の奥底で――もしくは、頭の深いところで――激流となって這いずり回る血が、はじけ飛んだような錯覚を覚えた。
 理性の崩壊。
 感情という名の激流が、身体を飲み込んでいく。

 ――属性継承者の感情解放――。

 同じ魔力でも――その激怒の程度が強ければ強いほど――桁違いの効果が顕れる。
 紫欄の目に、烈火の怒りを灯し、舞い散る雪を、蒸発させそうなほどの強さで、相手を睥睨し、彼女は誇り高く宣言した。
「我、汝のただ一人の主、不死鳥憑きの巫女が銘じる。主に逆らう傲慢なる僕よ――粛々として我に従い――そして、誓え」
 それは、ティナの声をした別人のようだった。
 天上に君臨する何者かのような響きを持って、厳かに、そして有無を言わさぬ口調で――告げた。
「絶対の、服従を」


――私は…あなたにあげられるものを、…知らない。あなたは、何がほしいの?

『私をこれからも忘れないでいてくれる、というのなら…。それで、力を使ってあげてもいいよ』

――お願い。

『心得た』


「誓え――絶対の、服従を」
 目を開けることさえ困難な風が吹き荒れる中、彼女と不死鳥は向かい合っていた。
 不死鳥。
 優美なる女神。
 不死なる時の女神。
 彼女と『ティナ』が始めて出会ったのは――南の大国ルーラの、堕天使の聖堂で、聖堂の番人にクルスが傷つけられた時。
 少年を助けるため――『記憶』の囁くまま、無意識に呼び出した。
 その時、精霊は、これからティナが不死鳥のことを『忘れない』ことを条件に――今後、力を貸してくれることを誓ってくれた。
 そして今。
 レイザを消し去った精霊と、ティナは、真っ向から相対する。
 術者が微かに目を伏せ、何かを逡巡するように唇を噛みしめた後、そのまま視線を上へ遣った。
 紫欄の目が、底冷えする光を放ち、烈火の怒りのほんの一端を、ありありと覗かせていた。
「それとも、汝が言葉、違えるか…。見くびるな!!」
 言葉は雪原をすべり、吹き散る風に消えることなく、真っ直ぐに精霊に叩きつけられる。
 精霊は、無言で佇んでいる。
 術者を睥睨するかのように。
 主の力量を、静かに測るように。
「戻れ…今すぐ、我が中へ…」

『………』

 不死鳥は、黙して何も言わなかった。
 ただ、術者の怒りを受け止め、静かに受け止め――首を傾げた。
 諦めのように。
 言葉なく、相手を見限ったかのように。
 だが、その仕種は、ティナに届くことはなかった。
 感情を爆発させた彼女の耳には、何も届いてはいなかった。
 ただ、仲間を死に追いやった、裏切りの僕が、泰然と映っているだけだった。
「………っ」
 彼女は片手を厳かに掲げ、不死鳥を指差した。
 その腕をそのまま、さっと払う。
「消えろ!! 今すぐに!!!」

『…』

 主からの拒絶を喰らった不死鳥の姿が、雪に紛れるように消えていく。
 逆らうことを許さない命令。
 そのまま淡く――そして空気に透けるように消えていく光景を、ティナは冷たい目でじっと見守っていた。
 早く――一刻も、早く。
 その姿が、この空間から消えるのを、見届けているように。

『…ぁ』

 風の吹き荒れる最中に、囁きのような言葉が零れたような気がしたが、ティナには聞き取ることができなかった。
 不死鳥が完全に消えうせたとほぼ同時、ティナも意識を失って、力なくその場に崩れ落ちた。

* * *
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