時の移り変わった結果だけを見るのであれば――全てが、順序だてて起こっていた。
七君主がフェイの放った白い光に飲み込まれ、消滅した。
闇の大きな力を『消し去った』フェイに対し、時の女神が、鉄槌を下した。
そして、その進路上に――赤い髪をした少女が躍り出た。
眩い光が、一瞬辺りを覆いつくした。
ぱりん、とガラスが割れたような音がした。
一瞬目を覆った人々が、次に視界を取り戻した時には――レイザの姿は、忽然と消えていた。
飲み込まれるはずだった――フェイと、それを支えるロイドの、愕然とした表情を残して。
まるで光に飲まれて――そのまま、溶けてしまったかのように。
■
「…あ」
ティナは、呻いた。
汗で滲む視界の中で、不死鳥が光を放ったのが、感じられた。
魔力が、意思と関係なくどんどん吸い取られ、体中の熱が――生命が、抉り取られていく。
自分の意思と関係なく――不死の女神の思うままに…
そして――
「レ…イザ…?」
少女が、光に飲み込まれて、消えていった。
ティナの目が、大きく瞬いた。
自分を弄ぶ力を、その時彼女の感情が、微かに上回った。
共に、混血児の村を目指す道中――彼女がティナに明かした――おそらく、偽りのない、本心。
アレントゥム自由市の崩壊の時のことを指して、彼女は告げた。
――本当は、私、その場にいたのよね。――カオラナ様が――七君主が、街を滅ぼそうとするところに。――本当はね。カッコイイこと言えば、私が『止めなきゃいけなかった』。けど、私怖かったの。
あの時、レイザは笑っていた。
けれど、心の中では――多分、きっと、いつも。
泣いていた。
――私は、『人間』を裏切ったの。魔族の側に、ついたの。けど、結局カオラナ様に捨てていかれて――。左大臣様に剣を向けて…。挙句の果てには、『人間の味方のような顔』をして、フェイ様を助けに行こうとしている。
堕天使を身にまとった人間の、寄る辺のない孤独。
彼女は自分を責めていた。
七君主に寄り添った自分。
人間を見殺しにした自分を――。
――私…絶対、フェイ様を助けるから。
誰から?
そう、それは、『魔の大君主』から、だったはずだ。
彼女は決意していた。
闇に――七君主に捕らわれたミルガウスの王位継承者を――今度こそ、見殺しにせずに、救うことを。
――私的に、あんたはライバルなのよね。だから、言っとく。これで誓いを破ったら、恥ずかしくて、これ以上左大臣様に愛を告白できないわ!
レイザの表情は、毅然としていた。
彼女が、カイオスにまとわりつくのを見ていると、自分でも良く分からないもやもやに悩まされたが、けれど、その時の彼女は掛け値なしにとても魅力的だと――正直絶対勝てないな、と思った。
自分を許すために、彼女が自分に課した固い約束。
フェイを七君主から救うこと。
だが、彼女が――彼女が今、飲み込まれていったのは…!!
「あ…」
微かな光が――突破口が、開けたような気がした。
感情の波。
うねりをもって、次々と湧き上がるものを、ティナは胸の奥底に感じた。
――レイザが、『消えて』しまった。
あまりにも、あっけなく――。
この、私の、力で。
「あ…ぅぁ…」
喉が、引きちぎれるように痛い。
ほとばしる感情の波が熱い。
火の属性継承者の放つ魔法よりも――
さらに高温で、体内をじわりと燃やし尽くしていく。
「わ…たし…は」
私は、不死鳥の主。
精霊に――このような侮辱を受ける覚えなど、
ない。
「も…どれ…」
血が滾る。
踊り狂い、全身を炎が這いずりまわる。
熱い。
とても、熱い。
だが。
「もど…れ…!」
自分の力の犯したことに比べれば――
その、罪の深さに、比べれば――
「私の、力…! 我が、僕たるお前が…」
自分の口が、何を言っているのか、ティナには分からなかった。
周囲が、はっとしたようにこちらを見たのも。
不死鳥が、優雅に首を傾げて、こちらを見たことも――
「なぜ、我を裏切る!!」
ぶつん、と。
音がして、胸の奥底で――もしくは、頭の深いところで――激流となって這いずり回る血が、はじけ飛んだような錯覚を覚えた。
理性の崩壊。
感情という名の激流が、身体を飲み込んでいく。
――属性継承者の感情解放――。
同じ魔力でも――その激怒の程度が強ければ強いほど――桁違いの効果が顕れる。
紫欄の目に、烈火の怒りを灯し、舞い散る雪を、蒸発させそうなほどの強さで、相手を睥睨し、彼女は誇り高く宣言した。
「我、汝のただ一人の主、不死鳥憑きの巫女が銘じる。主に逆らう傲慢なる僕よ――粛々として我に従い――そして、誓え」
それは、ティナの声をした別人のようだった。
天上に君臨する何者かのような響きを持って、厳かに、そして有無を言わさぬ口調で――告げた。
「絶対の、服従を」
■
――私は…あなたにあげられるものを、…知らない。あなたは、何がほしいの?
『私をこれからも忘れないでいてくれる、というのなら…。それで、力を使ってあげてもいいよ』
――お願い。
『心得た』
■
「誓え――絶対の、服従を」
目を開けることさえ困難な風が吹き荒れる中、彼女と不死鳥は向かい合っていた。
不死鳥。
優美なる女神。
不死なる時の女神。
彼女と『ティナ』が始めて出会ったのは――南の大国ルーラの、堕天使の聖堂で、聖堂の番人にクルスが傷つけられた時。
少年を助けるため――『記憶』の囁くまま、無意識に呼び出した。
その時、精霊は、これからティナが不死鳥のことを『忘れない』ことを条件に――今後、力を貸してくれることを誓ってくれた。
そして今。
レイザを消し去った精霊と、ティナは、真っ向から相対する。
術者が微かに目を伏せ、何かを逡巡するように唇を噛みしめた後、そのまま視線を上へ遣った。
紫欄の目が、底冷えする光を放ち、烈火の怒りのほんの一端を、ありありと覗かせていた。
「それとも、汝が言葉、違えるか…。見くびるな!!」
言葉は雪原をすべり、吹き散る風に消えることなく、真っ直ぐに精霊に叩きつけられる。
精霊は、無言で佇んでいる。
術者を睥睨するかのように。
主の力量を、静かに測るように。
「戻れ…今すぐ、我が中へ…」
『………』
不死鳥は、黙して何も言わなかった。
ただ、術者の怒りを受け止め、静かに受け止め――首を傾げた。
諦めのように。
言葉なく、相手を見限ったかのように。
だが、その仕種は、ティナに届くことはなかった。
感情を爆発させた彼女の耳には、何も届いてはいなかった。
ただ、仲間を死に追いやった、裏切りの僕が、泰然と映っているだけだった。
「………っ」
彼女は片手を厳かに掲げ、不死鳥を指差した。
その腕をそのまま、さっと払う。
「消えろ!! 今すぐに!!!」
『…』
主からの拒絶を喰らった不死鳥の姿が、雪に紛れるように消えていく。
逆らうことを許さない命令。
そのまま淡く――そして空気に透けるように消えていく光景を、ティナは冷たい目でじっと見守っていた。
早く――一刻も、早く。
その姿が、この空間から消えるのを、見届けているように。
『…ぁ』
風の吹き荒れる最中に、囁きのような言葉が零れたような気がしたが、ティナには聞き取ることができなかった。
不死鳥が完全に消えうせたとほぼ同時、ティナも意識を失って、力なくその場に崩れ落ちた。
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