Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 怒りの女神  
* * *
 時の移り変わった結果だけを見るのであれば――全てが、順序だてて起こっていた。
 七君主がフェイの放った白い光に飲み込まれ、消滅した。
 闇の大きな力を『消し去った』フェイに対し、時の女神が、鉄槌を下した。
 そして、その進路上に――赤い髪をした少女が躍り出た。
 少女は、不死鳥の放った光に飲み込まれ、――そして、その光景に感情を解き放ったティナは、強制的に不死鳥を制御し、そして意識を失った…。


「終わった…のか…?」
アルフェリアの呆然とした言葉が、その場を正気に戻すきっかけとなった。
一連の出来事を、ただ立ち尽くして見守ることしかできなかった――その無力感と、嵐が過ぎ去った時の脱力感。
 思わず座り込んでしまいたいというのが、本音だったが、混乱の中、ロイドから預かったアベルが、ぴくりと身体を震わせたのに気付いて、静かに声をかけた。
「…アベル?」
「…あ…わた…し…」
 寒さのせいで、青くなってしまった唇を震わせた王女に、アルフェリアはもう一枚、自身のコートをかけてやる。
 それを撥ね付ける勢いで、突然彼女は大声を出した。
「おにいさま! おにいさまは…!?」
「…」
 アルフェリアは、眉をひそめたが、静かに指を差した。
「あそこだ」
「おに…さま…!?」
 羽を血まみれにした混血児が、力なく雪の上に横たわっている。
 力を使い果たして、完全に意識を手放したその姿は、息をしていないかのようにも見えた。
 羽から流れる血が、赤い水溜りを作り、じわじわと雪を溶かしている。
 ――ものすごい、出血だ。
 アベルは、自由にならない身体をよじって、アルフェリアに訴えた。
「下ろしてください、おにいさまのところへ…!」
「…」
 フェイの傍らには、ロイドが、雪よりも顔色を白くして付き添っていた。
 アルフェリアに、静かに傍に下ろされて、アベルはその姿を目の当たりにした。
 一人の混血児が、倒れている。
 羽だけでなく、体中が傷だらけだ。
 深く傷つけられた箇所から、じくじくと血が滲んで、体の外に流れ出していた――そのまま、命が流れていくように。
 雪国の弱い光に透けて、ほとんど白と同化した髪の色は銀。
 深く閉じられた――眠るようにも見える瞼の下にある瞳は藍。
(混血児…)
 胸元で、握り締めた手に力がこもったのは、一瞬だった。
 すぐに別の思いが、泉のようにわきあがってくる。
 過去、陽だまりの中で手をつないだ時の記憶――
(おにいさま…)
「おにいさま…」
 声に出して呟いても、混血児は目を覚まさなかった。
 羽を傷つけた魔力のダメージは深く、血が止まらない。
「混血児は、どんな傷でも回復できるんじゃ、ないんですか?」
「そんな万能なものじゃないよ。特に、魔力の源である羽を傷つけられたら…」
 呟くようなアベルの問いに、応えたのは、双碧の異民族――エカチェリーナだった。
 真剣な目で、王子を見下ろしている。
 そこにある光は――半分以上の、あきらめ。
「…そんな」
 クルスが、悲痛な声を上げたが、アベルは動じなかった。
 違う。
 おにいさまは、死なない。
 あの崖から落ちて、生きていてくれた。
 おにいさまは、死なない。
 絶対に死なせない。
「死なせ…ない…」
 言葉にして呟くと、胸の奥底で、ぱきん、と何かが割れる音が、した気がした。
 七君主を追い出したときにも感じた――春の陽だまりのような波動。
 身をゆだねると、温かい力が、体の奥底からわきあがってくる気がする。
「死なせません。今度こそ、絶対に、助けてみせます」
 言葉に応じて、体の中から魔力が練りあがってくる。
 今まで、全く使えたことのない『力』。
「属性魔法…!?」
「詠唱破棄、か」
 クルスと、――ティナを抱えて、そばに来ていたらしい――カイオスの声が背後に聞こえた。
 そう、これが魔法。
 助かって欲しい。
 本心から思う気持ちに応えるように、ふわりとした温かさが、体の線を越えて、雪の舞うこの空間へと、目の見える形で、降臨した。
「助けてください」
 祈るように、アベルは呟いた。
 誰に向かって、そう願っているのか、自分でも分からない。
 ただ、真摯に。
 もてる力を持って。
 彼を死の淵より救って欲しい…。
「おにいさまを…」
 きっと、この力ならできるはず。
 光が、辺り一面に溢れて、雪の白い情景を、果てしなく白一色へと染め上げた。
 吐息の色と同じ空気が、どこまでも広がっていく――
「光…」
 エカチェリーナが、愕然としたように呟いた。
 息を呑む何人ものけはいを感じながら、アベルは祈り続けた。
 ひたすらに。
 ただ、ひたすらに。
「助けて…!!」
 赤い血を流していた羽が、傷ついた体が。
 光の中に取り込まれ、そして、復活、した。
 元の状態、傷を負っていないときの姿へ。
「空間ごと相手を癒す――再生、の力か」
「『光』の属性魔法…」
 背後の声は、もはや遠くで囁いているようにしか、アベルには聞こえなかった。
 ただ、おにいさまが助かったことだけを、確認して。
 彼女は眠りの中に、引き込まれていった。


「…今度こそ、本当に『終わった』のかな」
 アルフェリアが、夢を見ていたような顔で呟いた。
 すぅすぅと安らかに寝息を立てるアベルの姿を、なんともいえない表情で見下ろす。
「今の…魔法だろ? 属性魔法ってやつ」
「ああ、そうだね」
 答えたのは、エカチェリーナだった。
 アベルの放った光が、彼女の瞳の奥にまで達したようだった。
 そこには、普段の夜に疲れた女の面影はなく、眼前の奇跡に彼女自身が恩恵を受けたように、――感動と驚愕にさらされていた。
 アベルの放った光が、彼女の抱える内側の闇にまで届いたように。
 震える吐息で、呟いた。
「この目で…見る時が来るとは」
「…『ミルガウス直系の血を侮るな』、か」
 カイオスも白い吐息と共に零す。
 こちらは、エカチェリーナほど驚きを顕わにはしていなかったが、それでも眉をひそめて、考えこむような素振りをみせた。
「光の属性継承者…。王家の血が抱えていた、ということか」
 道理で表に出ないはずだ、と彼はどこか納得した様子で呟く。
「それよりよー。フェイもだけど…。ティナとアベルは大丈夫なのかー?」
 話に恐る恐る加わるように、ロイドがおずおず口を出した。
 一連の出来事から、取り残されたような体で、途方に暮れたような顔をしている。
「アベルもティナも、力を使って気絶しちゃっただけだよ。フェイは…分からないけど」
 口を開いたのはクルスだった。
 少年は、一連の光景を見つめながら、人々の中で、一番落ち着き払っているように見えた。
「フェイは…アベルが治したから大丈夫だと思うけど…元もとの傷が深いかったから…」
「…そうか」
 ロイドは、赤い目を副船長に落としたまま、頷いた。
 立ち尽くす四人の傍に、異民族の男が近寄っくる。
 彼もまた、憔悴した顔をしている。
「…早く…屋内に運びいれた方がいい。このままでは、悪化する」
 最初に、村人と共に断固『よそ者』の侵入を拒んだとは、思えないほど、彼の態度は柔らかくなっていた。
 ――どこか、無愛想なところは変わらないが。
「…あんたは」
 言いかけたカイオスに対して、男は、そちらに向き直った。
 くっと、逡巡するように一瞬ためらったが、すぐに視線を真っ向から向け、居住まいを正した。
「ミルガウスの左大臣殿。あなたは――最初この村に入られる際、『フェイ』の名前を出された。それは――村に対して侵入する虚言だと思っていた」
「………」
「あなたの言葉に対し、偽りと疑った非礼、心からお詫び申し上げる」
 言葉と共に頭を下げた男に習い、背後に控えた混血児たちも一斉に膝をついた。
 やがて、顔を上げた男は、再び視線に力を宿して告げる。
「フェイを――見捨てず、救っていただいて、ありがとう」
「あんたは…何者なんだ」
 そんな男に対し、カイオスは再びその疑念を発した。
 男は逡巡するように、黙り、そして告げた。
「ディーン・アグネス・ウォン」
「…」
「アグネス…ウォンだって!?」
 カイオスの代わりに、声を上げたのは、エカチェリーナ。
「うー?」
 クルスが、何か問いたげな視線を向けると、エカチェリーナは悪態に似たため息を吐いて、淡々と答えた。
「アグネスはミルガウス王家をやめて臣籍に下った――まあ、要するに、王族をやめた元王族が名乗る性のこと。そして、ウォンは、異民族の王族が代々名乗る性だね」
「二つの王家…」
 クルスが呟いて、そちらの方を見る。
 シルヴェアの王子フェイの、出身地である村において、二つの王族の血を引く青年。
 視線を受けて、彼は懐から何か取り出した。
 鎖の擦れる音が、空気をさざめかせる。
「…そう、俺は――」
 千年竜の証。
 しかし、王家一族の者が持つものよりも、一回り小さい。
 王族の血を引きながら――王位から遠のいたものに与えられる身分の証。
「これを俺は、父から継いだ。俺は…」
 それを掲げながら、男は、地面に横たわった混血児を――眠るフェイを見下ろした。
 そこには、赤の他人に向ける以上の情感がありありと覗いていた。
「フェイの、血を分けた兄だ」

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