Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 怒りの女神  
* * *
 石造りの建物の中は、外の酷な冷気が完全に遮断され、陽だまりのようなあたたかさに満たされていた。
 機密性に優れた外壁と、内面に『火の精霊』を埋め込む技術――それを総動員して暖を取っているのだ、とアルフェリアから聞いた。
 北の国の鉱山で取れる良質の資源と、それを鍛え、加工する練成の技術――それが、この極寒の地での生活を可能にしている、と。
「………」
 まるで、壁に一人ごちているかのように、そう語り終わったゼルリアの将軍は、出された白湯から立ち昇る湯気を吹き飛ばすように、ふう、と吐息をついた。
「ほへ…そーなんだねー」
 これに白々しく同意したのは、クルスだ。
 少年は一人、出された軽食をぱくぱくと平らげている。
 空気を全く解していないかのように、周囲の人間達に、「ねーっ」と同意を求めてみせた。
「………」
 エカチェリーナは、そんなクルスの様子にたしなめるような目を向けたが、何も言わないまま、視線を移した。
 その先にいるのは、二人の少女――
 七君主を自力で退けたミルガウスの王女――アベルと、不死鳥を力ずくで押さえ込んだ、ティナ。
 普段は、明るい雰囲気の中心にいる二人が、そろいに揃って、まるで冷たい雪の彫刻とでも化したように、血の気の引いた表情で、黙り込んでいる。
 それは、周囲からの言葉を全て拒否して、自分自身の内側に向かって、淡々と剣を突き立てているような姿に見えた。
「…ったく…」
 口の中で呟いたエカチェリーナの視線すら、彼女たちには感じる余裕がないようだった。
 エカチェリーナは、そのまま視界を移した。
 悄然として肩を落としたロイド――そして、腕を組んで視線を落としている、カイオス・レリュード。
 彼らも、言葉を発する気も、発された言葉を聞く余裕も無いようだった。
 アルフェリアの取って付けたような話が途切れ、クルスの白々しい同意が途切れ――後には、非常に居心地の悪い沈黙が重く残った。
 身じろぎした拍子の、衣ずれの音までもが、耳に障る。
 うかつに身動きできない緊張感が、呼吸の音までもこじんまりと狭めていく。
(いづらいったら、ないね…)
 エカチェリーナ自身、今回の件で心中穏やかなわけではなかったが、殊ティナとアベルの二人の落ち込みには、しみじみと同情してしまう部分がある。
 ティナは不死鳥を暴走させた挙句――レイザを巻き込んでしまった。
 アベルは兄を自らの手で傷つけた上に…。
(傷を癒せた、と思ったら、肝心の王子は…)
 あれから、もう半日ほどになる。
 すっかりと暮れて、そろそろ朝日が覗こうかという時間帯だったが、誰一人眠りにつこうという人間はいなかった。
 どこかに沈黙の出口を無意識に求めていたのだろうか。
 何気なく部屋の唯一の出口――扉に、しばらく視線をとどまらせていたら、それががちゃりと開いた。
「!?」
 ロイド、アベル、ティナ。
 弾かれたように顔を上げた三人を皮切りに、部屋の中の全員の視線が、そちらに向かう。
 言葉に出ない思いが、視線にのって、扉の影から表れた男に注がれたようだった。
「フェイは…」
 混血児の男――ディーンは、深刻な表情を隠そうともしなかった。
 ただ、簡潔に率直に。
 結論だけを、残酷なほどあっさりと、切り出した。
「このまま、目覚めないかもしれない」


「………!!」
 がたん、と椅子が倒れる音がした。
 ディーンを見ていた各々の視線が、弾かれたように、そちらに――アベルに向かう。
「あ…私…」
 吐息に掠れたような声を出した彼女は、向けられた注視の視線に対して、返答する余裕すらないようだった。
「ちょっと…外に…」
 そのまま俯いて、ディーンの横をすり抜けて、飛び出していった。
「………」
 なんともいえない沈黙が残る。
 アルフェリアが、口火を切った。
「目覚めないかも知れないってのは、どういうことだよ?」
「…確かに、フェイの傷は全て癒えた。アベル王女のお陰で。しかし――なぜなのか分からないが――まったく目覚めるけはいがない」
「…だからって、飛び出していってもしょーがないでしょうに」
 ため息交じりの発言に、こちらも視線が一斉に振り向いた。
 声のトーンを落としたティナの言葉に、誰もが反応を返す前に。
「探してくる」
 その言葉だけ残して、彼女も部屋を出て行ってしまった。
「………」
 取り残された沈黙は、さらに果てがない。
 ロイドが、おずおずと切り出した。
「あのさ…あいつの傍、行ってやっていいか…?」
 肩をすぼめて、どこかくたびれたように呟いた海賊の船長の言葉を、ディーンはただ首肯して受け入れた。
 じゃあ、と足を引きずるように出て行くロイドの足音が遠ざかり、三度の沈黙が落ちる。
「………」
 残った五人が五人とも、悪態がつけるのならつきたい気分だったが、そんな状況ですないことも、しっかりと把握できていた。
「まあとりあえず――」
 口火を切ったのはエカチェリーナだ。
 彼女は、直立不動のディーンをちらっと見ながら、これ見よがしにため息をつく。
「私と将軍は、この建物から出られない身の上だからねぇ」
「そーだな」
 二人の視線が向かった先にいるのは、飛び出していってしまった少女達の、『相棒』と『従者』。
「…」
「うー?」
 眉をひそめたカイオスと、怪訝そうなクルスに対し、エカチェリーナは、ひらひらと手を振った。
「連れ戻して来てくれるかい? これで外で凍死でもされちゃ、なおのこと寝覚めが悪いよ」
「…だからと言って、素直に話を聞くとも思えないが」
「そこは、ゼルリア戦線を収めた交渉技術の見せ所だろーよ」
 ため息をついた左大臣に対し、アルフェリアがすましてけしかけた。
「…」
 あからさまにカイオスの視線が険しくなったが、アルフェリアは取り合わない。
 あんなことのあった二人と『交渉』するくらいなら、ゼルリアとの仲を修復する方が何倍かましだ、と顔に書いてあった。
 国の交渉は『利害』の一致と『妥協』があれば、どうにでも収めることができる。
 動かすのが難しいのは、人の『心情』の部分だ。
「行くぞ」
「うー」
 結局、短く呟いたカイオスにならって、クルスはどこまでも何も考えなさそうに、右手を挙げてついていく。
「じゃあ、頼んだぞー」
「よろしくね」
 二つの声に見送られて、ぱたんと閉じた部屋の向こうで、クルスの表情が、突然、変化した。


 人気のない廊下に、彼ら以外の気配はない。
 それをしっかりと確認してから――少年は、やれやれ、とでも言いたげに首を竦めて見せた。
「ったく…やっかいごと、押し付けられちゃったよねー」
「………」
 少年の声が放った、大人びた調子の言葉。
 カイオスの視線が微かに温度を変え、探るような動きをみせる。
 シェーレンの緑の館で、突然本性を表した時の様子と、それは非常に酷似していた。
 無邪気な表情の一方で、恐ろしく大人びた口調――。
 それがかもし出す、奇妙な違和感。
 微かに眉をひそめたカイオスに構わず、少年は大人びた苦笑を浮かべてみせた。
「普通は、カイオスがアベル、僕がティナを連れ帰る流れになるよねぇ」
「…普通は、そうなるな」
「けど、僕、今のティナを連れ帰る自信が、全然ないんだよねー」
 ふぅ、と息をついて、彼は透明な光を湛えた瞳を上へ向けた。
「だからさ、今回は、お互いの『お姫様』を交換しない?」
「より、やっかいな方を連れ帰れ、と?」
「似たよーな経験した人間の方が、より心情をくむことはできるでしょ?」
「………」
 いけしゃあしゃあと言い切るクルスに、カイオスはなんとも言えない感情を込めて、視線を向けた。
「なんだい?」
「…お前…」
「んー?」
 クルスは、一度緑の館でその本性を垣間見せた。
 だが、それ以降、その片鱗をちらりとも見せたことはない。
 先ほども――無邪気に振舞う腹の底で、ティナを連れ帰るのは不可能だの、アベルならまだマシだの、と思っていたことを考えれば。
(ドゥレヴァよりやっかいなんじゃないか…)
 『狂った賢王』と呼ばれ、数々の賢臣を屠り、無謀な戦争を推し進めた――その全て、娘に取り付いた七君主に唆されていたために行っていた――狂ったと囁かれながら、冷静に国の形を取り続けていた国王以上に、得体が知れないかもしれない、と。
 それが『少年』の形をしているので、なおさら。
「どーしたの?」
「………」
 白々しく声を掛けてきた少年に、カイオスは沈黙を保った。
 コレに対して、どっちがどっちを連れ戻しに行くか、という議論をしたところで、外観上自分が大人気ないだけに見えるだろうな、と感じた。
 視線に特に感情を込めたはずはなかったのだが、少年はくすり、と口の端を微かに上げた。
「変な気を使わなくていーよ。実際、君より大分年上だしね」
「…は?」
 まるで、『心中を汲まれた』かのような物言いだった。
 それ以上に、話の内容がとんでもない。
 思わずそちらを見たカイオスに、クルスは澄まして言い切った。
「君の軽く五倍は生きてるはずだよ」
「………」
 話の内容は、すぐにそうですか、と首を縦に振れるものではない。
 しかし、あまりに泰然とした様子は、それが嘘だと断じることもできなかった。
 かと言って、真偽を確かめるすべはない。
「どうしたのー?」
「別に」
 微妙な緊張を孕んだまま、いつの間にか二人は最上階――玄関口まで来ていた。
「わー…吹雪いてるー」
 クルスが、思わず声を上げたほどに、外の景色は白く濁っていた。
 分厚い鉄の扉に開けられた小さな灯り窓から見える明け方の空はまだ薄暗く、腕を伸ばした以上の先が、ほとんど見えない悪天候だった。
「…これは…ほんとに早く見つけないと、死んじゃうかもね…」
「………」
 クルスの声は、真剣な響きで、残酷な予測をためらいなく示唆する。
 真っ白に埋め尽くされた雪を、切るように風が横切っていくのが、目で見ても分かる。
 過酷な気候は、飛び出していった二人の心情を表しても、いるようで。
「ティナは、――今のティナは、僕じゃだめなんだよ」
 吹雪をその目に焼き付けるように見ながら、少年がぽつりと零した。
 そこに一見、感情はこもっていないかのように見える。
「ティナは、僕じゃだめなんだ」
 もう一度、呟いた言葉は、少年の内面に向けられたようにも聞こえる。
 振り向いて、彼はにこっと笑った。
「じゃあ、彼女のことはよろしくね」
「………」
 本気で相棒を任せる言葉を残して、クルスはよいせっと扉を開ける。
「アベルはちゃんとつれて帰るからさ」
 細く開いた隙間から、強風が吹き込み、銅の扉をきしませた。
「うわっ」
「…」
 クルスが支えきれずに思わず手を離す。
 厚い扉は吹き飛ばされそうな勢いでだばん、と内側に叩きつけられてしまった。
「…だいじょうぶか?」
「びっくりした〜」
 子供らしい仕種でぴくんと背筋を伸ばしたクルスは、くるっと背後を振り返ると、
「じゃあ、行ってくるね〜」
 上着に袖を通して、少年は吹雪の中に消えていった。
 その足取りは危なげなく、目指すべき地点を正確に把握しているかのようだ。
 ――王女がどこに飛び出していったかも、定かでないにも関わらず。
「…あいつ」
 カイオスはその背を見送って、思わず呟いていた。
 普段の様子。
 時々突然見せる本性。
 そして、『君の五倍生きている』という言葉――。
「一体…何者なんだ?」
 今まで、彼はその言葉を、自身に投げかけられることこそあれ、他人に対して抱くことはなかったが…。
「………」
 一人ごちた言葉に、答えが返ってくるはずもない。
 他の連中に問えることでもない。
 ただ、はっきりしていることもある。目下のところそれよりも大分問題なのは…
「…」
 思わず吐き出した吐息は、外気に触れた瞬間、白く凍りつき、風に流れていく。
 時は明け方。
 大気が一番澄んで、気温が一番底をつく。
 見上げた空は今だ暗く、舞い散る吹雪に途切れる気配はない。
 さくりと踏み出した足の下で、凍りついた雪の破片が、ガラスのような音を立てて、北方の大地の厳しさを、無言で伝えていた。
 それはそのまま、飛び出していった彼女の悲鳴に、重なっているようにも、聞こえた。

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