Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第八章 あなたに誓う言葉  
* * *
 雪国の荘厳な白に包まれた山から、徐々に光が差し込んでくる。
 アベルは手で目を庇った。それは、光から目を背けるのではなく、受け止めてきちんと向き合おうとしているように見えた。
「…お兄さまは、…目が覚めますかね」
「んー、きっと覚めるんじゃないかな〜」
「けど、さっきずっと目は覚めない…って話じゃなかったですかね」
「だからさ」
 クルスは、ほっと息をついた。
 アベルの方を見て、
「アベルは、フェイを助けたでしょ? 羽を治して」
「…元々、傷つけたのは私ですけど」
「それは、謝ればいーんだよ」
 再び声が小さくなった王女に対して、クルスは穏やかに告げる。
「目を覚ます方法を探して、さ。フェイの羽を治したみたいにさ、目が覚める方法を探して、それで謝ればいーんだ。許してもらえるかもらえないかは、その時に考えることだよ」
「………」
 アベルは、一瞬、ぼうっとした表情で、年下の少年の顔を見つめた。
 すぐに、慌てたようにぱちぱちと瞬いて、視線を逸らした。
「クルスさん…」
「なにー?」
「生意気ですよー。年下のくせに…」
「にゅ〜」
 クルスは、少年らしい仕種で、小首を傾げた。
 上目遣いで、アベルは少年を再び見下ろす。
「まったく…とんだナイト様ですね、クルスさん」
「えーと、えーと、オレ、光栄だよ!」
「うふふ」
 アベルは微笑む。
 どこか吹っ切れた表情で立ち上がった。
「さて…じゃあ、行きましょうか」
「うー?」
「お兄さまに、目覚めていただく方法を探しに行くんです。お兄さまは、私がそうしたように、ひょっとしたら拒絶…するかも知れないけど…。意地でも謝るんです。そのために、絶対目を覚ましていただかないと」
「うん!」
 クルスは、にこっと笑って応じると、ぴょんっと立ち上がった。
 ふと、その流れで空の明るさをはかる。
 雪国の朝は白々と空け、澄んだ空気がまだ目覚めを待つ街を優しく包み込んでいる。
「ティナ…」
「? ティナさんがどうかしたんですか?」
「ううん」
 見止めたアベルが問いただすと、クルスはぶんぶんと首を振った。
「何でもないよ、行こう」
「はい」
 とてとてと、戻っていくアベルに続いて、クルスも一歩、踏み出す。
 もう一度少年は空を見た。
(ティナは…)
 今度は、アベルに聞こえないような声で。
 こっそりと一人ごちる。
「たぶん、こっちほど簡単には行かないだろうねぇ」
「クルスさんー。何、やってるんですかー?」
「うー」
 ちらりと見せた本性を、地面を雪が覆うかのようにぴったりと隠して、クルスはにゃはは、と笑った。
 何でもないよ、と応じる。
 そのまま今度こそ二人の小さな影は、建物の中に吸い込まれていった。


「きれい…」
 朝焼けが、その空間を、ぽっかり照らしているようだった。
 いつの間にか風は止み、しんしんと降り積もる雪に、曙光が当たって、きらきらとした光が、ひらひらと舞っていた。
「………」
 樹木が、全て透けるような水晶で出来ていた。
 否、樹木が氷に閉じ込められて、光を弾いていた。
(何で…こんなになってるんだろ…)
 木々にとって厳しい自然の中で、氷の中、春を待って眠るのだろうか。
「…」
(あ、…木の芽…)
 こんな氷に閉じ込められていても、生命は生きているのか。
 そっと触れると、ぱりん、とした音を残して、水晶ごと枝が砕けてしまった。
「あ…」
 きらきらと、砕け散った残骸が、日の光の中に吸い込まれるように、散っていく。
 それは、最期を迎えた者が一瞬放つ、美しい輝きのようで。
 はかない光を残して、あっけなく、砕けてしまった。
 あまりに、あっけなく…
「あっけ…なく…」
 呆然と呟くのと、脳裏に映像が浮かんだのは同時だった。
 溢れる光。
 放たれた清浄なる炎。
 そして、それに飲み込まれていく――人影。
「あ…っ」
 どきん、と鼓動が高鳴った。
 手足から力が抜けた、と思ったら、その場にへたり込んでいた。
 深々と、雪は降り続けていた。
 美しく――まるで、幻想の世界のように。
 幾千の羽が、ひらひらと舞い落ちるように。
 ――祝福のように。
「………」
 ティナは、目を伏せた。
 目の前に広がる、儚く綺麗な光景が、ただ哀しかった。
 不死鳥。
 七君主。
 レイザ。
 ――そして、自分の過去。
「私は…なんなの…」
 吐息は白に溶けて、氷になる。
 きらきらと陽に溶けて、そして消える。
 哀しかった。
 目の前の光景が、自分が『ここ』にいることが、そして、自分が『どうして』『どんな時間を辿って』ここにいるのか、分からないことが。
 とても、――とても、哀しい。
 知らなかったことが。
 知らなかったせいで――、自分を知らなかったせいで、不死鳥が暴走したことが。そして、レイザが、消えてしまったことが。
「………」
 たぶん今、自分はすごく泣きたい気分なんだろうな、とティナは思った。
 しかし、心の奥の大切なところが凍りついたように軋んで、言葉も嗚咽すら、出てこなかった。
 ひらひらと、雪が舞い散っていた。
 白い世界は、綺麗だった。
 じん、と痛みを感じる手も、冷気の沁み込む肌も、どこか間遠い感覚の中で。
 映る世界は非現実的で、哀しかった。
 とても。
 だから。
 このまま、飲み込まれてしまえばいい――
「…」
 そのまま、へたり込んだまま――どのくらい時間が経過したのかは分からない。
 曙光の中を、こちらに近づいてくる影を見止めたのは、暫く経ってからのことだった。

* * *
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