Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第八章 あなたに誓う言葉  
* * *
 ――いっそ、何か話しかけてくれたら、放っといてくれ、と叩きつけることもできたのに、と思う。
「………」
「………」
 白い雪が、ふわふわと空を舞っていた。
 透明な氷に閉じ込められた木々が、朝日に美しい姿を輝かせていた。
 美しい世界の中を、こちらに歩み寄ってきた男は、何を言うわけでもなく、へたり込んだティナの隣りで、透明な木にそっと背を預けて、そのままどことなく遠くの方を見ていた。
「………」
「………」
 いっそ、何か話しかけてくれれば、放っといてくれ、と叩きつけることができるのに、と思う。
 なのに彼は、ただ隣に来て、ただ繊細な水晶の木の幹に背を預けて、ただ、そこにいる。
 ティナの存在とか、そういうものは、一切眼中に入っていないかのようなたたずまいだ。
 あたかも、『たまたま雪国を探索していたら、非常に美しい景色の場所に行き当たったので、休憩ついでに休んでいこう』的な、そういった雰囲気全開で――
(ってなんで私、分析してんの…)
 ティナは、膝をかかえながら、そんな自分に突っ込みを入れた。
 ただ確かなのは、さっきまでからっぽだった頭の中に、次々と思考がとめどなく溢れてくる、ということだ。
 まるで、涸れた泉に、水がぽこぽこと湧き出てくるように――
「…」
(へんなの)
 こんなこと、考えている場合じゃないのに。
 なのに、隣りに人がいるだけで、こんなにも、落ち着かない気分になる。
(そもそも、何で彼?)
 例えば、クルスなら――きっと、こんな気分にはならなかったのに、と思う。
 押し付けられたのだろうか。彼が自分からこんな所に来る、なんて考えがたい。
 だとしたら、きっと現在、胸中辟易しているはずだ。
 こんな寒い中、わざわざ出歩かせやがって、みたいな。
(じゃあ、てきとーに歩いて、見つからなかった、とか言って、さっさと帰ればいいじゃない)
 ティナは勝手に想像して、勝手にちょっと腹が立ってしまった。
 横目で伺うと、相手は相変わらず、ティナのことなど、始めからこの場に存在すらしない体でものすごく自然に佇んでいた。
 絵になるな、と思う。
 曙光に照らされた白い雪原。
 透明な水晶に閉じ込められた木々に背を預け、何か考えに耽っているかのように、青の目を半分伏せている表情――
 肩には雪が積もっている。
 奇妙なのは、自分を迎えに来たら来たで、当然持っていそうなもう一人分の上着を持っている様子がないこと、だろうか。本当に、何をしに来たのだろうか。
 目的が分からないので、なお一層追い返しがたい。
 引き続き、じっと眺めていると、端正な顔の鼻の頭が、寒さで赤くなっているのに気付いて、ああ、彼も絵画とかじゃなくて、人間なんだなと、そんな当たり前のことを今さらのように感じた。
「…」
「!」
 不意に、彼の視線が動いて、様子を伺っていたティナと、目が合ってしまう。
 慌てて逸らしたが、そのまま無視していることもできず、彼女はやっと口火を切った。
「何で、…ずっと黙ってそんな風にいるのよ」
 長い間、上着も着ず、寒空の下にずっといたせいで、喉にまで氷が張ったように、声は細かった。
 彼は今だ無言のまま、懐を探る様子をしてから、ぽーん、とこちらの方に石のようなものを放る。
「っ!」
 それは、かなりゆっくりとした動きで、ほとんど手を動かさなくても取れる軌道を描いていた。それでも、かじかんだ手では、受け取り切ることができず、それは膝の間に落ちてしまう。
 じん、と痺れるような温かさを服の上から感じた。
 一見、普通の石。
 しかし、ぎこちない動きで手にとって見ると、それはじんわりと温かかった。
 紋章が刻んである――火の精霊を石の中に閉じ込めているのだろうか。
「あ…」
 それは、陽だまりのような温かさで、凍りついた指先をそっと溶かして行った。
「お前がそうやって、自分から口を開くの、待ってたんだよ」
 衣擦れの音がして、頭の雪がやや乱暴に払われた――そう思ったら、頭にすっぽりとかぶせるように、上着が着せ掛けられていた。
「っ…」
 それは、温かかった。
 冷たい空気を遮断して――そして、今までそれをまとっていた人間の、微かな匂いがした。
 温かかった。
 とても。
 冷え切った肩に、人間の体温がじんわりとしみこんで、哀しいくらい優しかった。
 それは、体の奥で、一番冷え切って軋んだ部分に、染むように届いていった。
「………ぅ」
 ぽろり、と涙が頬を伝った。
 凍った頬に、それは痛かった。
 ぽろぽろと、ぽろぽろと。
 涙は落ち続けた。
「…っ」
 ぎゅっと上掛けを握り締める。
 止まっていた思考が動き出す。
「…くやしい」
 暫くして、ティナはやっとその言葉を吐き出した。
 言えなかった。
 凍りついた胸の奥で、一人きりでは言えなかった言葉が、温かい空気に押し出されるように、すんなりと喉の奥から湧き上がっていた。
「わたし…じぶんが………とても、くやしい…」
 泣きながら、自分の弱さを吐露するのは、とても惨めなことだと思った。
「どうしていいのか…どうしたらいいのか…っ。わから、ない…」
 けれど、止めることが――自分を抑えることができなかった。
「ごめんなさい…。っ…ごめんなさい………」
 ティナは、まるでうわ言のように、その言葉を繰り返した。
 誰に向けたものでもない。
 消えてしまったレイザ。
 強大な力に、ただ弄ばれた自分。
 ――そして、そこから進むべき道が、まるきり分からないでいる自分。
「…っ…ごめんな、さい………」
 まるで、謝ることで何かにすがるように、彼女は繰り返した。
「………」
 彼は、白い吐息をつきながら、相変わらずそこに居た。
 慰めることも、ティナの弱さを笑うこともなく。
 ただ黙って、曙光の照らす光の中を、ずっとティナの傍にいた。

 ――傍に、いてくれた。


 身を切り裂くような寒空の下で、だんだんと夜は朝へと明けていく。
 白々とした光は、空の大部分を覆いつくし、目覚めの時が近づいていることを暗に知らせていた。
「………」
「………」
 随分と長い間、誰に対してともなく謝り続けたティナの声は、今はすすり泣きのように、不規則な呼吸を繰り返すだけになっていた。
 泣くだけ泣いたら、言いようのない感情で渦巻いていた胸の内は大分すっきりすることができた。
 しかし、それが根本的な解決ではないことは、ちゃんと分かっていた。
 ただ、今は言わなければならない言葉がある。
「あの…」
「…」
 すっぽりと頭からかぶった上着に半分隠れるように、ティナは恐る恐る斜め上を仰ぎ見た。
 何一言と発することのなかった青年は、上着をこちらにくれたにも関わらず、特に寒がる様子はない。ただ、視線だけ動かしてこちらを見たようだった。
「あの…なんか、ごめん…いろいろ…」
「…で、多少は前に進む気になったのか?」
「ええっと…それ、なんだけど…」
 意外な言葉が返ってきて、ティナは口ごもる。
 まだしゃくりあげる吐息を落ち着かせながら、
「かといって…どうしたら…いいのかって…ぐるぐるしてる、感じ…かも」
「………」
 何せ、相対しているは自分の『過去』と『強大な力』であって、それをどうにかしようと息巻いてみても、途方に暮れてしまう。
 青年は、つと視線を逸らした。
「意外だな」
「…?」
「いつもは、あきれるくらい、前向きであきらめが悪いくせに、な」
「あきれる、くらいっ…て…」
 少し抗議するように、上目遣いで相手を見たが、相手は視線を雪の上に向けている。
 それは、いつも感じる『本心を隠す』感じではなく、言うべき言葉を真剣に選んでいるように、見えた。
「少なくとも…」
 そういいながら、カイオスは数回、瞬く。
 何かを思案するように、
「アレントゥム自由市や、死に絶えた都だと、お前、最後まであきらめなかっただろ」
「………」
 それは、言葉として伝えられた以上に、ティナの心を揺り動かした。
 何気なく吐き出された単語の一つ。
『アレントゥム自由市』。
 それが崩壊してしまった時――そして、その後シェーレン国で彼にたたきつけた、ひどい言葉。

 ミルガウスがよければ、世界などどうでもよかったのか。
 人殺し、と。

(人殺し…)
 七君主や闇の石板、といった強大な力の前に起こった惨劇を前にして、彼を責めた自分を思い出した。
 もちろん、石板を直接持ち出した彼に責任がないわけではない。
 だが、全ての責任があるわけでもない。
 悪いのは、極論すれば七君主だ。
 しかし、石板を持ち出した『敵』として対峙したとき、彼は、石板を持ち出したこと、アレントゥムの悲劇に対して、一言として、言い訳を言わなかった。
 そこに叩き付けた言葉。
 それが今――苦しいほど、自分の胸に跳ね返る。
 不死鳥という強大な力に弄ばれて、レイザという人間を損なってしまった事実。
 けれど、そこにティナ自身の責任が全くないわけではない。自分の――召喚獣、だったのだから。
(もし…同じこと、言われたら…)
 今、――誰かに正面きって『お前はレイザを殺した人殺しだ』と言われたら――事実なのだけど――おそらく、本当に消えてしまいたくなるな、とティナは頭の片隅で考えた。
 その一方で、同じような経験をしたはず、なのにもかかわらず、平然と―― 一言として、言い訳や弱音をはかなかった彼の強さは、どこにあるんだろう、とも感じた。
「あの、もし……気分を、悪くしたら、本当に、申し訳ないと思う、けど…」
「…」
 下を向いて搾り出すように、ティナは呟いた。
 相手の怪訝そうな様子を感じた。
 それが、憤慨や冷然としたものに変わってしまうのではないか、気分を著しく損なってしまうのではないか――そんな不安も感じながら、聞かずにいられなかった。
「アレントゥムが崩壊、して…そのとき…それから、その後も…」
「…」
 微かに、相手は身じろぎしたようだった。
 それでも、ティナに注がれる視線の温度は変わらないようだった。
 彼女は、勇気を出して、その疑問を口にしてみた。
「どうして…あんな、つらいこと…あったのに…そのまま、前に進めたの…? 弱音とか、恨み言とか全然言わずに…みんなから責められても…なんで、あんなに強く…いられたの…?」
「………」
 彼は、すぐには答えなかった。
 といって、気を悪くした様子でもない。
 ティナの発した疑問に本気で考えているようだった。
「…別に、お前がいうほどのものじゃ、なかったと思うぞ」
「…そう、なの? けど…ちゃんと、責任…取ろうとしてた、ように見えたけど…」
「ミルガウスには」
「…」
 ぽつり、と落とした言葉には、どこか遠くを見るような響きがあった。
 それは、その時彼がどう感じていたのかを、正確に辿っているように見えた。
「戻らないつもりだった。少なくとも、国を出発したときは」
「………え」
 意外な言葉に、ティナは思わずそちらを伺う。
 こちらを見たカイオスの視線とかち合った。
 彼は、意外にも微かに苦笑したような表情をしていた。どこか、自嘲も滲ませて。
「当然だろう。石板を持ち出しておいて、どの面提げて、帰れっていうんだよ」
「………」
 ティナは、どこか呆然とその言葉を受け止めていた。
 ミルガウスには帰らない、という選択肢が、あの時の彼にとって何を示していたのか――胸の一部が、えぐれたように、どきん、と高鳴った。
「死ぬ…つもり、だったの?」
 震える声で、発した疑問に、返ってきた反応はそっけなかった。
 そっけない仕種で――彼は、微かに首肯した。
「正確に言えば、逃げる、の方が正しいだろうな。『死に、逃げる』」
「………」
 それを語る彼の様子は、そんな葛藤をしたようには思えないほど、平然としていた。
 胸が詰まったような錯覚を覚えながら、ティナは聞いた。
「…けど、結局帰ったわよね。『死に逃げる』のをやめて――、全部の責任負って、闇の石板、探す旅に出た」
「結果的に、な」
「…どうして?」
「………」
 彼が、微かに浮かべた笑みから、自嘲の部分が消えた。
 自分自身に――そして、ティナに対してただ苦笑しているように、彼女には見えた。
「さあ、な」
「さあ…って…」
「どこかの女に、あきらめ悪くバカみたいな説得をされたから、じゃないのか?」
「なに、それ…」
 眉をよせて唇を尖らせたティナは、――多分自分のことを言っているのであろう――バカみたいな説得、の部分について、真剣に思い出してみた。
(確か、光と闇の陵墓の前で、戦ったとき、よね…)
 光と闇の陵墓から放たれた、アレントゥム自由市を丸ごと灰燼に帰した、七君主の死の波動。
 それは、その時は敵として対峙していたカイオスと、ティナの目の前で、アレントゥム自由市を焼き尽くした。
 平然としていた――少なくとも、そのときは見えた――カイオスに対し、あの時、彼女が必死に紡いだ言葉の末に、彼は隠し持っていた最後の闇の石板を差し出した。
(あの時のこと…なのよね)
「あれで…気が変わったの?」
「…多分な」
「なにそれ」
 人事のように肯定する彼に、思わず唇を尖らせてしまう。
 その一方で、あの時のことをより鮮明に、ティナは思い出していた。
 あの時、闇の石板をティナに託して、彼は言った。
 七君主を止めろ、と。
 魔王降臨に必要だった、最後の欠片をなぜ託されたのか――。
 その理由は分からなかったし、きっとそれを質す機会もないのかも知れない、と思っていた。
 けれど、彼の様子を見ていると、どうやら今のが、その『答え』――つまり、彼のアレントゥム崩壊後から、今までのかたくなに責任を果たそうとする姿勢は、ティナから何かしらの影響――あきらめの悪さとか、そういったもの――を受けてのもの、ということになるが。
「………」
 彼は、どうして今、そんな内実を明かしたのか、と思った。
 普段であれば、絶対に口外しそうにないような内容だ。
 その答えを見つけるのは簡単なはずで、案外そうと断じるのが難しい。
 多分――同じような経験をした、自分の心情を――慮ってくれているのだろう、と。
 きっと、そうに違いないはずだけど。
「どうして…今の話、教えてくれたの?」
 恐る恐る問いかけてみると、ふいっと視線が逸れた。
 これは、明らかに本心を隠す時の仕種だと分かった。
「さあ、な」
 かたくなにはぐらかす彼の仕種が、どこかおかしくて、ティナは微かに笑った。
「………ありがとう」
「――で、少しは、あきらめの悪さを思い出したか?」
「…うん」
 息は少し乱れていたが、涙の跡はもうなかった。
 ティナは立ち上がる。
 長い間座り込んでいたのと、寒さのせいで、すっかり膝が痺れていた。
 自身に活を入れるように、そこをぽん、と叩いて、彼女は上掛けを肩に羽織りなおすと、彼の方を見上げた。
 そちらはちょうど太陽が差し込んでくる方角で、微かに目を細めて、ティナは紡ぎ出した。
「どっかの誰かさんに習うことにする。やったことは――起こったことは、取り返しがつかないことだから――。だから、せめて、レイザに恥ずかしくないだけのことはしなきゃいけないな、と思う」
「…」
「過去のことは…自分だとどうにもならないとこがあるけど、不死鳥とか、不死鳥憑きの巫女のこととか――そういうのは、調べて何か手がかりがあると思うのよね。だから、そこから当たってみるしかないと思うの。もちろん、副船長を起こす方法も探さないと」
「…」
 彼は口を挟まず聞いていたが、口の端が微かに上がっているような、気もした。
 逆光で分からないが。
 曙光に包まれた辺りは、いつの間にか雪は止んでいた。
 ティナは、肩にかかる上掛けをきゅっと握り締める。そこに宿った温かさをもう一度確かめてから、カイオスの方をしっかりと見て、告げた。
「ありがとう。ちゃんと、しっかり前見るから――、あきらめないで、ちゃんと進むから」
「そうか」
「うん」
 光がまぶしい。
 雪の白と空の白。
 美しい景色の中で、彼女の言葉を受け止めてくれた彼の存在も、同じくらい輝いているものだと、彼女はそう感じていた。

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