その部屋に、微かな灯りがともっていたことは、予想通りといえば予想通りだった。
「…ティナ」
そっと扉を開けたティナの姿を見止めて、海賊の船長――ロイドは、驚いたように目を瞬かせた。
目は窪み、無精ひげがやつれた顔に散っている。
副船長が眠り続けて、もう三日になる。
ほとんど食事も睡眠も取らず、文字通り不眠不休で付き添っている姿は、普段の陽気な様子を知っているだけに、痛ましさにも似た思いを抱いてしまう。
「ごめんね…」
「いんや、オレは別にいいんだけどよー」
少しやつれた頬をぽりぽりと掻きながら、ロイドは傍らを見る。
「アベルもさっきまで頑張ってたんだけどさ。寝ちまって」
「…うん」
「あんまり、おっきい声で喋らない方がいいよな」
「そうね」
しんとした部屋をさざめかせないよう、ひそひそと囁く声が、二人の間を行き交う。
ロイドが腰を下ろす傍らで、簡易ベッドに横たわって、すぅすぅ寝息を立てるアベルが、ほんの微かに身じろぎして、すぐにまた眠ってしまった。
アベルも、ロイドと同じように、ほとんどの時間フェイの傍に付き添って、何とか彼が眼が覚めないか付きっ切りで看病している。
昨日はほとんど寝ていないはずなので、一回眠ってしまうと眠りは深いだろうな――かと言って、見る夢が『良い夢』とは限らないわけだけど――そんなことを思って、ティナは眉をひそめた。
自分の見た『夢』が、脳裏に蘇ってくる。
「副船長に――夢で会ったの」
「………」
囁き声で切り出したティナの言葉に、ロイドは、疲労にくぼんだ目を、ぱちぱちと瞬かせた。
そうか、と寂しげに微笑んで、ベッドに横たわった青年を見下ろした。
そこには、『人間』というよりも、呼吸をする『人形』が横たわっているように、ティナには見えた。
元々の造形が整いすぎているからか、あまりに『生きている』匂いがないからなのか、分からなかったけれど。
「夢でも…会いたいな」
考えに耽った彼女の耳に、ロイドがそう呟く声が届いた。
「…え」
「…ティナが羨ましいよ、オレ」
ロイドの視線は、副船長を見つめたまま――そこには、微かな羨望と、大きな慈愛がありありと覗いている。
(普通の人間なのに…混血児が…大事、なのね)
そう考えた言葉に、特に深い意味はなかったが、ティナは自分の言葉に苦笑した。
一応、『普通』というのなら、自分も『普通』の部類に入るはずだ。
ただ、記憶のない自分と違って、『混血児は厭わしいもの』という価値観の中で生きてきたロイドが、副船長という『混血児』を仲間としてこんなにも想う事――それが、どこか不思議な感覚でティナの心に響いた。
にわかに好奇心が沸いた。
「ロイドは…どうして、そんなにフェイが心配なの?」
「どうしてって…仲間だからだよ」
「実は、ちょっと不思議…だったのよね。その…普通、混血児のこと…『仲間』って思う人、少ないじゃない」
「………」
ロイドは、まるで自分が仲間はずれを受けてしまったかのような、傷ついた顔をした。
言ったティナが、思わずしまった、と思うほどに。
「あ…ごめんね。そんなに、深い意味はなかったの」
「いや…」
戦鬼と呼ばれる男は、ゆるく頭を振った。
遠い目を――距離だけでなく、時間まで遠く遠くを遡って見ているかのような――とても、遠い目をした。
「あいつとさ、初めて会ったとき」
ぽつり、と呟く。
どこからか風が入り込んだのか、部屋の明かりがじりじりと揺れて、ロイドの反面も微かにぶれた。
優しいのに哀しい。
そんな表情で、ロイドはフェイを見つめていた。
「『殺してくれ』って言ったんだ、こいつ」
「…え」
「しゃべれなかったんだ。ええっと、当時の副船長だった爺さんが言うには、『心の病気』だったらしいんだけど。だから、口の形で、『殺してくれ』って」
しん、とした静寂が降りた。
ロイドの言葉として語られた話に、ティナが先ほど『夢』で体験した光景が重なる。
周囲から注がれる――幾多もの、温度のない、視線。
憎悪。
――殺される、と逃げ出す恐怖。
そんな生活を――フェイが崖から飛び降りて消息を絶ったのは、7つの時で、ロイド達と出会ったのは、確か今から2年前、彼が15の時だった――何年も送っていたのなら、確かに心身に支障をきたす、と思う。
「オレはさ、その時…恥ずかしい話だけど、見境なく賊を――人を殺してた。本物の『戦鬼』だった」
「………」
「ジェイドって――オレの親友が、昔、賊に殺されて――その怒りが、全部『賊』ってヤツらのところにいっちまってたんだ。それをすすぎたくて海に出たんだけど、すぐには変われなくてさ。時々、仲間も怖がるくらい暴走しちまうことがあって――。あいつと会ったのも、ちょうどそうやって、人殺し…してるときだった」
ティナは何もいえなくて立ち尽くしている。
ロイドに注ぐ視線を、どんな感情に照準を合わせればいいのか――まったく分からなかった。
ただ、立ち尽くして、呆然と話の先を待っていた。
「あいつ、自分からオレの前に来てさ。『殺してくれ』って。そう言ったんだ」
じじ、と音がして、灯りが風に揺れた。
ロイドの瞳も揺れた。泣いているみたいに。
「――すげー綺麗な海の色した目でさ。その中に血まみれのオレが鏡みたいに映ってた。それ以外――何も入ってねぇんだ。正直――ぞっとした」
「………」
「生きてるのに、死んだ目だった」
ロイドは、しばしばと目を瞬かせた。
「『混血児』…とかじゃなくて、さ。こいつに、こんな目、させちゃいけないと思ったんだ」
「………うん」
「そしたら、どーしてだかな。キレる回数も嘘みたいに減った。だからこいつには――感謝してる。感謝してもしたりねーんだ」
なのにオレは、死にかけた仲間を、こうして見てることしかできねぇんだ、と。
ロイドは拳を握り締めて、ぎりりと歯を噛みしめた。
ティナはすぐには何も言う事ができない。
ただ、軽い気持ちで、ロイドの仲間を思う優しさに興味を抱いたことに、ある種の恥ずかしさと身の置き所のなさを感じていた。
「…ごめんなさい」
「んぁ? 何でティナが謝るんだ?」
「いや…何となく」
「? 変なの」
ロイドは、気にした様子もなく、昏々と眠るフェイの方に向き直ると、その手をそっと握り締める。
逞しい背中に、大きな影が落ちていた。
その背に、ティナは囁きかけた。
「早く、目が覚めるといいわね」
「ああ」
「あ、ねぇ、さっきの話なんだけど…」
「んー?」
のんびり首を傾げるロイドに、ティナはその問いを投げかける。
「その賊に殺された親友…『ジェイド』…って…副船長が、始めに名乗ってた…?」
ぴくり、と肩が動いた。
しばらく、沈黙があってから、やっと声だけが彼女の元に届いた。
「ん…ああ。そうだな」
「彼を殺したって賊…せめて、早く見つかるといいわね」
「それなら、もう見つかったよ」
「…え?」
「もう見つかった。――もう、いいんだ」
「………」
まるで、ティナにではなく、自らに言い聞かせているような調子だった。
結局それ以上会話は続かず、ティナはそっと部屋を後にした。
直前に、ロイドの影に隠れて、白い面をつけているかのように、ただ眠る副船長の顔を、ちらりと見た。
――それは、暗闇で助けてくれた『少女のような』人物とあまりにかけ離れすぎていたが――表情は、本当にぴくりとも動かず、『生きている』実感をいだかせないものだった。
結局、夢で感じた、焦燥のようなもやもやを解決することができないまま、ティナは部屋を後にした。
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