Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  終章 
* * *
「…行っちゃったねぇ」
 ティナとカイオスが白の学院に旅立った行った後、その魔法陣の余韻に、今だ浸る人々の中で、クルスは一人ため息交じりの吐息をついた。
 この2年間、ティナの『相棒』として行動を共にしていた少年からすると、ティナには残念なほどに、その手の免疫がまったくない。
 あれだけ態度に表れていて、本人が無自覚なのがいっそ不思議だ。
(とりあえず、同行者のほうに釘は刺しておいたけどねぇ)
肩をすくめる脳裏に、昨夜の光景が浮かぶ。


 ――それは、昨夜のこと――。否、明け方といっても差し支えないくらいの、全員が寝静まった深夜のことだった。
 少年は、『ある人物』を待っていた。
 といっても、時間が時間だ――当然、自室で眠っているかと思ったが、尋ねてみるとその気配はない。
 仕方なく暫く待っていると、部屋の主の帰りを告げる足音が、扉の向こうから近づいてきた。
「こんな時間に、どこに行ってたのさ」
 少年の誰何に、自室の扉を開けた青年は、一瞬動きを止めた。
(一応、驚くんだねぇ)
 反応を見て、クルスはこっそりと胸中で笑う。
 確かに、全員が寝静まった夜更け、ランプの光の届かない薄暗がりから、不意に少年が現れたら、青年でなくても驚くだろう。――ティナあたりは、幽霊と勘違いしてうっかり攻撃魔法をぶっ放すかもしれないな、とちらりと考えた。
「ちょっと…話があってね」
 無言でこちらの出方を伺っている青年に、クルスはあえて軽い調子で投げかける。
 ――深夜、カイオス・レリュードの部屋を訪ねてみたのは、実際、理由がないことではなかった。
 先日から、昏々と眠り続けている海賊の副船長――もとい、シルヴェア国王位継承者『フェイ・アグネス・ウォン』。
風の属性継承者が、万一にでもこのまま命を落とすようなことになれば――。
(『土水火風』――四属性の継承者が…欠けてしまう…)
 先日、落ち込んだアベルを慰める手前、『フェイの目が覚める方法を探せばいいんだよ』と簡単に言ったものの、そんなことができるのかどうか、クルスにさえわからなかった。
 ただ、不死鳥が動くほどの事態――『風』の属性が、強大な『闇』、七君主を消し去ったこと――それによって、属性がそのバランスを取ろうと、不調和の元凶を取り除こうとしているのではないか――その程度の推測はついたが。
(フェイもねぇ…キレるんなら、もっと穏便にキレて欲しいよねぇ)
 後先考えないところは、義妹(アベル)と似ているのか。
 わずかに苦笑しながら、クルスはこちらと対峙する青年に語りかけた。
「フェイのことで、話があるんだ」
「それなら、お前の『相棒』と、今話をしてきたところだ」
「ティナと?」
 青年の口から語られた、予想外の人物の名前に、クルスは眉根を上げた。
 それで、部屋にいなかったのか、という思いと、何でティナと、という気持ちがせめぎ合って、その場に縫い付けられたように、一瞬鼓動が止まった。
 話の趣旨とまったく関係ないことを自覚していても、視線の温度が下がることを、自分自身で止められない。
 目が口ほどに物を言うとすれば、『ヒトの相棒、こんな夜中に何連れまわしてんだ』とでも言えばいいのか。
 一体今何時だと思っている。
「………」
 クルスの無言の怒りを、見た目は平然と受け止めた青年は、話題の矛先を逸らすようで、核心を突いたことをさらりと口にした。
「彼女が、『夢』で副船長に会ったらしい。『神剣』がどう…とか言ってたな」
「! 神剣…」
 それは、彼の想像通りの言葉ではあった。それでいて、痛いところを突かれたように、ぐさりと身体が揺れた。
「神剣は、ストラジェスの神具がないと、封印が解かれないよ」
「…そうだな。それを、白の学院に調べに行こうかと思っている」
「白の学院…か」
 いいところを突いてるね、と思わず口にした本音に、どうも、と澄ました答えが返ってきた。
「だけど、ロイドやアベルは一緒に行けないでしょ? ついでに、エカチェリーナもやめといた方がいいね。彼女が二重魔法陣を暴発させたのは…白の学院の近郊の村だったんだから」
「…よく、知ってるな」
「そういう『世間話』レベルのことだったら、君も知ってることなら、僕も大抵知ってるよ」
「…」
 わざと軽く言い放ってやると、青年の表情が、微かに変化した。
 彼には、『君の軽く5倍は生きてる』と言っている。その真偽をかみ締めているような沈黙を、クルスはふっと微笑んで気づかないふりをした。さりげなく先を促す。
「ちなみに、アルフェリアも戦力外でしょう? 彼、相当上の空みたいだから、さ」
「そうだな」
「となると、ティナか僕、もしくは両方も残った方がいいってことになる」
「…」
 次に訪れた沈黙は、考えている、というよりは、次の言葉を出し惜しみしているように見えた。
「彼女は…今回、一緒に白の学院に行きたいらしい。過去を知る手がかりがありそうだと言っていたな」
「………。へえ?」
 奇妙な間のあと、口から飛び出した言葉は、クルス自身驚くほど穏やかな響きをまとっていた。
 穏やか過ぎて――中に包んだ本音が透けて聞こえるほどに。
「じゃあ、僕は残るしかないねぇ。まあ、今回はそれでいいんだけど。彼女を連れて行くんだねえ、君は」
「数日、別行動するだけだろう」
「たかが数日、されど数日」
 そらんじるような調子で口ずさんだ後、穏やかな視線でじーっと青年を見上げると、彼はついに腕を組んで半眼になった。
(あ、ちょっと突っつきすぎたかな)
「まあ、君なら大丈夫だとは思うけど。彼女のこと、くれぐれもよろしくね」
「………」
 棘をひそめて、本当に微笑んで告げると、青年はため息をついた。
 で、と青の目がこちらを見る。
「お前の用事は」
「フェイが目覚めない原因について、ちょっと話したくてね。まあ、僕の考えてたことも、大概君と一緒――ま、神剣が原因ってところまでは、僕も確信がなかったからね。さすがティナの夢は侮れないな」
「…」
 最後の一言は、何気なく付け加えたつもりだった。だが、その言葉を聞いたカイオスの表情が、何かを問いかけるような仕種を見せた。
「何?」
「お前…実際のところ、彼女の『過去』のこと、何か知ってるんじゃないのか?」
「…」
 今度は、クルスが軽い間を挟む番だった。
 何かを言おうとして開きかけた口が、青年の青い視線を受けて、確かに止まった。
 『ティナには、幸せになってほしいと思っている』。
 そう、カイオスに告げたのは自分自身だ。
 その一方で、不死鳥を制御できないティナが、自身の過去を探る手がかりをつかむことに、苦しんでいることを知りながら、彼女に『過去』を告げようとしない――。
 なぜ、と問われていた。
「…」
 はぐらかすこともできたが、クルスはあえて応えた。
「『過去』を思い出すことが――彼女にとって、幸せなこととは限らない」
「過去を思い出すことが、彼女にとって幸せじゃないと分かっているのに…、あえて過去を思い出そうとする行動を止めないんだな」
「…彼女が、自分の意思で過去を知りたいと思うなら。僕は、それを止めない。
 選ぶのは、彼女自身、だよ」
 夜闇に紛れそうなほどに低い声音は、深深と静寂にとけて消えていく。
 青と黒の目が、ひたすらにぶつかり合う。
 やがて、クルスの中にある真意を探ることをあきらめたように、カイオス・レリュードの言葉が、静寂を破った。
「で、結局のところ、フェイが目覚めない原因は、お前にも確信の持てる心当たりはないんだな?」
「そうだね。ただ、白の学院に、なにかしらの答えがあると思うよ。がんばってきてね!」
「………」
 心からの笑顔を送ったはずだが、半眼でため息を突かれてしまった。
「…じゃ、オレはそろそろこれで。おやすみ〜」
 ひらひらと手を振って、部屋を後にしようとすると、背後から「悪いな、助かった」と声がかかった。
 不意に、クルスは小さくふきだした。
 そう遠くない時間、カイオス・レリュードと二人で、ゼルリアの首都デライザーグを目指したときのことがちらりと蘇った。
 あのときの雰囲気に比べれば。
(ずいぶんと、変わったもんだねぇ)
「お礼なら、ティナをちゃんと紳士的にエスコートしてくれたら、それでいいからさ!」
 振り返って、にゃはは、と笑う。
「オレはティナが大事だよ。けど、彼女だけじゃなくて…アベルやフェイや、アルフェリアやエカチェリーナ…――もちろん、君も、ね。大切な仲間だと思っている。信頼してるから、任せるんだ。
 ――頼んだよ」
 言いたいことだけを一方的に告げて、相手の反応を待たずに、ぱたんと扉を閉めた。
 だから、青年がどのような表情で立ち尽くしていたのかは、少年には分からない。
 そして、夜が明けた後、彼の相棒とカイオス・レリュードは、精霊の魔法陣に導かれて、白の学院に発っていった…。


「無事に…たどりついたかな」
 クルスは、相棒が発っていった空を見上げて、ぽつりと呟く。
 イクシオンの奇跡のような魔法陣を目の当たりにして、夢の中に誘われたような面持ちの人々が、やっと現実に戻り始めた頃、少年の元に近づいてきた影がある。
「あ、イクシオン!」
 びょん、と飛び上がって精霊を迎えたクルスに、淡い色をしたイクシオンは、微かに微笑んだ。
「君は…周りの人と、時間が違うね」
「…さすが、妾将軍がすべてを託した精霊だね〜」
 にゃはは、と笑って、クルスは声を落とした。
「属性の力の源泉が…乱れている」
「………」
「だって、おかしいでしょう? いくら、属性継承者が七君主――魔の一角を打ち崩したとしても、それで神剣自らが、属性継承者を封じこめようとするかな?」
 何者かの悪意が、透けて見えるようだよね、と付け加えた。
「………」
 イクシオンが、何か言いたげな仕種をした。
 それをさえぎって、クルスは空を見上げた。
 快晴。
 どこまでの吸い込まれていく、精霊の瞳と同じ色の、すがすがしい青。
「闇が――動きだしたんだ」
 それは、どこに存在するかも分からないものだけど。
「悲しき英雄――ストラジェス」
 声の吸い込まれていく先を見届けるように、イクシオンもやがて黙って、クルスの視線の先を辿った。
 そこにある透明な空を――明日の知れない未来を、ただ、映し込んで。


第一話  動き出した闇  完
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