天と地の覇者たちが、地上で激突した、一つの大きな戦争があった。
三つの世界は分断され、光と闇の石板が、その結界石の役割を果たすこととなった。
同時に、世界の分断をもたらした八人の天使、魔族たちにより、光と闇の神剣が生み出され、地上のいずこかで眠りにつき、世界の均衡を保つ楔となっていた。
――歴史に残らない、二つ目の戦争があった。
誰の記憶にもない、ただ戦争の惨禍を伝える史跡だけを残し、風化した傷跡。
その前後に光の石版は『消滅』し、闇の石板も、砕け散ってしまう…。
闇の石板の空洞が、負の力を呼び込み、七君主と呼ばれる存在を造りだした。
それは、石板が回収された後も、世界に君臨しその存在を脅かす禍々しき存在として、恐れられ、忌まわれ続けた。
静かな邪の胎動は、聖地と呼ばれた天と地と地の交わる地にても、脈々と息づいていた――。
■
「はじめまして。お父様」
「………」
彼の娘が、他人のような表情(かお)と残忍な面持ちで彼の前に現れたのは、闇の石板が砕け散る、という、歴史的な惨禍が起こった、直後のことだった。
混乱する王城内の隙間を縫って、少女は王の前に降臨した。
「あなたのかわいい娘を、少しお借りいたしますね」
くすくすと笑って、少女は晴れやかな面持ちで、王を睥睨した。
絶望的な、絶対的な命令とともに。
「――世界を救いたければ、ミルガウスを滅ぼしてください」
■
「そうか…。『カオラナ』が、消えた、か」
王は、一人玉座で呟いた。
いままで、ミルガウスに巣くっていた『闇』。
その正体を知るものは、国王たるドゥレヴァ以外にはいない。
第三王位継承者たる、『養子』カオラナ王女が突然失踪した、との報告をもたらした右大臣が、慌しく去った後、彼は空漠とした眼差しで、王座から虚空を見上げた。
「闇が…ついに、動くか」
――10年前、闇の石板が砕け散った直後。
あの時も、彼は今と同じように、覇気を失してしまった瞳を、虚空に向けるしかなかったことを思う。
愛娘に『取り憑いた』七君主が、微笑みながら、彼に『取引』を持ちかけた直後――。
こうして、空を見上げ、人としての感情をすべて殺し――
彼は、世界のために、ミルガウスを殺す覚悟をした。
10年前は、幾十人、幾百人もいた彼を支える心強い仲間たちは、彼自身の手によって、そのほとんどが駆逐され――あるいは、天命によって、命を落とした。
ミルガウスと名の変わった王国に残されたのは、その抜け殻だけ…。
(いや…)
ドゥレヴァの目に、微かに生気が宿った。
三年前。
名も出自も不明だった、アクアヴェイル人の風貌をした一人の青年。
数々の罪もない名臣を、あまりに些細な濡れ衣で断罪し、逆らえる者もいない状況で、彼はひるむことなく、真っ向から馬鹿げたゼルリアとの戦争をやめろと公の場でほのめかした。
それは、自分自身の『命』に対する執着が希薄だったからこそ、なしえた行動だったのかもしれない…。
だが、それを抜きにしてでも、あの場の雰囲気に流されずに、堂々と自論を――そして、明らかな正論を――貫いた行為は、賢王と呼ばれたドゥレヴァをもってして、感服せしめるに値するものだった。
そして、彼が『アクアヴェイル人』の風貌をしていたことも、彼をつなぎとめるのに、一役買ってくれた。
――国は――まだ、死なないで済むかも知れない、と。
「………」
虚空を漂う視線が、確かな一点を見据えて細められた。
それは、前を見据えるようにも見えたし、その先にある未来を見据えているようでもあった。
謁見室の壮麗な扉が、ふと、重々しい音を立てながら開け放たれ、開かれていく隙間から光が差し込んでいく。
ふと目を細めたドゥレヴァの耳に、焦ったような近衛兵の制止が飛び込んできた。
「いくら、あなた様と言えども、このようなことをされましては」
「事は、一刻を争います」
憔悴した兵の声を、涼やかな声が、一刀に伏す。
幾人かの男女の先頭に立って扉の陰から現れた青年は、底知れない光を宿した視線を真っ向から王に叩きつけた。
王の威信も権力も二の次にして、その眼光は『ドゥレヴァ』という男を真っ向から射抜いていた。
二年前――ゼルリアとの馬鹿げた戦争をやめろと、公然と言い放った時のように。
涼やかな声は、奥に秘めた様々な感情を平易な一言にくるんで、静かに言上した。
「突然の拝謁、恐れ入ります。――至急、人払いを」
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