――シェーレン国 裏町
「な…」
「そんな…」
キルド族の少年が語り終わったとき、その場に在ったのは、絶望にも似た空気だった。
賊の少年に石板をスられてしまったジュレスとウェイ。
彼女たちは、突然現れたキルド族の少年――ナナシに話があると告げられ、ダグラスが目覚めるのを待って、話を聞いたところだった。
傷が深くまだ起き上がれないダグラスは、黙って天井を向いている。
少年は、語り終えた後、石のように黙り込んだ。
沈黙が沈黙を呼び、空気を縛り付ける――
「…つまり…」
掠れた声で呟いたのは、意思在るダグラスだった。
渇いた目で天井を見つめたまま、
「あいつと俺とは…因縁がある、ということだな」
「…」
そうですわね、と呟いたのは、ジュレスだ。
「まあ…私の片翼の…問題でもありますしね…」
「…そうねぇ」
ウェイがため息をついた。
「私も…そうね…まあ、仕方ないのかしらね…。ただ」
碧色の瞳が、少年を見た。
「私たち、三属性はこの場に揃ってる。けど、あともう一人――『火の属性継承者』が足りない」
「せやなー」
少年は、ふっと笑った。
いたずらを企んだような表情で、促した。
「けど、おねーさんら、会ってるんちゃう? 『火』の――絶対的な力をもつ、おねーさんのこと」
「………」
ジュレスが、あっと言葉をこぼした。
『火』の絶対的な力。
それを召喚することができる――一人の少女のことを。
「アレントゥムの…」
「シェーレンで、俺の水魔法でヤツの火を相殺してやったな…」
「そうですわね。私も、堕天死の聖堂でも会いましたわ。――紫欄の瞳をした…」
「ティナ・カルナウス」
キルド族の少年の声が、静かに轟いた。
はっとしたように、三対の視線が、彼を見た。
少年は、黒い――虚空のような瞳で、どこ見ることなく続けた。
「あの力――まともなの人間の力やないやろ。せや、アレや」
くつくつと、彼は笑った。
暗い音色が、最後の音をこぼした。
「世界を滅ぼす――剣となる力や」
■
――シェーレン国 緑の館
「――とりあえず、結論から言うとね。フェイ王子は、死んだと決まったわけじゃない。異空間ってのは、時間軸と空間軸が入り乱れて、いろいろな事象に接したり離れたりしてるからね」
総勢8人が、緑の館の一室に集まっていた。
魔法に関しては、ある程度の知識があるティナやカイオスはともかく、アルフェリアや賊の二人組み――ローランドとヴェイクは、眉をしかめている。
「えーっと、つまり、異空間と、私たちのいる空間は、常に接してるのよね。けど、接してる空間ってのは、常に移り変わってて――たとえば、死に絶えた都で異空間と現実の空間が接したら、その反動で、別の空間同士がつながりやすくなったりするのよね」
「なるほど…」
「うえー。頭こんがらがるって」
ローランドは重々しく頷いたが、ヴェイクは目に見えてげんなりした。
兄がたしなめるように頭を軽く小突いて、やっと少年は視線を上げた。
「よーするにさ。死に絶えた都で、空間が接したんだったら、その反動で、別の場所の空間が接しやすくなる――。何らかの方法で空間をつなげて、あいつら引きずり出す。時間軸も狂ってるから、うまくすれば殺される前にまた相対することが可能ってわけね」
「そうだねぇ」
少年の理論だった結論に、エカチェリーナは頷いた。
貫禄のある兄と比べれば、何かと見劣り勝ちとも取れるヴェイクだったが、その頭の回転の早さは群を抜いて、速い。
その手腕は、つい五年ほど前に乗り込んできた兄を、シェーレン王家との協定を結ばせることで、一躍、王家お墨付きの賊頭とならしめたほどだった。――その王家との癒着が、今回の闇の売買の元締め役をやらされるのに、つながったわけだったが――。
「んじゃさ、王子様を助けるために、さっさとその地点を見つけに行かないといけねーわな。オレたちは、女王との折衝があるし、水の巫女さんをちゃんと送り届けないといけねーし」
「そうね」
ティナは頷いた。
大体の目標はつかめた。
しかし、問題はその『異空間があわられやすくなる』のが、どこか、という話だ。
「なんか、空間の計算って、ホントに難しいじゃない。向かうにしても、世界は広いんだし、どこに行けばいいのか…」
「それは…私が何とかするよ。差しあたっては…」
「ミルガウスに戻るのが妥当だと思うが」
すっと差し挟んだのは、カイオスだった。
全員の視線を受けて、淡々と続ける。
「仮にも、王位継承者が、異常行動に出たわけだからな。王に報告の義務がある」
それに、と言いかけて、彼はやめたようにティナには見えた。
実際には、アルフェリアが引き継ぐように、頷いた。
「じゃあ、決まりだな。さっさと、海賊船に戻るか」
「う〜! そうだね」
「では、皆さんと私たちは、ここでお別れなんですね」
「そーなるわね」
水の巫女、セレアが、どこか寂しげに呟いた。
ヴェイクが、にやりと笑って、兄を見上げる。
「よし、じゃあそろそろ行くか。兄貴」
「そうだな。どうか、ご達者で」
「ありがとう」
ティナは、笑って微笑んだ。
その一方で、副船長が――フェイがアベルに傷つけられてから――ずっと下を向いて、押し黙ったままの、ロイドのことを思いやる。
今も、皆が話している最中、隅で黙り込んでいる船長は、普段の明るさや優しさが根こそぎ奪われてしまった、悲しい抜け殻のように見えた。
もしくは――張りつめて、限界まで膨らみきった、風船のような。
(………)
ティナは、そんな彼に声を掛けることができなかった。
自分のせいだと、思いすぎることもよくない。
けれど、副船長を傷つけるアベルと接触するのに成功したとき、そこで自分に何ができるのか考えて――怖くなることはある。
その懸念は、緑の館を出て、海賊船に戻り、ミルガウスを目指す道中でも――拭いきることはできなかった。
(思えば――)
船の甲板で、風に当たりながら、ティナはふと思う。
クルスと共に、闇の石板を二つ、ミルガウスに持っていったところから――いろいろな国を回って石板探しをするわ、七君主に命を狙われることになるわ、未来を変えたと思ったら、不死鳥の召喚ができなくなるわ――。
(なんか、人生何が起こるか、分かんないわね)
分からないといえば、カイオス・レリュードも、旅に出た頃とはずいぶんと関係が変化したとも思う。
まさか――あんなソリの合わない――もっと正確に言えば、合わないと思っていた――人間から、あんな言葉をもらえるとは思わなかった。
そして、クルスや、アルフェリア――旅の中で出会ったたくさんの人たち。
(悪いことばっかじゃないわよね)
得たものもあった。
そして、旅の中で得た仲間を救うために――自分の過去とも向き合っていく必要がある。
「………」
潮風が、髪をすり抜けていく。
視界が乱れるのがわずらわしくて、ティナは手でそれを押さえた。
海面は、光があふれ、その先の道中を祝福しているかのように見える。
世界一の大国『ミルガウス』。
旅で見つけた石版は――いまだ未回収のものを含めて――2つ。
五つはすでに手元にある。
アベルと共に消えた七君主の宿った石板と、まだ存在すらつかめていないものと。
石板を探すという旅は途中だけれど、石板と向き合わなければならないのであれば、必然的に、アベルの件とも向き合わなければいけなくなる。
その時に、自分には、何ができるのだろうか。
(………)
失ったものと得たものを確かに、その胸に携えて。
再び訪れる国に待つものを、ティナはまだ、知らないでいた――。
第五話 君に誓う言葉 完 第一部 闇の石板 完 |