Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 過去からの使者
* * *
「え、すごい人…!」
 白の学院は、古代図書館を擁する学舎を町の中心に、放射線状に広がっている。
 遥か遠くに、凛と天を刺し貫く尖塔を見ながら、ティナは、ぱちぱちと瞬いた。
 表通り、裏通り、人、人、人。
 道の端を歩く人が、路肩に並ぶ店に足を引っ掛けそうなくらい、人が溢れている。
「何これ、こんな…人ばっかり!?」
「悪い時期にあたったな」
 驚くティナの隣で、カイオス・レリュードは煩わしそうに髪をかきあげている。
 副船長が目覚めない原因は、神剣にあるのではないか。
 そして、その神剣の封印を施すものとして、『ストラジェスの神具』があるとされるが、その存在は、あまりに謎に包まれている――。そのために、世界中の知が終結する場所『白の学院』を、二人、訪れたのだったが。
「ここから、白の学院にたどり着くのに、どんだけ時間がかかるんだろ…」
「さあな」
 隣で交わす言葉すら、人の雑踏に紛れる。
 ティナは、さすがにうんざりと傍らを見上げた。
「時期が悪かったって…今何かやってるの?」
「歴史の空白の終焉を祝う――言ってみれば、現在の歴史の『生誕際』みたいなものだ。アレントゥム自由市のりんご祭り、アクアヴェイルのカーニバルと並んで、世界的にも規模が大きい」
「ふーん」
「ちなみに、集まる人の多さで言うとカーニバルの方が多いけどな」
「! これより、もっと多いの!?」
「そうだな。この旅が終わったら、相棒といってみればいいんじゃないのか」
 いい話の種になる、と何気なく青年が続けた言葉に、ティナははっとなった。
(旅が…終わったら、ね)
 そうだ。こんな風に、カイオス・レリュードや――アベルやアルフェリア達と旅をすること、それには、いつか『終わり』が来るのだ。
「そう…ね。旅が、無事に終わったら、ね」
 呟いた言葉には、どこか、その事実から目を背けているような響きがあった。
 だが、それは幸いにも雑踏にとけて消える。
「さって、じゃあ早いとこ、白の学院に入りますか!」
 気を取り直して声を張り上げたとき、ティナは奇妙な視線を感じた。
 雑踏の中、行きかう人々の中で、こちらをじっと注視する、視線がある。
 それは遠めに紛れ、顔の造形もあまりつかめなかったが。
(アクアヴェイル人…?)
 金色の髪が、日の光によく映える。
 だが、彼女の心を引いたのは、その色よりも――
(似てる…?)
 どこか幼い面影を残した、しかし整った造形は、ティナの隣に立つ青年を、どこか彷彿とさせる面持ちだった。
 ティナと同い年、もしくは少し年下だろうか。だが、少年のあどけなさはなく、重大な責任を背負ったもの特有の、真面目そうな、硬い表情をしている。
「珍しい人間が、珍しい場所にいるもんだな」
「え、知ってるの?」
 カイオスの言葉に、そちらを振り返ったティナは、半眼に目を細めている青年の微妙な表情を見止める。
「…まあ、知っているといえば」
「誰? すごいガン見されてるんだけど」
「『カイオス・レリュード』の弟」
「…は?」
 予想を超えた返答に、ティナは思わず間抜けた声を出す。
「あんた…弟、いたの?」
「『俺』の、じゃなくて、『カイオス・レリュード』の。実際は異父兄弟らしいが」
「………」
 そこまで説明されて、ティナはやっと、『カイオス・レリュード』と名乗っている隣の青年が、『七君主の分身』で――亡くなった故人『カイオス・レリュード』の名を、前左大臣バティーダ・ホーウェルンから押し頂いて名乗っているに過ぎないという事実を改めて思い出した。
 そう、本物のカイオス・レリュードは、10年前、アクアヴェイルとシルヴェアの親交を助けるため、アクアヴェイル王子を差し置いて秘密裏に人質に望まれ――その結果、任を果たして国に帰郷する直前に、不幸な事故で命を落とした。だが、体外的には『アクアヴェイル王子が人質になっている』とされていたので、その死は隠蔽され、それに心を痛めたカイオス・レリュードの父『ダグラス・セントア・ブルグレア』は、七君主と契約して、その身体を貸し与え、世界を滅ぼすために、闇の石版を手に入れようとしていたのだ。
 その過程で『作り出された存在』――ティナの隣にいる青年は、そんな複雑な背景を負っている。
 言ってみればカイオス・レリュードの『偽者』――兄の名を語る他人と、本物のカイオス・レリュードの血縁が、顔を突き合わせている、ということになる。
(いや…ちょっとこれは…)
 双方にとって、気まずいを通り越して、厳しい。
「む、無視とかできないの?」
「いまさらだな」
「そうね。ものすごい、視線合っちゃってるもんね」
「相手は、一応アクアヴェイル国王の秘書――側近中の側近だぞ。挨拶くらいは、な」
「あの若さですごいわね…。って、何でそんなすごい人間が、こんな庶民の祭りの雑踏の中で、お供もつけずにぼーっと突っ立ってんのよ!」
「…俺が知るかよ」
 ため息混じりに青年は向こうにいってしまった。
 下手に動くとこの人ごみの中、会えなくなってしまう。ティナは、人の邪魔にならないように、路肩の方に足を向けた。その服の裾を、
「ねえねえ、おねーさん」
 ちょいちょい、と引っ張られた。
 高くて柔らかい、だが心地いいというより、羽の生えたような軽い声。一瞬ナンパの類かと手を振りほどきかけるが、男の容姿を眼にして動きが勝手に止まる。
「君さ、あの男――『名無し』君のお知り合い?」
 頭から、極彩色の羽が生えた人間がいた。
 正確には、羽飾りが、アクアヴェイル人特有の、つややかな金髪の髪を彩っている。
 身を包む衣装も、負けず劣らず美しい光沢を放っており、そこだけ空気のきらめきが違う。
 手には、リュートを抱えていた。このリュートも、残念なことに、てらてらと七色に光をはじいている。
 恐ろしいのは、そんな個性的な服に包まれているにも関わらず、男の容姿がそれ以上にきらきら輝いているということだ。
 美醜などというのは、この際問題ではない。
 一体何を食べたら、そんなにきらきらできるのだろうか。
(ぎ、吟遊詩人!?)
「ねえねえ、おねえさん、聞いてるー?」
 あまりのことに、行動を根こそぎ停止して固まってしまったティナの目の前で、男はぱちんと手を叩いてみせた。
「! ご、ごめんなさい!!」
「いやいや〜。君、面白くて、とってもかわいい子だねー。あーんな無愛想な男ほうっておいて、おにーさんとデートしちゃおう、うんそうしよう」
「!? で、でぇと!? じゃなくて!!」
 何か調子を狂わされてしまう。
 ほけほけと肩に手をまわしてくる男をさりげなくガードしながら、ティナは必死に食いついた。
「なに、あんた、彼のこと知ってるの?」
「そんなこと、どーでもいいじゃんー。ねえ、早く行こうよ、ほら」
「!!」
 無遠慮に手をそっと握られて、ティナは思わず飛び上がる。今まで異性にこんな馴れ馴れしいことを、気安くされたことがない。動揺が、反射的な拒絶の動きを封じてしまう。
「向こうでさ、ダンスが始まるって。だいじょうぶ、おにーさんヒトの女に手は出さないから。ただ、ちょっと付き合ってよ! ね?」
「え、ちょっ…! あの…っ」
「アクアヴェイル人は、女性とロマンに恋してるイキモノなの。かわいい女の子は、とりあえず口説いて楽しませたいの! 後で甘いもの、ご馳走してあげるから!」
 行こう、と手を引っ張られて、ティナはその勢いで歩き出してしまう。
 せめてもの頼みの綱に、カイオス・レリュードのいる方角に視線を送るが、彼の姿は人ごみに紛れて見分けることすらできない。
(私の知ってるアクアヴェイル人は、女性にもロマンにも恋してない、すっごい無愛想な男なんだけど!)
 悪い人間ではなさそうだが、ヒトの話を聞いてくれないのは困る。
 抗議をしようにも、ぐいぐいと人ごみを進む男の背中に、掛ける言葉が出て来ない。
(あれ…)
 人の間を縫うように道を進む中、ティナは奇妙な既視感を覚えた。
 人を避けるときの身体の捌き方が、どこかカイオス・レリュードの戦闘時の動きと似ている。
 特定の流派に属さない、水が流れるような形の無い動き。
(何で…)
 漠然と思った、そのとき。
「あ…」
 人の壁が、波が引くようにさあっと引いた。
 円形の広場。
 ひときわ賑わいが集まる真ん中で、仮設の舞台が設置され、踊り子や吟遊詩人――様々な人間たちが、楽しそうに踊っている。
「行こう! こっちだよ!」
「あっ! っ…ちょっと…っ」
 ぐいぐいと引っ張られて、彼女はとっさに声を上げる。
 まるでエスコートをされるように、踊り子たちの真ん中に引っ張り出され、狼狽するように男を見上げる。
 大勢の人間の中でも、男の七色にあでやかな衣装は目立つ。
 雰囲気に飲まれるように、人が引いていく。
 ぽっかりと空いた、踊りの輪の真ん中で、
「あの名無し君もそうだけど――。君にも、会ったことがあるよね。『ここ』で、こうして踊りを踊った。もっとも――こんな楽しい踊りじゃなかったけど」
「…え?」
 ときん、と心臓が跳ねる。
 『不死鳥憑きの巫女』。
 とっさに思い浮かべた、自分の過去を探る言葉を口にする前に、ふわりと人差し指を立てられた。
 男の目は、先ほどまでの強引な軽さが嘘のように、穏やかな――深い静けさを称えている。
「今は踊ろう」
「………」
 人々が、歓声を上げる。
 音楽が鳴り響く。男も、手にした虹色のリュートを奏で始めた。
 踊り子がステップを踏み、人々もそれを皮切りに、踊り始める。
 舞台から、周囲へ、そして広場全体へ。
 まるで、そこに集った人々が、一つになって踊り始めたようですら、あった。
「…」
 踊り狂う人々の真ん中で、ティナはぽつんと立っていた。
 そんな場合じゃないはずなのに――思いながら、この場の熱気を受け流して、ここを抜け出してしまうことも、ティナにはできなかった。
(仕方、ないわね…)
 半ば言い訳するように、ティナはため息をついて、呼吸を整えた。

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