Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 本心
* * *
 七君主の元から逃げ出して、その男と出会った。
 しばらく共に行動して、剣の使い方だけでなく、生きる術のようなものも、不本意ながら学んだ。
 どこで別れたかは覚えていない。
 ただ、その存在は、強い太陽にさらされた影絵がくっきりと地面に痕を残すように、脳裏に焼きついていた。
 名前は知らない。
 こちらに名乗る名前はなかったし、相手も名乗らなかった。
 だから、彼の知る人物達の中で、唯一呼ぶべき名前を持っていない。
 軽薄なアクアヴェイル人。


「お久しぶりじゃん、名無し君〜っ! すっかり立派になっちゃって。旅の途中で別れちゃうからおにーさん心配してたのよー。かれこれまー5年くらい経つのかねっ。それがこーんなところで会っちゃうなんてね! 本当に懐かしいよね。あはははは」
 ベッドの上に上体を起こし、憮然と腕を組んだカイオス・レリュードと、その傍らにたち、頭の羽をふさふさと揺らしながら、にこにこ笑うアクアヴェイル人の男。
 二人で話があるからと、ティナが出て行ったまさにその瞬間から、羽男の口はよどみなく回り始めた。『口から生まれてきた』という言葉は、まさに彼にあるといっても過言ではないのだろう。
「んでもさー、びっくりしたよ。君があんなかわいい女の子連れてるなんてさ! おにーさんは、安心した! 大層安心したよ青年! 自分の身を挺して女の子助けてあげるなんて、ものすごく男が上がったじゃない!」
 いつ息を吸うつもりなのだろうか。流れる言葉が、果てしなくよどみない。
 カイオス・レリュードは、『試みる』ということに関して、決して消極的な人間ではなかったが、間違っても無駄な努力はしない性格だった。ので、話が途切れるまでおとなしく口を閉じていた。
「…ん? やけに静かだねぇ、名無し君」
 手足身体を動かさないと、どうにも『話』ができないらしい。
 大げさな身振りでくねっと振り返った男に、カイオスは淡々と確認した。
「話は以上でいいか」
「うん、いいよ」
「じゃあ、今すぐ消えろ」
「!!」
 予想通り、男は頭を抱えた――比ゆ的な表現ではなく、天を仰ぎながら、実際に。
「ひどい――! それ、仮にも師匠に向かっていう言葉かな!? 言葉は人を傷つけるものじゃありません!」
「言葉は人を不愉快にするものでもないと思うが」
「誰がいつ不愉快になったのさ」
「俺が今不愉快になっている」
「!?」
 羽男は、信じられない、という表情を愕然とした体で浮かべた後に、へなへなと床に崩れ落ちた。
「ガーン」
 驚くべきことに、擬音が人間の口から発せられた。
 しかも、これが自分と10程離れているはずの、いい大人の男の口からほとばしっているのだから、手に負えない。
「………」
 すっかり白く果ててしまった男は、悲しみが極まったのか、しくしくと泣き出してしまった。
 カイオスは、あきれ果てた視線をひたすら飛ばす以外に反応のしようがない。もしも負傷した足が自由になるのであれば、蹴り倒してさっさと自身の目的――白の学院に、神剣とストラジェスの神具のことを調べに行く――を果たしに行けるのだが。
「ひどい…せっかく…オレ…」
 涙に暮れた言葉の端々から、鼻水をすする音と共に、途切れ途切れに声が漏れる。
「素敵な名前までもらって、一国を任されるくらい立派になった君に――外交上役に立つ素敵な情報をプレゼントしようと思ってたのに…」
「………」
 カイオス・レリュードは、改めて、相手を見た。
 相手も、うつむいて顔を覆う髪の間から、こちらをじっと見つめていた。
 彼は、背中を震わせてしゃくりあげていたが、目は泣いていなかった。
 過去――『どうすればいい』とカイオスに問うた真剣な眼差しをしていた。
「…知っていたのか」
「おんやー、オレのこと、誰だと思ってるの!」
 突然すくっと立ち上がって、胸を張る。
 だが、泣いていた余韻でくすんくすん言っているので、いまいち様になっていない。
 ――その一方で、どこまでも視線は冷めていた。
 対象を捉えて、放さない目。
 感情と思考が、乖離しているのか。
 道化者の皮をかぶって、中に潜む人形師は、完璧に理性を保っている。
 漠然と、カイオスは思った。
(こんな男だったのか…)
 それは、数年前の自分には見抜けなかった、その男の本質を目の当たりにする感覚だった。
「言わなかったっけ? 君とシェーレンで会った時も、『任務』の途中だった、ってさ。まあ、今は国を追われて自由の身なんだけど、個人的に気になることがあってねー。祭り見物がてら、ちょっとこの街に寄り付いたってわけ」
「…」
「名無し君にとっては、微妙な人間かも知れない」
 男は立ち上がって、背をかがめた。
 さっきのくだらない前置きはなんだったのか。
 光と影がくっきりと地面に陰影を落とすように。
 男の態度は、最初部屋に入ってきたときと、真逆に、冷たく鋭く、澄み渡っていた。
 ベッドに上体を起こしたカイオス・レリュードに、男の影が落ちる。
「ある男が、この街に来ている。彼の名は――『ケイン・カーティス・アクアヴェイル』」
「…ケイン」
「そう」
 男は、面白がっているようだった。一方で、悲しがっているようだった。
「ここに来る前、彼はシェーレンを訪れている。現アクアヴェイル国王が――自らシェーレンを訪ねた。ルーラとも、密書をやり取りしているみたいじゃない。これが『何を意味する』か。『君』なら、分かるよね?」
 カイオス・レリュード、とその口が呟く。
 男の背に隠れ、こちらに落ちる影は、あたかも『ミルガウス』に落ちる陰影を暗示しているように、彼には感じられた。


「えっと…あなたは…」
 ティナがその少年の姿を見止めて驚いたのと同じように、少年のほうも、ティナの存在に驚いたらしい。
 とっさに声を掛けてから、自分が相手のことを、『アクアヴェイル国王の側近』で、『カイオス・レリュードの弟』としか聞いていないことに思い当たり、呼ぶべき名前を知らないどころか、間違っても自分から声を掛けていい人間ではないことに思い至った。
 普段、カイオスやアベルやアルフェリア――普通だったら、まともに顔を合わせて話もできないような身分の人間たちと、普通にそういった『壁』を感じず接しているので――自分と相手の距離を認識できずに、気安く話しかけてしまったが…。
「あなたは、さきほどカイオス・レリュード殿と一緒にいた方ですね?」
 憔悴したような顔をした少年は、ティナのそんな態度に違和感を感じる余裕すらないようだった。
 ひたむきな目で、こちらを見つめている。
「その…あの…先ほど…広場のほうで…事故があったと…」
 こちらを見る目は、強い光を宿しているのに、それが葛藤するように、ゆらゆらと揺れている。
 まるで、この場にいることが『許されないこと』だと感じながら――それでも、何かに突き動かされて『ここ』にいる――そんな迷いを感じさせた。
「その…私がこのような差し出がましいことをするのは、相手にとっては不愉快にあたるかとも思ったのですが、…どのような容態か…気になって…」
(まじめな子なのかしら…)
 自分の行動が、相手に対してどんな影響を与えるのか。
 それを一つ一つ考えて言動を起こしているような感じだ。
 それは、もどかしさを感じる一方で、どこか応援したくなるような気持ちにもさせた。
 たぶん年は変わらないくらいだが、『不器用な弟を見守る姉』というのは、こんな気持ちになるかも知れない。
「手当ては終わったし、意識戻ったから大丈夫だと思うけど…なんだったら、彼に直接会っていけばいいんじゃないかしら?」
「! そのような! 私がお会いしても、きっとご迷惑になるだけで…」
 どこか寛容な気持ちでそっと差し出すように告げると、少年は滅相も無いといった調子で、両手をぶんぶん振る。
 その必死な様子に、ティナはついに噴き出してしまった。
「あの…」
「そんな、気にしなくても、だいじょーぶだと思うわよ」
「は、はあ…」
「案内するわ! こっち」
 身体を翻して宿へ踏み出すと、戸惑った声が慌てたように後ろから聞こえた。
「あの、あなたは…カイオス殿とは…」
「え、私?」
 言われて始めて、ティナは自分がカイオス・レリュードの『従者』でも『家来』でもない立場の人間で――アクアヴェイル人の少年にとっては、不可思議な存在であることに、思い至った。
 迷わず、彼女は応える。
「仲間よ、彼の」
「仲間…」
 口の中で反芻した言葉を、咀嚼して理解しようとしているような響きだった。
 本当に、いちいち真面目な少年だ。
 そのとき、逆に宿の扉が開く気配がして、二つの足音が近づいてくる。
 アクアヴェイル人の少年が、ぴくりと反応した。
 はっと振り返ったティナは、そこにカイオス・レリュードと羽男がいるのを見止める。
 カイオスは、足を少し引きずっていたが、何とか歩ける状態のようだった。ほっとしながら、声を掛ける。
「話は終わったの?」
「ああ」
 言いながら、カイオス・レリュードの方も、微かに眉をひそめた。
 背後の少年が、すっと姿勢を正したのを感じて、ティナは代わりに言う。
「事故があったって聞いて、心配で来てくれたんだって」
「…それは、どうも」
 ティナの言葉を受けて、少年に差し出された言葉に、相手は正した姿勢を、さらに直立不動にのけぞらせて、ぴっと胸を張った。
 ラッパを吹き鳴らす近衛兵のようだわ、とティナはこっそり思う。
「いえ、立場をわきまえず、出すぎた真似をして、申し訳ございません。お元気な姿を拝見し、安心いたしました。それでは、私は、これで!」
 宣誓でもするように一言一言声を張り上げると、少年は『脱兎』という表現がぴったり来る素早さで、たっと走り出し、そのまま雑踏に紛れてしまった。
「…彼は、一体何しに来たんだ」
「さあ? けど、何か真面目でいいヒトよね」
「…まあ、そうだな」
 何気なく会話を重ねていると、カイオス・レリュードか突然腕を振り上げた。
「!」
 一瞬、殴られでもするのかと、身をすくませたティナは、青年の腕が差し出された先――自分の肩のほうに、恐る恐る視線をやる。
「いい加減にしろ。歩く不愉快」
「いやんっ」
 自分の肩に伸びかけた羽男の腕を、カイオスの指ががっしりとつかんでいた。
 ――何の気配も、感じなかったのに。
(いやー、さすが、カイオスの師匠って言うだけあるわ…)
 さりげなく避難しながら、ティナは的外れに感心する。
「だってだってー。二人だけで楽しそうに話してるなんて、おにーさん、さびしいんだもんー。オレのこと、忘れないで! 時々でいいから思い出して! そしてティナちゃんデートして!」
「…お前、本気で今すぐ消えろ」
「いやよ、デートなんて」
「ズーン」
 羽男は、矢で撃ち抜かれたように心臓を押さえると、そのままずるずると地面にへたり込んでしまった。
 ティナは、半ば本気で呟く。
「ねえ…アクアヴェイル人って、みんなこうなの?」
「そんなわけないだろう」
「そうね。愚問ってやつだったわね…」
「ひどい!! 追い討ち!!」
 しくしくと泣き出した羽男に、カイオスが冷静に声を掛ける。
「さっさと旅立て。そして、二度と戻ってくるな」
「鬼畜発言反対…」
 ふらりと男は立ち上がると、大きく肩を落としてため息を吐いた。
 何かを振り切るように、頭を振ると、
「やることはやるから、約束、ちゃんと果たしてよ…!」
 頬を膨らませて告げると、すばやくティナの手をとると、ちゅっと軽く口付けた。
「ひぃ…!」
「じゃね、ティナちゃん! 今度、絶対、デートしよーね!」
「だから、絶対いやよー!!」
 反射的に振りほどこうとしたときには、男は軽い身のこなしで引いている。
 ぱちんと片目を瞑った男は、渾身のティナの絶叫を、まるで『わめく子供をやさしくいなす、余裕のある大人』のような笑みを浮かべて受け止めると、軽やかにスキップしながら、そのまま去ってしまった。
「もう! 何なの、あれ!!」
 男の唇が触れたところが、くすぐったい――というより、言葉は悪いが、小さな虫が這っているかのように、むずむずする。
 指が取れるんじゃないかとほどに手を振りながら、ティナはカイオスの方を見た。
 思わず、にらむような眼光になる。
「あのヒト、ほんとにあんたの知り合い!? 何がしたいの? 女って生物だったらなんでもいいわけ!? ほんっと、信じらんない!!」
「………」
 出会ってこの方、なんだかんだと流されつつも、丸め込まれてしまった分、溜まりに溜まっていたものが一気に口をついて、急にはとまらない。
「軽すぎ! くさすぎ! きらきらしすぎ! 男のクセに、肌綺麗すぎ! もうわけわかんない!」
 語調を荒げるティナの様子を見て、カイオスは冷静に、
「一応、怒るんだな」
 と意味不明の一言を告げた。
「? あたりまえでしょ、あんな見ず知らずの男にあんなべたべたされて! そりゃ、世話にはなったわよ!? あんたが倒れたときには――」
 はっとしたように、言葉が止まった。
「…」
「あんたが、倒れたときには…何がなんだか…分からなくなって…」
 語尾が尻すぼみに消えていく。
 ティナは、急に胸の辺りがさあっと冷えてくるのを感じていた。
 カイオスが自分を庇って怪我を負ったときの衝撃を、波が砂浜に勢いよく寄せてくるように、まざまざと思い出す。
 身の置き所がないような――心がざわつくような感覚を覚えて、無意識に口走っていた。
「あ、あの…その、いまさらなんだけど…。その怪我、本当に、ごめんなさい。私…その…」
「…」
 言葉が、うまく出てこない。
 相手は、いつも通りの平静な表情で聞いている。
「その、だけど、白の学院に行くには、やっぱりあんたに居てもらった方が、いいと思うし…。も、もしね、歩き辛いんだったら、肩くらいいつでも貸すから…」
 無意識が暴走して、とんでもないことまで口走ってしまった。
 呆れるか、ため息をつくか――。まずい、ととっさに口をつぐんで下を向いたティナは、ふ、と吐息が漏れる音を聞いて、ぱっとそちらを見る。
「いいから、行くぞ」
 彼は、呆れても怒ってもいなかった。
 言葉はそっけないのに、どこか苦笑めいた表情で、カイオスは歩き出していた。
 少しぎこちないが、普段とあまり変わらない速度で歩く姿は、どんどん人ごみに吸い寄せられていく。
 一瞬、それに見とれていた自分に、ティナは気づかなかった。
「あ、待ってよ!」
 その背を追いかけることに集中することで、彼女はまたも、自分の内面から目を背けていた。
 街は今だ祭りでざわめき、溢れんばかりの人で賑わっている。
 その本心が、さまざまな日常の雑事のなかに埋もれて、紛れていくように。
 歩き出す二人の姿も、人ごみに紛れ、やがて埋没していった。

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