Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 雪降る村の記憶  
* * *
「当時、ヴェレントージェ国とアクアヴェイル公国は、永きにわたる戦争状態にあった」
 ひらひらと、極寒の地の小さな村に、雪が舞い始めた。
 その白いかけらを、イクシオンはふわりと指で受け止める。
 小さな――あまりに小さな欠片。
「たくさんの人の命が消えた。誰もが平和を望んでいた。けれど、戦争は終わらなかった」
 何が悪かったのかな、とクルスは透明な笑みで空の果てを見上げた。
 昔も今も変わらない透き通った青。
 だが、空が見下ろす下界の景色は、刻一刻と移り変わる。
「ストラジェスは、戦争を終わらせようとしたんだ。そこで、圧倒的な力を――神の御名を冠する剣を手にするため、その魔力を封じ、操ることのできる呪具を作り出した」
 悲しき英雄の、切なる願い――。
「けど、その『願い』は、強大な力に触れるうち、いつしか『欲望』へと変化した。彼は、その圧倒的な力を手にして、世界を変えようとしたんだ」
 属性の源泉、『地水火風』を制する力。
 自然を制する力は、『創世』の神にも匹敵する。
「だから、彼は倒されたんだ。不死鳥憑きの、巫女によってね」
「確かに、それは大きな事件で、悲しい悲劇だったろうね」
 精霊は、ふわふわと空を舞う雪の欠片を、手のひらであおり遊びながら、呟く。
 そのかけらを、ふっとその手に捕らえた。
 淡い色の瞳を、少年に向けて、
「だけど、解せないな。なぜそれが、『歴史が消える』ほどの事態になるんだい?」
「………」
 精霊の誰何を、クルスは微笑んで受け止めた。
 長い間そうして、ただ笑みを浮かべていた。
「実のことを言えばね。ストラジェスが、神具を作り出した動機は、戦争を終わらせる――ただ、それだけのためじゃなかったんだ」
 彼は、救いたかったんだ、とクルスは静かに告げた。
「彼は、自分にとって、とても大事な女性の命を助けたかった。神剣の力を手に入れる――それは、彼女を救おうとした結果、たどり着いた結論に過ぎない」
「『大切な、女性』」
 そうだよ、とクルスは囁いた。
「長引く戦争の原因は、天から降り立った『災い』にあるとされ、その災いを封じるため、『不死鳥憑きの巫女』を生贄にしようという動きがあった」
 愚かな、話だ。
 自分たちが起こした戦争の原因を、天の厄災のせいにし、そしてそのために一人の少女を生贄にしようとする、愚かさ。
「戦争が終われば、彼女は生贄にされずに済む。ストラジェスは、そう考えた」
「そうか。それが――」
「そうだよ」
 クルスは、笑った。
 長い間見守ってきた女性。
 相棒として、ずっと傍にいた女性。
「それが、『ティアーナ・カルナ・ティウス』――君を、闇の石版の狂気から救った、『ティナ・カルナウス』。その人だよ」
 雪が、ちらちらと舞っている。
 100年前と、現在と、変わらぬ空から、変わらぬ白さで。
「ちょっと待って。だとしたら、ストレジェスを倒した彼女は――」
 その果てを見上げながら、クルスはさびしく笑った。
「そう。彼女は、自分を助けようとして暴走した大切な男性(ひと)を、自らの力で…――殺したんだ」

 姉は、その自らの力で、恋心を抱いた男を、殺した。
 そして、暴走した。
 すべては、10年以上前――父も母も、『二人の』姉も――健在だった頃の、昔話だ。

「村人の半分が…あの事件で亡くなったんだよな。あんたや、フェイの親父やお袋…オレの両親も、そうだった」
 その部屋には、静寂が満ちていた。
 ベッドに横たわり、目を閉じて安らかな呼吸を繰り返す、混血児――フェイ。
 もう、彼は目を覚まさないかも知れない。
 その事実を知りながら、そこに生まれる感情のすべてを、平静な表情一枚に押し込めて、ただ家族を見守る混血児の村の村長、ディーン。
 そして、そんな二人を一歩引いた場所で、傍観している、自分。
 その出来事を自身の中で探る、ということは、アルフェリアにとって、鉄の箱の底に入れて、何重にも鎖を掛けて、海の底に沈めたモノを、自らの手で乱暴に引き上げていく作業を思わせた。
 それを、しまい込むのは簡単だった。
 しまい込んだことを、忘れることも、簡単だった。
 10才に満たない年齢で混血児の村を追放され、長年傭兵として世界を流れてきたアルフェリアにとっては、『生きる術を身に着ける』ことだけで、精一杯だったからだ。
 だから――ゼルリア王国で将軍の地位を拝命し、身のよりどころができて、自身に余裕が生まれる最近まで――もっと言えば、ルーラ国堕天使の聖堂で、姉ジュレスと再会するまで、その出来事は『忘れていられた』のだ。
「オレは…暴走した混血児を…いや、姉貴を、刺し殺したんだ」
 ジュレスの双子の妹。
 自分の姉。
「なぜ…」
「?」
「お前は、実の姉を刺した?」
 それは、非難でも拒絶でもない。この村に入って、始めてディーンがアルフェリアに、純粋に問い掛けた言葉だった。
 アルフェリアは苦笑した。
 当時、自分は10才。ディーンは5才程度だったか。
 そんな幼い子供は、起こった悲劇の全容を知る機会すらなく、ここまで時を重ねてきた――そして、ただひたすら、自分を憎んでいる。
 あるいは――村全体が、そうやって事実に蓋をして、『結果』のみに縛られているのかも知れない。
 自分が、その記憶を、何重にも鎖を巻いた鉄箱に入れて、記憶の海の底に沈めたように。
「こうやって話すのも、本当、久しぶりだよな、ディーン。ちょっと、お互いの身の上話でもしようか。何で、お前が王家の血を引きながら、異民族なのか。どうして、俺が、ミルガウス人でありながら、この村で生まれたのか」
 なあ、王子さま? とからかうように続けると、ぴくりと青年の頬が動いた。
 そう、本来であれば、アベルやフェイよりもずっと――王位に近い人物。
 ミルガウスの正統な血筋を継ぐもの。
「王家、か。そんなもの…」
 かみ締めるように呟く言葉を聞き流して、アルフェリアは、静かに言葉をつむぐ。
「お前の父親は、現ミルガウス国王ドゥレヴァ陛下の実兄。彼は、最も王位に近い人物だった。血筋だけでなく、人柄、能力も、すべてをほかの継承者を圧倒していた。
だが、シルヴェア王位継承権を、弟ドゥレヴァに奪われ、失意のうちに国を出た。身分を捨て何もかもなくした男に、付き従った従者はたったの二人。そのうちの一人――献身的に彼に尽くした混血児の女を妻にして、彼はこの村に落ち着いた」
「捨て去られた過去だ。父は、家族の前では、王族などではなかった」
 『ミルガウス王家の血』。
 後の事情を知っていれば、ディーンがそれを憎む理由も分かる。
「彼に従った今一人の従者、誇り高き騎士もこの村へ共に参り、そこで一生を暮らすことを決めた。それがオレの親父だ。彼もこの村で家庭を持った。お前の言うとおりだよ。彼らは、血筋や身分を捨て、この村で暮らすことを決めたんだ」
 そして、ジュレスや死んだ姉、アルフェリアやディーンが生まれ、穏やかに時は過ぎていった。
 そのとき、だった。
「シルヴェア王家から、使いが来た。フェイを時期国王に据えることが決まった、と。当時3才だったガキをそうそうたる大群が迎えに来た」
 そのくだりを聞いたディーンの肩が、びくりと動いた。
 ミルガウスの王者は、血筋で決まるものではない。
 『天啓』。
 人語を解すという千年竜のお告げにより、直系傍系、年齢等に関係なく、時期王者が定まる。
 だからこそ、ディーンの父親――ドゥレヴァの兄も、『兄』という立場でありながら、王になることができなかった。
 だからこそ、混血児の村で暮らす選択をした父親に対して、『子供を時期国王として連れて行く』と訪れた武装した使節は、ディーンの目にどう映っていたのだろうか。
「父は、反対した。大切な家族を、みすみす渡すなど…」
「ああ。しかも、その使節団も大概デカい顔して、混血児や異民族をコケにしてたからな。その頃12才だった姉貴も、道を歩いてただけなのに、虫の居所が悪かった使節団のヤツに殴られて、頭から血を流して帰ってきた」
 私が混血児だから、仕方ないの? そう問われたアルフェリアの父は、言葉を発することもできず、娘を抱きしめるしかなかった。
 アルフェリアは、黒髪黒目――父親の容姿を継いだために、混血児の村では、はっきりと表面に出されないものの、確実に『異端者』だった。
 だが、黒髪黒目の人間たちにとっては、混血児こそが『異端』であることを、そして、混血児たちも、それを甘んじて受け入れざるを得ない立場でしかないことを、彼はこのとき始めて知った。
 父親も、おそらく怒りに煮えていたことだろう。
 かつての同輩が、現在の同輩を――自らの娘を、我が物顔で害する現実を。
「そんな姉貴を慰めたのが、使節団を村に導いた行商人の若い男だった。ヤツは、姉貴が外を歩くときは常に一緒に歩いて使節団から守ってくれた。行商人のほうも、使節団のやってることに、腹立ててたみたいだったな。兄貴が妹を守る感覚だったんだろうが――姉貴のほうは、それだけじゃなかったみたいだった」
 村の外の人間でありながら、混血児であることを差別せず、守ってくれる存在――。
「男には、故郷に家族が――娘がいるって聞いた。ちょうど3つになるころだって言ってたかな」
 叶わない、小さな恋。
 そのひそやかな思いは、使節団が村を去ると同時に、淡く消え去ってしまうはずだった。
「覚えてるか? フェイが、時期シルヴェア王子として、村を去る日のことだよ。オレは見てないけど、伝説の『不死鳥憑きの巫女』ってヤツも、駆けつけたらしいな? 時期シルヴェアの国王の、新たな門出を祝うために」
 ディーンは、背中で首肯した。
 眠るフェイを見つめる眼差しは、どんな色をしているのだろうか。
「その日、使節団を送り出すその最中、姉貴が一人村はずれに行くのが見えた。何気なく付いていったら、そこには、行商人の男がいた」
 小さな少女と若い青年の、切ない別れ。
 そっとしておこうと思って、踵を返しかけたアルフェリアの耳に、姉の悲痛な悲鳴が突き刺さった。
 始めて、続きを語るアルフェリアの声が、震えた。
「男は、懇意になった姉貴の――混血児の藍色の目を、刃物で抉り出したんだ」
「………」
 ディーンの背中が振り返って、異民族の碧色の瞳が、アルフェリアを見た。
 そこに宿る光は、信じられないという驚愕と、ふざけるなという怒り。
「馬鹿な…」
「ああ、馬鹿な迷信だ。『混血児の目は、万病に効く』『混血児の生き胆は、あらゆる病を治す』」
 行商人の娘は、何かしら病気を患っていたらしい。
 それを治したい。その一心で、姉に近づいた。
「仕方ないじゃないかって、言ったんだ、そいつ」
 記憶の海に沈めたモノが、ゆっくりと浮上してくる。
 鎖で縛り、何重にも封印し、それでも決してなくならない、悪夢のような記憶。
「自分の娘を助けるためには、混血児なんてどうなってもいいじゃないかってさ。正直、ぞっとした。どっちが『化け物』かってな」
 目に傷を負った姉は、それを聞いて混血児としての力を暴走させた。
 混血児の感情解放――それは、10才そこそこの少女が、自らを律するには大きすぎる衝撃だった。
 淡雪が、日の光に一瞬で溶かされてしまうように、行商人はその魔力の前に、一瞬で溶け消えた。
 アルフェリアは木陰にいて、その直撃を免れた。
 だが、吹き付ける熱波が木の幹を削り、熱い波動は、獰猛な牙となって、少年の肌をちりちりと焦がした。
「彼女は、完全に我を失くしていた。オレには、どうしようもできなかった。だから」
 道を踏み外した人間に、自らが掛けた言葉。
 それは、姉を傷つけた行商人以上に、冷たい、拒絶。
「当時――村の外れには何が祀ってあったか――知ってるよな」
「まさか」
「そう。この村は『強大な力の守り人』の役割を負わされていた。強大な力――『土の神剣』」
 アルフェリアは、とっさに神剣を――地面に深く突き立っていた、その剣を、渾身の力で引き抜いた。
 剣は、抜けた。
 封印が施してあったはずの神具は、アルフェリアの手の中で、かすかに輝いていた。
 その力を握り締め、少年は姉と対峙した。
 強大な熱波を前にしながら、神剣の力のせいか――彼の周囲は、燃やされることなく、淡い光が彼を守っていた。
「『くたばれ、化け物』。そう言って、オレは姉貴を刺し殺した」
 始めて、人を、殺した感覚だった。
 化け物――その言葉を、彼は二人の人間に叩きつけた。
 行商人の男と、実の姉。
 そんな姉に、獣のように立ち向かった自分。
「どっちが、『化け物』かって、話だよな。だが、悲劇はそれだけじゃ終わらなかった。
強い力は、強い力を引き寄せる――特に、この地に眠る神剣は、強大な力の封印の要だった。
暗黒の力――七君主にも匹敵する黒き竜が、神剣が引き抜かれたことにより暴走して――、結果、ディーン、お前の両親や、オレの両親――村人の半数以上が、亡くなったんだ」
 黒き竜は、村を訪れていた不死鳥憑きの巫女のおかげで沈静し、神剣は再びいずこかへ眠りについた。
 だが、アルフェリアは、その一切を直接は知らない。
 神剣を手にし、姉を貫いた後、意識を失って、目が覚めたら三日経っていた。
 そして、その翌日には、村を追い出された。
「………」
 ディーンは、碧色の目で、じっとこちらを見つめていた。
 その光から、『憎しみ』『侮蔑』の部分が、いつの間にか抜け落ちていることに、アルフェリアは気づいた。
 『真実』を知れば、村人のアルフェリアへの態度も軟化するだろう。
 だが、それが起こったことに対する慰めになるわけではない。
 小さく、苦笑した。
「オレが神剣を使って、人を殺したのは、事実。神剣を引き抜いたせいで、村が壊滅したのも事実だよ。だから、オレはこの村にとっては厄災者でいいんだ」
 けどな、と続ける。
「もしも『土の神剣』のせいで、フェイが目覚めないんだとしたら――もう一度神剣と向き合わないといけないとしたら――ちょっと、自信がねぇかな」
「………」
 ディーンは、すぐに何も言葉を返さなかった。
 やがて、呟いた。
「神剣は、誰もが扱えるものではない。もしも、その一瞬だけでも、神剣がお前を所有者と認めたのであれば…」
 その先は、語られなかった。
 それでも、アルフェリアには、言わんとしていることが、感じられた。
 もしも、神剣が認めた所有者が、『アルフェリア』なのだとすれば、現在、風の属性継承者を害している存在をどうにかできるのは、アルフェリアである可能性が、一番高い、ということだ。
「まあ、あの時は、火事場のバカ力というか…。どうして神剣がオレに応えたのか、今でも分からないんだ。ただ、オレが神剣を手にした結果、――たくさんの人が、死んだ。だから、カイオスとティナが、別の方法を見つけてきて――それが、より危険性の低いものであるなら、それを選んだ方がいい――そう、思ってる」
 だから、ぎりぎりまで待った方がいい。
 いい訳じみた逃げの言葉に、ディーンは何も言葉を返さなかった。
 ただ二人の間を、静かな静寂が深深と満たしていく。
「そういえば…」
 アルフェリアは、実はこの村に入ってから――もっと言えば、フェイが『同郷の人間』だと知ったときから――近所の子供同士、遊んだ記憶と照らし合わせて、腑に落ちない部分があること――そして、ディーンもまた、その疑問を共有していることを期待しつつ、話題を変えた。
「フェイってさ、その…オレの記憶が正しければ、『王子』じゃなかったよーな、気がするんだが」
「………」
 そこんとこどうなの、と軽く投げた言葉に、はあ、と異民族はため息をついた。
 アルフェリアよりも、若い顔が、苦渋に沈んでいる。
「どうして、俺もこんなことになったのか、皆目分からない」
「あ、やっぱり」
 『そうではないか』と思っていたことがやはり的中し、やれやれ、とアルフェリアは肩を竦めた。
 そういえば、ともう一つ気になったことがあって、彼は視線を上げる。
「お前、もう一人、兄弟いたよな? フェイの他に」
「…ああ」
「弟――確か…」
 フェイと双子の、泣き虫だった子供。
 一瞬記憶の探索に手間取ったアルフェリアは、背後の気配に気づくのが一瞬遅れた。
「ウェイ」
 女の声が、した。
「!?」
「…」
 アルフェリアと、ディーン。二人の視線が、そこに向かう。
「久しぶりね」
 そこにいたのは、異民族の風体をした、一人の女。
 アルフェリアは、建物の中から出られない身であるが、村人ではないことは一瞬で見抜いた。そして、その容貌が、ルーラ国堕天使の聖堂で出会った、ジュレスの連れと同じものであることも。
 ディーンの方も、何か感づいたらしい。息を呑んで、
「まさか…」
「うそ…だろ」
 呆然と呟いた男たちの驚愕を受け流すように、その『少女』はにっこりと微笑んだ。

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