「ストラジェス…」
白の学院の正門は、黒々として人で溢れている。
その中で、ティナは、その人物から目が離せなかった。
実体があるようで、つかませない。
掴もうとするその先から、印象が、ふわふわと手をすり抜けていく――
「…っ」
思わず、駆け寄って、その実体触れようとした、その身体が、がくんと引き戻された。
「!?」
「何やってるんだ、お前」
ティナの腕を、カイオスが掴んでいる。
はっとしたティナが、思わずそちらを振り向くと、カイオス・レリュードはため息交じりに視線を、その人物へと向けなおした。ティナが何か言うよりも早く、青年は雑踏に紛れるほど低い声音で、ぼそりと告げた。
「アクアヴェイル国王だ」
「え?」
「これでエミアスが――アクアヴェイル国王の側近が、こんな街中を走り回っていた理由が、はっきりしたな」
先ほど偶然出会った、生真面目そうな少年――カイオス・レリュードの弟。
彼は、仕える主――つまり、今ティナたちの眼前にいる国王を、探し回っていたのだろう。
それにしてもどうして、アクアヴェイルの王様が、こんなところにいるんだろう。
そう思いながら、改めてそちらを見たティナは、思わずぱちぱちと瞬いた。
「あれ?」
『輪郭がつかめない』感覚。
それが、綺麗に消えている。
そこにいるのは、柔和な雰囲気をまとった、誠実そうな――言葉を選ばず表現するならば、地味で目立たない――『普通の好青年』だ。
「………」
彼は、明らかにこちらに気づいていながら、近づいてくるわけでもなく、言葉を掛けるわけでもなかった。
カイオス・レリュードが、儀礼的に目礼し、一歩踏み出そうとする。
それを静かに手のひらを見せて制すると、彼は身を翻して、雑踏の中に消えていった。
「詮索するな、ってこと?」
「だろうな」
ここで会ったことは、『なかったことに』。
そういうことなのだろう。
ティナは、ほっと息をついた。
『あるようで、ない』。
あの感じは、何だったのだろうか?
「で、『ストラジェス』って、何なんだ?」
「え?」
「お前、アクアヴェイル国王を見て、そう言っただろ」
「………」
ティナは、はっと自身の口元を押さえた。
『ストラジェス』。
それは、神剣の封印を施した人物の名だ。
「何でだか…彼を見たとき、一瞬『印象が捉えられない』感じがして」
「…」
「とっさに浮かんだのよ…。実は、あの広場でも、同じような感じがしたの。その直後に柱が倒れて事故になって…それどころじゃなくなっちゃったんだけど」
「そうか」
失くした記憶と関係あるのかもな、とだけカイオスは呟いた。
「そうね…。今から、白の学院で古代のことを調べれば、はっきりするかしら」
「だと、いいけどな」
行くか、と投げかけられた言葉に、ティナは悄然と頷いた。
白の学院。
歴史の重みを沈黙のうちに語る、しかし芸術的に優美な細工を施された正門を、恐る恐るくぐる。
「うわぁ…」
一瞬狭まる視界。
その後広がった世界に、ティナは思わず立ち止まって、感嘆の声を漏らしていた。
門の中に、小さな町があった。
道は、小さな広場を中心に三又に別れ、学生街のような住人が住む区域、白の学院本院、そして、美しい公園を有する遊歩道につながっている。
「本来は、白の学院の学生や講師しか足を踏み入れることは許されない」
カイオスが何気なく切り出して、ティナはそちらを見上げた。
「そうなの…」
「ああ。祭りの日は特別に、一般にも開放される」
「ふーん」
言いながら、人の流れを止めていることに気づき、ティナは改めて歩き出す。
当然のように、白の学院本院の学び舎の道を進もうとしたティナは、
「そっちじゃない」
「え?」
掛けられた言葉に、思わず再び足を止めた。
カイオス・レリュードは、いたって真面目に、思いがけない道を指す。
「え? そっち?」
「ああ」
そこは、三叉路の内、最も人がまだらな道――公園を有する遊歩道。
カイオスは、呆然と突っ立っているティナを視線だけで促すと、さっと歩き出す。
「あ、ちょっと!」
ティナは、慌ててその後を追った。
白の学院に照りかえる赤い夕日が、徐々に暮れかけていく。
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