Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 古代図書館  
* * *
 その建物は、緑に囲まれた庭園の中に、ひっそりと佇んでいた。
 『古代図書館』。
 緑の蔦が白い壁を彩り、赤い夕日に照らされて優しく映えている。
 祭りの喧騒が、微か遠くから漂ってくるが、閑散としたこの場所には、ティナとカイオス、二人以外の人間の姿は見当たらなかった。
 さやさやと緑が優しく揺れる中で、清涼な水の音が聞こえる。
「噴水?」
 音源を探してティナは建物の側面を覗き込んだ。
 噴水――というほど大掛かりなものではないが、湧き水がこんこんとあふれ出している小さな水場がある。
 底がどこまでも蒼く透き通って見えるのに、手の届かないほど遠くに見えた。
 覗き込んでいると、くらくらとめまいがしそうになる。
「底なし沼」
「え?」
 声を掛けられて振り向いた先で、カイオスは建物の扉に手をかけている。
「昔、誤って足を滑らせて落ちた学生がいたらしい。彼は浮かんでこなかった。二度と」
「う…うそ」
「学院だの学校だの言う場所には、大体この手の話が付きものだけどな」
 行くぞ、と声をかけ、青年は扉をくぐる。
「あ、ちょっと!」
 慌てて後を追って、ティナはその建物に足を踏み入れた。
(あ…)
 背後で、扉の閉まる音がする。
 外界の音、風の音や空気のざわめき、そういったものが、すっと遠のいた。
 古びた紙のにおい。静謐な沈黙に包まれた、時間の重みが、彼女の呼吸を無意識に抑える。
「すごい…」
 玄関ホールは吹き抜けで、顔を上げれば天井までの階層が一目で視界に入る。
 五階から成る建物は、見渡す限り本がぎっちりと並べられ、『本の貯蔵庫』といった表現がしっくりくる。
「おや、珍しい。祭りの日にお客さんとは」
「わ!」
 突然声を掛けられ、ティナは驚いて振り返った。
 ティナの腰ほどの背丈しかない老人が、いつの間にか背後に立っている。
 身体はローブで覆われ、ぶかぶかの帽子をかぶった顔は、灰色の眉毛と口ひげで目や口がまったく見えなかった。
(きこりのおじいさん?)
 人間というより、妖精とか小人とか、そんな種族に入りそうな気がする。
「地下一階を閲覧したい」
 カイオスが申し出ると、ふむ、とおじいさんは頷いた。
 ローブの裾に手を入れ、じゃらじゃらとした鍵の束を取り出す。
「ほい、これが鍵ですじゃ。お気をつけて」
「ありがとう」
 鍵束を受け取った青年に促され、閑散とした図書館を歩き出してから、ティナはこっそりとカイオスに聞いてみた。
「今の人、人間?」
「さあな」
「さあって…」
 人間かどうか分からないモノが、何でこんなところで鍵番…のようなことをしているのか。
「彼は司書――いわば、この図書館の番人のようなものらしい。真偽は分からないが、何百年も前から、同じ人間が鍵番をしているそうだ。彼の鍵がないまま建物をうろついた場合、迷って永遠に抜け出せなくなるとか」
「…へ、へえ?」
「まあお前の場合、鍵があってもなくても、同じ結果なんだろーけどな」
「な!」
 一瞬腹が立って、何よと言いかけるが、『悪口を言われた』のではなく、『からかわれた』のだと気づいて、ティナは動揺した。――そして、動揺した自分に、狼狽した。
「ってか…そんなに必要なの? 鍵」
「ああ」
 動揺を隠すために、話題を変える。
 地下一階を閲覧するため、と渡された鍵の束は、どう見ても20から30くらいはある。
 目的の部屋にたどり着くために、どれほどの扉をくぐらなければならないのか、とうんざりしたティナは、何気なく続いた言葉に、息を呑んだ。
「扉は一つ。問題が書かれていて、正解の鍵を使って開ける。間違えば、永遠に図書館に閉じ込められる」
「えぇ!?」
「まあ、内容の方は大方歴史だの文化だのに関することだろうから、何とかなるだろう」
 カイオスは涼しい顔をしているが、ティナは急に不安になってきた。
 この『古代図書館』というのは、ティナが思っていたものと、まったく違うモノのようだ。
 彼女自身は――なんとなく、図書館というのは本がたくさん並んでいて、その中から大空白時代や、神剣、不死鳥憑きの巫女に関する書物を見つけ、その知識を調べればいいのだと、勝手に思っていた。
 今となっては、古代図書館の周囲に人が少なかったわけも、入った図書館の中にティナたち以外の人間の姿が見られないのも、簡単に納得できる。
 要は、相当の知識を持った者でないと、本を見ることはおろか、二度と『日の目を見ることができない』事態に陥るということか。
 こんな図書館、普通入りたくない。
「ここ、使う人、いるの?」
 半ば無意識に口から出た言葉に、青年は微かに苦笑したようだった。
「この学院の、主席学生くらいなんじゃないか?」
「主席…?」
「少し前で言うと、俗に言う三賢者…ジーク・F・ドゥラン、バティーダ・ホーウェルン、ダグラス・セントア・ブルグレア。最近だと、ダルス・レーウィン――ミルガウスの左大臣補佐とかな。彼の、特に法律に関する知識には、比肩できる者がいない。ミルガウスだけじゃなく――世界中で」
「ふーん」
 頷きながら、ティナは内心不思議な違和感を覚えた。
 カイオス・レリュードが、ここまで他人の能力を言葉に出して認めているのを、始めて聞く。
 『ミルガウスの左大臣補佐』というなら、まさに眼前の青年の補佐役ということなのだろうが、それを語るカイオスは全く誇らしげでも、信頼を置いている様子でもない。
(何か事情でもあるのかしら)
 思いながら、結局当たり障りのない言葉に逃げる。
「なんか…そうそうたる面子って感じ?」
「国の官僚になるような連中は、この学院に多かれ少なかれ世話にはなるな。普通」
 何気なく聞いていて、ティナはふと別の疑問を持った。
「じゃあ、あんたもここの学生だったの?」
「違うな」
「へー。何か意外ね〜」
 別に他意があったわけではないが、それに応えるカイオスのほうは、すぐに言葉を返さなかった。
 彼が口を開きかけたとき、二人の目の前には、荘厳な扉があった。
 石造りの門。
 その向こうには地下に続く階段が口を開けているのだろう――だが、続く通路を、まるで封印するように立ちふさがった門扉に、ティナは思わず息を呑む。
「なに、この…意地でも通してやるかみたいな扉は」
「古代語か…」
 一方で、カイオスは微かに眉をひそめた。
 扉には、記号と文字が入り混じったような、不可思議な紋様が掘り込まれている。
 文字に取り囲まれるようにして、小さな鍵穴が空いていた。
 これが、扉を通るための『問題』というやつか。30ある鍵のうちから、正しい鍵を使って開けなければならない。
「約100年から120年前の言語だろうな。シルヴェアの前朝――ソエラ朝の歴史…に関することか」
「読めるの?」
「…大意は何とか。正確な内容となると、資料がいるな…。最悪、戻って引き返すか」
「ふーん」
 ティナの目には、どう見ても『意味不明な記号』としか見えない。
 そこから、意味ある文章の断片を取り出し、時代や内容を絞り込むことができるとは、さすが、というところなのか。
(まったくもって、何書いてあるか、分かんないっての…)
 思いながら、まじまじとティナは石碑を見つめた。
(大体、ソエラ朝とか、ヴェレントージェとか、二度目の天地大戦の兆しがどーとか。こんなの私に分かるわけ………あれ?)
 ティナは、そっと隣の青年を盗み見た。
 相手は、彼女の視線に気づかず、真剣に解読作業に没頭しているようだ。
 ――つまり、カイオス・レリュードには、自分のようには、この文字は読めていない。
「あれ?」
 ティナは、声に出して驚いてみた。
「何だよ」
 目を細めてこちらを振り返った青年を、ティナはまじまじと見返す。
 自身でも、半信半疑のまま。
「これ…ひょっとして、読めるかも知れない」
「………は?」


「何か…頭を使うことで、始めて役に立った気がするわ、私!」
 石段を、とんとんと下りながら、ティナは心から自分に感動していた。
 カイオス・レリュードすら、解読に手間取る扉の文章を、すらすらと読み解いてしまったのだ。
 ――といっても、解いた言葉は、意味不明の難解な内容で、ティナが棒読みで伝える内容を、実際に読解して『正解』を導き出したのはカイオスだったが。
「………」
 その青年は、駆け出す勢いで石段を下るティナの後方を、一段一段下ってくる。
 そういえば、彼は怪我をしていたのだった。
 失念していた自分を呪いながら、どこか思案深げに視線を落として石段を下る、カイオス・レリュードを待つ。
「足が痛むの?」
「ああ、いや…」
 青年が追いつくのを待って投げかけた言葉に、カイオスはあいまいに答えた。
 回廊を照らすろうそくが、じじ、と揺れる。
 並んで歩きながら、しばらく沈黙があって、彼は口を開いた。
「バティーダ様…――、前ミルガウス左大臣に、聞いたことがあるんだが…。古代図書館の地下には、無数の部屋があるらしい」
「え、扉は一つなのに?」
「ああ」
「…」
「扉は、それを開ける人間の知識に応じた部屋の通路を開く。求める知識が違えば、扉が問う内容も違う。
――今回は、こちらが『神剣』や『ストラジェス』についての知識を求めたから、扉もその当時の言語で、その当時の歴史を問いかけた」
「うん」
「だからこの通路は、神剣やストラジェスに関わる本を収めた部屋に通じているはずだ」
 聞けば聞くほどに、不思議な図書館だ。
 しかし、彼は何を言いたいのだろうか。
「たとえ、扉の問いかける内容をある程度理解して、『正解』を導いたとしても、それが『正確』な内容を得て導き出したものでなければ、扉はその理解度に応じて、導く部屋を変える。あるいは…たどり着いた部屋の資料は、櫛の歯が欠けるように、得たい知識の資料が欠落している」
「つまり…、『たまたま』正解の鍵を選んだとしても、望みどおりの知識が得られる部屋じゃなくて、全然そういう資料がない部屋への通路が開いたり、行った部屋の本が、ほとんど使い物にならないものだったりするってこと?」
「ああ」
「………」
 本当に意味不明な図書館だ。どんな仕組みになってるのか、全然分からない
 本当は、とカイオスが続けて、ティナは意識をそちらに戻した。
 青年は本気で考え込んでいるような表情で、続けた。
「人の手によって残された資料には、『認識の違い』――要は、間違いがある。だが、古代図書館の資料に、そういった『間違い』はない。すべて、『真実』が記されている。本当は、神剣のことも、ストラジェスのことも、――こちらが持っている知識を補完できる――もっと言えば、フェイが目覚めるきっかけでも得られればと、思ってたんだけどな」
「うん」
 確かに、仲間の中で、あんな門扉の言葉を読めるだけの知識がある、といったらカイオスくらいのものだろう。
 その彼も、『すべてを正確に読み取る』ことはできなかった。
 今ある知識に応じた資料をあたり、そこから副船長が目覚めない原因――神剣やストラジェスのことを当たる。
 それが今回の目的だったんだな、と分かる。
「だが、今回は――」
「私が、全部読んじゃったわよねぇ? 合ってるかどーかは分かんないけど」
「合ってるだろう。扉が開いたんだから」
「んー、そうかもなんだけど、よく分からない内容だったわよ? ヴェレントージェの女王がどーとか、第二次天地大戦がどーとか」
「………」
 カイオスは、逡巡したそぶりを見せたが、沈黙は長くなかった。
「俺の知る限り、『ヴェレントージェ』という王朝が開いた『記録』は、見たことも聞いたこともない。その歴史は100年前のミルガウスのことを問うたものだったが、過去、ミルガウスの王朝に『女王』が立ったことは、一度もない」
「え?」
「同じく、第二次天地大戦も。『第一次天地大戦』の資料はアレントゥム自由市の光と闇の陵墓を筆頭に多数存在するが、『第二次天地大戦』という名前の戦争が起こった記録は、ない」
「そう…なんだ」
「だが、過去100年にさかのぼった一定の時期に、不可思議な遺跡や資料の欠落時期が存在する。俗に言う『大空白時代』だ」
「ということは…」
 そこまで言われれば、ティナもなんとなく分かった。
 現在の歴史に存在しない言葉。
 『ヴェレントージェ』も、『女王』も、『第二次天地大戦』も。
 すべてその『大空白時代』に存在したものだとしたら。
「何か…大事になってきたわね」
「………お前、分かってないのか?」
「え?」
 どこか呆れるような調子でこちらを見た、青の目が意味深い。
「お前が無意識に読んだ扉の文字も、大空白時代前後のものだと考えられる」
「あ…」
 どきん、と鼓動が揺れた。
 そうか、ではその時期の文字が読める自分は、『何者』なんだろうか?
「古代図書館の地下にある部屋は、長年いろんな人間が探索を試みてきたが、すべての部屋が解明されたわけじゃない。特に、大空白時代の遺物について求める人間は多かったが、誰一人として辿りつけなかった。あの扉の文字から、『ヴェレントージェ』と読みとける人間が、今まで存在しなかったからな」
「じゃあ、この通路は」
「今まで誰も踏み入れたことのない、大空白時代のことが収められている――もっと言えば、お前の『過去』を明かすような部屋である可能性が高い」
「………」
 長い話の終わりに、長い石段の終わりも見えてきた。
 下方、光が点のように見え、徐々に大きく膨らみ始める。
 蝋燭の薄暗がりを煌々と照らす眩しい光。
 その光に飲み込まれ、息を殺した瞬間、さっと開けた視界の中に、一人の人間が立っていた。

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