Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 属性継承者、二人  
* * *
 実のことを言えばね。ストラジェスが、神具を作り出した動機は、戦争を終わらせる――ただ、それだけのためじゃなかったんだ。
 戦争が終われば、『彼女』は生贄にされずに済む。
 彼は――そう考えた。


 『彼女』は、視線を上げた。
 真っ暗闇。
 静寂に包まれた、森の中。
 ――ここはどこだ?
 問いかける声が、頭の中の空洞に、幾重にもこだましていく。
「わたしは――」
 記憶を辿っても、自分が何者で、どうして『ここ』にいるのか、その記憶が一切湧き上がってこない。
 周囲をめぐらせても、誰もいない。
 『ひとりぼっち』。
 その事実が、重くのしかかってくる。

 ――わたしは、誰だ?

 深深と、染み渡る、孤独。
 不安がのしかかり、心を押しつぶしていく。
 その時。
「おねーさん」
 彼女に手を差し伸べてくれた、一人の少年。
「オレは、クルスっていうんだよ」
 ふさふさの髪。深い深淵を思わせる黒い瞳。
「おねーさんの、名前は?」
 こちらを見つめる少年。
 堕天使の聖堂。
 時を超越する力を持つというその場所で、彼女に手を差し伸べてくれた人。
 それが、『ティナ・カルナウス』の、初めての記憶。



 ――時は、さかのぼる。


 何年も、何十年も、ずっとその塔に閉じ込められていた。
 不死鳥を祭る村の巫女。
 絶対神が作り出した最初の存在が一、時の女神ノニエルの半身。
 彼女は、その精霊が現世に君臨するための扉。
 強大な力は、人を狂わせる。よって、封じられなければならない。
 
 扉は閉ざされなければならない。

 その村の長老たちは、そう結論付けた。
 だから、精霊は彼女の身体ごと封じられ、その塔で、終わらない時を過ごす。
 封印の結界として。

 彼女が塔を出ることが許されるのは、定められた儀式のときの他は、世界に災いをもたらすという、黒き竜の出現を予知し、その被害を鎮めるために不死鳥を召喚するときだけだ。
 だから、わずかな機会を除いて、彼女には外の景色を見ることは許されていなかった。
 村の人間は、そんな彼女を忌避していた。
 災厄の魔女。そのように呼ばれることもあった。
 だが彼女には、その出来事はあまりに些細な小事に過ぎなかった。
 彼女には、『不死の力』があった。
 老いず、死なず。
 だから、塔の外で彼女を罵倒した村の少年が、老人になり、やがて死んでいくその長い時間を過ごすうちに、どこか空虚な悟りの境地へとたどり着いていた。
 所詮、この身に起こることは、一時の夢に過ぎないのだと。
 音もない、色もない、灰色の夢。
 だが。
 彼女の長い時の中で、一人だけ忘れられない『色』をもった存在が居た。
 それは、行商人の青年だった。
 彼は、不死鳥を祭る村に物資を売買に来る際には、必ず彼女のいる塔に毎日立ち寄って、色々な国や村の話をしてくれた。
 彼の話すその内容は、限られたときにしか塔を出ることを許されない彼女の耳に、色鮮やかな御伽噺として、長い間残った。
 彼が訪れるときだけは、世界は彩りに溢れていた。
 その最中、彼女は一つの『予知夢』を見た。
 世界が終わる夢。
 不死鳥憑きの巫女は、不死鳥の示す未来を『視る』。
 大地は水で洗われ、世界は混ざり合い、静寂が混沌とした波間を満たす。
 その夢を語った彼女に対し、村の長老はある決断を下した。
 不死鳥憑きの巫女を、世界を救うための生贄にする、と。
 その儀式が行われる直前、黒き竜が現れる予知夢を見た彼女は、混血児の隠れ里で、出現した黒き竜から村を救った。
 その後、白の学院のカーニバルで、災いを鎮めるための舞いを舞った。
 ――村に帰れば、待っているのは『死』だった。
 その村は。
 帰り着いた彼女の眼前で、深紅の炎に包まれていた。
 黒き竜が、彼女の不在に村を焼いたのだ。
 村は焼け焦げた。
 彼女を閉じ込めていた塔も。
 彼女を塔に閉じ込めた、長老たちも村人も。
 すべて。
 村には、運悪く行商人の青年も居た。
 彼は、彼女の腕の中で、冷たくなっていった。
 なぜ、知らせなかった、と彼女は不死鳥を問い詰めた。
 彼女の『予知夢』は、村が黒き竜に襲われる光景を、一欠けらも彼女に示さなかった、
 なぜ、知らせなかった。
 その問いに、不死鳥は応えなかった。
 ただ、激情にもてあそばれる彼女を、『時間』を超越した未来へと――『2年後の』堕天使の聖堂へと逃がした。

 すべての記憶を消し去って。



――時は、さかのぼる。


「ストラジェス…」
 彼女は、呟いた。
 向かい合った男。
 その目は、狂気に犯されていた。
 不死鳥憑きの巫女として、第二次天地大戦と呼ばれた狂った戦争の『生贄』にされそうになった自分を、ただ一人、救おうとしてくれた男性。
 世界は、戦いに侵されていた。
 水の国アクアヴェイルと、世界一の大国ヴェレントージェ国の終わらない戦争。
 きっかけは、ささいな出来事だった。
 世界一の大国ソエラ朝。
 後継者が女であったため、国の名前を変え、ヴェレントージェ王国と称した女王に対する、一部の旧ソエラ朝貴族たちの不満。
 その不満が引き起こした内紛と、それが導いた国力低下に付け込んだ列強諸国の利害が複雑に絡まりあい、各国の間に起こった争いは、長期化した。
 次々と人は死に、世界は悲しみへと包まれた。
 悲しみははけ口を求め、そのはけ口は『不死鳥』という強大な力を持った少女を生贄にすることで、収束させるという暴論を『正当化』した。
 ストラジェスは、穏便に戦争を終わらせるため、決定的な力を求めた。
 相手の国が屈せざるを得ない『絶対的な力』。
 その昔、第一次天地大戦の終結と共に、人間世界にもたらされたもの、属性魔法の根源を司る光闇の八神剣。
 『火』『水』『風』『土』。
 それぞれの属性継承者のみ操りえるその力を、ストラジェスは執拗に欲した。
 彼の執念は、やがて神剣の力を封印する呪具『ストラジェスの神具』として、具現化する。
 そのときには、男は狂気に浸されていた。
 『彼女』を救う思いは消え去り――後には、ただ『力』を欲した哀れな愚者が残っていた。
 強大な力を、手中にした――

「あんたを、殺すわ。ストラジェス」
 彼女は、決意を込めた視線で、相手を貫いた。
 背後には、彼女の意思に賛同した属性継承者たちが、立ち尽くしている。
 『光闇』の二属性、そして『土水火風』の四属性。
 傍には、弟――かりそめの『巫女』として、彼女の身代わりを務めていた弟『シェキア・リアーゼ』もいた。
 強大な属性魔法の力を使い、確実にストラジェスを殺すため。
 彼らは、天と地を分断する結界の要石『光の石版』と同化し、四属性の力を完全に引き出せる『器』を手に入れた。
 そして、ついにその時は来た。

「生命の灯よりも、なお赫く 逸る血よりも、なお熱く」

 彼女は、不死鳥召喚のための詠唱を始めた。
 逃げようとしたストラジェスの退路を、属性継承者たちが断つ。
 観念したのか、悟ったのか――こちらを見たストラジェスの瞳は、茫洋としていた。
 昔、彼女が生贄にされるということに、義憤を顕に各国に働きかけを行った好青年の面影は、どこにもなかった。
 強い力は、人間を狂わせるのか。
 それとも、もともと彼が持っていた黒い本性が、『強大な力を手に入れる』という過程で露出したに過ぎないのか。

「古の長 分かたれし果て 汝の真たる名において」

 彼を、倒す。
 その決意に、揺らぎはなかった。
 『生贄』にされる運命を、ただ甘んじて受け入れていた自分を、奮い立たせてくれた存在。
 不死鳥の示すまま、ただ運命を辿ることを是としていた自分に、『自らの道を選ぶ』勇気と喜びを教えてくれた存在。

「廻り舞い散る魂の 欠片 哭きたる礎の」

 胸は、不思議と痛まなかった。
 ただ、茫洋としたむなしさが、ぽっかりと黒い穴を開けていた。
 まるで、昔の自分に、戻ったかのように。
 いや、一度その気持ちを『知ってしまった』後となっては、失くしたむなしさは、身を切り裂かれる以上に、鋭く彼女の内面を蝕んでいた。
 それでも、彼女は詠唱を続けた。

「時 掲げたる 流転の女神」

 ストラジェスが、最後の抵抗と神剣の魔力を解放する。
 数に勝る属性継承者たちが、渾身の力で抑え込む。
 地に叩きつけられ、頭から血を流しながらこちらを見る青年の目が、ふと笑った、ような気がした。

「我ここに 汝を望む 我ここに 汝を」

 綺麗な目だ、と言ってくれた人だった。
 始めて、彼女に『喜び』や『悲しみ』を教えてくれた人だった。
 太古の昔、『ヒト』は感情を持たなかったという。
 ただ生きて、ただ死んで、ただ時を刻むだけの、空虚な『人形』。
 その人形に、『息吹』を与えてくれた。
 自らの時を自らの手で選んでいく歓びを、くれた。

「………」

 青年の瞳は、綺麗なまま、彼女をひたすらに映しつづけた。
 詠唱は不自然に途切れ、彼女は立ち尽くした。
 属性継承者たちの視線が、彼女に突き刺さる。
 彼女はその最中、自分の手で『時』を刻むことができずにいた。
 人形のように。
 ただ揺れていた。

「あ…」

 場の空気が奇妙に膠着し、弛緩する。
 その一瞬、ストラジェスの目に、忍び寄ったかのように、狂気が復活した。
 誰が止めることもできなかった。
 地面にはいつくばったまま、男は自らの名を冠した神具の力を――神剣の力を解き放った。
 その解放は、先ほど彼が見せた小さな抵抗の比ではなかった。
 神剣の――『属性』の根源を統制する、自然の力の完全解放。

 それは、大地を揺らし、天を轟かせ、強大な自然の氾濫となって体現した。
 凄まじいエネルギーは、その力の末端を操る属性継承者たちをも蝕み、彼らの命を害した。

「あ…」

 血に染まった継承者たちが、地面に倒れ伏していく。
 ぺたんとへたりこんで、その光景を移しこむ彼女の視界の中で、ゆらりと幽鬼のように立ち上がったモノがいた。
 血走った眼をたぎらせ、ひたすらこちらを見つめる男。
 先ほど見せた優しさの片鱗も一切なく――それにすがり付こうとした彼女の弱さをあざ笑うかのように――何の交じりけもない純粋な狂気。

「あ……」

 その時の彼女の中で。
 何かが、爆発した。


そう。彼女は、自分を助けようとして暴走した大切な男性(ひと)を、自らの力で…――殺したんだ。


 そして、属性継承者たちは息絶え、不死鳥憑きの巫女は『強大な力の封印』として、不死鳥の村の塔に幽閉されるにいたった。
 終わらない時間を、人形のように過ごすために。
 ただの権力に固執した人間たちの愚かな争いが引き起こした、第一次天地大戦の遺物を巻き込んだ戦争は、様々な遺恨を後世に残した。
 時のヴェレントージェ女王は、その一切を闇に葬ることを決めた。
 『光の属性継承者』。
 その、最期の力で。
 世界から歴史を消した。



 ――そして、時は流れる。

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