Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 属性継承者、二人 
* * *
 そうして、時は流れていったんだよ。
 悲しみも、憤りも――すべて、『歴史の空白』へと封じ込めたまま、ね。


「そして、ティアーナは堕天使の聖堂で僕と『始めて』出会った。『ティナ・カルナウス』として。彼女は僕のことを覚えていなかった。だけど、彼女は『失った記憶』の中で、ずっと長い間塔に閉じ込められていて――世界のことを何も知らないんじゃないかと思った。だから、僕は彼女と共に世界を旅することにしたんだよ。自分の『正体』を隠して、ね」
 クルスは、そういって言葉を切った。
 混血児の隠れ里は、白い静寂に満ちている。
 その中でひときわ白く、ひときわ静かに佇む精霊は、長い昔話の末に訪れた沈黙を、ただ無言で受け入れていた。
 雪が降り積もり、空は透き通り、二人の間を時間だけが通り過ぎた。
「『物語』の終わりは」
「………」
「どうなるんだろうね?」
 精霊の問いかけは、何かを期待しているように見えた。
 総てをあきらめたようにも、見えた。
 クルスは薄く笑った。
「堕天使の聖堂で、彼女は『一つの未来』を視た。死に絶えた都で、七君主の攻撃に巻き込まれ、カイオス・レリュードが『死ぬ』未来。だけど、彼女は『未来』を変えた」
 叶わないと悟りきった夢を、それでも無邪気に信じて笑う、子供の笑み。
「彼女は、『未来』を変えることができるんだよ」
 たった一つの拠り所。
 ティナ・カルナウスの可能性。
 精霊は、その危うい希望を語るクルスに、ただ微笑みを浮かべる。
「それは、けったいな希望やなー」
「!?」
「誰?」
 第三の声が、静寂をかき乱した。
 振り返った二対の視線の先にあるのは、一人の少年。
 キルド族独特の訛りが、雪に混ざって舞い狂う。
「クルス。お前も分かってるんやろ。『世界を滅ぼす剣となる力』を」
「兄貴」
 クルスの視線が、自然鋭く細まる。
 少年の無邪気さを一気にひそませ、臨戦態勢に入った獣の緊張を放つ。
 精霊が、無意識に思わず半歩退がった。
 叩きつけるような殺気を、だがキルド族の少年は、けらけらと笑いながら、はたき落とす。
 自らの周囲を飛び回る小蝿を、片手で叩き落とすように、
「そんな、ヒトの顔見るたびに身構えんといてーや。傷つくわー。血を分けた兄弟やんか自分ら」
「『血を分けた兄弟』、ね。二人して生贄に捧げられた堕天使の聖堂で、オレを見捨てて逃げたくせに」
「そんな昔のこと言われてもなー。何年前のことやたっけ?」
「ざっと120年前の話かな」
 軽快に言葉を投げあう二人の周囲を、見えない刃が飛び交っているような剣呑さが取り巻いている。
 イクシオンが何も言葉を紡げない中で、キルド族の少年は、どこかのんびりと牽制する。
「クルス…お前、何を恐れとん?」
「恐れるだって?」
「せや。不死鳥憑きの巫女連れて逃げ回っても、七君主を退けようと、魔王の復活を阻止しようと、闇の石版を回収しようとも」
「………」
「変わらんのやで。『終わる』ことは」
 現実逃避やん、とキルド族の少年は鼻を鳴らした。
「せやのに、何やんの自分。自分からは何も仲間に教えんと、『彼女』を護りたいの一点張り。属性継承者が『2つ』に分かれたその意味も、理由も――ちゃんと直視せなダメやんか」
「…」
 クルスは、何度か言葉を紡ごうと口を開けた。
 その思いは、音にならずに吐息となって雪国の空気に白く散っていく。
「風の属性継承者が目ぇさまさんのも見ん振りして、『白の学院』に彼女を遣って。過去を探して苦しんどる彼女に何も手を差し伸べんと、知らぬ存ぜぬ押し通して。何も知らん仲間があたふたしとるのを、高いところから見守ってるつもりか? けったいやなー、何様なん自分」
「…うるさい」
「吼えるだけなら、バカでもガキでもできるわ。言い返せんのなら、黙っときや」
 キルド族の少年は、ふん、と鼻を鳴らした。
 拳を握り締めうつむくクルスに、穏やかに投げかけた。
「何でやと思う?」
「………」
「何で、自分会いに来た思う?」
 視線を上げたクルスと、キルド族の少年の、闇を掬い取ったような漆黒の視線が、互いに真っ向からぶつかった。
 何かを探るような視線。
 どこか優越したような視線。
 キルド族の少年は、穏やかに切り出した。
 漆黒の瞳に、弟の姿を映しだして。
「第二次天地大戦の折、神剣を封じる強大な力を持ったストラジェスに対抗するため、土水火風の四属性継承者は、その力を引き出すために、とある『秘策』を講じた」
「光の石版との同化」
「せや。石版は――七君主が宿れるほどの、強大な魔力の『器』。人間の身体では扱いきれない大自然の根源すらも、自在に操り得る絶好の魔具や。特に、第一次天地大戦で分かたれた、天界と地上を切り離す結界の要石『光の石版』は、その役目を全うする必要はない」
「『生命すら操ることのできる文明を築いた』驕りに我を失い、第一次天地大戦を引き起こした天使たちは、神の怒りを買い、全員が地上に追放となった。そして、天界は神の火に焼き尽くされ、…――滅びた」
「せや」
 だから光の石版は、『天界と地上を分かつ』目的を果たす必要がなかった。
 だからこそ当時の四属性継承者は、その光の石版を用いて、自らの魔力を高めた。
「欠片は八つ。一人の継承者につき二つの欠片を取り込んで、な」
 キルド族の少年は、にっこりと笑った。
 邪気のない、心からの微笑。
「せやけど、今その力は半減してしもうとる」
 その得たいの知れない奈落に、クルスの足が半歩退がる。
「四属性継承者は、『二人』もいらん」
「まさか」
「自分、宣戦布告しに来たねん」
 キルド族の少年は、にこにこと笑っている。
「こんなところで、のんびり昔話しとる場合、ちゃうかったなー。最も厄介な『風の属性継承者』は、今、意識がない状態、やろ?」
「!」
 何かに背中を押されたように、クルスは走り出した。
 わき目も振らず、一目散に。
 『風の属性継承者』――フェイが眠る、混血児の村の村長の家へと。
「………」
 その必死な姿を、肩を竦めて見送ったキルド族の少年に、向き直った影がある。
「解せないことがあるんだけど」
「妾将軍の守護獣――イクシオンか」
 精霊は、透明な、だが真剣な瞳で、相手を刺し貫いた。
 ゆらゆらと雪のように風に舞う――キルド族の少年を。
「あなたの目的が『何』かは知らない。けれど、あなたがしようとしていることを、クルスに伝える必要はなかったんじゃないのかい?」
「全く、その通りや」
「ならば、なぜ」
「………」
 キルド族の少年は、空を見上げた。
 ふわふわと吹きすさぶ雪。
 灰色に透ける透明な空。
「『なんで』、やろーな」
「…?」
「『終わり』が来ることは、わかっとる。それが避けられんこともわかっとるし、自分はそれを望んどる。せやから…」
 いや、とキルド族の少年は、ゆるゆると首を振った。
 どこか自分の考えと格闘するようなそぶりで。
「多分、面白うないからやな」
「面白い?」
「ああ」
 少年は、その言葉とはかけ離れた真剣な表情で、先を続けた。
「それやと、何も面白うない。自分、嫌いやねん。そーゆーの」
「………」
「あんたは行かんでええのん?」
「あなたは行かなくていいの?」
「せやなー」
 ほな、一緒に行きますか、とキルド族の少年は口の端を上げた。
 どこまでが冗談かわからない――どこまでも本気に見える、真摯な表情で。


「ウェイ」
 その名前が想起する人物像は、アルフェリアにとっては『懐かしい』過去の中にあった。
 混血児の村を追放される前、近所の子供同士、遊んでいた遠い記憶の中。
 親の家柄はあまり関係なく、10才程だった自分は、村の子供たちの中で、リーダー格的な存在だった。
 フェイとウェイは、子供たちの中でも最年少――当時、2才か3才ほどだったのではないか。
 いつも泣いていた男の子。
 おねしょがなかなか直らないと泣き、雪合戦が怖いと泣き、――男の子のくせに――戦士ごっこが怖いと泣いていた。むしろ、双子のフェイの方が、――現在の無表情からは想像しがたいが――活発で闊達な印象が強い。
 その『泣き虫だった男の子』が――艶美に口の端を吊り上げて、こちらを見据えている。
「ふふ」
 どう見ても女にしか見えない。
 どこで人生の舵をそちらに切ったのだろうか。
「久しぶりね、ディーン兄さん。アルフェリア兄さんは堕天使の聖堂でも会ったけど――あんまり前のことで、顔を覚えてなくて、気づかなかったわ。ジュレス姉さんがそうだってのも、最近気づいたくらいだし」
 あんなに今まで一緒にいたのにね、とくすくす笑う。
 それは、無邪気に過去を懐かしんでいるというよりは、自らのこれまでの道中、その事実に気づかなかった自分を嘲笑っているかのように見えた。
「何で…お前がこんなところに」
「あら? ここは、私の生まれ故郷よ。居ても当然でしょう?」
「…」
 アルフェリアは、悠然と並び立てるウェイに、違和感を感じた。
 自分は十年前、村を追放になっている。
 そのときには、ウェイはまだ村に居たはずだ。
 だが、現在の『彼女』からは――ジュレスと共に旅をしていたという事実が示すように――村を長いこと空けていた気配がひしひしと伝わってきた。
「ウェイは、お前が村を追放されて後、姿を消した。ちょうど――フェイがシルヴェアに発った直後のことだ」
「姿を消した?」
 アルフェリアの疑念を悟ったのか、ディーンの発した言葉に、ふんと鼻を鳴らしたのは目の前の『少女』だった。
「姿を消したんじゃないわ。フェイに付いて行ったのよ。だって、私たちは双子――ずっと、一緒にいなきゃって」
 そらんじるように、つらつらと言葉を並べるウェイの表情が、そこで突然曇った。
「けどフェイは…。そこに居る、そいつはね」
 ぴり、と空気が、震えた。
 まずいな、とアルフェリアは感じた。
 殺気。
 こんな狭い部屋で、ウェイは臨戦態勢を取ろうとしている。
「私を裏切ったのよ」
 魔力が解き放たれる。
 風が巻き起こり、激しく部屋を揺さぶる。
(まずい)
 無意識に剣を探る手が空を切った。
 混血児の村に入る際に、武器を取り上げられていた――そんな事実を思い出す数秒の間に、ディーンやフェイを逃がす機会も、自らが逃げる隙も失したことに気づく。
 とっさに身を庇うものを探すが、そんな場所も隙間もない。
「だから」
 髪を逆巻かせながら、少女は呟いた。
 呆然とした――どこか、遠くを見るような瞳で。
「だから、私。そいつを殺すわ」

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