混血児の村に、二人の男女が佇んでいた。
「これが、お前の生まれ故郷か」
「そうですわ」
白い吐息と共に吐き出された意思あるダグラスの言葉に、含みを持った笑みで、ジュレスは応えた。
死に絶えた都で――いや、もっと前に崩壊したアレントゥム自由市で行き倒れた彼を助けてから――なんだかんだで今まで一緒に行動してきた。
何かの因縁めいた予感があったのか――それは、ウェイに対してもだが――あったのだ、と今は確信を持って思える。
キルド族の少年の接触。
属性継承者の『意味』と、分かたれた『半身』。
(それにしても…ウェイさんが、同郷の出身だった、なんてね)
唇が、思考を映して蠱惑的に上がった。
『ウェイ』という名前だけでは気づかなかった。彼女の中の幼馴染の『ウェイ』は少女でなく、『少年』だったからだ。
だが、ウェイの方が自分を覚えていなかったのは、単純に『幼かったから』という理由だけではないらしい。
「『彼女』にとっては、忘れたい記憶、みたいですわね」
「…」
「自分が、『男の子』だったことは」
「ふん」
意思あるダグラスが鼻を鳴らすのを、ジュレスはどこか遠い出来事のように傍観していた。
この地に再び立つ日が来るとは思わなかった。
十年前――弟が、姉を殺した日から。
「あの娘を、一人で行かせてよかったのか?」
「…」
ダグラスの誰何に、ジュレスは少し考える振りをした。
いくつかの思考の果てに、最も無難な答えを音に出す。
「だって、わたくし達が止める間もなく、ウェイさん一人で行ってしまったじゃないですの」
「まあ、それはそうだが」
「それに…」
「?」
言いかけてやめた言葉の続きを、ダグラスが訝しげに待っている。
なんでもないですわ、と返しておいて、彼女は胸中でこっそりと呟いた。
(それに…あそこには、アルフェリアがいる…)
十年前、自分から全てを奪った弟。
それがたとえ、弟自身の意思によるものでなかったとしても、優しい父と温かい母と、――かけがえのない姉を奪った男を、許すことなどできそうにない。
だから――。
(自分を抑える自信が、ありませんわ)
ジュレスはふと空を見上げる。
不意に空気が変わり、属性継承者が――『風の属性継承者』の放つ強力な魔力が解放された気配を、肌で直感した。
■
「四属性継承者は、二人もいらないの」
まるで幼い子供が無邪気に遊んでとせがむような口調で、ウェイはその言葉を放った。
臨戦態勢をとった彼女の周囲を取り囲む魔力は、轟々と立ち昇り、長い髪をばたばたとはためかせている。
「二人!?」
腕で顔を覆いながら、アルフェリアは聞き返した。
空気に千切れ飛びそうな言葉の断片は、どうにか相手に届いたらしい。
ベッドに横たわって眠るフェイを掠めた視線が、アルフェリアに突き刺さる。
「そうよ。四属性には、二人の属性継承者が存在する。だけど――火の属性継承者の片割れは封じられた。水の属性継承者の片割れの力は解放されていない。土の属性継承者の片割れは――十年前に、アルフェリア兄さん、あなたが殺したんでしょう!」
「!」
その記憶が蘇り、アルフェリアの手足を鎖となって縛る。
自らを裏切った人間に絶望し、混血児としての力を解放した姉。
それを化け物と呼び、刃を付きたてた自分。
(姉貴が…、土の属性継承者、だった?)
土の属性継承者は、もう片方の姉、ジュレスだけではなかったのか。
「風の属性継承者は二人――私と、そこにいるフェイ」
だから、ちゃんと『一人』にしなくちゃ。
ウェイの表情は恍惚と歪み、どこか遠くを見ているかのようにさまよっている。
(冗談じゃない)
アルフェリアは、唇をかみ締めた。
双子の片割れが、双子の片割れを害そうとしている。
それは、遠い過去の中で、肉親に刃を付きたてた自分の業と重なった。
(だめだ)
ぎり、と握り締めた指の爪が皮膚にきつく食い込む。
だめだ。どんなことがあっても。
家族が殺しあうなんて、絶対にだめだ。
「退がっていろ」
「ディーン」
混血児の村の村長の焦燥を滲ませた声が、アルフェリアを現実に引き戻した。
彼自身は、ただの『異民族』であって、『混血児』ではない。
それでも、他を圧倒する魔力で、ウェイの放つ衝撃を和らげる結界を張る。
フェイとウェイが双子の兄弟ならば、ディーンとウェイも実の兄弟だ。
対峙する二人をとっさに止めようとして、アルフェリアは唇をかんだ。
魔力を持たない。剣も持たない。
そんな自分が、この場で何の抑止力になる?
(だからって…)
黙って見ているしかないのか。
「それは…風の属性魔法ではないな」
「そう、私自身の魔力の解放よ。そこのフェイのおかげで、土の神剣の力が暴走して――風の力は不安定になっている。まあそれ以外に、土の神剣の力自体が不安定なのもあるんだけどね」
「神剣自体の力?」
「ええ。だって、神剣は、属性の源泉よ。属性継承者は源泉から流れる魔力をせき止める堰の役目を果たしている。だけど、土の属性継承者の半身は、十年前に――」
互いに魔力を高めあいながら、牽制するように交わされた言葉の果てに、ウェイは唇を吊り上げた。
愉しむように。
だが、それはえぐるように、アルフェリアの耳を打った。
(またか…)
土の属性継承者。
ジュレスの片割れ。
――自分が、殺した女。
ぎり、と音が漏れた。
かみ締めた歯の間からか、握り締めた拳の中からか。
全身からぎこちない音が立って、アルフェリアの身を蝕んだ。
彫像のように時間を止めた自らの肉体をもてあますその目の前で、二人の魔力が研ぎ澄まされ、鋭い刃となって収束する。
見合う緊張が極限に高まった瞬間、二者は剣のように鋭い魔力をぶつけ合っていた。
「っ!」
「あら中々兄さんもやるじゃないの!」
魔力が放電し、ばちりと飛び散った火花が互いの顔を青白く照らす。
どこか楽しそうなウェイに対し、ディーンは苦りきった表情を隠そうともしない。
「久しぶりに再会して、突然コレとはな…」
「だって、兄さんがフェイを庇うんだもの! 仕方ないじゃない」
「庇う庇わないの問題ではない。その物騒なものを仕舞え」
「いやよ!」
互いの身体を掠めた魔力が、赤い血を滲ませる。
蝶のように、ひらひらと舞い動くウェイに対して、だがディーンの動きは目に見えて悪い。
迷いがあるからだ。
逆に言うと――ウェイには迷いがない。実の兄に対して、恐ろしいほど無邪気に刃を向けている。
「…にしろ」
ウェイの刃が、ディーンの腕を捕らえて、思い切り裂いた。
鮮血が飛び、痛みに思わず集中を途切らせたディーンの鼻先に、ウェイの刃が突きつけられる。
「…ウェイ」
「どうして、フェイばっかり」
始めて、ウェイの表情が曇った。
だだをこねる子供のように。
「どうして、フェイばっかり護られるの? 私だって、『同じ』なのに。私たちは、いつも『同じ』だったのに」
「…お前、何があった」
「どうして、フェイは私を捨てたの!?」
感情の乱れを反映して、ウェイが手にした刃から、魔力が放電する。
それは鋭い鞭となって、周囲へ飛び散った。
膝をついたディーンを、眠るフェイを、そして立ち尽くすアルフェリアを鋭く掠めていく。
「どうして、私は…」
「…いい加減にしろ」
呆然と繰り返すウェイに、アルフェリアの言葉は届いたのだろうか。
ふつふつと腹の底からこみ上げるモノは、眼前の『少女』に対するものなのか、過去の自分に対するものなのか、自身でも分からなかった。
相手のせいだと自らを納得させ、無邪気に肉親に刃を繰り出すその、醜態が。
「いい加減にしろよ。ウェイ」
大蛇が猛り狂っているかのような灼熱を、身体の奥に感じた。
その勢いのまま、アルフェリアは一歩踏み出した。
「お前、自分が何やってるのか、分かってるのか」
ディーンが、こちらをはっとしたように見る。
ぎこちなく振り向いたウェイの目が、現実を思い出したように瞬いた。
その時、アルフェリアは始めて、部屋の中にそよ風が吹いていることに気づいた。
カーテンが、部屋の調度品が、さやさやとはためいている。
そして、その波動は、なぜか自らを中心に生じているように、見えた。
「魔力」
「うそ」
夢の中に迷い込んだようなウェイの呟きが、耳を遠く掠めた。
「土属性の魔力だなんて」
その感覚は、遠い昔、混血児の魔力を解放した姉に対して、土の神剣を全力で引き抜いたときのそれに酷似していた。
力の奔流に弄ばれる恍惚感。
その流れに逆らうことなく、アルフェリアはまた一歩、ウェイとの距離を詰めた。
「そこのフェイが何したかはしらねぇし、お前が何をそんなに怒ってるのかはわからねぇよ。けどな」
眼光が、相手を殺す。
ウェイが、堪えきれなくなったように、視線を外して後ろに逃げる。
「自分の兄貴に剣を向けるんじゃねぇよ」
「っ!」
唇をかみ締めて下を向いたウェイが、何かを言いかけるより早く。
「フェイは無事!?」
「な、何事ですかクルスさん!」
「な、なんだぁ〜?」
部屋に、血相を変えたクルスと、続いてアベルとロイドが駆け込んできた。
総勢5人に囲まれる形となったウェイは、ぱっと顔を上げ、きっと視線を鋭くすると、
「あきらめないんだから!」
そう言い捨てて、クルス達を押しのけて飛び出していく。
「あ、おい」
ロイドが声をかけるが、追いかけようとしたその足を、クルスが止めた。
「村長さんが、怪我してるみたいだ」
「んあ」
「だ、大丈夫ですか〜。というか、何があったんです…」
先頭きって飛び込んできたクルスが、ディーンに駆け寄って膝をつく。踏み込むに踏み込めないロイドとアベルは、戸惑いを見せながら扉の左右からこちらを覗き込んでいた。
非常事態の収束。アルフェリアの身体から、ふっと力が抜ける。
身体が、服を着たまま真冬の川を全力で泳いだ後のように、なぜか重くおぼつかない。いつの間にか灯が落ちたのだろうか。視界も悪かった。
佇んでいたアベルが、はっと息を呑んだのを、どこか遠くに感じる。
「あ、フェイお兄様!?」
「目が覚めたのか!!」
アベルとロイドの歓喜の声が、遠く鼓膜を震わせた。
「土の神剣の力が…」
クルスが、何か言いかける。
その音が、靄に溶けるように消えていった――と同時に、視界が暗転した。
「アルフェリアさん!?」
誰かの慌てたような声が自分の名前を呼んだ気がしたが、もう彼には何も聞こえなかった。
■
「土の魔力…」
立ち昇った波動は、間違いなく土の属性継承者の放つ魔力だった。
ウェイの放つ波動とは違う。
「どういうことですの」
眉をひそめて呟いたジュレスの元に、キルド族の少年と、少年然とした――しかし、明らかに人外と分かる精霊が、さくさくと雪を踏みしめて近づいてくる。
「土の属性継承者も、『二人』いたみたいやな」
「二人…」
その言葉に、ジュレスの美しい肩が、ぴくりと反応した。
眦が釣りあがり、驚きに眼が見開かれる。
薄紅の唇から、言葉が愕然と滑り出した。
「そんな」
「土の属性継承者の一人は、10年前に死んだと聞いたが」
言葉を失った彼女に代わり、意思あるダグラスがその疑念を音に出す。
せやな、とキルド族の少年は応じた。
ジュレスたちに、というよりは背後の精霊に聞かせるように。
「どうやら、勝手が違うたみたいですわ」
「………」
精霊から返答はなく、ジュレスや意思あるダグラスも何も発することはなく、ただ時が刻まれていく。
「全く、どういうこと!?」
そこに、雪を踏みしめながら合流したのはウェイだ。
肩を怒らせ、判然としない表情でキルド族の少年に詰め寄っていく。
「土の属性継承者。そこのジュレス姉さん一人だけじゃないじゃない」
「首尾は?」
「見てのとおり、失敗よ」
「自分もな、そんな気がしてたわ」
「何よ、ケンカ売ってんの!?」
ウェイは、あからさまな怒気を周囲に撒き散らしながら、髪の毛を逆立てている。
「あんた言ったわよね。世界を滅ぼす剣となる力――それを迎え撃つために、二つに分かれた『四属性継承者』の力を再び一つに結集する必要があるって」
「言ったな」
「だけど、風の属性継承者――私とフェイ以外の三属性は、継承者はほとんど力がないも同然だから、フェイの力だけ抑えれば、いいって」
「ああ、言うた言うた」
「じゃあ何で、アルフェリア兄さんが、属性魔法を使えるの!?」
「それは、自分に言われてもなー」
烈火の剣幕で詰め寄るウェイを、キルド族の少年はのらりくらりと交わす。
「仕方ないやんー。計算違いのことだって、起こることあるわ」
「計算違いって」
「体勢、立て直しましょ」
ぱちんと軽い雰囲気で片目を瞑ったキルド族の少年は、そのまま視線で三人を促す。
「ほな、うちらはこれで」
「…」
去り際に放たれたその言葉に、静かに傍観していたイクシオンは微かに目を細めた。
「四属性継承者の力を、結集、ね。それが君の目的?」
「…」
キルド族の少年は、ただ微笑んだ。
それは、いたずらをたくらむ子供のように見えた。
たくらんだいたずらを、親に叱って欲しいわがままな子供。
「クルスに、伝えといてくれへん?」
真意を隠したまま、少年はふわりと笑った。
「クルスに?」
「せや」
頷いた、瞳の奥だけが昏い。
「ストラジェスが復活した、ってな」
ほなな、と去っていく背中を見送った後、精霊は空を見上げた。
先ほどまで澄み渡っていた空の青は、一転、どんよりとした灰色に覆われ、光は厚い雲の向こうに封じ込められている。
「太古、混沌が地表を覆い、神の霊が水の面(おもて)を動いていた」
それは、始まりの神話。
「『光あれ』。こうして、光が『生まれた』」
その空は、原始に在ったという、混沌とした大地を象徴しているようにみえた。
ただそこにある光の存在は遠く、いくら目を細めても、先にある情景を信じることができない。
精霊の額を、一筋の風がなぜた。
ぽつりと、みぞれ交じりの雪が、頬を濡らしていった。
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