Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 悲しき英雄  
* * *
 蘇った記憶は、いくつかの『大きな出来事』を除けば、起伏のない平坦な時間の連続にすぎなかった。
 どこかヒト事で、どこか実感がない。
 途中にある『大きな出来事』でさえも、まるで遠い他人が体験したことを、追体験している感覚を覚えた。
 自分のものという実感に乏しいまま、ただ事実だけを抱きしめている――。
(これが…『記憶を取り戻す』ってこと?)
 こんなに覚束ない感覚が?
 それは、クルスと出会って、石版を集める旅をはじめてからの2年間が、彼女がそれまで過ごして来た膨大な時間よりも、遥かに意味があるものだったからか。
 自分の弟――これも、実際『事実としてそうだった』認識の方が強いのだが――シェキア・リアーゼの放った魔法の奇妙な浮遊感の中で、彼女はぼんやりとその違和感を抱きしめていた。


「!」
 受身を取り損ねてまともに石床に叩きつけられたティナは、呻きながら身を起こした。
 すぐ傍に、こちらも珍しく体勢を取り損ねたらしいカイオスの姿も見つけて、ティナはほっと息をついた。
 二人して座り込んだままで、周囲の状況を確認する。
 先ほどまで居た部屋とは別の、しかも先ほどより遥かに狭い小部屋だ。
 四方を石に囲まれ、天井だけが異様に高い。窓は一つもなく、出入り口は四つ。それぞれの壁に、あつらえたように黒い穴が開いている。
 アクアヴェイル国王の――ストラジェスの、そして七君主の姿はない。
 同時に、シェキア・リアーゼの姿も。
 それが何を意味するのかすぐにティナはすぐに察した。
 おそらく相手も気づいているだろう。
 だから、あえて別の話題に逃げた。
「これ、ストラジェスの神具よ。正確には、その中の一つ。『土の神剣の封印』」
「それが」
「ええ」
 手の中には、零れ落ちる瞬間の涙のような形状をした、琥珀色の宝石がこじんまりと収まっている。
 シェキアが自分に託したもの。
 自分が『他人事の記憶』という感覚で思い出した弟は、遠い昔、ストラジェスが封じられた後、気の遠くなるような長い年月この地下で神具を護り続けてきた。
 復活した悲しき英雄に襲われ、満身創痍となりながら、かろうじて護った最後の神具をティナに託して、自分たちを逃がした。
 取り残されたシェキアは、どうなったのだろうか。
「ここは…どこなんだろうな」
「さあ…。たぶんまだ古代図書館の中だと思うんだけど…」
 ティナの表情を察したのか話題を変えたカイオスにあえて応じて、彼女は周囲を見回した。
「シェキアは相当弱ってたから、そう遠くまでの転移魔法は使えない。かといって、とんでもない場所に連れて行くなんて考えられない。たぶん、出口に通じてるんだとは思うんだけど…」
「出口、か。事がうまく運べばいいけどな」
「どういうこと?」
 部屋から通じる4つの通路を順に眺めながら、ぽつりとカイオスがこぼした言葉が意味深に耳に届いて、ティナは眉をひそめた。
 事態はそう簡単ではないように聞こえる。
「さっきも言ったろ。この古代図書館の地下は唯一『一つの扉』で地上とつながっている。正しい通路、正しい手順を踏まないと二度と日の目をみることは叶わない」
「正しい…」
「さらに、時間の猶予もない」
 言いかけたティナにかぶせるように、青年は言葉を続けた。
 平静を装いながら、どこか張り詰めた調子が、言葉の端にほんの微かに覗いている。
「時間…」
「シェキアが襲われたときと、今回と。ストラジェスは二度この古代図書館を訪れている」
「…あ」
「つまり、人間には移動に制約のあるこの場所を、ヤツは自在に移動できると考えられる。空間を操れる存在とも融合しているからな。お前の言うとおり、出口に通じているとしても…この場所も安全じゃない」
「………」
 そこにはシェキアの生存に対する絶望的な可能性を、そっけなく断定する残酷さがあった。
 シェキアは、七君主の行動の先を読んで、ティナたちをこの場所に逃がした。
 魔の大君主は、自らの行動を邪魔したシェキアを見逃しはしないだろう。シェキアのほうも、自分たちを逃がし切る時間を稼ぐために、退かないはずだ。
 だがあの傷で、彼が魔の大君主の抑止になれるとは、ティナにも思えなかった。
 そう遠くない時間、シェキアを制した七君主は、自在に空間を操り、自分たちを見つけるために動き出す――。
 目の奥が、ちかちかする。頭が痛い。
 気づくと、奥歯を音がするほどきつくかみ締めていた。
 自分の手を見ると、気づかないうちに硬く握り締めた拳が、がたがたと震えている。
(私は、また…)
 レイザの時と一緒だ。
 私は何もできなかった。
 ただ、逃がされただけ。
「………」
 ティナは言葉を発することができなかった。
 カイオスも。
 沈黙の中で、頭を垂れて石床を見つめるティナは、ふと、あることに気づく。
「あれ、床が…」
「…」
 声に誘われるように、カイオス・レリュードも視線を落とした。
 ティナの指し示すものを視界に収めて、自然視線が険しくなる。
「水…」
「湧き出してきてる…?」
 人間たちが気づくのを待っていたかのように、石の隙間をにじみ出る水はその速度を増していく。手のひらが埋没し、手の甲が水に浸り、ぐんぐんと水位を増してくる。
「ちょっ…これ」
「防衛機能…」
「え」
 事態にあわてて、ぴょんと跳び上がったティナを、今だ地面に座り込んだままのカイオス・レリュードが見上げる形になる。
「万一、神具を持ち出された場合に備えて、侵入者を排除する仕組みが働いたんだろうな」
「じゃあ、早く正しい出口を見つけないと」
「お前、記憶を取り戻したんだろ? 正しい出口の導き方、分からないのか?」
「えっと、物事の大筋は思い出したんだけど、細かいことは…。というか、私そもそも、ストラジェスを倒した後は、ずっと不死鳥の村の塔に閉じ込められてたから、神具の保管とか古代図書館の構造とかについては、詳しく知らないのよ」
「………」
 カイオス・レリュードは、何か言いたげな視線を向けたが、向けただけで何も言わなかった。
 ティナはなんとなく気おされる気がして、ぐっと言いよどむ。
(何か、ちょっと昔を思い出すかも)
 最近では青年の中で影をひそめていた、無言の圧力とか、苛立った感じ、とか。
 そういったものが身体の線を越えて相手に伝わるくらい体現しているのを、久しぶりに見た気分だった。
 どうしてだろう、と考えてティナはすぐに思い至る。
 七君主の再来。
 シェキアのことで頭がいっぱいだったとはいえ、眼前の青年の内面の変化について、あまりに無頓着だった。
 そしてそんな彼に対して、ちりちりと焦がされるような、むずがゆい焦燥感を持っている自分に気づいた。
 気づいてしまって――慌てて目を背ける。
「とにかく…時間もないことだし、行きましょ」
 青年は、沈黙したままティナを下から見つめている。
 その視線から逃げるように、彼女は4つの通路へと視線をめぐらせた。
 通路に続くぽっかりと空いた壁面には、それぞれ文字が刻まれている。
 歴史の大空白と呼ばれる、ヴェレントージェ時代の古代文字。
 暗号というわけではない。ティナにはすぐに読み解けた。
『光はこの先にある』。
それ以外の通路の入り口には、『ワニがいる』だの、『さらばだ!』だの、分かりやすく不吉な言葉が書いてあるだけだ。
(なんか…知ってれば子供だましの内容よね…)
 古代語で書いてあるから、かろうじて目くらましの意味を担っているに過ぎない。
「こっちみたい」
 道の一つを指して、あえて明るい調子でかけた言葉を、依然座り込んだまま、無言でカイオス・レリュードは受け止めた。
 その様子は、やはりどこか常と違っているように、ティナには映る。
(ちょっと…もしかして、七君主に会ってショックのあまり腰を抜かしてんじゃないでしょうね?)
 本人が聞いたら憤慨するどころでない内容だが、言葉にせずとも表情にはばっちりと表れてしまっていたようだ。
 カイオスは、一瞬視線を険しくしたが、すぐに何かをあきらめたように吐息をついた。
 一体何を言い出すのかと身構えたティナの耳に、予想も想像もしなかった言葉が飛び込んでくる。
「歩けない」
「………は?」
「不意に飛ばされたからな。着地をしくじった」
「な!」
 先ほどから動かなかったのは、理由がなかったわけではなかったのか。
 カイオスが、元々足を負傷していたことをも失念していた自分を呪いながら、素早く駆け寄って、傷の具合を診る。
 にわか魔法では対処できないほど腫れ上がっていた。
 本人はあまり顔に出さないが、動かそうとすると痛むらしく、眉をひそめる。
「立てそう?」
「ああ、いや…」
 珍しく言葉を濁すカイオスの意図を図りかねて、ティナは首をかしげた。
 部屋に湧き出す水はかさを増し、すでにくるぶしまで完全に浸かっている。
 さらに七君主の追撃を受ける可能性も高い。
 時間の猶予はない。
 一方で、行くべき道は分かっている。
 だからこそ、青年の煮え切らない態度が、ティナの中で引っかかった。
(どうして…)
 動けない、のではなく、動こうとしない、かのような。
(動こうと…しない?)
 その可能性が脳裏をよぎったとき、彼女の中で何かが、あっと声を上げた。
 気づいてしまえば、もう迷いはなかった。
 ほとんど反射のように、ティナは青年の腕をつかむ。
「行きましょ」
「………」
 何か言いかけたカイオスの言葉を、ティナは待たなかった。
 言いたいことは、言った者勝ちだ。
 押し付けるように続ける。そうすることで、青年の意図していることを、まるごと押し返してしまおうとするかのように。
「肩くらい、いつでも貸すって言ったでしょ? 元はと言えばその怪我、私のせいなんだから」
 早く、となおも急かして、やっと青年はゆるゆると立ち上がる。
 傷の具合は相当悪いらしい。
 よろめいた身体をとっさに支えると、服越しに感じる体温は、驚くほど熱かった。
 床から沁み出る水は、通路にまで溢れている。
 一歩歩き出した瞬間、地響きに似た振動が足元を襲った。
 同時に、強大な魔力が解放された気配を、どこか遠くで感じた。
 普段なら感じられる魔力の正確な位置が、まるでヴェールに覆われているかのように分からない。
 空間のゆがめられた場所。
 改めて感じる。
(シェキア…)
 水が波立ち、膝まで水にかぶったのを感じる。
 いつの間にか、すねの辺りまで増えた水を呪いながら、ティナは無言でただ唇をかみ締める。
 そのまま、巨大な地下迷宮の中に、踏み入れていった。

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