Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 悲しき英雄  
* * *
 古代図書館の地下は、予想以上に入り組んでいた。
 二人がやっと並んで通れる通路をしばらく進むと、同じような部屋の構造にたどり着き、再び四つの通路から古代文字を読み解いて進路を選ぶ。
 中には、今来た道を戻る場面もあり、ティナ自身も自分の判断に自信を失いかける部分もあったが、今現在、頼りになるのは自分の『不死鳥憑きの巫女』としての、古代文字の読解能力だけだ。
 時間と空間が歪んでいる場所。
 逆にその構造が幸いしているのか、ストラジェス――七君主の追撃は、今だない。
 いつも、その深い知識と洞察力で頼りになるカイオス・レリュードは、傷が痛むのか、別に思案することがあるのか、特に口を挟むことなく、ティナを支えに何とか歩を進めている。
 彼は本来歩けるような体調じゃなかったんだな、というのは、その身体を支えてみてはじめてティナに分かったことだった。
 表情や呼吸は取り繕えても、ごまかせないものがある。
 服越しに伝わる体温は、歩を進めるごとに上がっていくようだ。
 同時に、自分にかかる重みも、わずかずつ増している気がする。
 石床を染み出す湧き水が、とうとう膝を越える高さにまで増してきて、歩きにくさに拍車をかける。
 水に浸かっているというのに、汗が額に滲み、頬を流れ落ちていく。
 体力は尽きかけていたが、もはや意地でティナは進んでいた。
「まったく…こんな真綿で首絞めるみたいな防御機能じゃなくてもいいでしょーに」
「確かに、な」
 うんざりした独り言に、辟易とした答えが返ってきて、ティナはちょっと息を詰めた。
 強引にカイオス・レリュードを引っ張って来てから、会話らしい会話をするのは初めてのことだった。
 自分が無意識に身構えていることに気づいて、苦労して平静を装う。
「その…。怪我、本当にごめんなさい。まさか、そんなに悪かったとは思わなくて…」
「いや」
 相手がふっと息をつくのを感じた。
 こんな状況なのに、いつも通りの平静な調子がどこかティナを安心させる。
「俺もまさか、こんな状況になるとまでは想定してなかったからな」
「…」
 カイオスの言葉からは、先ほど一瞬感じた苛立ちや無言の圧迫感のようなものは消えていた。
 ただ状況に苦笑するような響きだけがある。
 ティナは横目でちらりと隣を見たが、見えたのは頬の輪郭と口元までで、相手の表情は分からなかった。
 なので、素直に言葉だけで返した。
「そーね。私も、まさか自分が古代図書館の扉の文字が読解できたり、こんなところで突然記憶を取り戻したりするとは、全然想像もしてなかったわ」
「ああ。お前が混血児の村で、『不死鳥憑きの巫女』と間違われた時は、なんの冗談かと思ったが…本当に本物だったとはな」
「何よソレ」
 むくれながら自然そちらを見ると、相手の口元が微かに上がっているのが見えて、あわてて逸らした。
 自分の中に芽生えた感情をごまかすように、とっさに口にする。
「驚かないのね」
「何が」
「その…私の正体について、よ」
 不死鳥憑きの巫女についての記憶は、ティナ自身、どこか他人事のように感じている部分はある。
 蘇った記憶を、紛れもない自分自身として受け入れることが、まだ出来ていないだけなのだろうが。
 だが、そんな宙に浮いたような実感でも、自分が普通の人間からすると『異端』であることは十分に理解できたつもりだった。何せ、不死鳥の力の効果とはいえ、実年齢が100歳を超えている計算になる。
「だって、気味悪いでしょ。混血児の村の人たちが言ってたみたいに――私は10年前も、100年前も、この姿だった。不死鳥憑きの巫女は年をとらないの。10年経っても、100年経っても…――そーね、あんたがよぼよぼのおじいさんになっても、たぶん私は、ずっとこの姿のままだわ」
 不死鳥を従えるがために。
 ティナ自身の時間は、ゆがめられている。
(でも、そもそも何のために私は不死鳥を護っているのかしら?)
 何気なく自問自答した途端、ずきんと頭の奥が鈍く痛んだ。
 同時に、はっとした。
 そう、ティナが思い出したのは、自分が『不死鳥憑きの巫女』であるという事実と、歴史の大まかな『流れ』だけ。
 『何のために』自分が不死鳥を従えているのか、その答えは今だ漠然とした記憶の海に沈んでいる。
(私は――まだ、思い出していないことがある?)
 押し黙って考えに浸るティナの沈黙を、カイオス・レリュードの方は別の意味に受け取ったらしい。
 気を遣った、というわけではないのだろうが、ティナには意外な言葉だった。
「驚く、というより納得した方が強かったかな」
「…え」
「不死鳥の力は、強大すぎる。『四属性継承者』であることを差し引いたとしても」
「あ…」
 青年が何気なく口にした、『四属性継承者』という言葉を聞いて、ティナは思わず目を逸らした。
 今まで『火の属性継承者』だと名乗ってきたし、事実自分でもそう思ってきたが――記憶を取り戻した今になっては、それは真実でなかったと言うしかない。
「実はねー。私、属性継承者じゃないのよ…」
「そうなのか。…その割に、詠唱破棄したり、空間に干渉したりしてなかったか」
「うん。それは、不死鳥憑きの巫女としての力というか…。不死鳥って、火をまとっているでしょう? だから、『火』の力は不死鳥にとって下位属性にあたるのよね。だから、ある程度自由に操れるというか」
「『火』が、下位属性…か」
「私がクルスと会ったばかりの時に、無意識に火属性の魔法ばっかり使ってたからなんだろうけど…。クルスがね、きっとティナは火の属性継承者だよ、なんて言うから、すっかりその気になっちゃって」
「クルスが」
 カイオスは一瞬考えるそぶりを見せたが、次の言葉はティナの耳には単純な問いかけとしか響かなかった。
「ヤツは、お前のこと知っていたのかな」
「え?」
「お前の正体について。妙に勘の鋭いところがあるだろ、あいつ」
 一国を任されている立場の人間が、ちっぽけな子供を真面目に評しているのがどこかおかしい。
 ティナは軽い気持ちで答えようとしたが、カイオスの方はあくまで真剣に問うているようにみえる。
「確かに勘が鋭いけど、たかだか子供よ?」
「………」
「まあ確かに、どこかですれ違ったかも知れないけど…。実はね、まだ記憶のすべてを思い出したわけじゃないみたいで」
「そうなのか」
「うん。どこか『他人事』というか、自分の実感としてあやふやというか、出来事は覚えてるんだけど、そこに関わった人の記憶が曖昧というか、記憶を自分のものにできてないというか…」
 言葉は核心を付くことができずに空回り、ティナは無意味に例えを重ねる。
 言いよどんで唸っていると、隣でぽつりと音が漏れた。
「自分の中に、もう一人いる感覚」
「…え?」
「いや。…なんでもない」
 カイオス・レリュードは、それきり再び沈黙してしまった。
 ティナも、先を急ぐことに専念する。
 話で紛れていた疲れが、一気に押し寄せて来たようだった。
(自分の中に、もう一人…)
 それは、ティナ自身の感覚を言い当てた言葉ではない。カイオス・レリュードは、どんな意図でそう零したのだろうか。
(私じゃないなら…彼自身のこと?)
 彼の中に、もう一人何かがいるというのだろうか。
 少し記憶を辿ってみて、ティナはあっと声を上げそうになった。
 彼女は一度出会ったことがある。
(カイオス・レリュードの亡霊)
 シェーレン国『死に絶えた都』の地下王墓で出会った半透明な少年は、『七君主に意思を奪われた『カイオス・レリュード』の中から、追い出された』といっていた。
 その後、カイオスは何とか自分の意思を取り戻したわけだが――少年は、ちゃんと彼の中に戻ることができたのだろうか。
 弾んだ心が足取りにまで表れたか、ぽちゃんと水が跳ねた。
 いつの間にか腰まで水に浸かり、透き通ったみずみずしさと裏腹に、ねっとりと重さをもって、まとわるように足に絡み付いてくる。
 負傷していないティナですら、踏み出すのがかなり苦しい。怪我をしているカイオス・レリュードはなおさらだろう――といっても、ティナ自身、青年の体重を支えながらの道程で、体力をかなり消耗しているのだが。
(そういえば、さっき七君主妙なことを言ってたわよね…)
 『息子』だの、『殺せ』だの。
 それは、とんでもないことを示唆しているように思えたが、荒い息をつきながら前進するたび、思考は解けて目の前のことで精一杯になる。
 疲労が重なって、思考が定まらない。
 この地下迷宮はどこまで続くのだろうか。
 半ばうんざりと、半ばやけになって額を拭ったとき、ティナの目の前に再び光が見えた。
「次の部屋ね…」

* * *
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