Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 正当なる継承者
* * *
 ティナたちが混血児の村に帰ったのは、古代図書館を引き上げてその夜を宿で過ごした翌朝のことだった。
 彼女が古代図書館を脱出して後――カイオスの足の傷は、無理をして歩き続けたせいか、古代図書館の地下で診たときよりも、悪化しているようだった。熱も高く、宿屋にたどり着くなり、さすがに倒れ込むように眠ってしまった。
 七君主の襲撃に備えて、ティナはカイオス・レリュードの傷を癒す傍ら、寝ずの番をしていたが、想定していたような事態は起こらなかった。
『街中では仕掛けてこない』というカイオスの言は、あながち間違ってもいないのか。
 そうは言っても決して油断はできない――そう思いながら、あちらを向いて眠るカイオスの背中をぼんやりと見つめていた。
 ティナ自身も、男一人の体重を支えながら水の中を歩き回ったせいで、決して疲れていないわけではない。
 だが眠気を押しのけるほどに、今回体験した様々な感情は強く、膨大で、目は醒める一方だった。
 シェキアのこと。
 ストラジェスのこと。
 自分の過去。
 カイオス・レリュードへの思い。
 七君主の存在。
 ソレが口にした、『息子を殺す』という言葉。
 様々な異質な出来事に対する率直な感情が、色とりどりに胸中を入り乱れ、自分の中にある思考が何色をしているのかさえ、ティナには分からない。
 白の学院にくれば、何かが分かるのではないかと思っていた。
 だが、実際には『分かった』こと以上に、『分からない』ことの方が多い。
(どうすれば、いい…?)
 その靄から抜け出すには前に進むしかないのに、ティナには自分の向かっている方向が『前』なのか『後ろ』なのかも判別できなかった。
 もどかしい葛藤の中でそれでも明け方うとうとと眠り込んでしまったらしい――夜明けを迎え、とりあえず熱の下がったカイオスと共に、白の学院の外れに赴き妾将軍の聖獣イクシオンを召喚した。
 イクシオンは、ティナたちとの再会を喜ぶ一方で、複雑な表情をも浮かべていた。
「こちらもこちらで、動きがあってね」
 奥歯にモノが挟まったような言葉に首を傾げながら、その魔法陣で混血児の村に帰る。
 村を発ったのは、ちょうど昨日の朝――時間にすると実質、一日も経っていない。
 その一日の間に、あまりに色々なことが起こりすぎていた。
 ウェイ――ジュレスと共に行動していた少女…の姿をした少年――の急襲と、魔法を使わないはずのアルフェリアの魔力解放と、フェイの覚醒。混血児の村の村長ディーンも負傷したらしい。
 フェイは目覚めはしたものの、何一言言葉を発することなく、今はロイド一人が付き添っているということだ。
 一連の出来事をかいつまんで聞きながら、ティナたちは身を休める間もなく、ディーンの屋敷の一室に通された。
 そこにはクルスやアベル、エカチェリーナが、悄然として様子で二人を待っていた。
 再会の言葉を交わす時間もなく、すぐにディーンに促されて、別室に移動した。
 ティナたちの帰還を待って、フェイが話があるのだ、という。
 その部屋に足を踏み入れると、海賊の船長ロイドが傍らに付き添う隣に、一人の混血児が身を起こしていた。
 フェイ・アグネス・ウォン。
 混血児の藍色の瞳が、静かな表情のなかでひときわ冴えた輝きを放っている。
 それは今までの道中、印象として感じた『人形のような』無気力、無関心をはねのけた、その人自身の意思を煌々と宿していた。
「お呼びだてして、申し訳ありません」
 涼やかな声が空気を渡り、その場に集った人間たちを意外な驚きに誘った。
 凛と張った鈴の音のような、爽やかな高い声。
「…え?」
 アベルとクルスがほとんど同時に、呆然と間の抜けた声を出す。
 エカチェリーナも、カイオス・レリュードも呑まれたように息を止めた。
 イクシオンはぱちぱちと目を瞬かせている。
 ロイドとディーン、そしてアルフェリアは、視線を逸らしてどことなく居心地悪そうに一息ついていた。
 ざわりと空気動く中、ティナは静かにその人物を見つめていた。
 彼女は、その声を知っていた。
 白の学院に発つ前の夜、夢で話した声。
 そして少し前、シェーレン国の砂漠を共に渡る中で、夢見心地に聞いた歌声の主でもあった。
「あなた、だったのね」
 ローブの向こうに息を潜め、『ジェイド』という偽りの名前を名乗っていた人物の『真実』。
 ぽつりと呟いた言葉は、相手に届いたわけではなかったのだろうが――。
「まず、申し上げることがあります。私は、あなた方に嘘をつきました。たくさんの嘘を」
 半分伏せた目元に長い睫の影が落ちる。
 白く長い指が、シャツのボタンを一つ一つ外していく。
 身体の線を隠す上着の下から滑り出すように現れたのは、ほっそりとした女の肩と、薄い生地の上からでも明らかな胸の膨らみだった。
 豊かな盛り上がりの谷間に挟み込まれるように、千年竜の紋章が――ミルガウス王国王位継承者の証が輝いている。
 あまりの姿態に男性陣が遠慮して視線をはずすが、本人は至極平然としている。
「えぇ…!?」
「わあ…ティナよりおっきいねぇ」
 目を見開いて固まってしまったアベルと、感心したように余計なことを呟くクルスの声をまるで聞いていないかのように、混血児は銀色の髪を揺らすと、ひとつ目を閉じて淡い色の唇を薄く開いた。
「私は確かに、過去シルヴェア王国の王位継承者でした。ですが…私は『王子』でも、『兄』でもなんでもない…」
 藍色の目には感情は宿っていないように見えた。
 鏡のように見える澄み切った表面に、呆然とした表情のアベルを一瞬とらえて、すぐに視線を外した。
「ご覧のとおり――私は女です」


「おにいさま…?」
 アベルのこぼした一言は、沈黙の中に波紋を打ち込んだようにぽつりと落ちた。
 彼女は自分が言葉を発した事実にさえ気づいてないように見えた。
 ただ食い入るように、目の前の情景を受け入れようと必死に目を凝らしている。
「気づかなかったな…」
「ああ、そうだねぇ」
 カイオスとエカチェリーナが、口の中で呟きあう声が、ティナの背後でぼそりと聞こえる。
 カイオスはこれまで共に旅した道中を、エカチェリーナは遠い昔シルヴェア王城で王子と過ごした記憶を手繰り寄せているのだろうか。
 微妙に硬直してしまった場を、アルフェリアが頭をかきながら見渡した。
「オレもなあ…同郷って聞けばそうだろうとは思ってたけどなぁ。それでも、どっかで別人じゃねーかと思ってたクチだもんなぁ」
「私も…まさか故郷でいつも一緒に遊んでいた『おにいちゃん』が、無神経でてきとーなゼルリア将軍と同一人物だと、はじめは信じられませんでした」
「ほー、正体明かしたとたん、ずいぶんと口が達者になったじゃねぇか。昔そこの庭で新雪に腰まで埋まってじたばたしてたのを、助けておぶって帰ってやったの、誰だったか忘れたのか?」
「月日の経つ間にずいぶん恩着せがましくなったんですね」
「お前の方は、ぜんっぜんかわいげがなくなったわ」
 テンポよく紡ぎだされる軽口の応酬――アルフェリアの軽快な調子に、その場を縛り付けていた緊張が和らいでいく。
 フェイは、ロイドが差し出した上着に袖を通しながら、上目遣いに場を見渡した。
 そこには微かなとまどいは残っていたが、さきほどまでの狼狽に満ちた硬直はすでにない。
 混血児はちらりとアルフェリアに一瞥をくれると、軽く息をついて、
「話が逸れましたね」
 再び全体を見た藍の目に宿る光は鋭く、そこにある空気を一瞬で引き締めた。
 昏い蒼の中に、吸い込まれそうな虚空がある。
(なんか…すごいわね)
 ティナは胸中で思わず思った。
 問答無用で人をひざまずかせる、天性の何かがそこにはあるような気がする。
(そういえば…カイオスも言ってたような…)
 少し前にミルガウス城で話したことを思い出した。あいつの本性は相当やばい、だとかなんとか。
 それは今のように視線に少し力を入れただけで、無言で相手を圧倒できる『才能』のことを指していたのかも知れない。
「このたびのことでは、ご迷惑をおかけしました」
 軽く目を伏せて発された言葉に、ティナははっと意識をそちらへ戻した。
 そうだ、そもそもフェイが突然目覚めた理由。
 彼が今までずっと目を覚まさなかったのは、風の力が七君主の一角を消し去るほどの力を発揮し、その暴走に均衡を保とうとした土の神剣が働きかけたからだ、と考えられている。
 目を覚まさせるためには、土の神剣の力を制御すること――即ち、神剣の力を制御するストラジェスの神具が必要と思われていた。
(確かに、土の神剣の神具は、今私の手元にあるけど…)
 シェキアのことに意識が飛びそうになって、とっさにティナは拳を握り締めた。
 感傷に流されているときでは、今はない。
「我々は、お前が目覚めないのは、土の神剣の力に拠るものと考えていたが…」
「ディーン兄さん」
 混血児の村の村長の言に、フェイはひとつ頷いた。
 どこか記憶を辿るように、目を細める。
「確かに、私を縛り付けていたのは、土の神剣の魔力でした。神剣の力に縫いとめられるように、私は身動きが取れなかった」
「あのときの」
「ああ、貴女とは夢で会いましたね。ティナ・カルナウス」
 ティナの独り言を聞きとめたのか、フェイはこだわりない所作で、視線を彼女へと移した。
 言葉に誘われて、場の視線が自分に集まってくる。
 どういうことか問いたげな視線、事情を知りながら慮るような視線。
 ティナが『不死鳥憑きの巫女』である事実は、まだカイオス・レリュード以外知らないことだった。
 そういった白の学院で体験したことを話す時間もないまま、この場に集められたからだ。
「そうね。確かに、あんたとは夢で会ったわ。フェイ」
 一つ息をついて、ゆっくり紡ぎだした言葉は、自分の耳に跳ね返ってきても落ち着いた調子を保っていた。
「あんたの夢に同調したみたいね。あの時は、助けてくれてありがとうね」
「いいえ、こちらこそ」
 こちらを見つめるフェイの視線に温度はないように見えるのに、そこにはどこか旧知の人間に向けるような気安さがあった。
(もしかして…)
 ティナは不意に思う。
 まだ思い出せていない空白の記憶の中で、ひょっとしたら、過去自分は彼――彼女にあったことがあるかも知れない――実際、過去の事実として『不死鳥憑きの巫女』がこの村に現れた黒き竜を退けた記憶はティナの中に確かにある。
(この娘と、会ったことがある…?)
 じっと見つめ返すと、相手の藍色の瞳に吸い込まれたかのように、一瞬立ちくらみがしてずきんと頭が痛んだ。
 感覚的に直感する。
 靄に包まれたように詳しいことはまだ思い出せないが――自分は『彼女』に、過去会ったことがある。
(こうやって、ヒトや出来事に触れて徐々に思い出していくモノなのかしら)
 思いながら、話の先を続けることに意識を戻す。
「あんたがあの時、『神剣』って言葉を言ってくれたから――古代図書館に行って、ある程度の記憶を取り戻すことができたわ。ついでに――土の神剣の力を制御する、『ストラジェスの神具』も手に入れてきた」
「えぇ!?」
「ティナさん、記憶を取り戻したんですか!?」
 クルスとアベルが、びっくりするのを横目に、ティナは続ける。
「大まかなところは、ね。全部をはっきり思い出せたわけじゃないけど――詳しいことは後でゆっくり話すわ」
 驚いたような視線が飛び交う中で、カイオス・レリュードだけは静かな視線を彼女に向けている。
 ティナは柔らかく視線を細めた。
 話を続きに戻す。
「けど、どーにも良く分からないのよ。そうやって神剣の力に捕らわれてたあんたが、どうして突然目を覚ましたのか。その…あんたの双子の弟――ウェイが、寝込みを突然襲ってきたって聞いたけど…」
「それは…」
 フェイの口調は淀んだというよりも、話の矛先を向ける相手を変えた意味合いの方が強かった。
 藍色の視線が向く先に、黒髪のゼルリア将軍がいる。
 促されるように全員の視線が集まっていく。
「私が目覚めたのは、おそらく彼のせいです」
 静かに示唆する声に縫いとめられたように、アルフェリアは硬い表情で立ち尽くしていた。
 その目に宿る光は暗く、さきほどフェイと軽口を交わしていた人間と同じと思えない。
(あ…)
 ティナはとっさに直感した。
 彼が『この村に来たくなかった』理由。
 いつか口にした『村を追放された』理由。
 その答えが、おそらく彼の中を堪えきれない強さで、強く強く渦巻いている――
「土の属性継承者の一人は、この村で15年前亡くなっています。たかだか風の力が多少暴走した程度で、土の属性の力が爆発的に膨れ上がったのも、そのためだと思います」
 フェイの言葉に抑揚はない。
 むしろ、淡々とした中にどことなく慮るような響きさえ滲ませている。
 しかし、放たれる言葉の一つ一つが鋭い刃となって切りかかっていくごとく、アルフェリアの表情は悲壮感を帯びていた。
 15年前、村を襲った悲劇。
 ティナの記憶の中にも、その時の情景は確かに残っている。
「黒き竜の暴走…土の神剣の覚醒」
 無意識に口走った彼女の言葉は、意図したわけでないのに、その場にぽつりと波紋を落とすように静かに響き渡った。
「そう、属性の継承が…」
 フェイが言いかけて、そのまま言葉を止めた。
 だん、と拳が壁を震わせる音が、その言葉の先を言わせなかった。
 アルフェリアの腕がフェイの鼻先を掠めて向こうの壁に突き刺さっている。
 特にひるんだ様子もない混血児の藍色の視線が、言葉を止めた代わりに意味深く黒髪のゼルリア将軍を映し込んだ。
「も、いーだろ。お前の目が醒めたんだから。めでたし、めでたし」
 腕を引きながら放たれた軽い言葉と裏腹に、切れた目の奥に覗く光は、一切の笑みをそぎ落とした険しい表情をたたえていた。
 脅迫めいた気迫。
 呑まれたように静まり返った沈黙の中で、アルフェリアは踵を返すと無言で部屋の出口へ向かう。
 ノブに手をかけたとき、戸口の近くに居たカイオス・レリュードが、一瞥をくれて呟いた。
「他人の境遇には偉そうに口出ししてくる割に、いざ自分となると尻尾を巻いて逃げ出すのか」
 びしり、と空気が悲鳴を上げた。
 とっさにティナが感じた硬直は、自分だけが感じたものではなかったらしい。
 ロイドもアベルもエカチェリーナも――フェイですら、息を詰めてそちらを伺っている。
「なんだと?」
 本気で相手を殺す視線を向けたアルフェリアに対し、普段平静な態度をあまり変えないカイオス・レリュードの眼も底光りする冷徹な意思を振り向けていた。
 それは、戦場でなりふり構わず対峙する戦士同士の気迫をも感じさせた。
「状況を理解できていないようだな。フェイが目覚めたことが事態の解決を意味するわけじゃない」
「んなのお前が断じることじゃねぇだろうよ。部外者は黙ってろ」
「部外者、か。便利な言葉だな」
「あ?」
「そうやって自分から殻に閉じこもっていれば、他人を寄せ付けなくて済む」
「随分知ったクチ聞くじゃねぇか、この…」
 そこまで言いかけた口が、はっとしたように止まった。
 カイオス・レリュードは視線を緩めなかった。
 『よそ者』。『アクアヴェイル人』。『七君主に作られた存在』。
 アルフェリアの続けようとして続けられなかった言葉の先を、カイオス・レリュードはおそらく正確に読んでいる。
 さらにその上で、その言葉がアルフェリア自身に跳ね返っている事実を、冷酷なほど冷静に見極めている。
「ちょっと、頭冷やしてくるわ」
 永遠とも、一瞬ともつかない。
 終わってみればあっけない沈黙の幕切れの果てに、アルフェリアは肩を落として部屋を出て行った。
 それはティナがこれまで旅してきた道中、目にしたことのない背中だった。
「アルフェリアさん、どうしちゃったんでしょう…?」
「さあな」
 硬直した空気が、ゆるりほどけていく。
 アベルが恐る恐る肩の力を抜くのに応じて、カイオス・レリュードも息をついて先ほどまで纏っていた険のある空気を解いた。
 ひょっとしたら、彼はわざとアルフェリアをけしかけた部分もあったんじゃないのか。
 ティナはこっそり思うが、実際のところその内実はよく分からない。
「今から、15年ほど前になる。この村を黒き竜が襲った」
 混血児の村の村長ディーンが切り出して、全員の意識がそちらに集中する。
 異民族の風貌をした青年は、透明な視線を空に向け、どこか思いを馳せるように続けた。
「俺自身もアルフェリアから聞いた話だ。『フェイの目覚めない原因が神剣にあるとしたら、自分にはどうしようもできないかも知れない』。彼はそう言っていた」
 そうして、ディーンは話し始めた。
 ティナの記憶にも細部は覚えていないが、確かにある『事実』。
 15年前の黒き竜の悲劇。
 神剣の覚醒。
 そして、アルフェリアが犯した『罪』。
 その全てを、克明に。
 残酷なほどはっきりと浮き彫りにして。

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