Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 正当なる継承者
* * *
 冷たく黒い凍土の上に、一振りの剣が突き立っている。
 傍らに、白いワンピースを着た少女がいる。
 少女は泣いていた。
 しくしくと、しくしくと。
 白い貝殻のような手をその目に強く押し付けて、ただひたすらに泣いていた。


「そうして、アルフェリアは姉を殺した。自らの、血を分けた姉を」
 混血児の村の村長、ディーンが語り終えたとき、その場にはえもいわれぬ重たい空気が漂ってた。
(土の神剣…)
 15年前、村を襲った黒き竜は、村人の半数を巻き込んで大地を焼き尽くした――起こった悲劇は、文字通りの『大惨事』だった。
 その発端となった事件。
 一人の混血児の少女の暴走。
 その暴走を止めるため、少年であったアルフェリアが取った行動。
 彼は、その後すぐに村を追放されたと聞く。
 その心中は、どれほどのものだったのか。
(ぜんぜん…そんな闇を感じさせなかった…)
 単純に『同盟国の将軍』という立場だけではない。影に日向に、これまでティナたちを助けてくれた男の過去を、その深さを、自分はまったく知らなかった。
 この村に来る道中に垣間見たほの暗い瞳。その過去を質すように話を振ったカイオス・レリュードに対しても、挑発するような物言いではっきりと拒絶を示していた。
「でも、何でアルフェリアは、村長さんに昔のことを話したのかな?」
 漂う重苦しい空気の中で、ひときわ高い声で静寂を破ったクルスが、大人たちを大きな瞳で眺めている。
「今までは誰も『本当のこと』は知らなかったんでしょう? そのまま胸にしまっておけば、誰も彼の過去を知ることはなかったのに…」
「クルスさん、意外といいにくいことをばっさり言いますね…」
「うー、オレ子供だからよく分かんないー」
「…なんか、クルスさんがうらやましいです、私」
 アベルとクルスの他愛ないやりとりで、場の空気がいくらか緩まったようだった。
 ティナもいつの間にか入れていた肩の力を抜いて、ほう、と大きく息をつく。
「いずれにしろ…土の神剣について調べる必要はあるだろうな」
「フェイは目覚めたのに?」
 現実的に切り出したカイオス・レリュードの言葉に、ティナは何気なく聞き返した。
 男はひとつうなずくと、ティナに、というよりは全員に対して言葉を向ける。
「当初の目的から言えば、確かに神剣を調べる必要はない。だが…状況が変わった」
「状況…」
 意味深に告げられて、ティナはともに赴いた白の学院で起こった出来事を思い出した。
 ストラジェスのこと。
 そして――。
「あ…七君主」
「えぇ!?」
「七君主って…アベル王女に取り憑いていた?」
 声を上げるアベルと、驚きに目を見開くエカチェリーナに、ティナはことのあらましを簡単に説明する。
「…ってわけで、アクアヴェイル国王の中に、七君主とストラジェスってヤツも同化してて大変なことになってんのよ」
「異なる三体の精神体の融合か…興味深いねぇ」
「アクアヴェイルって、どこの国でしたっけー? なんとなく大きな国でしたよねぇ?」
 感嘆したようなエカチェリーナの横で、アベルは相変わらず一国の王女とは思えない言葉をお気楽に呟いている。
「つまり」
 カイオスの言葉で、全員の意識がそちらへと戻った。
 青年は、いつもの調子で淡々と言葉を並べ立てていく。
「今まで属性の源泉を制御していたストラジェスの神具は、大半が持ち去られその効力をなしていない。特に属性継承者のいない土の神剣は、属性の力自体が不安定――闇がいまだこちらを狙っているなら、そこに付け込まれる可能性は多分にある――と考えることはできる」
「確かに…」
 何人かの相槌に続くように、涼やかな声が冴え渡るように響いた。
「しかも土の神剣に関しては、使い手がはっきりしている…。過去一度、その力を制御したことのある人間」
 フェイ・アグネス・ウォンだった。
 部屋の入り口と最奥で、真っ向から視線がぶつかり合い、互いの意図するところを汲み取ろうとするかのようにしばらく沈黙が訪れる。
 やがて、ため息をついて切り出したのは、銀髪の混血児のほうだった。
「実は、私が皆さんをお呼び立てしたのも、それが理由です」
 ざわりと空気が動く。
 彼女は銀の髪をかきあげるように耳にかけると、思案するように視線を落とした。
「私が目覚める直前――つまり、ウェイがここに襲撃に来たとき、確かに土の属性が秩序を取り戻しました。狂ったように私を押さえつけていた力が解き放たれて、目を開けることができた。つまり…」
 藍色の視線を受けて、ディーンがひとつうなずく。
「あの場にいたのは、俺とアルフェリアのみ。だが、俺は属性魔法自体が使えない」
「じゃあ、まさか…アルフェリアが、土の属性魔法を…?」
「え、でもアルフェリアさん、魔法は使わないんじゃ…」
 クルスとアベルの驚きは、その場の全員の心中を代弁しているかのようだった。
 つまり、不安定な土の属性の力――そこを七君主に狙われる可能性さえある現状で、その力を制御できるとすれば、今まで『魔法に疎い』といい続けてきたアルフェリアその人ということになる。
「どうするんだい、彼…すごい形相で飛び出して行っちゃったけど…」
 エカチェリーナが流すような視線で扉の外をうかがった。
 アルフェリアのあの態度からすると、『姉を自分の手で殺す』発端となった土の神剣に近づくことはおろか、その話を切り出すのもかなりの勇気を要するように思えた。
 手詰まりを体現したかのような気まずい沈黙の中で、アベルがおずおずと声を上げる。
「あのたとえば…ほかの魔法が強い人たちだけで、様子を見に行くっていうのはどうでしょう? フェイお兄様は安静にしていたほうがいいとしても、ティナさんやカイオスだって、属性継承者でしょう?」
「今回俺は動けない」
 え、と視線が集まったのは、アクアヴェイル人の容貌をした青年だった。
 壁に体重を預けるような体勢をとった男は、全員の視線を受けて、ズボンの裾をわずかに上げる。
 うわ、とクルスが思わず息を漏らした。
 アベルは口に手を当てて呆然としている。
 ティナの鼓動が、どくんとひときわ大きく自分のなかに鳴り響いた。
 白の学院でティナを庇った――あのときの傷だ。
 赤黒く腫れ上がって、いまだその足を蝕んでいる。
「ど、どうしたんです? その怪我…」
「ちょっと、な」
 アベルの問いかけを軽く流し、カイオス・レリュードは肩をすくめた。
「悪いが俺はしばらく戦力外だ。残る面子で戦えそうなのは、ティナ、クルス、エカチェリーナくらいか。土の神剣の状態をはかりにいくとなると、多少心もとないんじゃないか」
 ずっと黙って話を聞いていた守護聖獣イクシオンが、初めて口を開いた。
「僕を含めてだけれど――基本的に土以外の属性を持っている存在は近づかないほうがいいかも知れないね。特に不安定な神剣だ。下手に違う波動の属性継承者がそばに行くと、そのまま神剣の力自体が暴走しかねない」
「じゃあ、どうすれば…」
 誰かが呟いた言葉に、答える人間はいなかった。
 そのまま沈黙のうちに、いったん散会することとなった。
 だが、ティナの胸中には、立ち込めたうす雲にさらに霧がかかって、白い靄のなかで前も後ろも見えないような不確かさが、相変わらず渦巻いている。
 ティナ自身の過去は明らかになった。
 風の属性継承者でありミルガウスの正当な王位継承者フェイも、その正体を明かした。
 ストラジェスの神具――そのひとつも手元にある。
 一見、一歩先に進んだようにも見える。
 それなのに。
(なんか…話が余計ややこしくなったような…)
 ストラジェスのことや七君主のこと、ウェイの急襲、土の神剣。
 事態はさらに混迷し、どこに向かうのか定かではない。
 クルスやイクシオン、ほかの人間たちも、部屋を連れ立って出て行く。
 アベルは、視線を落とした混血児をものいいたげに見つめていたが、結局言葉にせず、とことこと出口へと歩き出した。
 どことなく重い足取りでその流れに倣おうと踵を返しかけたティナは、不意に背後で気配が動くのを感じた。
「ティナ・カルナウス。カイオス・レリュード」
 名前を呼ばれた二者の視線が、自らを呼び止めた人間を凝視する。
 混血児の藍色の瞳が、淡々とこちらを映しこんでいる。
 透き通るように白い肌の中で、色の薄い唇が、抑揚無く続けた。
「お二人に、お話があります」

* * *
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