Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 正統なる継承者
* * *
「ミルガウスに戻らない…」
 呆然としたティナの言葉は、水を打ったように静かな空間にぽつりと落ちた。
 フェイは端正な彫刻人形のように唇を引き結んでいる。まるで一切の問答は不要と意思表示するかのように。
「…」
 カイオス・レリュードは、そんな相手をしばらく見守るように見つめた後、足を組んで椅子の背に身体を預けた。きしむ様な音が空気を伝うのに合わせ、ため息をつく。
「くだらない」
「えぇ!?」
 開口一番、あまりと言えばあまりの言葉に、反応したのはティナの方で、フェイは変わらず微動だにしない。
 アクアヴェイル人の容貌をした青年は、その透き通る青い目で、混血児の王位継承者をありのまま映しこんでいる。
「ドゥレヴァに言いたいことがあるなら自分で直接言え。ヒトを使うな」
「…今回、七君主が狙っていたのは、『ミルガウスの王位継承者』です。しかも、ソフィア様に取り憑いたもう半分の『ベリアル』は、いまだ行方が分からないのでしょう?
 そのような状況でミルガウスに戻れ、と」
「それを言うなら、俺も七君主に狙われてる」
「………」
「『死に絶えた都』での個人的な経験から言えば、脅威に対して周囲を遠ざけるより、うまく使って対処したほうがはるかに効率よく事が進むものだ」
 涼しい顔で結構すごいことをさらりと言い切る青年に対して、はじめてフェイは能面のような表情を崩した。――といっても、真っ向から相手を見据えていた視線を、ほんの少しはずした程度だったが。
 ほんの小さな所作の中に、巧妙に隠された『逃げ』のようなものを、ティナは見たような気がした。
「あなたと私とでは、置かれている立場が違う」
「お前の方が、より守られるべき立場ではあるな」
「違います!」
 再び混血児の藍色の視線が相手を捕らえた。
 覇者の目。
 しかしそれは、相手を制圧するために向けられたものでないように、ティナは感じた。
 この場にはない別のものを遠ざけようとしているように、彼女には映った。
 目に見えない何か。それを畏怖しているかのように。
「私は、ミルガウスに関わるべきではない。カイオス・レリュード、あなたとは違う」
「…思うのは勝手だが」
「大体、いくら神託だろうと、千年竜のお告げだろうと、混血児の王位継承者など、周囲が納得することではないでしょう。…というより、こちらから願い下げです。過去何百年もの間、混血児の迫害を政局に利用してきた国の王座にむざむざ就け、と?」
「俺に死に絶えた都で『混血児の未来がほしい』と言ったのは、王位継承権を覚悟した上での言葉じゃなかったのか?」
「ご冗談を。二度と迫害するなという誓約を取り付けたに過ぎない」
「…お前の妹が王位に就くほうが、問題になりそうな気もするが」
「何のための三大臣です? 能力の足りない王であれば、周囲が補佐すればいい。父に能力で劣ったドゥレヴァは、己の無才に固執することなく周囲を重用することで、賢王の名声を得た。あなたもよくご存知でしょう」
 二者の意見は真っ向から食い違い、限りない平行線を辿っていくようにティナには見えた。
 しかも、どちらも自説を曲げようとしない。
 迷った挙句、おずおずと切り出してみる。
「あの…とりあえず王位継承者については、いったん脇に置いといて…。土の神剣のことについて、話しない?」
 言ったとたん二人から視線を向けられ、伺うようにじーっと見つめられた。
(うわぁ…)
 冷や汗をかきながら直立不動に固まっていると、ため息をつきながら切り出したのはフェイの方だった。
「…そうですね。個人的な話題で話が逸れて申し訳ありません」
 そこには、先ほどの頑なな意思はなく、普段の透明な雰囲気だけがあった。
 うその様に淡々と、フェイは土の神剣に押さえつけられていた時の状況について語った。
 とはいっても、先ほど全員を集めて話された際の内容を、大きく補完するものではなかったが。
「…神剣には、浄化されていない魂が巣くっている可能性があります」
 ぽつりと付け足すように言われた言葉に、ティナはびくりと身を竦めた。
 ひょっとして、ナニがアレだという話題だろうか。
 そんなティナを、何か言いたげに一瞥したカイオスが、ため息混じりに問う。
「浄化されていない、魂?」
「はい。確かにそれは死んだ人間です。ただ、あの波動は、幼い頃に会ったことがある…」
 彼は何を言おうとしているのか。言葉なく問いかける二人の視線に答えるように、フェイはどこか遠くを見るような仕草を見せた。
「混血児は人の心を読む、と言われますが…それはほとんどの場合、人が作り出した迷信です。ただ…まれに魔力が高いものは、それに近いものを見ることができる」
「それが、『波動』」
 カイオス・レリュードの指摘に、フェイはひとつうなずいた。
「その人――いえ、人に限らず生きとし生ける生命がまとっている、『気』のようなもの…と言えばいいのか。それは、時を経たからといって変わるものではない」
「『気』のようなもの…」
 カイオス・レリュードは、どこか考えるそぶりを見せた。あるいは、誰かのことを思い出しているのかも知れない。
 一方で、ティナは混血児の藍色の瞳が、自分を意味深に見つめたのに気づいた。
 それは先ほど、フェイが過去自分と会ったことのあると感じたときに見た瞳と、同じ光を宿していた。
「フェイ、その『気』ってのが時間が経っても変わらないってことは…ひょっとして、はじめに『副船長』としてゼルリアで会ったときから、私が…不死鳥憑きの巫女だって、気づいてた?」
「…」
 フェイは、肩をすくめただけだったが、その動作が何よりの答えだった。
 ティナはどこか脱力する心地で呟く。
「じゃ、あんな試すような戦いしなくても、素直にアベルを返してくれればよかったじゃないの」
「言っとくが、あの一件はどー考えても、言いがかりをつけたお前に問題あると思うぞ」
「ちょっ、別に言いがかりじゃないもん! ロイドたちがアベルを誘拐したのかと思って、ちょっと間違えただけだもん!」
 上目にこちらを伺いながら、余計なことをずばり指摘するカイオス・レリュードに、あわてて取り成そうとするが、向こうに理があることは、ティナにもよく分かっている。それでも売り言葉に買い言葉で、しばらく言い合っていると、またしてもこちらをじーっと見つめる視線を感じて、尻すぼみに語気が落ちた。
「なんというか…本当に、打ち解けたんですねぇ」
 しみじみとかみ締めるような呟きに、一瞬固まった後ぽろりと言葉が落ちた。
「…何が」
「…どこが」
 はかったわけでもないのに、呼吸は見事に一致して、見やった視線がどこか気まずく互いをさらう。
「まあ、確かに…最初は会話がなかなか成立しなくて、心が折れそうになったけどね…」
「…それは悪かったな…」
 それ以上はフェイも新しい話題があるわけではないようで、その場は収まる流れとなった。
 ただ最後に、椅子を立ったカイオスがフェイに投げかけた言葉が、ティナの耳にも印象的に残った。
「俺はミルガウスの王位継承云々で残したとして…ティナはなぜ引き止めた?」
「…」
 藍色の視線が、ティナを見つめる。
「私を不死鳥の炎が焼こうとしたとき、身代わりになってくれた赤い髪の人…」
 さらりと紡がれていく言葉の一つ一つが鎖となって、ティナの手足を縛っていくようだった。
「…あ」
「不死鳥の炎が彼女をまこうとする寸前、彼女は空に消えたように見えました。…私も余裕があったわけではないので、定かではないですが」
「…じゃあ、彼女は生きているかも知れない…そういうことか」
「はい」
 代わりに答えたカイオスに、フェイはごく控えめにうなずいた。それは言葉通り、確信の小ささを表しているようにも見える。
 そのまましばらくティナのほうを見つめていた藍の眼が、不意にカイオスの方を射抜いた。
「それから…もうひとつ。さきほど、私にはその人の『気』が見えると申し上げましたよね」
「そうだな」
「だから、幼くて顔を覚えていなくても、『両目が見えない』王子として布を巻いて生活していても、私はあなた方『お二人に』ゼルリアで会った瞬間、すぐに過去会った人間の誰か分かりました」
「………」
 しかし、と薄い唇が音を続ける。
 図るように伺うように、藍色の視線が意味深にこちらを見つめている。
「みなさんの中に、一人だけ――会ったときから『気』が見えない人間がいます。時間が歪められていて、外面と内面の時空が乖離している」
「…え?」
 突然の話に戸惑うティナの横で、なぜかカイオスのほうがひとつうなずいた。
「なるほど」
「まさか、お気づきでしたか?」
「まあ、それなりに」
「さすが、カイオス・レリュード」
 ティナには『誰』のことを指しているのか理解不能だったが、二人の間では分かり合ったらしい。
 もうひとついいか、とカイオスが切り出して、どうぞ、とフェイが受ける。
「俺たちに――『二人』に会ったとき、過去会った人間の誰か分かった、と言ったな」
「ええ」
「お前は以前、俺に会ったことがあるのか?」
 その言葉は、たんなる疑念のようで、非常に重要な事実に触れようとしていることに、ティナは気づいた。
 そう、彼女の眼前にいる『カイオス・レリュード』は、10年前に死んだ本物似せて『作られた存在』だ。
 だから、幼き日々にフェイが共にシルヴェアで時間をすごした『本物』と、『同じ気を持っている』はずないし、過去王子であったフェイと『会っているはずもない』。
 しかし一方で、白の学院で三度見えた七君主は確かに目の前に『カイオス』に向かってこう言った、『ダグラス・セントア・ブルグレアの息子、カイオス・レリュードを殺す』、と。
 一見平然としている青年の心境がどれほど複雑か、その表面からは何もうかがえないが。
 フェイは特に表情を動かさなかった。即座に告げた。
「あります。ただ、『本来』の気がだいぶ薄まっていますが」
「薄まっている?」
「あなたは間違いなく、カイオス・レリュードです。しかし、あなたが『カイオス・レリュードであるために必要な要素』が絶対的に欠けている。
 …言うなれば、今のあなたはカイオス・レリュードであり、カイオス・レリュードではない。
 私に言えるのは、そのくらいです」
「………」
 謎かけのようにも見える言葉を、カイオス・レリュードはやはり淡々と受け止めた。
 それ以上続けず、どうもとだけ呟いて、結局その言葉を最後に二人は部屋から出た。


「うわー、何か無駄に緊張したわ…」
 共に出た廊下に人気はなかった。
 何かから開放されるような心地で、うーん、と一伸びしたティナの横で、カイオス・レリュードは考えるように視線を落としている。
「カイオス、…だいじょうぶ? 傷の具合もよくないんでしょ」
「ああ…いや」
 視線を上げると、青年はやはり平静な面持ちでこちらに向き直った。
 とはいえ、その内面が表情どおりであるはずはないわけで、おせっかいと思いつつ心配するティナの心境は、こちらはばっちり表情に出ていたのか、相手はわずかに相好を崩した。
「怪我のことは気にするな。俺が受身を取りそこなっただけの話だ」
「…うん」
 ティナが本当に心配しているのは、表面上の怪我のことではない。
 『カイオス・レリュードであって、カイオス・レリュードではない存在』。
 確かにティナは以前、死に絶えた都で『カイオス・レリュードの亡霊』と言葉を交わしたことがある。少年の姿をした幽霊――もとい、精神体のようなソレは、『七君主に操られたカイオス・レリュードから弾き飛ばされた』と言っていた。
 彼は無事に戻ることができたのだろうか。そして、少年こそが本物の『カイオス・レリュード』だとすれば、眼前の青年は、いったい『誰』になってしまうのだろうか。
(なんか…話がどんどんややこしくなっているような)
 話の核心には触れたい。かといって、むやみに触れていい話題ではない。当たり障りなく怪我の話にとどめた相手の心情に沿うためにも、この話題は終わりにしたほうがよさそうだった。
「結局…神剣のことについて、フェイも何か分かってるわけじゃないのね」
 肩をすくめて話題を切り替えると、カイオスもそうだな、とだけ応じた。
 ぎこちなく歩き出しながら、吐息に乗せるようにつぶやく。
「あいつの抱えているものが何かは知らないが、…ああも頑なに出られると、さすがに話しづらい」
「はじめて会ったときのあなたみたいよねぇ」
「…は?」
「あなただって自分で言ってたじゃない。自分の問題に関わらせないよーにしようとして、必要以上に周りを遠ざけてさ」
「………」
「…似たもの同士なら、気持ちも分かるんじゃない?」
 ティナの言葉をどう受け取ったのかは定かでないが、カイオス・レリュードはしばらく壁のほうを見つめた後に、
「ぜんぜん分からない」
とだけ返してきた。ティナは意外に思って聞き返す。
「へー、あなたにも分からないものがあるの?」
「…ローブで素顔を隠して性別偽るような王位継承者の考えることなんて、分かるわけないだろう」
 言葉は淡々としているが、眉根が微かにひそめられている。
 ティナはとっさに思ったことを、思ったとおりに口にしていた。
「まさか、フェイのこと苦手なの?」
「理解できないだけ。苦手というわけじゃない」
「ふーん」
 理解できないのと苦手なのと、何が違うのかティナにはよく分からなかったが、これ以上突っ込むのもなんだったので何も言わなかった。
「…とにかく、あいつの問題は別の人間がなんとかするだろう。
 世の中には、周囲を遠ざけようとするこちらの空気感を無視して、牛みたいに突進してくる奇特なヤツもいるからな」
「誰のことを牛って言ってるのかしら…」
「当面の問題は」
 半眼でつぶやいたティナを無視して、カイオスは平然と続けた。
「アルフェリア、かな」
「あ! そーだ、どうするの彼。それこそ、ちょっとやそっとじゃ説得なんて…」
「お前、ひょっとして知らないのか?」
「え?」
 カイオスが続けた言葉に、ティナはぱちぱちと目を瞬かせた。
 意外、というより想像もしていなかった事実だ。
「え、なんで…その割にシェーレンで、あんたら二人して朝帰りやらかしてたじゃないの」
「…やってない」
 ひとつため息をついて、彼は視線を上げた。
「そこをつけば、たぶん彼をその気にすることはできる。問題は…」
「誰が説得にいくか、よねぇ」
「…そうだな」
 たぶん、その役目はティナやカイオスにはできない。
 かといって誰が負うことのできるものかというのも、ティナには想像できなかった。
 あるいはカイオス・レリュードには、その算段もついているのかも知れないが。
(ほんっと…何でもない顔して、心強いわよねぇ…)
 思いながら、こっそり上目で伺うと、こちらを掠めた視線とかち合うようにぶつかった。
 冷めた色の目が微かに細められる。
「何か?」
「いや、何でも」
「そうか…。それはそうと、レイザの件、よかったな」
 相手から話題にしてきたのが意外で、ティナは思わず視線を下に向けた。
「あ…うん。何がどうなって『消えちゃった』か定かじゃないけど、希望がないわけじゃないもんね」
「だな」
(こんな日が、来るなんて…ね)
 相手への好意云々は別として、最初は顔色を伺いながら恐る恐る会話していた人間と、自然に言葉を交わせている事実に、ティナは改めて思い至った。
 あるいは現在、ふつーに会話したり相手を当たり前に信頼できる状況が、『相手の空気感を無視して牛のように突っ込んでいった結果』のひとつだとすれば、いろいろぶつかったりした過去の出来事も、まんざら悪いものではなかったのかもしれない。
 そこまで想像したとき、おそらく自然に口角が上がっている自分を見つめる相手もまた、微かに笑っていることに気づいて、そこでまた嬉しくなった。

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