Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 決意
* * *
 目を開けると、そこには四人の人間がいた。
 二人は混血児の女、一人はアクアヴェイル人の男、もう一人は双黒の容貌の少年。
 あたりは岩肌。洞窟の中だろうか。どこからか光が差し込んでくるのか、ぼんやりと明るかった。
 『彼』に微笑みかけたのは、少年だった。
 人懐っこい笑みが、作り物のように完璧に、顔の表面に張り付いて『彼』を見下ろしていた。
「よお、はじめまして、やな」
「はじめまして」
 『彼』は答えた。
 初めてその身体で操る言葉はぎこちなく、慣れない女の高い声が内と外から振動し、他人のそれのように耳を揺さぶる。
 そう、それはまさに『他人』の音に聞こえた。
 血を分けた双子の姉のものであっても。
「自分、びっくりしたでー。不死鳥の炎の前に、身を躍らすんやもんなー」
「僕、じゃない」
 辺りはひどく寒い。
 ぎこちなく響く言葉はさらに冷気に凍り、『彼』はかちかちと歯を鳴らしながら、もう一度告げた。
「僕じゃない。あれは、レイザ…姉のやったことだ」
「…そうなん?」
 少年は、初めて作り物の笑顔をほんの少し緩めてみせた。
 ああ、人形じゃなかったんだな。『彼』はぼんやりと思う。
「自分、レイザさんって人ちゃうん?」
「レイザは、眠っているよ。不死鳥の炎を相殺しようとして、すさまじい力を放出した…もう、目覚めないかもね」
「ふーん。じゃあ、自分名前なんていうん?」
 驚いた様子もなく、少年は聞いてきた。
 『彼』はけだるげに首をかしげた。
 堕天使の聖堂で行われた継承の儀式。
 姉に喰われた魂のかけら。
「…ルイ。俺はルイ・ミラドーナ。レイザの弟だよ…」


 過去から逃げて、何が悪い。
 そう堂々と言い切れない悔しさが、アルフェリアの胸中を内側からがんがんと叩いていた。
 部屋を後にしたところで、どうせ誰かが追いかけてくるのは時間の問題だと思っていたが、それが誰であろうと追い返すだけだと思っていた。
 なのに顔を覗かせた人間はあまりに予想外で、さらに外交上政治上のあれやこれやの縛りがあって、無下にできない相手だったからなおさら困り果ててしまった。

「どーしたアベル。王女が一人でこんなところうろついてちゃいけねーだろ」
 これまでの人生でそこそこ培ってきた自制心というヤツを総動員し、アルフェリアは努めて冷静に切り出した。
 王女は、こちらの心境などお構いなしに――おそらく実際かまってなどないのだろうが――にっこりと普段どおりの笑顔を向けてくる。
 一時塞ぎがちだったが、フェイが目覚めてからは何かの楔から開放されたように、顔つきが変わっていた。
(若いってのはいいな)
 喉元過ぎればなんとやらってヤツか。
 胸中の苦笑は、現実に自身の表情を動かしていたらしい。
 アベルが怪訝そうにこちらを見返してくる。
「私の顔に、何かついてます?」
「いや?」
「ならよかった。ところで、アルフェリアさん」
 にこにこと、アベルは続けた。
 無意味に笑っているようにもみえる。アルフェリア自身が年を喰ったせいか――若い娘の心中がまったく想像できない。
「私ずっと聞きたかったんですけど…アルフェリアさんって、どうしてこの旅に同行しようと思ったんですか?」
 は?と言いかけてさすがに自重したが、おそらく表情には出てしまったはずだ。
 これも年のせいか――アベルの状況を無視した話題にまったく対応できなかった。これが、カイオス・レリュードあたりも同席するような公の場であれば、取り返しのつかない失態になる。
 だが――幸か不幸か、とっさに探った周囲には、自分とアベル以外の人間の気配はなかった。
 アルフェリアはすばやく表情をつくろいながら、平静を装って答えてやる。
「どうしても何も…。闇の石版を探すにあたって、ミルガウスに援助を表立ってできない手前、ゼルリアからの手助けとして…」
「闇の石版は、私に取り憑いていた七君主が持っていたのが最後の一つで、もうすべて集まったんでしょう?」
「ああ、そうだな」
 人形のようににこにこ微笑んでいた少女の黒曜石のような目に、伺うような色が挿しこんだ。
「考えてみれば、ゼルリア王国の『援助』であるならば、アルフェリアさんでないほうがよかったんですよね。石版を探す旅には、魔法の力が強い人のほうが有利ですから…。同じ四竜でもベアトリクスさんのほうが、適していたと言えるんじゃないでしょうか。彼女は、属性継承者でしょう?」
「俺じゃ、役不足だったか?」
「そういうことではないんです」
 ふるふると、少女は首を振る。
 一見無邪気な動作。
 だが、その中に何かしら計算されたものをアルフェリアは感じた。
 とぼけているように見えても、『一国の王女』、か。
 彼女がこの場に赴いたのには、やはり何か目的がある。あるいは、誰かの差し金か…。
「あなたは、ほかに有力な『援助』となる人物を差し置いて、旅に同行した」
「…『妾将軍の宝の海域』の一件で、あんたらに情が移っちまったからな」
「さらに、石版が集まるという当初の目的を達成しても、この場にとどまっている」
「この極寒の雪国を一人でとぼとぼ帰れってか?」
「あなたはこの村の出身だそうですね。地理には詳しいでしょう?」
「あいにく、追放された身なんでね。土地勘はまったくといっていいほど、ない」
「村への道案内をされたって聞きましたよ?」
「………」
 さて、どうするかな、とアルフェリアは考えた。
 アベルが、いざというときに『王女』として、人前に立てるだけの素養を兼ね備えた少女であることを差し引いても、その言葉には『誰か』の知恵に裏打ちされた説得力がひそんでいる。
 カイオス・レリュードか、もしくはエカチェリーナあたりか。
 こちらが無下にできない相手に入れ知恵してよこしてくるとは、ずいぶんと性格が悪いことだ。
「あのな、アベル。俺はもともと傭兵で、一所にとどまるのが性に合わないんだよ。特に、ここ数年ミルガウスとゼルリアの戦線が緊張してたんで、国事にかかりっきりだった。やっと事態が落ち着いたんだ。ちょっと国の外の空気が吸いたくなった。これじゃダメか?」
「…」
 頑として言うことを聞かない子供に、なだめるように相手をする――それは、幼い頃にこの村で、ディーンやフェイを相手に遊んでいた記憶をかすかに呼び起こした。
 彼の中に残った、子供の部分がずしりと痛んだ。
 無視して言葉を重ねた。
「もともとこの村の出身って言っても、親父はミルガウスの出だしな。要は二世代そろって渡り鳥ってヤツだよ。血は争えないって…」
「家族がいるのに?」
「…」
「ゼルリアには、あなたの家族がいるのにですか?」
 今度こそ、アルフェリアは言葉を飲み込んだまま、吐き出せなかった。
 ああ、まずいな。そこを突かれたか、という苦い敗北感が広がった。
 その敗北感はアベルに対してではなく、過去から目を背ける現在の『アルフェリア』という男の弱さに対して抱いたものだった。
「アルフェリアさん、雪が解ける頃にはお父さんになるんでしょう?」
 アベルの表面から、貼り付けたような無意味な笑みは消えていた。
 彼女が真摯に言葉をつむぐ姿を見るのは、公の場で、ともに旅した道中の中で、初めてのことだった。
 あるいは彼女は、そのことを伝えたいために、誰に言われるのではなく、自らアルフェリアの元に赴いたのではないかとさえ感じた。
「お父さんになるんだったら、自分の過去から逃げちゃだめだと思います。お兄様を一度は拒絶してしまった私が…言えることではないと思います。けど、このままだと、絶対に後悔すると思います。
アルフェリアさん、後悔したまま父親になっていいんですか?」
「………」
 変わったな、と漠然とアルフェリアは感じた。
 アベルは変わった。
 『兄を死に追いやった』という過去を乗り越え、その『兄』の正体が『混血児』であったことをも受け止めたとき、おそらく彼女は変わったのだろう。
 それは、決してたやすい作業ではなかったはずだ。
「なんか…すごいな。お前」
「…ほえ?」
 アベルの問いにも似た詰問に答える代わりに、本心からつぶやいた言葉を、少女は予想通り小首をかしげて受け止めたようだった。
 そんな少女の頭を、ぽん、とアルフェリアは軽く小突く。
 そこには、さきほどまで胸中に立ち込めていた暗雲のような重苦しさは、不思議とまったくなかった。
 他人に――しかも自らより10も若い小娘に、はっきり言葉で質されたことによって、こじ開けられた扉から『過去』という名の重苦しいモノが、ものすごい勢いで飛び去っていくような感覚さえ覚えた。
 傭兵として奪った命は、自らが生きるため。
 将軍として奪った命は、国のため。
 取るのも取られるのも覚悟の上で、剣をとってきた。
 だが幼かったあの日、姉の命を奪った行為は、死の恐怖に負けた卑怯な殺傷行為以外の何者でもなかった。
 その血を拭っていない手で、子供を抱くわけにはいかない。
「そーいうわけには、いかねぇよなぁ」
「ふえ?」
「何でもねぇよ」
 行くぞ、と少女を促すと、はいー、と子犬のように付いて来る。
 土の神剣がどうとかいう話だったが、何しろ本気で魔法に疎い。
 カイオスかエカチェリーナかフェイか…詳しい人間に聞かないことには始まらない。
 歩き出してしばらく、ふとアルフェリアは問うてみた。
「で、お前に俺のところに行けって消しかけたの、誰だよ」
「えーっとぉ…」
 案の定、アベルはしどろもどろに黙り込む。
 あさっての方向を向きながら、逃げるようにつぶやいたその人物の名前が意外で、アルフェリアはつい呟いていた。
「…まじかよ」

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