Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 閉ざされた山
* * *
 ゼルリア国北方の地は、良質の石や金属がとれる鉱山の多い土地として重宝されている。
 さらには、石に特殊な加工――紋章を刻み込んで、物質に魔法の力を宿らせる技術――を施すことのできるのは、異民族の間にのみ継がれてきた呪法といわれ、混血児の村で代々継がれてきた秘儀でもある。ちなみに、その技術をもって、かの村はゼルリア王国から公然の秘密として自治を約束されている。
 村が土の神剣の暴走により、黒き竜に襲われたのは10年前。
 時期王位継承者フェイを迎えに来ていた当時のシルヴェア国の使節団を含めて、村の半数以上が亡くなった大惨事だった。
 それを収めたのは、同じく次期シルヴェアの王位継承者の送迎に付き添っていた不死鳥憑きの巫女『ティアーナ・カルナ・ティウス』。
 彼女は時の女神の力を以て厄災を鎮めると、幼い少年の手の中でなおも暴走を続ける土の神剣を、鉱山の奥深くに封印した。
 『閉ざされた山』。
 それは、地図にない村のさらに奥。
 秘められた伝説の眠る場所。


 永久凍土の地面にひと振りの剣が突き立っている。
 優美な装飾。研ぎ澄まされた刃。
 子供の背丈ほどある刀身の傍で、一人の女の子が泣いている。
 ずっとずっと。
 一人ぼっちで泣いている。

 そんな光景を視た、気がした。


「しっかし…なんで『不死鳥憑きの巫女』は、こんな山奥に神剣を封じたのかしら…」
 雪国の空はまっさらに晴れ渡り、どこまでも白い雪原にざくざく足跡を刻みながら、ティナ・カルナウスは自嘲と自戒を込めて呟いた。
 自分が10年前の厄災を鎮めた、おぼろげな記憶はある。
 だが問題は、その時自身が封印場所に選んだ土地のチョイスの悪さだった。
 村から北の鉱山へ向かい、一番険しい山を目指して、半日は経っただろうか。
 山の麓に到着するころには、日が暮れ始めてしまう。
「そりゃあ、二度とそこらへんのガキが過って抜いちまわないように、だろ」
 辟易と応じたのは、ゼルリアの将軍アルフェリアだった。
 こちらも自嘲をにじませて、肩をすくめる。
「しっかし、あんたがあの時の災厄を鎮めた『恩人』だったとは、な」
「うーん、いまいち私も自覚がないんだけどねー…」
 吐息は白く染まり、言葉は冷気に解け、あとはひたすら足音のみが雪原に響いた。
 同行者はあと二人――クルスとロイドだったが、普段無邪気なしぐさで天真爛漫に場を和まれるクルスは珍しく何か考え込んでいる風だし、ロイドに至っては何があったのか目が死んでいる。――というより、今にも爆発しそうな何かをうちに秘めながら、じっと耐え忍ぶ――そんな葛藤を感じさせた。
 クルスはともかくロイドが今回加わったのには、理由がないわけではない。本来ならば、魔法に詳しいエカチェリーナが同行すべきところを、ロイドが自ら随伴を申し出たのだ。
 その尋常でない様子に、仲間たちも異を唱えることができなかった。
 結局、カイオス・レリュードの負傷した隙を狙って七君主に狙われる可能性、また一度フェイを襲いにきたウェイが再度襲来しかねない可能性も考慮して、エカチェリーナは村に残ることとなった。
 村にはほかにも魔力の高い混血児が多くいる。アベルも村にいた方が安全と判断され、この場にはいない。
「そうだ、話しにくいことだとは思うんだけど」
「ん?」
 歩きながら切り出したティナに応じて、アルフェリアが眉根をあげた。
 あえてそれを見ないようにしながら、ティナは小さく切り出した。
「前、私海賊船で話したことあったじゃない。蒼い髪の女性…のこと」
「ああ、そうだな」
「私もね、思い出してみればって感じでやっと気付いたんだけど…彼女あなたの…」
「姉だよ。生き残った方の」
「…やっぱり」
 二年前、クルスと初めて出会った頃のティナ・カルナウスが、ほんの一時すれ違った『他人』。
 それがなんのつながりか、眼前の男と血を分けた姉だという。
 しかも、弟のせいで家族を失い、村を追われた…――
「あの、彼女って…」
「ん?」
 不意に湧き上がってきた疑問を、ティナは注意深く言葉に変える。
「魔法が使えたんじゃなかったかしら。しかもかなり強力な…」
「ああ」
 アルフェリアは、どこか遠い目をして息をついた。
「あいつは…ジュレスは『土』の属性継承者だよ。――20年以上前、シルヴェアを出奔した俺の親父は、混血児の村に落ち着き村の女を妻にした。彼女は双子で――属性継承者だった。お袋じゃないほうの混血児は、村の秘宝を護る巫女だった」
「秘宝…」
「土の神剣を、さ」
 土の属性継承者と土の神剣を護る巫女。
 その血を受け継ぐ子として生を受けたアルフェリア。
 彼は遠い日、暴走した姉を止めるため、土の神剣を一瞬であれ、『支配』した。
「まったく…なぜか混血児ってヤツは属性継承者に縁のあるものらしいな」
「え?」
 見上げた先で、アルフェリアは苦笑している。
「風の属性継承者であるフェイのお袋も混血児だろ。さらには、あのダグラス・セントア・ブルグレアの正妻も、混血児だったって噂だぜ」
「…え?」
 思いがけない人物の言葉に、ティナは思わずそちらを見上げた。
 アルフェリアは、涼しい顔で肩をすくめる。
「知らなかったのか? 不死鳥憑きの巫女」
「からかわないでよ。じゃあ、ダグラスの息子だったカイオス・レリュードも…」
「ああ。混血児の血を引いていた。ま、私生活に関しては謎の多いダグラス・セントア・ブルグレアに対して、世間が勝手に作り話を吹聴してるだけってオチもあり得るが。ただ――あれだけ世間から忌み嫌われる存在が、なぜか属性継承者だったり、世界を動かす立場の人間に取り込まれたりしている。面白いもんだよな」
 その言葉を最後に、しばらくまっ白い雪原を、ざくざく進む靴の音だけが真っ青な空に吸い込まれていくだけの時間が続いた。
 白い息をつきながら、ティナは思いを巡らせる。
 混血児。
 属性継承者。
 そういえば、属性継承者と言えば…。
「水の属性継承者は、二人いるのよね。風の属性継承者も」
「あ?」
 ぽつりとつぶやいた言葉に反応したのは、またもアルフェリアだった。
 クルスもロイドも、まるで影に溶け込んでしまったように、普段からは考えられないほどおとなしく沈黙している。
「水の属性継承者は、意思あるダグラスと、カイオス・レリュード。風の属性継承者は、フェイとウェイ」
「土もいたよ」
「…え」
「ジュレスと、その双子の姉。片割れは、10年前に死んだがな」
「………」
「変な気ぃつかわないくていい。言いたいことは分かる。『なぜ、属性ひとつに付き一人と言われる四属性継承者が、それぞれ二人ずついるのか』」
 煙草の煙を吐き出すように、アルフェリアは吐息を空にはきだした。
「俺はどっちかってーと、魔法に詳しくない。ただ、ひとつ言えることは、混血児だった俺のお袋は土の属性継承者だったが、彼女の双子の巫女の方は、属性継承者ではなかった」
「……」
「珍しいことじゃない。代々村の混血児の家系に、属性継承者が一人生まれる。だから――ジュレスともう一人の姉貴が二人とも土属性の継承者だと知れたとき、村じゃちょっとした騒ぎになったらしい。こんなことはあり得ない。何か悪いことが起こるんじゃないかってな。フェイとウェイの時にも騒ぎになったのを、おぼろげに覚えてる。まあ結局…厄災を引き起こしたのは、属性継承者でもなんでもない、その弟だったわけだが」
「アルフェリア…」
 言葉を交わしていて、ティナは思わず視線をそらした。
 一見平静な外見からは見えない、言葉の端々に宿る自嘲の念。
 気にするなと軽く言い放つその腹の中で、彼は延々と今も自分を責めている。
 続く言葉を失って、ティナは視線を足元に落とした。
 永久凍土に散らばる細かい氷の粒が、ブーツの踵に削られてきらきらと傾きかけた太陽を反射する。
「…属性継承者は二人もいらない」
「え?」
 不意に男が呟いた言葉に、ティナはふと顔をあげた。
 いつもは不敵な相貌を絶やさないゼルリア将軍の横顔が、深く物思いに沈んでいる。どこか、カイオス・レリュードが考え込んでいるときに見せるような静けさをたたえている。
「ウェイのやつがフェイを襲いに来た時、確かにそう言ってたんだ。属性継承者は二人もいらないってさ」
 物静かな表情の裏で、彼は何かを葛藤しているように見えた。
「二人もいらないなら、なぜ二人生まれてきたんだろうな」
 危なげなく歩を進める、その眼に映っている情景は、現在か、過去か。
 10年前、二人いた土の属性継承者のうち、一人が亡くなった。
 事態の渦中に巻き込まれ、実の姉を手にかけた男は、その運命をひたすらに嘆いているように見えた。
「アルフェリア…」
 そんな彼にかける言葉を、ティナは相変わらず持たなかった。
 代わりに言葉が放たれたのは、はるか前方、閉ざされた山の麓からだった。
「なぜ二人生まれてきたか、ですって? 必要だったからですわ」
「!」
 ティナとアルフェリア、そしてクルスとロイドの足が、弾かれたように止まる。
 話に没頭していたとはいえ、まったく気配を感じなかった。
 彼女たちの行く手に突如現れたその姿態は、暮れかけた山の赤い日を半身に浴びながら、悠然とこちらを見下ろしてるようにみえた。
「不要な命なんてありませんわ。それを、あなたが毟り取ったのよ。アルフェリア」
 蒼い髪の女。
 堕天使の聖堂で、過去一度すれ違ったことのある女の面影を、ティナはぼんやりと思い出していた。
 そして、それがアルフェリアの姉であるという事実を、胸中でかみしめていた。
 姉を殺した男。
 姉を殺された女。
 悲劇の姉弟は、血のような夕日の中で、一心に見つめあっていた。
 それは黄昏の一瞬の合間を切りとって、時間を永遠に止めてしまったかのようにも感じられた。

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