Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 闇を解き放つ力  
* * *
 険しい鍾乳洞に囲まれた地底の底に、ひと振りの剣が突き立っている。
 女の子が泣いている。
 小さな手で顔を覆い隠して、小さな体を震わせている。
「あなた、どうしたの?」
 ティナは、思わず駆け寄って、その肩に触れた。
 燐光がこぼれるように指からすり抜けた。指に感じた感触は、明らかに人間の持つ弾力性を備えてはいなかった。
 冷たく、頼りなく、そして儚い。
「あなた…生きている人間じゃないわね」
 冷静に、ティナは切り出した。
 女の子の肩が、わずかにぴくりと動いたのが、指先に伝わった。
「どうしたの? どこに行っていいのか迷っていているの?」
 優しく続けると、彼女は不意に手を降ろして、泣きくたびれた顔でこちらを見やった。
 燐光が零れる。
 しゃくりあげる息に乗せて、少女は呟く。
「このままじゃ、村が危ないの」
「え?」
「ジュレスと、アルフェリアが、このままじゃ――」
「え!?」
 予想外の名前に、思わずティナは大きな声をあげた。
 
――そしてそこで、目が覚めた。


「クルス、お前は何を恐れとん?」
 雪の舞う白い大地に、キルド族の少年の言葉は深々と響いた。
 攻撃魔法の嵐は止み、風の音が両者の間をむなしく行き交っている。
 キルド族の少年と――血まみれで地に伏したクルスと。
「第二次天地大戦が終わった時、いずれ全てがこうなると、決まってたことや」
「違うね。未来は白紙に戻された。ヴェレントージェ女王の最期の力によって」
「まだ、そんだけしゃべれるか」
「冗談。俺たちは死なない。いや――『死ねない』。そうだろ、兄貴」
 血に染まった口元をぬぐって、クルスは片足を雪に打ち込むようにして立ち上がりかけた。その足先を闇の魔法が襲い、衝撃で再び地に叩きつけられる。
「『死ねない』、か。いやな現実やわ」
「恐れてるのは、どっちだよ」
「何?」
「『死ねない』体になって、時間から取り残されて――恐れてるのは、どっちの方だよ、兄貴」
 クルスの血に濡れた指先が、白い雪をつかんだ。
 それは確かに冷たく体を浸食する感覚なのに、皮膚はまるで何事もないように常温を保っている。
 体に刻み込まれた無数の傷も――自由は効かないが、ただそれだけ。痛みなど感じず、今少し経てば嘘のように立ち上がれるはずだ。
「属性継承者たちを焚きつけて、殺し合わせて――それで何か解決すると思ってるの」
「お前こそや。『シェキア・リアーゼ』の預言。不死鳥憑きの巫女の『予知夢』。どう考えても、属性継承者を『一人』にせんといかん兆候が出てるやんか」
「でもね。死に絶えた都で、『水の属性継承者』は死ななかった。不死鳥憑きの巫女自らが、運命を変えたんだ」
 体の節々に刻まれた無数の傷から、決して少なくない量の血液が流れ出している感覚が分かる。
 これが他の仲間たちの前であれば、すっ転んで、痛がって、景気よく泣きわめいているところだ。
 だが、今は兄と自らの二者しか、この場には存在しない。
 当初、しばらく戦っていたジュレスも、戦局がキルド族の少年に有利と見てとると、アルフェリアたちの方へ行ってしまった。
 完全に二人きりになるのは、シェーレンの都、炎天下の砂漠で話をしたとき以来か。
 何度か、二人きりになって、何度か言葉を交わした。
 だがいつも、進まない二人の体は、進まない議論を交わす。
(堂々巡りってヤツ…なんだろうな)
 クルスは力なく笑った。
 そして、何度か口にした言葉を、何度目か口にした。
「不死鳥憑きの巫女は、世界を選ぶ力があるんだ」
 再びまみえたキルド族の少年とクルスの主張は、前回話をしたときと同じく平行線をたどっていた。
 だが、前回と今とでは決定的に違うことがある。
 属性継承者たちは動き出した。
 そして、『神剣』の力も。
「不死鳥憑きの巫女に世界を変える力があったとしても――」
 キルド族の少年は、白い息を虚空に吐いた。
 侘しげに、立ち上る軌跡をただ見つめながら。
「属性継承者たちは、おそらく止まらんで。どちらかが一人になるまで――徹底的にヤり合うと思うわ」
「もしそんなことになったら――」
「そうやろ、水のおにーさん、風のおねーさん」
「!」
 はっとしたクルスが視線を移した背後に、金髪のアクアヴェイル人の相貌をした男と、銀の髪を忌々しげに掻きむしる混血児の少女がいた。
 空間魔法で転移してきたのか。
 キルド族の少年は、気安げに投げかける。
「首尾は――って、見たら分かるか。失敗したんやねぇ」
「うるさい! ちょっと黙っててもらえる? 今これ以上何か言うなら、あんたもぶっ殺すわよ。キルド族」
「こわいわぁ」
 クルスの頭上で、殺伐とした女と、ひょうひょうとした少年の、凄まじい温度差の会話が軽妙に飛び交った。
 そこにある内容を類推して、クルスは、二人が混血児の村へ赴いたこと――そして、おそらく目的を達成できず引き下がってきたことを悟った。
 意思あるダグラスの表情はまだ平静を保っているが、混血児の少女――ウェイの方は、今にでも感情開放して風のエネルギーを解放しそうなほどに理性が飛びかけている。
(カイオスあたりにでも、いじめられたかな)
 思いながら、密かに体勢を立て直そうとしたクルスを、キルド族の少年の魔法が再び襲った。
 吹っ飛ばされて木の幹に激突したクルスに、キルド族の少年はにこっと笑いかける。
「ちょうどよかった。クルス。直接聞いてみたらええやん。おねーさんたちが、もう一人の属性継承者をどうしたいんかを」
「何、そのガキ。あいつらと一緒にいたヤツじゃん」
「せや。他の人らは、土の神剣の祠にいってもてな。二人きり、せっかくやし、ちょっと遊んどったんよ」
「ふーん」
 ウェイは、面白くなさそうに、自らの爪を弾いた。
 そして、獲物をいたぶる蛇の目で、血にまみれたクルスを見つめた。
「もう一人をどうしたいかって…決まってるじゃない。フェイを殺して、私はただ一人選ばれた存在になるの」
「そんなことしたら…おねーさんの命も、…危なくなるかも知れないよ」
「は? 何言ってんの。もともと『一つ』だったものが『二つ』になってるんだから。元に戻さないと世界の均衡が崩れて…」
「二つになって保たれてた均衡も、あるんだよ」
 クルスにとっては、ただ『事実』に基づく懸命の説得だった。
 だが、その言葉を聞いた瞬間、女のまなじりが割けんばかりに見開かれ、銀の髪が魔力で逆立った。
「あの男と同じ屁理屈を…!!」
「屁理屈って…」
(やっぱりカイオスにいじめられたんだ…)
 言葉で人を弄することをやらせたら、あの左大臣の右に出られるものはあまりいない。
 しかし、クルスには一つひっかかる事があった。
 激昂している女に意識を向けたまま、にやにや笑いながら事態を見つめている兄を、横目で見やる。
「今さら…だよね」
「何がよ」
「オレはその時いなかったけど、堕天使の聖堂でも、ジュレスおねーさんとアルフェリアは会ってるよね」
「まあ会ってたけど、残念なことにあの場にはフェイはいなかった」
「意思あるダグラスさんは、カイオスのことはずっと以前からつけ狙ってたみたいだけど…。ウェイおねーさんは、フェイのこと、本当にずっと前から殺したかったの? その割に『堕天使の聖堂』での様子を聞いた限りじゃ、誰かを殺したり、狙ったりしているそぶりはなかったみたいだよ」
「何が言いたいの」
「本当に、おねーさんたちは、もう一人の属性継承者を殺したいほど憎んでるのかって話さ。だっておかしいでしょ。均衡云々の話を聞かされたくらいで、肉親を本気で殺せるんなら、それまでにつけ狙ってたはずだろ」
「だから、それまではあいつが生きてるってことも、定かじゃなかったから…」
「定かになってたら、すぐに殺したの? おかしいね。アレントゥム自由市の光と闇の陵墓でティナが不死鳥を召喚したとき、属性継承者たち全員があの場にそろってたんだよ。ウェイ。君が殺したいほど憎んでいた混血児の片割れがその場にいたことに、本当に気付かなかったの」
「だからそれは…」
 いつの間にか、ウェイの取り巻く魔力は、激昂したいた時の半分ほどに出力が下がっている。
 だが、表面上は少女とやり取りしながら、クルスの視線はずっとキルド族の少年を見つめていた。
 何をした。彼らに、何をした、と。
「ま、確かに『均衡』云々の話だけで、みんながその気になったわけやないで」
 軽く肩をすくめて、キルド族の少年は軽く頭を振った。
「属性継承者が『二人』おる事実。それが世界の均衡を崩していることは、厳然たる事実や。せやけど、どっちが『正統か』て話になると、これはちっとややこしいねん。せやから、三人には、試してもらったんよ」
 微笑んでいるキルド族の少年の、穏やかな様子に、クルスは自らを覆う表皮の全てが、泡立つほどの寒気を感じた。
 正統性を『証明』する。
 そんなことができるはずがない。
 なぜなら、第二次天地大戦において、四属性継承者たちの魂はただ『二つに分かたれた』だけであり、そこに『優劣』も『系統』もありはしないからだ。
「何をした…」
 もはやクルスの意識は、すべて兄に注がれていた。
 決して犯してはならないことがある。
 クルスが仲間たちに口を閉ざし続けたのも、その理を護り続けようとしたからに他ならない。
「彼らに、何をさせた!?」
「第二次天地大戦で――」
 そんな少年の慟哭をあざけるように、キルド族の少年は視線を外して、遠い空を見上げた。
 少年が――そして、クルスが憧憬するしかない、天上の世界。
 魂の還ってゆく場所。
「神剣の力を封じこむ魔具『ストラジェスの神具』に対抗するため、属性継承者たちは、光の石板と同化し、強大な魔力を操る器を手に入れた」
「そんな昔話を――」
「せやけど、ストラジェスの神具に頼らんでも、神剣に語りかける方法も、あるんやで」
「神具に…頼らない?」
「せや」
 そんなことできるはずはない。
 クルスは言いかけた言葉を、その瀬戸際で苦労して止めた。
 第一次天地大戦の折、天使と魔族のそれぞれ『地水火風』を操る覇者が、己を刺し貫いて果てた、神の名を冠する八本の剣。
 その刃には、天使と魔族の力がそのまま封じられているとさえ言われる。
 属性の力の源泉を操るとされるが、確かにそれが人間の力で作った神具で抑えきれるかとなると、話は別だ。
「考えてるなー。クルス」
 にやりと、キルド族の少年は笑った。
 そして、続けた。
「一つ、あるやん。外側から『魔族』の力を活性化できる、素晴らしい『餌』が」
 魔族、と言い切った。
 その瞬間、クルスは悟った。
「まさか、お前…闇の神剣の力を、彼らに解かせたのか?」
「へへ! ご名答!」
 せやけど――と、キルド族の少年は、そこで初めて、視線を凶悪に細めた。
「自分の兄貴に『お前』て、自分フザけすぎちゃうか」
 魔力が立ち昇る。
 黒い波動が。
 それは、クルス自身親しんだ『闇』の属性魔法ではなく、もっと深い――深淵の底からこだまする、混沌そのものの慟哭を体現化しているようにさえ感じた。
(まさか。そんな…)
 茫然としていたせいで、状況に対応するのが、一瞬遅れた。
「ま、そういうことよ、少年。さよなら!」
 可憐とさえ聞こえるウェイの言葉が、凶悪な魔力を伴って少年に放たれる。
 それを受けても、クルスの生命に害はない。
 それは確信となってクルスを護るはずだった。
 なのに今。
 少年は全力で、その場を逃れようとしていた。
(早く、知らせなければ…)
 誰に? カイオス・レリュードに? それとも、土の祠に向かったアルフェリア達に?
「行かせへんで。足をもぎ取れば――いくらお前でも、しばらく動けへんやろ」
 キルド族の少年の魔力と、ウェイの魔力。
 二者の波動は凄まじい熱で、触れた雪から水蒸気を立ち上らせながら、クルスの下半身を――もっと言えば、へその下から上下に体を綺麗に二分する軌道に放たれていた。
(まずい…)
 誰か――。
 その祈りは、果たして天上におわすという、何者かに聞き届けられたのか。
「我が声にしたがえ、シルフィール!」
 けだるげな女の声が、鋭く空を切り裂いて、確かにクルスの耳を打った。
 ガラスが割れるような音がして、爆発的な風が巻き起こった。
魔力の相殺。
 長いローブが尾を引いて、その視界に美しい弧を残す。
 キルド族の少年と、ウェイの魔力を相殺できる存在。
「だいじょうぶかい? ぼろぼろじゃないか」
「エカチェリーナ…」
 窪んだ目に、どこか優しい光を湛えた元シルヴェア王国の筆頭宮廷魔術師は、不敵な仕草で前方を見据えた。
「イクシオンにね。ここまで転送してもらったのさ」
「イクシオン…」
「ああ、私だけじゃないよ」
 ウェイと意思あるダグラスの向こう側、ちょうど彼らを挟み撃ちする陣形となって、混血児の村の村長ディーンが、十数人の混血児を引き連れて姿を現した。
 彼らと並んで、ロイドの姿もある。土の祠から、こちらに戻ってきたのだろうか。
「ロイドにここに案内してもらったんだ。こちらも、攻め込まれてばかりじゃない。そうだろ」
 クルスは、木の幹に預けていた体を、ふわりと離した。
 自分でも意外なほどに、心の底から笑って言った。
「そうだね。どうもありがとう。本当に助かったよ」


「エカチェリーナさんたち、大丈夫でしょうか」
 アベルの言葉は、独り言とも斜め対面に座る男に向けたものとも取れる響きで、ぽつりと空間に響いた。
 混血児の村の村長の邸宅の居間。
 現在は、本来の部屋の主はおらず、来訪者たち――ミルガウスの王女とその従者が、二人、広い空間を占有していた。
 ちなみに、邸内にはもう一人、フェイ・アグネス・ウォンもいるが、彼は自らにあてがわれた部屋に閉じこもっている。
「さあな」
「さあって…。随分と突き放した言い方ですね」
「心を込めて心配でもすれば、首尾がよくなるとでも?」
「そうは言いませんけど…」
 アベルは、連れない返事をする従者――カイオス・レリュードとの無為なやりとりに、ふっとため息をついた。
 ウェイと意思あるダグラスが空間魔法で消えて、その後を追うようにエカチェリーナとディーン、何人かの混血児が聖獣イクシオンの魔法で転移して、そう時間は経っていない。
 そのイクシオンは、狭い邸宅に止まることをあまり好まないようで、村を結界で覆いながら、外を見張っている。
「あの人たち――特にウェイさん。聞く耳を持たないというか、問答無用というか…。ああいうタイプって無駄に戦闘能力高い気がするんですよね。周りが見えてないから」
「逆に隙だらけ、とも言えるけどな」
「そうなんですか」
 カイオスは、暇さえあれば、という言葉が似合うほど、何かあれば本を読んでいる。
 それは、彼が三年前にミルガウス王国に迎え入れられたときから、変わらない。
 今も、アベルと話をする傍ら、その目は紙面に落とされ、どこか思案に暮れているようでもあった。
 ちゃんと相手をしてほしいわけでもなかったが、上の空で取りなされるのも、あまりいい気分ではない。
(ええっと、こういうときは…)
 カイオス・レリュードとの会話において、相手の注意を引きたければ、とっておきの方法がある、と元シルヴェア国の筆頭宮廷魔道士は、いたずらっぽく笑いながら教えてくれた。
「それはそうと…土の祠に行ったティナさんたちのことも、気になりますよね」
 その名前を出すと、青い目がつとこちらを見た。
 視線を受けて、アベルは内心喝采する。
(効果テキメンです! エカチェリーナさん!!)
「神剣、となると、さすがに未知数だからな」
「そうですよねー、心配ですよねー」
「………」
 相手の期待通りの反応に、にこにこと笑っているアベルを一瞥して、カイオスは視線を再び手元に落とすと、さりげなく呟いた。
「話は変わるが…お前、『フェイおにいさま』と仲直りし損ねたんだって?」
「!」
 すわ、仕返しか。
 あまりの話の変わりように、思い切り息を呑んで、次にアベルは長いため息をついた。
「仲直り、しそこなった…というか、あの人には幻滅しました」
「それは、穏やかじゃないな」
 視線は手元に落としたまま、本のページをめくりながらの青年の横顔に、アベルは頬を膨らませて思いを言葉に乗せる。
「だって、フェイお兄さま、自分が王位を継ぎたくないからって、私が光の魔法でお兄さまを助けるべきではなかった、なんて平気で言うんですよ。そりゃ、私は混血児を拒絶してしまったから、彼に対してえらそうなことは言えないですけど、ロイドさんやお兄さまを助けるために、いろんな人が力を尽くしてくれたのに、あまりに自分のことしか考えていないと思ったら、腹立たしくなってきて」
「………」
「そもそも、お兄さまは、ロイドさんや海賊船のみんなや…副船長さんのことをすごく大切にしている人たちがいるのに、自分を大事にしていないようなふるまいをされるから、私思わず『自分を大事にしない人に、王位を継ぐ資格はない』って…言ってしまって…」
 言葉の最期がしりすぼみになったのは、その言葉を放った自らの行いを思い返して後悔したからでなく、その気のない風に聞いていたカイオス・レリュードが、視線を上げてまじまじとこちらを見つめていたからだ。
 彼が用もないのに自分から視線を合せてくるなんて、アベルの経験上めったにない。
 自然、自分の肩を抱いて、完全に身構えた。
「な、何ですか?」
「アベル、お前…。七君主から解放されてから、多少まともな思考ができるようになったんだな」
「そうそう、まるで憑き物が落ちたように! って、それ、褒めてないですよね? けなしてますよね!? 不敬罪ですよね、いまさらですけど! ミルガウスに帰城したら、お父様にお願いして減俸ですからね!」
「本当に今さらだな…」
 アベルの軽口にはそれ以上構うそぶりは見せなかったが、青年は手元の本を閉じると、少女に向き直った。
「相談があるんだが」
「お給料のことなら、お父様にどうぞ」
「前言撤回。お前、やっぱりただのアベルに過ぎないな」
「ただのアベルに過ぎないってどういう意味ですか!?」
 身を乗り出しかけた少女を、軽い語り口と裏腹に、真剣なまなざしで青年は制した。
「光の属性継承者として、可否を問いたいことがある」
「!」
 いつものように反射的に無責任なお気楽発言を放とうとした口が、相手の本気を感じて、音を失った。
 眼前の青年が、あのカイオス・レリュードが、真摯に自分を見据えている。自然、低い声が慎重に喉を通る。
「光の、属性継承者として……ですか」
「ああ。混血児の羽を治した、ミルガウス王家に代々継がれる属性魔法の正当な継承者として」
「………」
 おそらく、青年の問いたいことは分かった。
 彼は、足を痛めていて戦えない。
 しかし、現在カイオス・レリュードが戦力外であるのは、非常に心もとない状況だ。
 確かに、アベルがフェイの羽を治したような力が、カイオス・レリュードに対しても施せるのかどうか。
 問われているのはその可否だ。
「あなたが、私の力を頼みにするなんて、よほど切羽詰まってるんですねぇ」
 今まで、誰かに頼りにされたことなどなかった。
 胸中に芽生えたむず痒いような心持ちをごまかしたくて、上目づかいに告げると、青年は何でもないことのように肩をすくめて見せた。
「使えるモノは王女でも何でも使わせていただかないとな」
「ホントいい性格ですね! 今さらですけど」
 誰かに頼みにされることが、これほどの喜びを伴うことだと、アベルは初めて実感した。
 そして、それに伴う責任感の重さも。
「カイオス。私は確かに、フェイお兄さまの羽を治すことができました。けど…あのときは、本当に必死で…。誰に対しても、どんな状況であっても、同じことができるかどうか、自信がないんです」
 心から真剣に、アベルは自らの正直なところを伝えた。
 相手は、視線を逸らさずただ聞いている。
「成功する保証もないし、万一失敗して、もっと状況が悪くなるかも知れません。だって、私は魔法の基本的な知識すら危ういから。だけど、それでも私の属性継承者としての力が必要なら…」
 先代左大臣バティーダ・ホーウェルンの時代から、アベルは左大臣から色々なことを学んできた。
 歴史、地理、王宮の作法。――魔法の知識も。
 だが、彼女のためにと伝えられた知識は、少女の記憶をすり抜けて無残に忘却の彼方に流され果ててしまっていた。おかげで、ミルガウスを取り巻く国々の名前も、同盟国の王族の名前も、実のところよく分かっていない。
 だが、師から伝えられるのではなく、自ら師に問うこと。
 アベルは席を立ち、対面の椅子に座るカイオス・レリュードの傍らに立った。
 自然に頭が下がり、敬虔な心持ちで、王女は告げた。
「教えてください。私に、魔法を。できれば、一から。あなたを治せるように。そしてこれから、私の大切な人たちが傷ついたときに、ちゃんと力になれるように」
 言い切った後、しばらく、落とした視線を上げることができなかった。
 相手の反応を間近にするのが怖かった。
 これまで、自分に対して教育する義務を負った人間を、散々あきれさせてきた自分だ。
 それが、手のひらを返したように魔法を教えてくれなどと。
(さすがに、怒り出しますかね…)
 半ば覚悟した時、アベルはその耳に、相手の吐息が漏れる音を聞いた。
「本当にいまさら、だな」
「え?」
 思わず顔をあげたのは、その音が怒りや呆れや――そういった『覚悟していた』感情を伝えるものではなかったからだ。
 一見、無表情に見えて、カイオス・レリュードはわずかに苦笑していた。
 付き合いの長いアベルだからこそ分かる、微かな視線の色の違い。
 立ち尽くす王女の前で、彼はぎこちなく椅子を立つと、そのまま膝をついた。
「仰せのままに。アリエル王女殿下」
「え……」
 驚いて顔をあげると、床に片膝をつき、君主に対する最敬礼の形をとったカイオス・レリュードが、面を上げたところだった。
 わずかに下からこちらを見上げる視線が、どこか面白がるように、柔らかく細められている。
「今さら、だけどな」
「い、いいんですか! これまで私、散々…」
「いいも悪いも、現状お前の知識がゼロである以上、そこから始めるしかないだろう」
「それはそーなんですけど」
「本当は、エカチェリーナから教わるのが一番いいんだろうが……」
 立ちあがって再び席につきながら、ふと視線を上に遣って、青年が呟いた言葉を、アベルは耳ざとく拾った。
「エカチェリーナさん? 確か、二重魔方陣を暴発させて、ミルガウスを追放になったんじゃなかったですっけ?」
「そういうくだらない話題は、よく覚えてるんだな」
「くだらないって!」
 身を乗り出しかけたアベルに、カイオス・レリュードは気のないそぶりで淡々と返す。
「さっき、イクシオンの転送魔法を使って、ジュレスたちを追跡しただろう」
「あ、……はい」
「あんな真似、他の混血児にはできない。むろん俺にも、ティナにも、おそらくクルスにも」
「はえー」
 能天気に相槌を打つアベルに、言っても分からないだろうが、と失礼な前置きを平然と行って、青年は続けた。
「魔力には量・質ともに個人差がある。たとえば俺とティナが同じ魔法を同じ威力になるよう唱えても、その結果も同じとは限らない」
「ふんふん」
「個々の魔力の性格は、具現化させた『魔法』という結果から得るしかない。エカチェリーナはさっきのヤり合いで相手の使用した術の構成を分析し、魔力の個性を見抜き、追跡を可能にした」
「言われてることが全然分かりません!」
 素直に思ったことを、素直にアベルは口にするが、その程度の反応は予想の範囲内だったのか、青年は特に感情を動かした様子はない。
「……七君主に自我を乗っ取られたお前が、シェーレン国でフェイとともに空間を使って消えたとき、その反動で空間が歪みやすくなる地点をこの村だと予測し、見事に的中させた。――少しはすごさが分かったか?」
「それは……すごすぎて、それがどれだけすごいか分からないレベルですごいですね……」
 そこまで言って、別の疑問がわいてきて、王女はふと首を傾けた。
「そんなすごい人が、なぜ二重魔方陣なんて暴発させるんでしょう?」
 しかし、帰ってきた返答は、今まで通りそっけなった。
「俺が知るか」
「えー知らないんですかー?」
 がっかりですー、と頬を膨らませると、どこまでも冷めた視線で少し睨まれてしまった。
「とにかく、今までの分、容赦しないからな。覚悟しておけよ」
「はーい」
 そのときだった。
 不意に『何か』を感じて、アベルは視線を上にあげた。
 カイオス・レリュードが怪訝そうに見やるのを傍目に、導かれるように屋外に向かう。
 夕暮れに染まりつつある透明な空気の中、黄昏の泣き出しそうな黄色が、あたり一面を染め上げている。
「どうした」
 追いついてきたカイオス・レリュードに、言葉にできないもどかしさを感じながら、アベルはなんとか言葉を紡いだ。
「何か…よくない感じがする、というか…」
「よくない感じ…」
 眉をひそめた青年の向こうから、聖獣イクシオンが、音なく近づいてくる。
 透明な色彩を帯びた聖獣の瞳も、どこか沈んでいるように見えた。
「少し気をつけておいた方がいいかも知れない」
「気をつける、とは」
「土の神剣の波動だけではない、別の波動が、活発になりつつある」
「別の波動…」
 アベルとイクシオン。
 二者の視線は吸い込まれるように一つどころを見つめていた。
 それは示し合わせたわけでもないのに、土の神剣が不死鳥憑きの巫女によって封じられたとされる、険しい山岳を指し示していた。


「これで、戦局は五分五分だね。兄貴」
 クルスは、自らの盾になるような位置で相手と相対する女性――エカチェリーナと並ぶ位置まで歩を進め、無邪気な笑みと穏やかさを装って、ゆっくりと告げた。
 相手は。属性継承者とはいえ、三人。こちらは、クルスやエカチェリーナをはじめ、魔力の高い混血児たち十数人。
 五分五分と言いながら、数の上でも、戦力的にも、圧倒的にこちらが優位に立った。
 ――しかし、クルスの胸中に渦巻いているのは、形容しがたい不安と焦りだった。
さきほどの兄との一連のやり取りが、心臓が体の線を突き破りそうな程激しく、体中を内側から蝕んでいた。
「五分五分か。面白いこというわぁ」
 キルド族の少年は、八重歯を見せてにかっと笑った。
 その仕草は、クルスと似ている――そうよく言われていた過去を何となく思い出した。
 もう両親の顔も思いだすことが適わないほど遠い時間の昔。
「面白いって、なんだよ……」
 思わず、身を乗り出しかけた。
 傷つけられた体が悲鳴を上げ、むせ込みそうになる。
 あわててエカチェリーナが、こちらに手を差し伸べたのがけはいで伝わった。
「無理しない方がいい。立っているのがやっとのはずだ」
 クルスは横目で相手を見た。取り繕っている余裕は、ほとんど残っていなかった。
「だいじょうぶだよ。それより、ティナ達を追って欲しいんだ。できたら、みんなで。オレはここに残って、彼らを食い止めるから」
「だいじょうぶって……」
 言いかけたエカチェリーナの言葉は、甲高い女の声でかき消された。
 全員の視線が、はっとしたようにそちらに向く。
 ウェイだった。
 身をよじらせて、少女のような外見をした少年は、おかしそうに笑っていた。異様なほど、激しく、心の底から愉しそうに。
「もー、何なのさっきからさー。正統がどーだの、神剣がどーだの」
「ウェイ……」
 声に懸念をにじませて、前に出たのは混血児の村の村長――ディーンだった。
 眉根をひそめて、実の弟の異様な姿を、ただ見つめている。
 耳を不愉快に突きさす嬌声は、やがて、低い呟きにとってかわられた、
「めんどくさいんだよもー、やってられっかよ、あいつばっかり、守られてさー」
 それは、空の青さすら全て拒絶したものの、呪詛のようですらあった。
 尋常でない気配を察して、周囲が臨戦態勢を取る。
 反射的に身構えたディーンのその横に、静かにロイドが並んだ。
 口の形だけで、伝えてきた。
「エカチェリーナ、クルス、行ってくれ」
「行くって」
 ためらったエカチェリーナの服の裾を、クルスは強く引っ張った。
「行こう。ここは二人とみんなに任せよう」
「……」
 こう着状態の中で交わされるやりとりに、意思あるダグラスも、キルド族の少年も、ただ無反応だった。
 やがて、堰が解き放たれたように、ウェイが顔をあげて魔力を解放すると同時に、エカチェリーナの転移魔法が発動し、二人の体は土の神剣の祠へと、瞬く間のうちに移動した。

* * *
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