Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 闇を解き放つ力 
* * *

 新雪の降った日だった。
 一年のほとんどを雪に覆われた村に、新しい白が舞い降りる。
「つまんねーの」
 アルフェリアは口を尖らせた。狭い村に同い年はいない。年の一番近いチビのディーンは体が弱くこもりがちで、剣術ごっこの相手には向かないし、やんちゃなフェイはあたりかまわず走って行くので、はらはらする。この前も新雪にはまって、きゃーきゃー笑っていた。本人は楽しいだろうが、放っておいたらそのまま凍死モノだ。その弟のウェイは、弱虫で泣き虫で、正直見ていてイライラする。
 薪割りもして、水くみもして、せっかく遊んできていいと言われたのに、この村に自分の遊び相手はいない。
「つまんねー」
 すると、くすりと笑い声がして、アルフェリアはびくりと振り返った。
 村はずれの森の中。
 透明なクリスタルのような針葉樹が立ち並ぶ樹林の中は、見渡す限り人影はない。
「つまんないなら、かくれんぼしよう」
「見つけてみてよ! アルフェリア!」
「やだよ、絶対見つけらんねーもん」
 どこからともなく聞こえた声に、アルフェリアは口を尖らせた。
 二人の姉は、二人して仲が良く、いつも一緒に『どこか』にいる。
 どこにいるのか、何をしているのか、両親でさえ知らないことが多々あった。
 二人を取り巻く空気には、形容しがたい独特の『色』がついていて、その間に割って入ることは、何となくはばかられた。だから、二人を相手にすることはあっても、一人ひとり話をしたことは、正直あまりない。
 二人は『属性継承者』だから、と両親は言った。
 もともと『一つ』だったものが、二つに分かたれたものだから、普通の人には見えない固いきずなで結ばれているんだよ、と。
「どーせ、オレが降参したら、笑いながら出てくるクセによー、面白くねぇよ!」
「またアルフェリア、そんな口聞いて!」
「お父さんに言いつけちゃうよ!!」
 くすくすと風に乗って流れてくる笑い声は、現か幻か惑わされて、アルフェリアは、二人の姉が、実は実体のない人間ではないモノではないかと真剣に思ったことがある。――夕飯で食卓を囲んでいるときには、別に思わないのだが。
「ほら、早く!」
「見つけてみせてよ!!」
 二人はいつも一緒だった。
 つかまらない声を追いかけて、アルフェリアはいつものように、幻に向かって張り上げる。
「待ってくれよ! ジュリア! ジュレス!!」


 ――ジュレスと姉弟二人で『最後に』話をしたのはいつだっただろう。
 そんなことを茫然と、アルフェリアは考えていた。
 村にいたのは8歳まで、姉たちはほとんど一緒に過ごしていた。――それでなくとも、姉だの母だのオンナの家族というものに、甘えたい半面ちょっとした反発心を覚えていた時期でもある。
 ただ、ひとつ確実に言えるのは――辿る記憶のそのほぼすべての場面で、当然のように二人の姉は、いつも共にいた、ということだ。
 二人は『属性継承者』だから、かたい絆で結ばれている。
 そんな幼い日の言葉は、のちに村を追放されて訪れた放浪の日々と、ゼルリア王国に行きついてからの多忙な日々の中で、アルフェリアの中から徐々に薄れて行った。
 ジュレスと最後に話をしたのは、混血児の村でのあれやこれやを除けば、石板を探す旅の途中、堕天使の聖堂で一時邂逅したときだ。ひょっとしたら、それがジュリアを抜きに話した『最初』の時ではないだろうか。
 冗談抜きでそう思うこともある。
「なあ、そんなに、あんたにとっては大事だったのか? 何もかも――20年近く経っても実の弟も憎み続けるほど、――そんなに大事なモンだったのか?」
 喉をほとばしる血の臭いに閉口しながら、アルフェリアは呻くように絞り出した。
 姉は――ジュレスは、蠱惑的に唇を釣り上げた。
 重心がじわりとずらされ、鋭い断面を下にして肉に食い込んだ鍾乳石が、その下から新たな血をえぐり出した。
 縫いとめられるように、背後の壁に押し付けられ、鋭い鍾乳石にわき腹と足を貫かれていた。
 血を分けた姉によって。何のためらいもなく。
(やべぇな……)
 アルフェリアは、まだ冷静を保つ頭の片隅で、ちらりと考えた。
 土の神剣が眠る鍾乳洞に入って、すぐにティナとはぐれた。
 切り立った断崖から誰かに――それは赤い髪をした、小柄な人影だった――突き落とされたのだ。
 後を追おうとした時、ジュレスがこちらに追いついてきた。
 ジュレスがこちらに向かってきた、ということは――残ったクルスの安否を優先して、ロイドがあちらに向かった。ジュレスの魔法の一瞬の隙をついて。――彼は、無事にクルスと合流できただろうか。
 そして、ティナは無事だろうか。
(ここで、ヤられるわけには……)
 早く先に進まなければ。
 そう焦る思いと裏腹に、うつろな視界は淡々と、戦局がどれほど絶望的かということを、傭兵上がりの直感で伝えていた。
「大事に決まっていますわ。あなたには、分からないでしょうけど」
 こちらの問いに答える姉の声は、雪国の氷の欠片のように、澄みわたって濁りがない。
「冷たいね。オレだってあんたの弟なんだぜ?」
「あら、違いますわよ」
 ジュレスは平然と言い捨てた。
「あなたなんかとジュリアは違う。あの子は私、私はあの子だった。お互いにひとつの存在だったの。それを――あなたは壊した。私の半分をえぐり取ったの。あなたに、この苦しみが分かって?」
「……」
 ともにすごした時間は、姉弟という関係性を考えたとき、驚くほど少ない。それでも胸の深い部分が微かにうずいたのは、『肉親』という鎖がどこかで生きている証なのか。
「へ、そりゃ悪いことしたな。俺だって実の姉を手にかけたくなんかなかったんだけどよ!」
「あら、殊勝なこと、言ってくれるじゃありませんの」
 ジュレスは、アルフェリアの足に突き刺さった鍾乳洞に足を乗せ、じわりと体重をかけた。
 また石が肉に食い込み、痛みにむせかけた喉の奥から苦い血の臭いが湧き上がってきた。
「でも、起こったことはしょうがない。私だって過去は変えられないことくらい、承知の上ですわ……」
「なら、なんで」
「何かしら」
「どうして、今さら蒸し返す? どうして今さら、死んだ姉貴の仇を討つ必要がある?」
「罪は償わなければならないものでしょう」
「堕天使の聖堂で会ったときと、えらい違うじゃねーか……」
 それは、途方に暮れた上の弱さが呟いた、独り言のはずだった。
 堕天使の聖堂で、彼はジュレスと再会した。
 ――死んだと思っていた。
 村の半壊したあのとき。
 感情を暴発させた姉を、土の神剣を使って止めた後、アルフェリアはそのまま、村の自警団の一番奥に作られた堅牢な牢屋に監禁された。
 見張りの言葉の断片から、自分やフェイの両親が亡くなったことを知った。
 ジュレスの安否については聞かなかった。そのまま誰にも会わず、目隠しされた状態で村はずれの森に一人放置された上で追放されたので、結局姉の安否について直接知ることはなかった。
 ――だから、死んだと思っていた。
 生きていたとしても、二度と会いたくなどなかった。
 姉を殺した自分にとって、その過去を知る者は全て『汚点』であり、血のつながった『家族』は、それをいやおうなく象徴するものだった。
 堕天使の聖堂で、ジュレスと再会するまでは。
「二度と……会いたくなんか、なかった、はずだったのにな」
 右の脇腹を起点に発する熱は、すでに痛みを通り越して、熱い。
 血が脈動するたびに、全身に熱が行きわたり、頭の深いところまで灼熱に犯していく。
 血を流し過ぎたか。視界がぼんやりとかすみ、指の先の感覚が鈍く遠い。
「会ってみたら、やっぱ安心したんだよ。家族が、生きてて、うれしかったんだ。……ちくしょう」
「……」
 その呟きをどう聞いているのか、ジュレスは特に反応を返さなかった。
 不意に足を蝕む鍾乳石に加えられた負荷が除かれ、アルフェリアはのろのろと視線を上げた。
 かすんだ視界の中で、ジュレスは、静かに微笑んでいた。
 幼子に母親が見せる、美しい頬笑みを連想させる、優しい笑顔。
「生まれ変わったの」
「……な、に?」
「私は、それまであきらめていたのですわ。姉が死んだことも、それを殺したのが弟のあなただったということも。父と母が亡くなったことも。罪人の家族として、村を追放されたことも――すべて、『仕方ない』ことだと、あきらめていたの」
 それは、ジュレスに過酷な運命を強いたアルフェリアを断罪するというより、――たとえるならば、神の前ですべてをさらけ出して懺悔する、敬虔な神の信徒を連想された。
「私は、あきらめていたの。全てを仕方のないことだと。そして、あきらめたまま、これからも生きようとしていた。我ながらふがいないことに」
「……その気が、変わったって?」
「ええ、変わったわ。キルド族のあの子が教えてくれた。私の心が『本当に望んでいること』。自分を偽らず、ありのままでいいのだと」
 アルフェリアの目の前で、ジュレスは天に祈るような仕草を見せた。
 両手を組み、胸の前で掲げ、じっと頭を垂れてすべてを委ねた者の表情を見せる。
 それは、熱に浮かされたアルフェリアの目に、どこか神秘的なものとして映った。
「本当に、望んでいる、こと……」
 アルフェリアの呟くような問いに、ジュレスは答えなかった。
 代わりに、女の胸の辺りから、零れるような燐光が漏れた。
 強く、美しい光は、弧を描きながら徐々に丸い球状を帯びる。
 薄暗い洞窟の光を、そこに一挙に収束させたかのような、明るさが、闇を茫洋と照らした。
「な……」
 アルフェリアは、我が目を疑った。
 意識が一気に覚醒する。とたんに湧き上がった痛みに、思い切り悪態をつきながら、しかしその目は、繰り広げられる光景にそこから離すことができなかった。
(剣……だと?)
 光の中から、徐々に輪郭が明らかになっていく。
 柄。装飾剣のように美しい宝石があしらわれ、はしばみ色から琥珀色に淡いグラデーションを描いている。そして、磨き上げられた刀身。鋼の無機質な白ではなく、脈打つような黄色がぼんやりと光を放っていた。
 一目で分かる、魔力を帯びた剣。
(人が……剣を生む、だと!?)
 ふざけんなよ、と身を乗り出しかけて、見動きできない事実を思い出した。
 そして、その感覚が教える――これが『夢』でもなんでもない、ただの現実の続きに過ぎないことを。
「私は、生まれ変わったの」
 魔力剣を片手に、恍惚とした表情で、ジュレスは紡いだ。
 それは、堕天使の聖堂で一時まみえたときの面影など全くない――文字通り、知らない他人になり果てた女の声に聞こえた。
「これが、私が『正統な』属性継承者である証。神の名を冠する剣の所有を許された」
 剣など触れたこともないような女の細うでが、軽々と片手でひと振りの剣を持ち上げた。
 刀身がまばゆい光を放ち、所有者の意思を反映してさざ波のように魔力を周囲に解き放った。
「私の本当の願い。今ここに聞き届けよ」
 光に照らされた女の半面が、凄絶な笑みでアルフェリアを見据えた。
「私の大切なものを奪った――私の弟に、断罪の鉄槌をくだせ。我が願いを成就させよ。神の名を冠する汝が力を持って。我が憎しみに応えよ。――『闇の神剣』よ」

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