Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 正統性の証明
* * *
 砂漠の国の太陽が、砂の大地を白く照らしていた。
 天幕の中に、男女が4人。
 ジュレス、ウェイ、キルド族の少年。意思あるダグラスは、怪我をしているらしく、床にふせっている。
 通りで行き交う人は絶えないのに、雑踏の音はその空間を避けているように、静けさが漂っていた。
(あれ?)
 ティナは、首を傾げた。
 神剣の横に佇む少女の幻。
 てっきり夢から醒めたと思って目を開けてみれば、そこに在るのは雪国の鍾乳洞ではなく、砂漠の大地。ここは、シェーレン国だろうか。
(夢の続きの夢?)
 それは、『夢』というより、『過去』なのかも知れない。
 何となく、ティナは確信した。
 そこにいる人々の顔は、茫洋とした幻ではなく、実在の確かさを、確実に伝えている。――触れることはできないけれど。
「属性継承者の魂が二つに分かたれたっていうんですの?」
 ジュレスの冷静な声が、ティナの意識をそちらに引きつけた。
 問いかけに答えて、キルド族の少年が重々しく頷く。
「せや。もともとおねーさんたちの魂は、一つのモノやったんや。それが、『大空白時代』に起こった第二次天地大戦で、狂ってしもうたんよ」
「第二次天地大戦?」
「せや。聞いたことないやろ?」
 ウェイの声に、得意そうに少年は答えた。秘密やで、と前置きして、
「今から約100年前、光の神剣をめぐって、大規模な戦争が起こった。時のヴェレントージェ女王は、光の属性の力を使い、歴史を消した」
「……吟遊詩人の歌物語みたいな話ですわね」
「ホント。駆け出しの方が、まだ創造的な話考えるんじゃないかしら?」
 終始無言のダグラスに対し、女性陣の方は、どこか突き放したように冷静だった。あるいは、この少年をどこか警戒しているようにも見える。
 キルド族の少年は、あいまいな笑みを浮かべた。
 不意に立ち上がる。
 三人の視線が追従してその姿を追う。
 顔の表情は見えないが、少年の口元は微笑んでいる。
「おねーさんたちかて、分かってるん違うか? 四属性継承者が『不完全』な存在になってしもうたこと。そんで自分らが、ほんまの継承者や、て」
 砂漠の太陽が、その半面を白く染め上げていた。
 祝福を与えるように。
「属性継承者が、『二つ』に分かたれている、といいましたわね? 確かに、属性継承者が二人存在する属性もあるみたいですわ。けれど……」
 ジュレスの言葉に、キルド族の少年は視線を後方に向けた。
 注意深く言葉を紡ぐ、ジュレスの瞳は、暗く沈んでいるように見えた。
「少なくとも『土』の属性については、わたくし、一人だけよ。そうであれば、何も無理に『一つ』にする必要もありませんわよね?」
「それがなぁ、ジュレスおねーさん」
 座りこんだ視線の高さに合わせるように、向き直った少年は上背をかがめた。
 苦笑に似た、悲しげな微笑みを浮かべて。
「残念なお知らせなんやけど、どの属性継承者も『二人』おる。それが今の理(ことわり)なんや」
「でも……」
「死んでしもたのに、か?」
「!」
「辛かったやろうなあ。同じ属性を持つ者同士、もともとは一つの魂であったも同然の存在や。そんなん一方が死んで引き裂かれてしもたら、自分の身ぃ削られたんと同じ――いや、もっとひどいことかも知れんわ」
「……別に、同情していただかなくて、結構ですのよ」
 低い声で答えたジュレスの、体の傍に投げ出された拳が、握り締められて微かに震えていた。
 キルド族の少年は、そのことに気付かないようなそぶりで、痛ましげに続けた。
「でもな、おねーさん。もう一度言うわ。土の属性継承者は『二人』おる。肉体が滅んでも、魂が滅んだとは限らん――そうやろ?」
「魂って……」
「今も、どこかで、さまよっとる。正統なる土の属性の片割れはな」
「っ……」
 そのとき。
 はたから見ていたティナの目に、ジュレスの心が砕けたのが、はっきりと分かった。
 意思あるダグラスも、ウェイも、言葉なくその様子を傍観している。
 途方に暮れた様子で、頼りなげな子供が必死に答えを探すように、ジュレスは潤んだ瞳でキルド族の少年を見つめた。
「もしも、死んでもなお、浄化されない魂があったとしたら――」
「ああ」
「属性継承者が一人になることで、彼女は解放されるのかしら?」
 キルド族の少年の口元が、わずかに歪んだ。
 そして、にっこりとほほ笑んだ。無邪気に。それは、クルスが屈託なく笑う表情をどこか想起させた。
「せや。二つに分かたれた魂を、属性を、一つに戻す。正統なる属性継承者として。簡単な話や」
「だけど、正統性――なんて、そう簡単に証明なんて……」
「それがな。証明する方法あんねん」
 少年は、言って得意げに笑って見せた。
 せやけどな、と三人を見下ろして声を落とす。
「さすがに、四属性の正統性だけあって、危険が伴うねん。ヘタしたら、死ぬどころじゃ済まんかも知れんのやけど」
「死ぬ、どころじゃ……?」
 眉をひそめたウェイが呟いて、何かを言いかける。
 しかし、毅然とジュレスが言い放つ方が、わずかに早かった。
「やるわ。何をすればよろしいの? 知っているんでしょう? 教えてくださいな」
「話が早うて、助かるわー」
 少年は、肩をすくめて笑った。
 その仕種はどこまでもティナの目に、相棒を想起させて無邪気に映った。
「自分の闇に打ち勝てるかどうか。これが問題や。けど、おねーさんたちなら、きっと大丈夫。ジュレスおねーさん、土の属性継承者の片割れ、きっと救えるで!」


「わたくしは、土の神剣に語りかけた。我が憎しみを持って、我が力となるように」
 自らの身体から生んだ剣を片手に、ジュレスは恍惚とした表情で弟へとその切っ先を向けた。
「これで、救える。私が正統なる継承者。あなたを裁くことで、ジュリアの魂を浄化できるの……」
「な、に……ワケわかんねぇコト、言ってんだ」
 アルフェリアは、唇を噛みしめた。
 正気に戻ってみれば、大概にして戦局は絶望的だ。
 体は硬い岩に串刺しにされ、血を流し過ぎて四肢に力が入らない。
 なんとか足に突き立った岩を抜こうと力を入れてみるが、代わりに新たな痛みと血が噴き出してきて奥歯を噛んだ。
 一瞬でも呆けていた自分を叱咤する。
 戦場では一瞬の油断が命取りになる。
 10歳で村を追われて、氷に閉ざされた大地を日に夜に歩きとおした。――今思えば、何か神がかったモノに護られていたのだろうか。北の大地を抜けるなどという荒業を、子供の足でなしえたと、今でもとても思えない。それから――戦場を渡り歩いてぶらぶらと生計を立ててきた。
 ぎりぎりの一線をかぎわける嗅覚は、ゼルリア将軍になってからも持ち続けてきたはずだ。
(情けねぇな……)
 これでは、あのカイオス・レリュードあたりに合わせる顔がない。
 思って、別の意味で眉をひそめた。なんでよりによってアイツなんだよ、ちくしょう。
「矛盾してねぇ? あんたの言ってること」
 だからではないが――ゼルリアの将軍はあの男がやりそうな手口を使ってみることにした。
 言葉で弄して活路を探る。といっても、実際この状況では、もとより他にできることも限られているのだが。
「ジュリアは死んだ。あんたが殺そうとしてるのはオレだ。それがなんで、ジュリアを救うことになる?」
「あなたが『ニセモノの継承者』だから」
「何?」
「ジュリアは――正統な土の継承者は、死してなお、繋ぎとめられている。ニセモノはあなた。あなたを殺さなければ、ジュリアは解放されない」
「何言ってんだよ、ワケ分かんねっつの」
「あなた、ウェイさんたちの前で、土の魔法を使ったんでしょう? そもそも――15年前、土の神剣を抜いたのも、あなただったわね」
 そこから、きっと歯車が狂ってしまったんですわ、とジュレスはどこかさみしげに呟いた。
「神剣は、私を主と認めたの。あなたが仮に土の属性を操る力を持っていたとしても、あなたに正統性は認められない」
 アルフェリアに向けられた切っ先が、つ、と切っ先を逸らせて、男を貫く鍾乳石を刃先に捕えた。
 大した力を加えたと思われないのに、その先から岩石は雪より細かい砂の粒子になってさらさらと溶けて行った。
 支えを失って、アルフェリアの身体が崩れる。
 注意深く体制を立て直そうとした、その頬すれすれをジュレスの剣がかすめて岩肌をついた。
「じっとしてなさいな。あなたみたいに剣の扱いに慣れていないんだから――下手に動くと楽に死ねませんわよ」
「へ、そりゃ冗談じゃねぇな」
 もとより、血を流し過ぎた足では、満足に走ることはできない。
 岩肌に背を預けるようにもたれかかると、アルフェリアは皮肉に口元をゆがめた。
「オレだってこれでも剣一本で今まで生きてきたんだ。今さら魔法なんかに頼りたくないが――あんたみたいに自在に使えればな」
「あら、使ってみせればよろしいじゃないの。使えるんでしょう?」
「それが、どーやったか全然覚えてねぇんだよ。ジュリアを止めようとしたときも、ウェイを止めようとしたときも、だ。火事場のナントカってヤツ? それがいざ自分のって時には使えねぇんだ。笑えるだろ?」
「随分とおしゃべりですわね」
「しゃべってねぇと、お前オレを殺すだろーが」
「しゃべっていても、しゃべっていなくても、同じですわ」
 頬の横にあった切っ先が、じわりとずらされて頸動脈の脇に沿って止まった。
 横目でそれを確認して、アルフェリアはため息をついた。
「ダメだな」
「何が、ですの?」
「全然ダメ。お前じゃオレを殺せねぇよ」
「あら、言うに事欠いて……」
「これじゃ全然ダメだ。殺そうとする人間にモロバレしてんぞ」
「だから何が……」
「手が震えてんのが、よ!」
 言うなり、ジュレスの死角から、掴んだ砂を顔めがけて思い切り投げつける。
 ひるんだ隙に、全力で身体を捻って斬撃をかわした。
 火花が髪をかすめてすれすれのところで散る。
 背中で受け身を取って起き上がると、そのまま駆け出そうとして、その視界にふと、切り立った鍾乳洞の崖を見た。
(イチがバチか……)
 こういう運だめしは嫌いではない。
「じゃーな、ジュレス。生きてたら、また会おうぜ」
「な……!?」
 追いすがろうとした手を振り払い、アルフェリアは崖下に身を自ら躍らせた。
 下から吹き上げる風が一瞬身体をさらい、男の全身を呑みこんだ。
「何を……」
 ジュレスは、苛立たしげに唇を噛みながら、切り立った崖下を見やった。
 獣のあぎとのような暗い穴の端から端を、混血児特有の藍色の視線が行き来する。
(あれは、ヤケを起こして死にに行くような人間じゃないわ)
 アルフェリアは、また会おう、と言った。再びあいまみえることを確信した口調で。
 と、視界の手前にふと、ジュレスは黒々とした横穴を見止めた。
「なるほど、そういうことですの」
 あの一瞬で切り立った崖下の横穴を見つけ、それに飛び込んで見せる。
 あのままジュレスに斬りされるよりも、はるかに確実に生き残れる方法だ。
「いいわ。お望みどおり、見つけて殺して差し上げる」
 独り言めいて立ち上がろうとした刹那、全身に突きぬけるような痛みを感じて、ジュレスは一瞬うずくまった。
 身体の奥深くからを湧き上がる、脈動するような痛み。
「な……何なの……これは……」
 上がる呼吸を整えながら、彼女の耳に、弟の言葉が不意に蘇った。

――お前じゃ、オレを殺せねぇよ。

 唇を、さらにきつく噛みしめた。
 闇の神剣に捧げたのは、己が憎しみ。
 そして、その憎しみにすべてを奪われたとき、待っているのは破滅だ。
(わたくしは、やってみせますわ)
 正統性を証明すること。
 それは、己の憎しみに身を焦がしながら、正気を保ち、真実の属性継承者で居続けることだ。
 キルド族の少年はそう語った。
「やってみせますわ」
 正統性を証明する。
 そのために、弟を殺す。
 自らの憎しみに、呑まれずに。
 やり遂げて見せる。
「……」
 脈動する痛みは、静かな決意とともに、徐々におさまって行った。
 ジュレスは一つため息をつくと、アルフェリアの後を追うべく、闇の神剣を片手に歩きだした。


「!」
 はっと目を開けると、今度こそ、そこには鍾乳洞の岩肌がティナを出迎えた。
 夢から醒めたのか。
「大丈夫?」
 傍で声がして、彼女はとっさに振り向いた。
 その声に聞き覚えがあったからだ。
 彼女を崖下に突き落とした人間の声。そして――。
「――レイザ」
 不死鳥の炎に焼かれて、虚空に消えた少女。
 猫のような緋色の目が、ひたすらティナを映しこんで爛々と輝いていた。

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