Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 正統性の証明  
* * *
 キルド族の少年は、語った。
 正統性を証明するのには、それなりの対価を払う必要がある、と。
 対価とは、すなわち覚悟。
 闇を抱きながら、闇に呑まれない決意。
「結果として、私たちは選ばれたの」
 恍惚とした表情で、ウェイは居並ぶ混血児と――実兄ディーン、そして、唇を噛みしめて自身を見据える赤髪のロイドを見渡した。
 自身をまとわせる魔力で、目もくらむような風を巻き起こしながら。
「残念ながら、風の神剣は、土の力に抑えられて使えないから、見せてあげられないんだけどね」
「バカな」
 一歩前に出たのは、混血児の村の長、ディーンだ。
 苦々しく顔を歪め、けたけたと笑う弟をじっと見据える。
「選ばれるも何も、同格の属性に貴賎も主従もありはしない。自然の力は絶対にして不可侵。大いなる存在を自在に操る資格を持つ者に、優劣などあり得ない」
「それがあるんだよ。『素質』という、何物にも代えがたい、大事な要素がね」
 ウェイは視線の先で、意思あるダグラスを見た。
 一つ頷いて男はいったん目を閉じ、薄く瞼を開く。
 ざわり、と空気が揺れた。風が円陣を描いて吹き荒れ、雪の粉がはらはらと散った。
「なにを……」
 大いなる天使の力を授かった十数人の混血児たちが、いっせいに臨戦態勢をとった。
 男の手が、虚空からひと振りの剣を引き抜こうとしていた。
 ソレがまとう、魔力の強さ、そして深さ。
 それは、人間よりもはるかに魔力の根源とともに在る混血児たちの感覚を刺激し、身構えさせた。ウェイが感情に任せて放つ魔力とは、全く異質の、深い闇。
「待った、や」
 刀身が全て現実に引きだされる――そのすんでのところでキルド族の少年が、男の手首をつかんだ。
「なんだ」
煩わしそうに男が腕を引こうとするが、その意思に反して、子供の細腕は微動だにしない。
「やめときましょ。おにーさんのお相手は、ここにはおれへん」
「ふん」
 面白くなさそうに眉をひそめたが、意思あるダグラスは集めた魔力を霧散させた。
 なんなのよ、とウェイが毒づく。
「別に殺す相手が目の前にいなくても、見せつけてやればいいじゃないの」
 それとも、と凶悪に視線が細まった。
「今からもう一度、襲いに行けばいいのかしら?」
 居並ぶ混血児たちが――ディーンを含め、一歩距離を開けた。
 視線の持つ、邪悪な殺気に。
 彼女は本気だった。本気で、混血児の村を――そこにいる姉を襲うために、一歩踏み出そうとしていた。
 その行く手に一人、男が立ちふさがった。
「ダメだ」
 赤髪の戦鬼、ロイド・ラヴェン。
 身の丈ほどもある大剣を片手に抜いて、悲しげな目でウェイをひたすらに見つめた。
「行かせねぇ」
「何、アンタ。超ウザいんだけど」
 髪をぱさりとはらって、ウェイは赤髪を睥睨する。
 視線を上に、男を見下しながら、
「それともアタシと、遊びたいのかしら?」
「行かせねえ。あいつは――フェイは、オレの大事な仲間なんだ」
「ふぅーん」
 けだるげな声と裏腹に、額に筋が一筋走った。
 何事もないように、少女の外見をした少年は、ゆっくりとまた、歩をつめた。
「おもしろくないな」
 ちりちりと、空気を焦がすような、憤りの声。
 対するロイドは、黙って剣を構えた。引き結んだ唇の横を、つう、と汗が伝いおりた。
「弟が、自分のきょうだいを襲うなんて、そんなこと、させねぇよ」
「なら、止めて見せろよ」
 少女の手に魔力が収束し、大気が風となって空気をかき乱す。
 属性魔法ではない、純粋な魔力の剣。だがその精度と強度を目の当たりにして、混血児たちが驚愕のうめき声をあげた。
「やめておけ、あんたに勝ち目はないぞ」
 慌てたようにロイドとウェイの間に入ろうとした、混血児の村の村長ディーンは、だが、己を貫いた赤髪の視線に続く言葉を呑みこんだ。
「平気だ。オレは負けねぇ」
 気圧されるように、二人の周囲から人の影が退いた。
 混血児たちも、キルド族の少年も、意思あるダグラスも。
「あらー、これはこれで、面白いことになりそうやねぇ」
「ふん」
 どこか高みから紡がれる、少年たちの言葉が終るか終らないかの刹那、二者の影は残像を残して人々の視界から消え、耳触りな音を響かせて刃が拮抗していた。


「……」
 不意に、何か予感めいたものを感じて、フェイ・アグネス・ウォンは視線を上げた。
 混血児の村の建物は、全て地面を掘り下げて作られている。
 窓のない地下の一室。
 土の力に抑えられた風の力は、薄暗い部屋の中で、行き場なく漂っている弱々しい蛍火のようだ。

――死に呪われた子。

 耳触りな過去の声が、ずっと離れない。
 風にさらわれても、時間にさらされても。
 あの言葉を最初に聞いたのはいつの日だっただろうか。
(あれは……村を離れて、シルヴェアに連れていかれて……)
 幼い記憶は、映像ではなく音と匂いによって、自らの中に蘇る。
 雪の冷たい空気。馬車の振動。自分を連れに来た人の匂い。
 そして――
(千年竜の託宣……)
 大人たちに目隠しされ、連れて行かれた場所。
 千年続く王国の聖地と呼ばれる、険しい山岳地帯。
 王族と三大臣のみ立ち入りを許される、絶対不可侵の守護聖域。
 幼い自分は、どう感じていただろうか。
 記憶が刻むのは、風の匂い、空の高さ、新緑のさやぐ音と、心地よい静寂。
 気持ちよく、深く息を吸い込む。
 ふと、頭上にけはいが現れる。
 強大で、傲慢で、絶対的な気配。
 千年王国の守護聖獣。さだめられたものの前にだけ、姿を現せる、誇り高き獣。
(こわい……)
 このひとは、怖い。
 身をすくませるのが精いっぱいで、足は一歩も動かせなかった。
 頭をわしづかみにされる。
 風は鎖にとらわれ、大地に縛り付けられる。
 翼は、もう空を望めない。
 恐怖でいっぱいになる。
 誰か、誰か助けて。
 怖いよ。
(誰か……)

――死に呪われた子。

「誰か……」
 茫然とした自分の声が、混血児の村の古びた天上に跳ね返る声を、フェイは聞いた。
 もう視界をふさがれることはない。
 自由なはずの風は、翼をもがれたまま、いまだ狭い部屋の中をよどみ沈んでいる。
「ああ、そっか」
 不意に思いだして、我知らず言葉を紡いでいた。
 ウェイが自分を殺しに来たわけが分かった。
 思い出した。――忘れていたことそれ自体が、許されない記憶を。
「死に呪われた子」
 自分でも驚いたことに、そのとき自然に口元に浮かんだのは、笑みだった。
 もしもその連鎖が断ち切れるのなら。
「――いいよ。あげる」
 

「させねぇよ」
 ぎりぎりと拮抗する刃をじわりと押し返しながら、ロイドは静かに叩きつけた。
 力は圧倒的にロイドが有利。だが、絶対的な体格差を埋めて両者の力を拮抗させているのは、ウェイの気迫とそれに応えて収束される魔力だ。ロイドの鋼がウェイの魔力とぶつかり合い、火花を弾いて、両者の顔を青白く照らす。
「やるじゃんよ、魔力もろくに使えない、ただの人間のクセに!!」
「お前だって人間だろ!」
「違う。天使の力を継承した者を、ただの人間風情と一緒にするな!!」
 ロイドの鋭い切り込みを、ウェイは一歩退いて避ける。
 大剣は斬撃の隙が大きい。かえす刃を死角から潜り込ませたウェイの魔力剣をその腕ごとロイドは弾いた。
 たたらを踏んで体勢を崩したウェイの眼前に、ロイドの切っ先が迫る。
「ちっ」
 少女のような顔をした少年の表情が、憎々しげに歪む。
 なぜだ、とこらえきれずに口をはさんだのは、その兄ディーンだった。
「なぜ、お前はフェイを狙う? あの子がお前に何かしたとでもいうのか?」
「ああ、したさ」
 上がる息に紛らせて、ぽつりとウェイは紡ぎ出した。
 どこか遠くをさまようように。
「ディーン兄さん、あんたは15年前のあの災厄で、大怪我して寝込んでたから、フェイがシルヴェア王国に迎えられた時のことは知らないんだろう」
「……ああ。目が覚めたら、フェイはすでに村を発った後だった。そして、ウェイ。お前も行方が分からなかった。あの混乱の中、てっきり死んだものと――」
「違う。オレはフェイについていったんだよ。双子だったから。いつも一緒だったから――」
「なに?」
 大人たちもマヌケだよ、最後までオレが紛れ込んでたことにだれ一人気付かなかった、とウェイは口元を歪める。どこか、泣き出しそうな表情で。
「あいつは、――フェイは、オレを見捨てたんだ」
「そんな――」
「ウソだ」
 ディーンよりも早く、遮ったのは、ロイドの押し殺した言葉だった。
 全員の意識がそちらに向かった。
 ウェイに刃を突きつけたまま、ロイドはうつろに呟いた。
「ふざけんなよ、あいつがそんなことするはずねぇ。言いがかりつけるのも、いい加減にしろ」
「言いがかり、ね」
 よろよろとウェイは立ち上がる。
 挑戦的に笑いながら、
「あんた、バカだなー。頭っからあいつのこと信じてて……。爪の先一枚分の疑いも持ってねぇの」
「そーだよ。仲間だからな。当たり前だ」
「気にいらねぇ」
 ふと真顔に戻って、少年は呟いた。
 がしがしと長い髪をかきむしって、イライラと爪を噛んだ。
「気にいらねぇ……。あんた、ムカつくわ」
「そうか。オレはただ……仲間を信じたいだけなんだけどさ」
「仲間、か」
 ウェイはどこか眩しそうな表情を見せた。
「なあ、あんたにとって、そんなにイイモノなの? 仲間って、さ」
「ああ。オレは、フェイや……あいつらがいないと、たぶん生きていけねぇ。自分の命と同じくらい、大事にしたいモンだ」
「あいつら?」
「オレは船長だからよ」
 少年に向けた刃を引いて、ロイドはくすぐったそうに笑った。
 とっておきの宝物を、自慢する子供のように。
「今は、ミルガウスで待ってる。一緒に海を旅する、オレの大事な仲間だ。フェイも、さ。だから――あんたは、あいつの血のつながった、ちゃんとした弟なんだろ? あいつのこと、殺すなんて言わないでくれよ。頼むから」
「……」
 懸命なロイドの言葉を、身動きせずにウェイはただ聞いていた。
 やがて、脱力したように肩をすくめると、
「調子狂っちゃった」
 少女のようないつもの口調で呟いて、くるりと背を向けた。
 緊張状態が解ける。
 すたすたと戦線を離れる少女に、キルド族の少年が何気なく語りかけた。
「これでいいのん? おねーさん」
「今はこれでいいの」
「ふーん」
 女心やねえ、と意味深に呟いて、少年は意思あるダグラスの方を見やる。
「今は、これでいいんやて」
「ふん」
 そのまま三人は踵を返し、雪国の森の中に歩き去ろうとした。
「……っ待て」
 追いすがろうとするディーンを、ロイドが黙って制する。
「何を……」
「弟と、これ以上殺し合うつもりか?」
「……」
 静かに問われて、混血児の村の村長は、二の句を告げる口を持てなかった。
 風が名残のように吹きすさんで、戦いの余韻を悲しげに奏でていた。

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