Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 正統性の証明  
* * *
 不死鳥の制御を欠いたあの時の感覚を、ティナは今でもありありと思い出すことができる。
 砂が手のひらを零れて行くように。
 あるいは、身体の中の血液がてんで勝手に動き回り、内側から身体を弄ばれるように。
 暴走した精霊は、一人の少女を跡形も残さず消し去った。
 ――消し去ったと、思っていたのだ。
 そのときは。


「――レイザ」
 かすれたティナの声が、死んだはずの少女の声を呼んだ。
 混血児の村の村長宅の一室で、フェイが言っていた――彼女は生きていると思う、と。
 その言葉は一つの『希望』だった。
 その希望がただの『希望』であることと、こうして目の前に現れた現実であることの間に在る大きな隔たりは、彼女の想像を超えて大きかった。
 その少女が次に口を開くまでは。
「違うよ」
「へ?」
 全く予想外の言葉だった。
 ぱちぱちと瞬いて、ティナは相手をじーっと覗きこむ。
 そして、むぎゅっと頬をつねった。
「いひゃ」
「何言ってるの、どっからどー見ても、あなたレイザでしょ!?」
「ひがうー、はなひてー」
 慌てて手を振る仕種は、あの勝気な娘とどこか違う――ような気もする。
 言われたとおりに手を離して、おもむろに相手を覗きこんで、ティナは改めて問うてみた。
「レイザ、なんでしょ?」
「だから、違うんだって」
「何が違うのよ。あーっ! ってかあなた、さっきあたしを崖から突き落としたでしょう!?」
「いまさら!?」
 むしろそこに驚いたように、レイザ――ではないと言い張る少女は、すっと立ち上がるとくるりと踵を返した。肩口で、ぴっと立てた指を振りながら、
「あなたを、仲間たちから離すように言われたんだよ。でもちゃんと助けて保護したでしょう? あなたが意識を失ってる間、危害も加えずに」
「言われた? 誰に?」
「栗色の髪の少年に」
「あのキルド族の……」
 少女と言葉を重ねてみて、ティナは改めて思った。
 確かにこの子はレイザだ。
 だが、確かにこの子はレイザじゃない。
「あんた、ホントに誰なのよ」
「おれ?」
 少女は、男の子が自分を自称するときの呼称を使った。
 目を丸くするティナに苦笑しながら、
「オレはルイ。ルイ・ミラドーナ」
「え……」
 その名は聞き覚えがあるような、ないような。
 記憶がなかなかつながらないティナに、少女はあっさり種を明かした。
「ワケあってレイザの身体に宿ってるけど――オレはレイザの弟だよ」


 赤い髪とワインレッドの瞳。
 それは、魔族と契約したものの証。
 ティナが夢で見た、堕天使の転身の儀式。
 そしていつだったか、レイザ・ミラドーナが自らティナ達に語った過去だ。
 天使を宿していない方の片親を生贄に、もう方親に宿った堕天使を呼び出す。天使が子供たちに転身すると、その片親も死ぬ。
 だが、レイザの場合は――
「オレも、儀式の全てを覚えているわけじゃない。だけど、堕天使の聖堂で、母親の身体から分離した堕天使に見つめられて――それから、ずっと姉の中にいたんだ」
 ティナと二人、連れだって歩きながら、レイザの姿をした少年は、淡々と語った。
 不可思議な物語を聞かされるような心地になって、ティナはつい問い返す。
「レイザの中に居たって――どういうこと?」
「さあね。普通の混血児と違って、堕天使の精神体が二分できなかったんじゃないのかな」
「でも、レイザに宿る前には、お母さん一人に宿っていたんでしょう?」
「そうだね。『火』の属性継承者にして、堕天使のヤドリギ。天使を宿す他の四属性継承者からしても、さらに異質な存在」
「異質の中の、異質……」
「そう。だから、姉の中に弟が吸い込まれても、不思議じゃない、かもしれない」
「それって……」
 そんな軽い話ですまないんじゃ、と思ったが、だからと言って建設的な仮説が言えるわけでもない。
 たぶん、とルイが切り出して、ティナはそちらに意識を向けた。
「四属性継承者が『二人』いることと、何か関係があるんじゃないかな」
「二人の属性継承者、だから……?」
「そう、堕天使を継承すべき属性継承者は二人いた。だけど、堕天使は精神体を二分することはできなかった。だから一人で二人分の魂が、一つの身体に強制的に宿ることになった」
「なんか……突拍子もなさすぎて、よく分からないわ」
「そーだね。結局オレにもよく分からない。ただ一つ分かるのは」
「分かるのは?」
「年頃の女の子の身体に男の意識が入るもんじゃないってことだよね……」
「……」
 それは、どう返してあげたらいいのだろうか。
 悪い子ではないみたいだが、あのキルド族の少年と行動を共にしているというのが気にかかる。
「ねえ、レイザは今どうしてるの? あなたはどうして、あの少年に言われたことに従ってるの?」
 低く問いただした言葉に、ルイは小首を傾げてこだわりなく即答した。
「レイザは今、眠っているよ。不死鳥の炎を相殺しようとして、力を一気に使いすぎてしまったから」
「……」
「で、そのレイザを目覚めさせる方法を教えてくれるって言うから、あの少年の言う通りにしてみたんだけど、さ」
 ルイは、そのときの光景を思い出すように、ちょっと上の方を見上げながら、
「ちょっと、普通じゃないよね。少年と一緒にいた、あのお姉さんたちも、お兄さんも」
 独り言のように呟く。
 おそらくジュレス、ウェイ、そして意思あるダグラスのことを指していることは容易に察せられて、ティナはあいまいに頷いた。
 意思あるダグラスとは何かと確執があるが、ジュレスとウェイについては、ティナ自身が知る人物像と、彼女が混血児の村を不在にしている間に起こった急襲劇から聞き及ぶ顛末を突き合わせて、どうにも腑に落ちないところがある。
「――正統性を証明したから、なのかもね」
 不意に、先ほどの夢――過去のシェーレン国の光景が脳裡をよぎって、ティナの口を動かした。
 ヘタをしたら死ぬどころじゃすまない、闇に打ち勝つ必要がある、正統性を証明する方法。
「正統性?」
 少年は怪訝そうに、ティナの言葉を反芻した。
 何か思うところがあったのか、彼は会ってから始めて、苦しげに視線を落とした。
「だとしたら、『火』の属性継承者については、はっきりしてるね」
「どういうこと?」
「姉の身体に吸い込まれてしまった弟。どっちが『正統』かは、一目瞭然だ」
「……」
 ティナはまたも、返すべき言葉を持たなかった。
 他人の境遇を思いやることと、無神経に同情の言葉を紡ぐことは、似ているようで大きな隔たりがある。
 そのまま言葉少なに歩き続けて、ティナはふと足を止めた。
 風が、微かにさやいでいる。
 ひんやりとした鍾乳洞の、地下のさらに底の果て。
 一見して、何の変哲もない通路に見える。
 だが、ここから空間が捻じ曲げられており、進む者を無限に惑わせる。
「ここが結界の要」
 ティナは、自らの手にある、ストラジェスの神具を握り締めた。
 不死鳥憑きの巫女は、険しい山岳の奥深くに、土の神剣を安置した。
 入り口で穴の奥深くに突き落とされたティナが、おそらく一番神剣に近い。
 だが、神剣に至る道の結界を解いたところで、土の神剣を解放するには、アルフェリアの力が不可欠だ。
 彼は今、どのあたりにいるのだろうか。
 そして、他の仲間たちは、無事だろうか。
(まあ考えてても、仕方ない、かな)
 ティナは記憶の通り、自らが作った結界を解除する。
 透明な空気が音を立てて振動し、ガラスが割れるようなか細い悲鳴をあげて、空間がほころんでいく。
「何……急に、暑くなった」
 ルイが呑まれたように呟いた。
 雪国の中の鍾乳洞は、ひんやりしているとは言え、極寒の外よりも大分快適な温度を保っている。
 それが急に、太陽に照らされた砂のように熱を帯びたような体感を、突然与えたのだ。
「ああ、結界といたからね」
「結界で、温度もごまかしてたの?」
「混血児が容姿をごまかすのと、大して変わらないわよ」
「……。どうして、こんなに暑いわけ?」
「ここ、活火山なのよ。マグマが今も地下で活きてる。あんたが私を突き落とした深い穴は、マグマの通り道なの」
「活火山……マグマ……」
「土の神剣のエネルギーを中和するのに、最適でしょ」
 言って、ティナは再び歩き出した。
 慌てて後を追ってくる少年の気配を感じながら、彼女の脳裏に、ある予感が張りついて離れなかった。
 『正統性を証明すること』。
 もしも、彼らが神剣を使ってそれをやろうしているのなら、この天然の要塞が、もれなく牙を剥いて、愚かな人間達を喰らいつくす。
 そんな、うすら寒い予感が確信とならないよう、今はただ念じるしかない。平静さを保ちながら、ティナはひたすら、先を急ぐことに専念した。

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