Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 ジュレスとジュリア
* * *
 第一次天地大戦。
 それは、己の傲慢さゆえに堕落した天使と、虐げられ理性を捨てた魔族とが、地上で激突した三世界が混ざり合う空前絶後の大戦だ。
 神の絶対的なしもべとして作られた、感情を持たなかった人間はただ逃げまどい、戦争の結果として恐怖と歓喜を獲得し、神の支配から解き放たれた――と神話はつづる。
 大戦の終わりに、三世界の結界となるべく、天使と魔族の四属性の力を統べる剣で己を貫き、天地の境に結界の要石となる石板を出現させた。
 神剣のその後の行方は、長らく知れなかった。
 属性の根源をつかさどる、光闇の神剣。
 その一方である『闇』の神剣の力を呼び醒ます。
 それは、属性の根源を操る魔族そのものの魂に呼びかけることだ、とキルド族の少年は語った。
「光の神剣と違うて、闇の神剣はストラジェスの神具の制約を受けとらん。それは、闇の神剣の力を頼らんかったわけじゃなく、闇の神剣の力を御しきれんとストラジェスが判断したからなんや」
 100年前の大空白時代――消えた歴史に葬られた、悲しき英雄ストラジェス。
 彼は、長期にわたる戦争を終わらせるため――彼の愛する不死鳥憑きの巫女を生贄にさせないため――神剣の力を御し、抑止力とすることを目論んだ。その過程で正気を失い、神剣の力をすべて己が手中に収めようとしてしまった。結局、不死鳥憑きの巫女と属性継承者たちに討たれる結末となってしまったわけだが。
「ストラジェスはな、狂ったわけやない。天使の力に呑まれたんや」
 キルド族の少年は、神妙に語った。
「誰も、第一次天地大戦で討ち果てた天使や魔族の意識が、神剣にのこっとるなんて、思わんかった。当のストラジェスもな。おそらく――彼が気付いた時には、もう手遅れやったんや。強大な精神体に意思を乗っ取られ、ストラジェスは我を失った」
 では、闇の神剣に働きかけるということは。
 理性を失った天使の堕天したなれの果て、魔族に働きかけることと同義だ。
「魔族は、憎しみに反応するんや。憎しみを糧とし、力を与える」
 せやけど、その力に呑みこまれてしもうたら、ストラジェスの二の舞やで、おねーさんたち。
 どうする、と聞かれて、ジュレスに迷いはなかった。
 死んだ姉の魂を解放する。
 ただ、その思いだけだった。


「属性継承者は……、一人にしないといけないから……」
 呟きながら、アルフェリアの後を追おうとしたジュレスの背後で、不意に風が動いた気配がした。
 視線だけを後ろに遣ると、キルド族の少年によく似た少年と、異民族の女が転移魔法の陣の真ん中に降り立ったところだった。
(あら……なかなか高度な魔法ですわね)
「待って、ジュレス!!」
 少年――クルスの声に、ジュレスは立ち止まった。
 振り返らずに、背中で言葉を受ける。
「なんですの? わたくしは今忙しいから、あなた方の相手をしている暇はないの」
「お願いだ、その剣をすぐにしまって欲しい」
「どういうこと?」
 真摯な懇願の響きに、半身で振り向くと、真剣な子供の眼差しがこちらをひたすらに見据えていた。
 あまりの剣幕に、隣に佇む混血児の女も、呑まれたように黙っている。
「このままじゃ……ストラジェスの悲劇が、繰り返されてしまう」
 クルスの必死の説得の言葉は、ジュレスの微かな理性をさざめかせた。
 しかし、口を衝いて出たのは正反対の――あざけりに満ちた、冷たい笑いだった。
「わたくしが、神剣の力に呑まれてしまうというの? みくびらないで欲しいものですわね」
「君はすでに、半分呑みこまれてる!!」
「くだらないですわ」
 クルスの直情的な言葉は、ジュレスの肌をちりちりと焦がすような感覚を覚えさせた。
 まっすぐで、容赦なく、絶対的で――おそらく、正しい。
「何様のつもりですの? 神剣に選ばれたわたくしに、嫉妬していらっしゃるのかしら?」
「そうじゃない!!」
 前後を失い、飛び出しかけたクルスを、冷静に横の女――エカチェリーナが止めた。
 異民族の青い目が、ひたとジュレスを見据える。
「あんた、気付かないのかい? あんたが、その神剣の力を解放したせいか――あんたの神剣が放つ魔力とこの地の魔力とが混ざり合って、活発になってる」
「あら、強い力同士、引き合っているんですのね」
「反発してるように思えるんだけどねぇ」
 けだるげに女が手を掲げる。
 一瞬で編み上がった魔力が、円を描いてジュレスを包囲した。
「何のつもりかしら。こんな」
「こんな捕縛の魔法なんて、足止めにも使えない、か。足止めする気はないよ」
「妙なこと言いますのね」
「その魔法は、捕縛――というより、結界の一種だ。周囲の空間と断絶されてみて、何か感じないかい?」
「……」
 言われて始めて、ジュレスは己の魔力が、周囲の気を弾いて反駁し合っている様を自覚的に感じた。
 反駁どころではない。もともと土の神剣と調和するほどのエネルギーを秘めた場所に、異質なジュレスの魔力を認め、土のエレメントが過敏に反応している。
 よそ者は去れ、と。
 ちりちりと身を焦がされる感覚。
 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
 ――どれほどこの地に拒絶されたとしても。
 ごく平静を装って、ジュレスは告げた。
「別に、波動の違う魔力が弾きあうことは、よくあることですわ」
「土の神剣とこんなに距離を隔てているのに、反発してるんだよ?」
「強い力は一つのところにいちゃいけないんだ!」
 エカチェリーナの言葉に重ねて、クルスが投げかける。
 波打ち際で寄せる波と退く波がぶつかり合い、小さな波濤を起こす。今はまだ、小さな。
 二人の視線に敵意はなく、ただただ憂慮に満ちていた。
 ジュレスは特に感慨を抱かなかった。不思議なほど冷静に、二人の言葉を切って捨てた。
「できませんわ」
「っ…そんな!」
「わたくしは、やり遂げなければならないことがあるの」
「アルフェリアを殺すこと?」
「……」
 クルスの視線は強く、なかなかジュレスを解放しようとしなかった。
 こんな子供に、と思って、ジュレスは不思議に感じた。
 そういえば、キルド族の少年もだ。あんな子供の語る話に、なぜ自分は乗ってしまったのだろうか。
(わたしはただ、ジュリアを救いたくて……)
 そもそも、ジュリアを救わなければならないと思ったのはどうしてだっただろう。
 あの少年が言ったからだ。
 ――属性継承者は『二人』おる。肉体が滅んでも、魂が滅んだとは、限らない、と。
 だから、自分はジュリアの魂を解放しなければならない、と思ったのだ。
 大切な姉。死してなおさまよい続けているなんて、むごすぎる。
 なのに。
(アルフェリアが、土の魔法を使うなんて……)
 あの弟がいる限り、ジュリアは解放されない。
 そう言ったのも、キルド族の少年だった。
 偽物の属性継承者。姉を殺しただけでは飽き足らず、その属性まで奪うなんて。
 だからジュレスは決心したのだ。
 弟を――自らの手で、断罪することを。
「わたくしは、アルフェリアを殺すわ」
 迷いなく、ジュレスは言い切った。
 少年も女も、もはや言葉を持たないようだった。
 そのまま歩き去る遥か地下の迷宮で、不死鳥憑きの巫女が土の神剣への道の結界を解いたのは、ちょうどそのときだった。


「ちくしょう、何だってんだよ、いったい……」
 ジュレスの追撃を逃れて、崖の途中にある横穴に滑り込んだところまでは、アルフェリアの計算通りだった。
 その横穴が――単なる『穴』ではなく、落とし穴のように急斜面を描いて、かなり下の方までつながっている、やっかいな穴であったことを除けば。
 泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目。
 痛む体を丸めて、斜面をやり過ごした先には、――随分長いこと落下してきたらしい――どこか平坦な通路の一角に、吐き出されるように体ごと投げ出された。
 呻きながら傷の応急手当てをし、周囲を探る。
 やたら暑い。
 しかも、妙な地響きまでする。
「何なんだ、ここ」
 よろよろと立ちあがったとき、誰かに呼ばれた気がして、アルフェリアは眉をひそめた。
 聞いたことのある声。
 ジュレスに似ているが、彼女の音域はこんなに高くない。
(まさか)
 思いながら、耳を澄ませる。
 今度は、よりはっきりと、聞こえた気がした。
 アルフェリア、と。
「ジュリア、か」
 まさかと思いつつ、声のする方に歩きだす。
 ジュレスとの戦闘で受けた傷は浅くない。
 それでも、足を引きずりながら歩を進めるごとに、声はより鮮明に耳に届いた。
「……」
 不意に、声の主が訴えたいことの真意を悟って、アルフェリアは立ち止まった。
 耳に全神経を集中する。
 ともすれば、自身の呼気にまぎれてしまいそうな小さな声は、確かに告げていた。
 アルフェリア、ジュレスを止めて。このままじゃ、村が危ない。

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