Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 ジュレスとジュリア  
* * *
 混血児たちの出払った村に、人影はほとんど残っていない。
 妙な気配を感じたと屋外に赴いたアベルだったが、すぐに寒さに唇を尖らせた。
「寒いですー、いやですー、いらいらしますー」
「じゃあ、中に入ってろよ」
「それはできません! カイオス、命令です! ここに温かい暖炉を作ってください」
「寝言は寝て言ってくれないか」
「冷血発言反対ですぅー」
 どこまでも連れないカイオス・レリュードと、無為なやりとりを重ねながら、アベルはその場を動かなかった。
 動けなかった。
 体の中からちりちりと焦がすような感覚が、内側から皮膚をひっかくように訴えかける。
 ――キケンを? それは、定かではないが。
「イクシオンさん、コレって何なんでしょう?」
「さあね。私にも、正直よく分からない。ただ……」
 水と氷と風を司る神獣は、透き通った色の視線を、はるか遠くに飛ばした。
「二つの異なる魔力の波動が、反発し合っているのか……?」
「異なる魔力の波動って、何なんでしょうね。あそこにあるのは神剣でしょう? 神剣に反発するって、神剣くらいのモノじゃないでしょうか」
「神剣のようなもの同士が近距離に存在しているとは考えにくいが」
「ぶぅー、そのくらい、私だって分かってますよ!!」
 いちいち正論を吐くカイオス・レリュードに、癇癪を起したように頬を膨らませるアベル。
 しかし、彼女の言葉を意外な人物が肯定した。
「でも、王女の言うとおりかもしれない」
「どういうことだ?」
 カイオス・レリュードの言葉を受けて、イクシオンはどこか自信なさげに一つ頷く。
「私もさだかなことは分からないけれど――王女が言ったようなことでもない限り、この魔力の現象について、うまく説明できそうにない」
「……」
 青年は、眉をひそめた。
 カイオス・レリュード自身は特に目立って違和感を覚えているわけではなかったのだが、アベルとイクシオンが何かを感じているかは確かなようだ。
 たとえば、仮に神剣同士が近距離にあり、反発し合っているとすると、土の神剣の傍に在るのは土の神剣、ということになるのか。
 確かに、神の名を冠する剣は、一属性につきふた振り存在する。
「もしも単純明快に、王女の仮説通りの事態が起こっているとして」
 そんなことあり得ないだろうが、と言外に前置きしながら、カイオス・レリュードはイクシオンに問いただす。
「危険性は」
「今はまだそこまでの状態じゃない。だけど、わたしや王女だけでなく、あなたや他の人間たちが違和感を感じ始めたら――いよいよこの村も危ないだろうね」
「……」
 さむいさむいーと言いながらも屋外を離れようとしないアベルを、煩わしく横目で見やりながら、青年はため息交じりに呟いた。
「この村が危ないって……何か対処できる方法はあるのか?」
「さあ……わたしには思いつかない。そもそも、何が起きるかも定かではないし」
 妾将軍の神獣は、どこか困ったように長い睫毛に縁取られた目を瞬かせた。
「それでも、あなたはここを動かない、と?」
 さりげなく問われた青年の言葉を、聖獣は耳に受け、咀嚼するのにしばし時間を要したようだった。
 どこか心外そうに、
「氷と水と風の属性を持つ精霊が、土の神剣に近づくわけにはいかないだろう?」
 当たり障りなく答えた。
 一方、カイオス・レリュードは微かに苦笑する。
「言い直そう。それでもあなたは、ここから立ち去らないのか」
「それは、わたしの方こそ君たちに問いたいことだね」
 ああ、と青年はこともなげに応じた。
 コレが、とまるでモノを指すように、王女を親指で示す。
「一応、決定権を持ってるのは、彼女なんだ」
「ちょっと、一応ってなんですか、一応って!!」
「ここから逃げた方がよくないか?」
「ダメです!!」
「そーか、分かった」
 気のない風に王女をあしらって、な、と聖獣を見やる。イクシオンは、ただ笑った。
 一見、青年が立てているのはアベルの意思のように見える。しかし、不気味な魔力の波動が反発し合うあの場所には、彼の仲間がいる。仮にアベルが逃げた方がいい、と判断しても、青年はおそらくこの場を動かないだろう。
(素直じゃないなあ)
 好ましいものに抱くくすぐったい思いを胸に、聖獣はこのまま何事も起こらないよう、ただ祈ることしかできなかった。
 緊張と静寂の狭間。
 転ぶ先の分からない杖の、絶妙な均衡。
 いつしか彼らの周囲に、居残りの異民族たちが、一人、また一人と集ってきた。
 今はまだ、魔力に敏感な者しか感じ取れない微かな違和感――それが、カイオス・レリュードや他の異民族たちが異変を察知できるまでに違和感が強くなった時――何が起こるのか。
 言葉少なに、夕暮れの街に佇む彼らは、だから気付かなかった。
 一人、建物から出てきた銀髪の混血児――フェイ・アグネス・ウォンが、無属性の転移魔法を使って、人知れず姿をくらましたことに。


 岩肌に手をついて、茫然としたように立ち尽くしているアルフェリアを、ティナが目にしたのは、彼女が土の神剣に至る道の結界を解いて、幾分も経たないうちだった。
(なんで、彼が先にここに?)
 思いながら、どこかおかしい彼の様子に、眉根が自然に寄った。 隣を歩くルイ・ミラドーナ――レイザの弟に、先に行くわよ、と言い置いて、彼女は小走りの男に近づいた。
「アルフェリア!」
「ティナ。……無事だったか」
「ちょっと、ひどいケガ……」
 近づいてみて、ティナは、相手の様子がおかしく見えたのは、尋常ではなく憔悴しているからだと悟った。
 わき腹と足に深い裂傷があり、衣服はところどころ破れて素肌が見えている。
 どこか疲れた様子で、しかしアルフェリアは心配して伸ばしたティナの手を、やんわりと押し戻した。
 後ろから近づくルイにも、全く気付かない様子だ。
「なあ、ティナ。声、聞こえないか?」
「声?」
「ああ、女の子の――危険だって言ってる声だ。このままじゃ、村が危ないって」
「えっと……」
 怪我のせいで、具合が悪いのだろうか。
 ティナはとっさに思ったが、表情に出さないように気をつけながら、ゆるく首を振った。
「そーか。……あんたなら、聞こえてると思ったんだが」
「ねえ、一体……」
「頼みがある」
 有無を言わさない眼光が、ティナをじわりと刺し貫いた。
 呑まれて言葉を失う。男は、絞り出すように告げる。
「オレはこのとおり、移動するのに時間がかかる。代わりに他のヤツらに、――村に伝えてほしい」
「伝えるって、何を?」
「15年前の悲劇が、繰り返されるかもしれない。村が危ない。早く、逃げてくれってな」
「……っ」
 いつの間にか追いついてきたルイも、その言葉を受けて息を呑んだのが、背後の気配で伝わった。
「村が、危ないって……」
「頼む。もうあんなのは、ゴメンなんだ」
「分かったけど……アルフェリアはどうするのよ」
「オレは、ここに残る。まだやれることがあるからな」
「やれることって」
「土の神剣の封印を解く。ストラジェスの神具を渡してくれ」
「っ……」
 男の言葉に、ティナは束の間ひるんだ。
 あの神剣の封印を、解こうというのか。
 しかし、封印した巫女だから言える。神剣は、今の彼の手に負えるような代物ではない。
「封印を解くことによって、村が危なくなる恐れもあるのよ」
「知ってるよ」
 低く投げかけた言葉を、アルフェリアは苦笑して受け取った。
 憔悴しているが、自暴自棄になっているわけでも、我を失って暴走しているわけでもない。
 頭を掻きながら、ため息交じりに告げた。
「ジュリアがさ」
「え?」
「死んだ姉貴が限界なんだよ。俺に何ができるわけじゃねぇけど、行ってやんねーと」
「限界って……」
「時間がないんだ。頼む」
「……」
 それでも迷う、ティナの背中を押したのは、意外な言葉だった。
「オレが彼の言葉を伝えよう。それでいいかな」
「ルイ……」
 すっかり存在を失念していた少年は、猫のような目を細めてゼルリアの将軍を見上げた。
「この人とレイザは、知り合いだったのかな?」
「おい、ティナ、彼女は……」
「話すと長くなる上にややこしいから、詳しいことは後で。彼はルイ・ミラドーナ。レイザの弟。一応……味方、よ」
「ルイ……弟、ねぇ」
 心底納得していない表情のアルフェリアは、自身の問いよりも時間がない自覚のほうが上回ったのか、頼めるか、と短く聞いた。
「いいよ。言葉を伝えるだけなら」
 言外にそれ以上の協力はではない、と仄めかしていたが、今の二人にはそれで十分だった。
「クルスっていう茶色の髪の男の子と、ロイドって赤髪の男の人が一緒に来てるの。彼らに伝えてくれたらいいから」
「分かった」
 頷いて、ルイは元来た道を引き返していく。
 去っていく少女のその背中に、ティナは思わず言葉を投げかけていた。
「ねえルイ。レイザは……いつ目覚めるのかしら?」
「さあね」
 返ってきた返事は、短くそっけない。
「願わくば、少し眠っていてくれた方が嬉しいな」
「どういうこと?」
 少年は、猫のような目を細めて苦笑した。
「彼女が目覚めるということは、オレが再び眠るということだから。できたら少しくらい、オレだって『生きて』みたい。誰もそれを望んでいなかったとしても。これって、許されない望みなのかな?」
 その言葉に対する答えを、ティナは発することができなかった。
 振り切るようにアルフェリアの方に向き直ると、行きましょう、と告げて、二人、鍾乳洞の奥へと歩を進めた。


 混血児たちと別れ、三者が進む銀世界は寂寞とした静寂に満たされていた。
 日暮れに青く染まる雪の粉が、風にあおられてちらちらと舞う。
「あら」
 木々の立ち並ぶ、視界の悪い先を見据えて、ウェイは面白そうな声をあげて立ち止まった。
「何しに来たの? フェイ」
「……」
 混血児の片割れは、声に応じて近づいてきた。
 寒々しい風の中、上着もまとわず、薄いシャツが風で体に張り付いている。
 それは、風の中で今にも吹き飛ばされそうな、枯れ木のようなか細さを、見る者に与えた。
「思いだした」
「何を?」
「15年前のことを」
「あら、今さら」
 執拗につけ狙っていた割に、今ウェイの口調は徹底的に冷静さを保っていた。
 その変化に、フェイの方が微かに眉をあげて問う。
「――憎んでいると思っていた」
「憎んでいたら、どうするの?」
「この身を、好きにしていい」
「あら、殊勝な心がけね!」
 ウェイは、けたけたと笑う。
 キルド族の少年も、意思あるダグラスも、ウェイが先ほど見せた激昂と真反対の対応に、ただ黙って成り行きを見極めようとしていた。
 ウェイは、けたけたと笑い続けた。
 風にさらわれる声が、深々と雪に吸い込まれて、吸い込まれ続けた。
「今さら、あんたをどうもこうもしないよ」
 不意に、真顔で、少女のような少年は告げた。
 フェイは瞬きもせず、無表情に聞いている。
 さくさくと歩を進めて、ウェイはフェイの真横に立った。
「というか、あんた、死にたがってるだけでしょ。それをむざむざ死なせてやるのも、面白くないし」
 隣にだけ聞こえる声で、告げた。
 フェイの視線だけが動いて、ウェイを捕える。
 ウェイの赤い唇が、にやりと一瞬笑って、すぐに引き結ばれた。
「……」
 それに、と風にまぎれた言葉は、相手には届かなかっただろう。
 そのときウェイの脳裏にあったのは、赤髪の大男。
 必死に言葉を紡ぐ姿が、滑稽な映像として、彼の中に刻まれていた。
 死にたがってるあんたには、仲間を失うことの方が、よほど辛いことだろうからね。
 交差する影は一瞬、ウェイの姿は風に溶けるように消えた。
 空間魔法の発動。
 取り残されたキルド族の少年が、やれやれ、と頭を掻く。
「かなわんなぁ。行ってしもた」
「行き先は、大体予測できるのだろう?」
「まあ、そうなんやけどねぇ。ジュレスさんまだ帰って来てへんのに」
「もとより、帰ってくる見込みなど、持っていないのではないか?」
「いややわぁ、そないなこと、思ってても口にしちゃいます?」
 フェイの藍色の視線が、二者の姿をとらえる。
 それは、一見、淡々として色を含んでいない。しかし、どこか懇願しているようにも見えた。
 ウェイに望んだことを、代わりに実行してもらえないか、と。
「悪いけど、ウェイさん追いかけなあかんのんで」
「ふん」
 その眼の前で、二人の姿も風に溶けるように消えた。
 寂寞とした風の音が、雪とともに後に残った。
 混血児は、立ち尽くしていた。
 風に弄ばれる、死にかけた枯れ木のように。
 夕闇の中、ただ立ち尽くしていた。

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