Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 ジュレスとジュリア  
* * *
 ストラジェスの神具。
 光の神剣の力を制御すると言われる、封印の呪具だ。
 土の神剣が安置されている、鍾乳洞の最奥で、ティナは小さな宝石を眼の前に掲げた。
「この先に、土の神剣があるの」
「一見、何もない広間に見えるが……」
「うん、一見、ね」
 二人の眼の前には、開けた空間がある。
 辿ってきた小路は細く連なり、切り立ったその両脇には、溶岩が赤い面を見せて煮えたぎっているのが見えた。
 鍾乳洞の最奥。
 炎の岩に護られた天然の要塞。
 道中感じた温度の上昇は、心なしか程度をあげているようにも感じる。
 おそらく――土の神剣の力が不安定なために、周囲のエレメントがさざめきたっている。
 ティナは、支えていたアルフェリアから一旦身を離すと、静かに意識を集中した。
 ストラジェスの神具が、細かく震え、共振するように空気がさざめいていく。
 空気がめりめりと剥がれていく。
 まとっていた偽りの光景が拭い去られ、あらたな真実が眼前に広がる。
 それが現れたとき、赤い光がティナの顔面を赤く照らした。
「――ウソ」
「おい、これは……!!」
 隣で、アルフェリアも驚愕の声を上げる。
 広間に、赤い溶岩が浸食し、ふつふつと湧き立っていた。
 かろうじて覗く岩肌は飛び石のように点在するのみ、剣が細い木の枝に見えるほどの距離を隔てて、ひと振りの剣が突き立っている。
 その傍に――顔を覆ってうずくまる、半透明な女の子の幻――。
「ジュリア!」
 慌ててかけ出すアルフェリアに続いて、ティナも一歩踏み出した。
 そのときだった。
「追いつきましたわ」
 背後からの殺気に、とっさにティナは身を捻った。不意はつかれたが、動きは見えやすい。相手の腕をとって、思い切り引く。
「きゃっ……」
 バランスを崩したジュレスの手から、神剣をたたき落とした。
 事情はアルフェリアから大体聞いていた。闇の神剣のこと。ジュレスの目的。そして、ジュリアのこと。
「闇の神剣なんて、物騒なもの、手放しちゃいなさいよ!」
 しかし、彼女は失念していた。ジュレスが土の属性継承者であること。そして、この鍾乳洞は土の気で満ち満ちているということ。
「我が意に従え!」
「なっ……」
 属性継承者の詠唱破棄。
 足元の岩肌が盛り上がり、細かい砂の粒子がティナの下半身にまとわりついて自由を奪う。
「ふふ……」
 脈動する砂は、底なし沼のように執拗に足に絡みついた。
 神剣を拾い上げた女は、可笑しそうに笑う。
 刀身が光り、土のエレメントが誘われるように集った。
 そして、それに伴って、鍾乳洞全体が共鳴するようにきしむ音を上げる。
 溶岩が、ばちん、と弾ける。
 ティナは唇を噛みしめた。
 土を『焼き払う』ことはたやすい。だが、今それを実行することは、自らの身を危険にさらす。
「っ……、猛る赤き脈動よ……」
「あら、ご自分を焼くおつもり?」
「清廉なる水をまといて、風となれ!」
 ティナの魔法に従って、集まった火の属性は、彼女を戒める大地のエレメントから、水のエレメントを根こそぎ引きはがした。水と火が混ざり合い、一筋の風が巻き起こり、結合を失ってからからに乾いた砂粒が、さらさらと空気に溶けていく。
 あら、やりますわね、とジュレスが口元で呟いた。
「今すぐその剣おさめなさい、大変なことになるわよ!!」
「何が大変ですの?」
「この状況みて、分からないの!?」
 背後で、溶岩が猛り狂っている。
 もやは広場に岩肌はほとんどなく、赤い水面が嵩を上げて煮えたぎる。
 先行したアルフェリアは無事に神剣の元に辿りつけただろうか。
 あの台座は、周囲よりも少し高い。
 そしてここも――だが、いずれにしても、溶岩に呑みこまれるのも、時間の問題だ。
「神剣同士の力が反発し合って、属性が翻弄されてる。このままじゃ、火山が爆発する!」
「もとより、死は覚悟の上ですわ」
「ここだけじゃない、大地に噴き出した溶岩は、村ごと辺り一帯を呑みこみつくす」
「それは……」
「15年前の悲劇を、繰り返すつもり!?」
 ティナが最初に落とされた、鍾乳洞の入り口の切り立った断崖――祠の最奥に通じる深い穴、あれは、マグマの通り道だ。
 それだけではない。
 地下を通る無数の空洞から、赤い水は大地に噴き出し、蒸気をまきちらしながら、辺り一帯を席巻する。
「今すぐ、神剣をおさめて、ジュレス」
「そのくらいのこと――」
 唇を噛みしめて、女は俯いた。
 斜に刀身を構え、毅然と顔を上げた。
「正統なる属性継承者が、収めてみせる!!」
 それは、純粋な意思の言葉だった。
 しかし赤い溶岩は手で押されたように動きを止め、波が左右に別れるように、彼女の前に道を作る。
(すごい……)
 ティナは素直に感動した。
 しかし、その一瞬の隙に、女は彼女の横をすり抜けて、最奥の台座へと突進していた。
「しまった!」
「正統なる継承者は、わたくし、ひとり!!」
 今こそ、偽りの継承者に死を。
 台座にたどり着いたアルフェリアは、こちらを振り返りもしなかった。
 そしてその傍らにもう一人。
 少女の姿を見止めて、彼女の言葉を聞いて、ジュレスの動きが止まった。


 溶岩がはびこる広場を抜けるのに必死で、背後の戦闘に気付いたのは、やっと土の神剣が安置された台座にたどり着いた後のことだった。
(ジュレス……)
 追いつかれたか、と苦く思う。
 ティナに支えられながら、なんとかここまでたどり着いたものの、やはり足をやられた時間のロスは相当大きかったようだ。
 加勢しようにも、ここからは距離があり過ぎるし、なにより今の自分が戦力にはなり得ない。
 ティナは不死鳥憑きの巫女。
 土の神剣を携えたジュレス相手でも、ちょっとやそっとのことではやられないはずだ。
 ――それよりも。
「ジュリア」
 アルフェリアは注意深く、台座の傍らにうずくまる少女に声をかけた。
 幼い日の姿の姉は、泣きはらしたような赤い目をふと上げた。
 幽霊でも涙を流すのか。
 そのことが、少し意外だった。
「アルフェリア、来てくれたの」
「ああ。久しぶりだな、姉貴」
 時の止まった少女を、真面目に姉と呼ぶ自分が、この状況にあって、どこかおかしい。
「村が……このままじゃ」
「伝言を頼んだ。たぶん、だいじょうぶだ」
「そう……」
 背後では、マグマが赤い牙を剥いてたぎっている。
 口早に、アルフェリアは尋ねる。
「コレ、どうすれば止まるんだ?」
「分からないの。少し前に、神剣から流れ出す土の力が、急に激しくなったの。私には、抑えるだけで精一杯で」
「どうして分からないんだ。ジュリアは、ジュレスと同じ、土の属性継承者なんだろ?」
「それは――」
 ジュリアの視線がさまようように動いた。
 違うの、と頼りなく口元が動く。
 次の言葉を言いかけた、そのとき、背後の溶岩が左右二手に分かれ、ジュレスがこちらに突進してくる気配を感じた。
 アルフェリアは動かなかった。
 動けなかった。
 たとえ背後から斬り下ろされることになったとしても――今、この瞬間、ジュリアから視線を外すわけにはいかなかった。
「属性は、継承されたから」
 透き通った少女の口から、言葉が紡がれる、その刹那、ジュレスの剣が振りあがった気配がした。
 ティナの悲鳴が響き渡る。
 最後まで、アルフェリアは振りかえらなかった。
 ジュリアの言葉はか細く消え入りそうに、しかし確かに、全員の耳を打った。
「今、土の属性継承者は、アルフェリア。あなたなの」


 ジュレスの手から滑り落ちた剣が、むなしく大地を叩く音が、溶岩に満たされた神剣の間に空虚に響いた。
 背後からやっと追い付いたティナが目にしたのは、愕然と座り込むジュレス、いまだこちらを振り向かないアルフェリアの背中と、半透明に透ける少女の幻。
「どういうこと? ジュリア……」
 ジュレスの制御を逃れた溶岩が、再び活発に動き始める。
 ぐつぐつと不気味な音を立てる赤いマグマを傍に、しかし誰一人、その場を逃れようとしなかった。
「私は、15年前に命を落とした。そのとき、土の神剣はアルフェリアを選んだ。つまり、私からアルフェリアの属性継承権が移ったの」
「アルフェリアは、魔法は使えない。それにジュリア――、あなたは、こうして未ださまよっている!!」
「それは、属性が継承されただけで、器が継承されなかったから」
「器……?」
「光の石板の器」
 だから、待っていたの、少女は透き通る笑みを湛えて告げた。
「いつかは継承しなければならなかった。けれど、こんな鍾乳洞の奥深く、おいそれと人が立ち入ることはない。それに加えて、急に土の属性の力が活発になって、もう私では抑えきることができないまでになってしまった……」
 少女の話を聞きながら、ティナの脳裏に復活したストラジェスがちらりとよぎった。
 神剣の封印を司る神具を持ち出した男。
 土の神剣の神具はかろうじて護られたが、影響がなかったわけでは、決してなかったのだ。
 時間がなかったの、と少女はか細い声で繰り返した。
「だから、土の属性は、風の属性が乱れたことを利用して風の継承者を繋ぎとめ、神剣に属性継承者が招かれるよう働きかけた」
 少女の手から燐光が零れて、ジュレスにさしのばされた。
 ジュレスは俯いたまま、低く問いただす。
「どうして――あなたは泣いていたの?」
「あなたが、憎しみを糧に闇の剣を手にしてしまったから。大事な弟をその手にかけようとしたから」
「っ……」
 不意にジュレスの手が大地に横たわる神剣をつかみ取った。
 淡く魔力を発する刀身は、大地に突き立ったもうひと振りの剣と、ゆるく共鳴している。
 天地、対をなす魔力剣。光と闇の神剣。
「もしもアルフェリアに属性が継承されたとしたら!」
 はっとティナが動くよりも早く、ジュレスはその切っ先をアルフェリアに向ける。
 共振が強まり、マグマがごぼりと猛る。
「アルフェリアを殺せば、正統な継承者はジュリアに戻るのね!?」
「いいえ、戻らない。肉体は死滅してしまったもの」
 ジュレスがよりどころとしていたはずの希望を、ジュリアはあっさりと打ち砕いた。
 しかし、ジュレスの勢いはとどまらなかった。
「もしそうだとしても、正統な属性継承者は、わたくし一人……!!」
「できねーだろ、あんた」
 剣を振りかざした先に座る無抵抗の相手が、はじめて口を割った。
 何を、と眉をしかめるジュレスを、振り向きもせず、アルフェリアは断じた。
「俺を斬るってことはな、ジュレス。ジュリアを斬った俺と、同類になり下がるってことだ。あんたには、できねぇよ」
「そんなことは……!」
「見なくても分かる。あんた、手が震えてるぞ」
「っ……」
 ジュレスの心が砕けたのが、背後から見守っていたティナにはっきりと分かった。
 彼女は、きっとジュリアを心から救いたかっただけだった。アルフェリアを討つつもりは、最初なかったのかも知れない。彼は、魔法を使えない――それは、ジュレスだけでなく、周囲の人間誰もが、そう思っていたのだから。
 しかし、混血児の村をウェイが急襲した際、アルフェリアは無自覚にせよ、土の属性魔法を使って見せた。
 それは、ジュレスに別の決心をさせる出来事だった。
 弟を殺す。
 悲しい、哀しい決意。
「そもそも、属性継承者に正統もどーもこーもないと思うんだけどね」
「って、不死鳥憑きの巫女さまも言ってんぞ」
 何気なく口を開いたティナに、振りかえったアルフェリアが、軽いいつもの調子で応じる。
 ジュリアも重ねて口を開いた。
「第二次天地大戦で、属性継承者たちは、属性の力を引き出すために光の石板の欠片と同化したの。それが、属性継承者の『器』。一人につき二つの欠片を宿していた――それが、私たち双子それぞれの身体に一つずつ宿って転生した。だから、属性継承者が一属性につき二人いる。それだけのことなんだよ」
「器の継承って……どうするの?」
「肉体が死滅してしまったのに、私の魂がここに居たのは、私が『器』そのものだから」
 かすれた声で聞いたジュレスに、ジュリアは淡々と答えた。
「『器』が、自らを継承させるために、私を繋ぎとめていたの。だから、私が消滅すれば、『器』は自動的に次の属性継承者に移る」
「そう……」
 ジュレスが顔を上げないのは、おそらく泣いているからだ。
 もう、戦意は感じない。
 神剣の共振もおさまり、溶岩も静かに引き始めている。
 ティナは静かに、うなだれるジュレスの肩に手を置いた。
「ジュレス。剣をしまって」
「ええ」
 憔悴しきった声で、応じた彼女が、神剣を手に静かに念じた。
 そのときだった。
 魔力を弾く刀身が鼓動を刻むように脈動し、一回り大きくなったように波打ったのは。
 地下に激震が走り、マグマが一気に噴き上がった。

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