Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第八章 土の神剣
* * *
 鍾乳洞の洞窟は、入り組んでいて奥が深い。
 先に行ったジュレスを追って駆けるクルスとエカチェリーナだったが、迷宮のような複雑な構造に、足止めを食らっていた。
 おそらく、ジュレスは土の属性継承者として、魔力の引きあう場所を目指したのだろう。
 二人もそれを目指しているのだが、場所は地下深く、漂う気配は漠然としていて、いまいち正確な位置がつかめない。
「ああ、オレはそろそろお腹がすいて死にそうだよ〜」
 クルスが、とほほとうなだれる様子を、エカチェリーナは声をかけるでもなく、ただ見つめていた。
 彼女の脳裏には、クルスが一連の戦闘で見せた、『子供とは思えない』行動の数々がくっきりと焼き付いている。
 それを今さら子供じみた言動で翻弄している――少なくとも、そういぶかしむだけの疑念を、彼女は少年に抱いていた。
「ああ、ひょっとして、君たち!」
 不意に通路の向こう側から人影が走り寄ってくる。
「にゅ!」
「誰だい?」
 小首をかしげるクルスと、警戒して臨戦態勢をとるエカチェリーナ。
 赤い髪とワインレッドの瞳をもつ少女が、ひらひらと手を振った。
 クルスとエカチェリーナ、二人の声が見事に一致する。
「レイザ!!」
「ああ、姉の知り合いか。よかった」
 不可思議な言葉を吐いて、少女は猫のような目を細めた。
「ティナからの伝言だよ。『村が危ない。早く逃げて』ってさ」
「え!?」
「ティナから……?」
「じゃあね、確かに伝えたよ」
 軽い足取りで、少女は闇に消えていった。
 声をかける暇もなかった。
 取り残された二人はしばし立ち尽くし、どちらからともなく顔を見合わせる。
「えっと、どーすればいいかな?」
「二手に分かれた方がいいね。ロイドたちに知らせるのと、村に向かうのと」
「ティナたちは大丈夫かな?」
「さあね」
 私たちが行ったところで、大したことはできないだろうよ、と気だるげにエカチェリーナは告げた。
「あちらは天下の属性継承者さまだよ。無属性継承者の私たちが、できることはない」
「うーん」
 クルスは、一瞬何か言いたげに視線を空に這わせた。
 しかし結局、一つ頷いて、ぴょんととび上がる。
「分かった! 早く知らせに行こう」
「そうだねぇ」
 二人は元来た道を戻り始めた。
 ぴょんぴょん跳ねるように走るクルスを見つめる、エカチェリーナの表情は硬い。


 ティナ達に被さろうとした溶岩は、すんでのところで、彼女の張った結界が阻んだ。
「あっぶな……」
 詠唱破棄できるとは言え、とっさの危機にイヤな汗が背を伝う。
 しかし、釈然としない。
 ジュレスは、闇の神剣を抑えようとしていたのだ。
 どうして、逆にマグマの動きが活発になるのだろうか。
 視線を映したティナは、そのまま目を見張った。
「ジュレス!?」
「うっ……あぁ……!」
 ジュレスは、胸を抑えてうずくまっていた。おい、とアルフェリアが肩をつかむが、肉の焦げるような音とともに、慌ててその手をひっこめた。
 信じられないような高温を発していた。
「なん……なんだよ、一体」
「闇の発現……。神剣同士の共振を、もう抑えきれない」
 半透明に透けるジュリアが、哀しそうに瞳を曇らせた。
「間に合わなかったってことか!?」
「このままでは、本当に間に合わなくなる」
 ジュリアの身体は、ほぼ透けかけていた。輪郭を辿ることさえ、今は難しい。
「よかった……ぎりぎり……あと、は……」
「おい、ジュリア? ジュリア!!」
 少女が消えた跡には、紋様が球体に折り重なったような不可思議な光の線が、優しくたゆたっていた。
 光が糸のようにほどけ、アルフェリアの指先から、くるくると体を取り巻いていく。
「な、何なんだよ、一体!?」
 感覚の変化はない。
 ただ、光の奔流が、男の身体を白く浮かび上がらせて、すっと溶けるようにその中におさまった。
 ティナの目には、鍾乳洞の薄暗い闇が、一瞬太陽の閃光にさらされたように思えた。
 残像を残して光がやむと、そこには、元の静けさだけがある。
 ただ、少女の幻の余韻だけを残して。
「アルフェリア……」
 恐るおそる問いかけたティナの言葉に、すぐに男は反応しなかった。
 自身の手を見つめて、何か考え込むようにしていた。
「アルフェリア!」
「ああ、悪い」
 ティナの誰何にやっと視線を上げ、男は苦く笑った。
「結界は、まだ持ちそうか?」
「えっと……結界自体は大丈夫なんだけど……」
「けど?」
「空気が持ちそうにないかなーなんて」
「そりゃやべぇな」
 膝に手をついて立ち上がりながら、彼は肩をまわした。
「ちょっとジュレスを頼むわ」
「……え?」
 何をするつもりなのか。
 とっさに図りかねたティナの眼前で、男は台座に突き立ったもうひと振りの神剣を、ためらいなく、引き抜いた。


 その剣の刀身が、姉の身体を刺し貫いたときの感覚を、今でもありありと覚えている。
 思えばあの時――ジュリアの魂は、剣とともに封じられてしまったのかも知れない。
 初めて人の命を奪った感覚は、その後傭兵として多くの死を看取った経験を持ってしても、あまりに異質で拭い去れない絶対的な記憶だった。
 巣立ったばかりの雛の、柔らかい羽を敷き詰めた布団が、抵抗なく人を呑みこむ感覚。
 『くたばれ、化け物』と叫んで、実の姉を屠った記憶。
 ジュリアはさぞかし自分を恨んでいただろう――そう思っていた。
 思っていたのに。

(泣いてたのは、ジュレスと俺のためだって……!?)
 理不尽に命を絶たれた姉は、誰のことも怨んでいなかった。
 アルフェリアのことも、――彼女の目をつぶして理性を奪った、あの行商人のことも。
 ただ一人、暗い鍾乳洞の中で、時を待ち続けていたのだ。
 属性の『器』を、弟に継承させるために。
(バカだな……)
 バカな姉だ。
 もっと生きたかったとか、一言くらい、何か言ったってよかったんだ。
 そう思って、アルフェリアは苦く笑った。
 ジュリアに怒りをぶつけて欲しいのは、自分が救われたいためだ。
 それは、相手のことを慮っているようで、その実、自分が救われることしか考えていない。
(ジュリアは、誰も怨んでいなかった)
 救われたい弟のことを、復讐したい妹のことを。
 彼女はどんな気持ちで見ていただろう。
 死してなお彼女を苦しめていた本当のものは、今を生きる者の不甲斐ない姿そのものだったのではないか。
 ジュリアから『器』を継承して、アルフェリアは確信した。
 ジュリアが心から望んだこと。
 我を失い、行商人の男を傷つけたことへの、深い後悔。村が半壊したことの、沈むような悲しみ。
 そして。
 もう誰も、傷つかないで欲しいという、純粋な祈り。
「ちょっとジュレスを頼むわ」
 こちらに覆いかぶさるように、その牙を剥く溶岩は、勢いを増して滾りまくっている。
 再び神剣を手にするのに、不思議なほどためらいはなかった。
 ただ、美しい刀身の魔力剣は、あつらえたように彼の手に収まり、生き物のように脈動した。
 魔法のことは知らない。
 今まで避けるように生きてきたからだ。
 しかし、彼には確信に近い予感があった。
 この剣を通して流れ込んでくるもの。
 大地を形づくり、緑を茂らせ、作物を育て、豊穣をもたらす。
 堅固にして鷹揚な力の奔流。
 この地に生きとし生けるものを支える力。
 『土』の属性魔法。


「我が意に従え、土の神剣」
 静かに命じると、刀身の光がひときわ強く光を放ち、術者の意を反映して土のエレメントがさざめいた。
 溶岩のエネルギーの奔流が手のひらから伝わってくる。
 暴れ滾る大地のエネルギー。
 まだ噴火するには至っていない。山を8割方昇ったところか。誰も巻き込まれていなければいいが。
(やっかいだな……)
 力の奔流の源泉をたどって、胸中、アルフェリアは呻いた。
 マグマの活動を後押ししているのは、ジュレスの持つ、土の神剣。
 術者の意に反し、その体から魔力を絞り出して、土のエレメントに延々と力を与え続けている。
 じわりじわりと、赤い溶岩は地上へと進軍を進めている。
「おい、ジュレス! 大丈夫か!?」
 胸を抑えてうずくまる姉に向かって、努めて冷静にアルフェリアは切り出した。
「あんたの神剣の影響が、大分強いみたいだ。なんとかならないか!?」
「なんとかって……なんとか、しようとしてますけど……っ」
 切れ切れに応じるジュレスは、唇がひび割れ、顔も青白い。
 急速に消耗しているのは、無理に魔力を吸われ続けているからだ。
 闇の神剣。
 第一次天地大戦で、魔族側の四属性継承者が用いた、魔力剣。
「たぶんね……」
 結界を操りながら、ティナがぽつりと呟いた。
 不死鳥を従えるほどの使い手と言え、長時間、溶岩をせき止めているのは、かなりの負担のはずだ。
 額の汗をぬぐい、ふう、とため息をついて続ける。
「神剣自体は――属性そのものには、聖も魔もないと思うのよね。だけど、あえて『負』の感情――エネルギーを与え過ぎた。それで、神剣が負の力を増幅させる方に傾いちゃって、止まらなくなっちゃったんだと思うのよね」
「へぇーえ、そりゃ」
 ご高説、痛みいるな、とアルフェリアは応じた。
 ジュレスを支えていたのは、ジュリアを救いたいという願いと、アルフェリアへの復讐心。
 そして、自らこそが『正統な』属性継承者である、という自負だ。
 それらが折れてしまった今、ジュレスに属性を制御しきるほどの気力は、おそらく残っていない。
「しっかりしてくれよ、属性継承者としては、あんたの方が大分長いんだからよ!」
「言って……くれますわね!」
 身を起こしながら、ジュレスが苦く笑った。
 頬を伝った汗が、顎から滴り落ちている。尋常ではない量のそれを、手の甲で拭いながら、
「これでも……結構、抑えてる方ですのよ……」
「よし、じゃあ、その調子で頼むわ」
 今の状態が続けば、アルフェリアがもうひと振りの神剣でエレメントを制御すれば、多少時間はかかっても土の属性はもとの均衡を取り戻す。
 不思議なことに、その算段は、自然に彼の中でついていた。
「すごい、アルフェリア。ちゃんと属性を制御できてる……!」
「へ、コレこそ、火事場のナントカってヤツだな」
「できるだけ……早く、していただきたい、ところですわね……」
「分かってる」
 この場を切り抜けられるかもしれない。
 そんな予感が、多少の安堵感となって、三人の空気をほんの少し緩めた。
 まさに、その時だった。
 今一人、招かれざる客が、その場に現れたのは。
「こんにちはー」
 その存在が言葉を発した時、誰も反応できなかった。
 それほどに唐突で、予想外で、――この状況を打破できるかもしれないと、三人ともに胸をなで下ろした、その一瞬を図ったかのような、絶妙なタイミングだった。
「キルド族の……!?」
「ウェイさん追いかける前に、ジュレスさんにご挨拶や!」
 転移魔法だろうか。
 突如、現れた少年は、力なく地に座り込むジュレスの、土の神剣の刀身に優しく触れた。
「置き土産。受け取って、な」
 そして、そのまま消えた。
「一体……」
「何だったんだ、今の……」
 ティナとアルフェリアが、悄然と呟く。
 そのとき、アルフェリアは微かな違和感を感じた。
 何かが鳴動する感覚。
 巨大なエネルギーが爆発する前の、もったいぶった溜めの時間。
 はっとしたときには、変化は起ころうとしていた。
「ティナ、結界を――」
 強化してくれ、その言葉が紡がれないうちに。
 魔の神剣を手にしたジュレスが、顎を激しくのけぞらせ、のたうちまわるように絶叫した。

 最初のマグマが地上に到達し、じわりと赤い舌で、舐めるように雪の大地を浸食し始めた。

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