Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第八章 土の神剣  
* * *
「うわ! 危ないところだったねー」
 吹きあがるマグマを後ろに、クルスはあたふたと傍らのエカチェリーナを見やる。
 一方、シルヴェアの元宮廷魔道士は、眉をひそめた。
 このままでは、転移魔法の陣を描くどころではない。
「早く移動するよ」
「うん!」
 まずは、ディーンやロイドと合流する方が先か。
 駆けだした二人は、森の木々の間を、足をゆるめず抜けていく。
 マグマの進みは遅く、時間的な猶予は、まだあると思われた。これが山ごと噴火する事態になれば――もう手遅れだ。
「あ、ちょっと待って!」
 不意にクルスがエカチェリーナの服の裾を引っ張って、彼女は意識をそちらに遣った。
 どうしたんだい、と視線で問うと、クルスは針葉樹の向こう側をすっと指さす。
 暮れた森の視界は悪い。とっさに目を細めるが、エカチェリーナには、黒々とした影しかとらえられない。
(年は取りたくないもんだねぇ……)
 一方、こちらは見えているらしい――クルスの口から、予想外の人物の名前が、吐き出された。
「ねえ、あれって……。フェイじゃないかな?」


 ほっそりとした人影は、ともすると鋭い葉の陰に隠れてしまうほどに、弱く儚げに見えた。
 クルスとエカチェリーナがすぐそばまで近づいても、彼は身動き一つ取る気配を見せなかった。
「フェイ!」
「どうしたんだい、そんな薄着で……」
 傍まで近づいてみて、エカチェリーナは目を見張った。
 身につけているのは、外套どころか、薄いシャツ一枚。足は裸足で、凍った雪の中、立ち尽くしている。
 唇は青を通り越して白い。いや、元から色素の薄い人間だったが……。
「どうしてこんなところに……」
「それより、危ないんだ!」
 問いただそうとするエカチェリーナと、危険を知らせるクルス。
 二人がいくら語りかけても、人形のように、彼は反応しなかった。
 尋常でない様子に、彼らは顔を見合わせる。
 途方に暮れて、ついに言葉を途切れたとき、何かに気づいたように、クルスが、あ、と声を上げた。
「ロイドがこの近くにいるよね!? 呼んでくる」
「ああ、頼んだよ……」
 ぴょん、と走って行くクルスの後ろ姿を見送って、エカチェリーナはフェイと二人、取り残された。
 溶岩の気配は、辺りにまだない。
 しかしその静寂が、却って不気味だった。
「何があったんだい、王子様」
 彼女の記憶に在る『フェイ王子』は、癇癪を起したことも、感情を荒げるそぶりを見せたこともない。
 一度も――そう、ただの一度もだ。
 穏やかで、素直で、優しい人柄だった。
 何が、彼を、こんなにも空虚なモノに変えてしまったのか。
 二人の時間が、長かったのか短かったのか、それさえエカチェリーナには分からなかった。
 やがて、クルスが大勢を引きつれて戻ってくる気配が現れる。
 そのときになって、やっとぽつりと、フェイが始めて口を開いた。
「逃げた方がいい」
「――え?」
「土の力が変容した。厄災が再び起こる」


 土の神剣の祠がある麓の混血児の村にも、異変は届いていた。
「やだもー、何なんですかこれー!」
 肩を抱いて体中をさすりながら、アベルがひたすらに唇を尖らせている。
 身を焦がす感覚を、言葉に表せない。
 かといって、誰かと共有もできない。
「カイオスも他の人たちも、鈍すぎですぅー。この、ちょっとヤバい、くぅーってなる感じ!? ああ、猫の手が食べられたら、体の内側からがりがりしたいですー」
「大変そうだな、がんばれ」
「うぅ……棒読み反対……」
 魔力に敏感なアベルはともかく、その場の大半の人間が、その『変化』を体感していた。
 肌をちりちりと焦がすような、それでいて雪国の冷たい空気をかき乱すような。
「イクシオン。この変化は……」
「いよいよ、本当に避難を考えた方がいい頃合いかもしれないね」
「避難と言っても、どこに?」
「魔力の届かないところ。具体的に言うと、ゼルリアの北方領主の館あたりまで逃げられれば、危険は及ばないんじゃないかな」
「それは……今さらあれこれ足掻いても手遅れ、という解釈でいいか?」
「そういう解釈になるかも知れない」
 最悪の時は、私がみんなを転送しよう、と神獣は請け負ったが、その中に、土の祠に向かった人間たちまで勘定されているのか。
 村から土の祠までは、人間の足で半日ほどの距離を隔てている。
 イクシオンの転移魔法を使ったとして、彼らを全員回収できるのか。
 そもそも、土の祠にいると思われるティナ達は――。
「結局のところ」
 手元にある判断材料では、どのみち『正確な状況』など、到底想定することはできない。
 カイオスは白いと息とともに、自身の結論を短く告げる。
「彼らが自分でなんとか活路を見出すしかない、ってところか」
「そうなるだろうね。ただ――わたしは、最悪の運命を共にするのはごめんだけど」
 長い睫毛を瞬かせて、神獣がさりげなく返した言葉には、彼らが自分で活路を見出すことが、いかに望み薄かがありありとあらわれていた。
 二人の会話を聞いているはずのアベルも、村に居残った人間たちも、誰一人肯定も否定もしなかった。
 あるいは、自らの腹の内を言葉にすれば、そこからすべての瓦解が始まるのではないか。
 その恐怖を抑えつけるために、敢えて言葉を紡がないのかもしれなかった。


「おーい、エカチェリーナ! フェイ!」
 クルスがロイドやディーンや、他の混血児たちを連れて、二人の元に戻ってきたとき、すでに溶岩の一端が、雪の合間を縫って地上に次々と浸食を始めていた。
 大地の奥深くから湧き上がってきた赤いマグマは、雪国の冷気に触れて水蒸気を上げながら熱を奪われ、黒い岩の塊へと姿を変えていく。しかし、その上を伝って赤い溶岩はさらに距離を伸ばし、じわじわと侵食範囲を広げていく。
 ところどころ、雪の下からごぼりと溶岩が噴き出す箇所も見受けられた。
 このあたりは、良質な鉱石のとれる鉱山帯だ。火山活動も活発なのかもしれない。
(ティナも、スゴイところに神剣を封じたもんだよねぇ)
 思うのは胸中だけにして、クルスはあたふたとフェイを心配するそぶりを演じる。
 今回、一連の出来事のなかで、エカチェリーナには何かしらの疑念を抱かせてしまったようだ。
 しかし、クルスは大して気にしていなかった。
 こちらが腹を探られる分には、正直特段問題はない。
 ただ、そう遠くない未来、すべてを明かす時、クルス自身に害意はないこと。それを信じてもらえるかどうか。
 ただそれだけだった。
「フェイ!!」
 ロイドが、慌てたように副船長に駆け寄って、ためらいなく自らの上着を差し出す。
 受け取ろうとしない混血児の肩に、有無を言わさず羽織らせて、問答無用で、背中を押した。
「逃げよう。ここは危険なんだ」
(うわぁ、ロイドすごいな)
 てこでも動こうとしない人間の意思を、汲んでいないのか無頓着なのか。
 しかしフェイは、ただゆるく首を振った。
 頬に落ちかかる銀の髪が、さらさらと散った。
「うーん」
 ロイドは、鷹揚とした態度を崩さず唇を尖らせる。
 クルスも、エカチェリーナも、実兄ディーンすらも。
 一言も声をかけることのできない相手の心に、臆さず触れようと働きかける。
「動きたくないのかー。困ったなぁ」
「ロイドやみんなは、逃げればいい」
「そうかぁ?」
 やっと一言、紡がれた言葉を受け取って、ロイドはぽりぽりと頬を掻いた。
 うーん、と腕組みして考えて、考えた結果、男はエカチェリーナの方を見た。
「俺はフェイと残るから、みんなで先に行っててくれないか? 村に事態を知らせねぇと」
「だけど、あんたたちは、どうなるのさ!?」
「どーもなんねぇよ。ティナやアルフェリアも、まだあの洞窟のなかで踏ん張ってんだ。もとより、誰か残って待ってないと」
「そーいうことなら、オレも残るよ!!」
 すかさず、クルスは手を上げた。
 無邪気そのものを装って、
「ティナは、オレの相棒なんだ!!」
 ここは、クルス自身の純粋な気持ちを素直に語った。
「では、俺も残ろう」
 苦々しい顔で申し出たのは、混血児の村の村長ディーン。
 妹のことだ、責任がある、と言葉少なに告げる。
「……」
 エカチェリーナは逡巡するように、それぞれの顔を見つめた。
 クルス、ロイド、ディーン、そして、俯いたまま表情の伺えないフェイ・アグネス・ウォンを。
「行こう」
 やがて短く、背後の混血児たちに告げ、円陣を描いて魔法を発動させた。
 彼女はきっと、言いたいことが山ほどあるに違いない。
 魔方陣に誘われて、彼らが消える様をじっと見つめながら、クルスは漠然と思った。
 しかし、それを表面に出さない大人の聞き分けの良さを、悲しいことに持っている。
(そんな君だから、信頼できるんだ)
 村のことは頼んだよ、と声にも態度にも出さず、ただクルスは念じる。
 うにゃー、と能天気に周囲を伺って、敢えて明るい声を出した。
「ティナたち、無事に帰ってくるかな?」
「ああ、きっと無事に帰ってくる」
 応じたのは、ロイドだ。
 彼も言いたいことが、確実に山ほどあることだろう。
 こちらの方は、エカチェリーナと違って、聞きわけはよくないから、あるいはそろそろ限界かもしれない。
 だが、自らの心情を横に置いておいてでも、周囲を気遣う優しさ、仲間への思いやりは、クルスを絶対的に安心させた。
 いいヤツだ。ちょっと鈍いかもしれないが、彼は本当にいいヤツだ。
「本当に危険になったら、俺がこいつ担いで逃げるからよ。ディーンはクルスを頼むな」
「ああ、分かった」
 周囲の状況は、先よりも確実に悪化している。
 冷たい空気と灼熱の大地が相まって、むっとするような臭気と水蒸気をもんもんと辺り一帯に立ち込めさせている。
 男たちがぼそぼそと言葉を交わすその横で、彫刻像のように、混血児は動かなかった。
 クルスにも、図れなかった。
 彼が何を考えているのか。
 ただ、その意図は何となく見える。
(彼は生きることをあきらめている……)
 しかし悲しいかな、ロイドがいる限り、彼の願いは成就しないだろう。
 ロイドは、何が何でも、フェイのことをあきらめない。
 自らを押しのけてでも、必ず手を差し伸ばす。
 それが、全てをあきらめているように見えるフェイ・アグネス・ウォンにとっての、おそらく唯一の救いだ。しかし、全てをあきらめた人間にとって、あるいはそれは、底知れない絶望なのかも知れなかった。

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