外界から隔絶された、土の神剣の間にあってさえも、変化は急激かつ、絶対的に起こった。
「きゃ……っあ、あぁあああああ!」
ジュレスが、身をのけぞらせて苦しんでいた。
キルド族の少年が触れた闇の神剣の刀身が、黒く光を帯びて不気味に輝いている。
周囲のマグマを反射して、赤く鈍色にきらきらとさざめいた。
「うわー! 熱いし、重いし、息ぐるしい!!」
彼らに振りかかる溶岩からの結界を張っていたティナが、耐えきれずに声を上げる。
彼女の顔面も、汗びっしょりだ。
溶岩が振りかかる、というより、もはや彼らは赤いマグマのなかに沈んでいた。
無事なのはひとえに、ティナの結界のおかげに他ならない。
しかし、いくら結界を張って場所を確保しても、このままでは空気を使い果たして、遠くない未来に全員死ぬ。
「ちっ……制御、できねぇ」
絶望的な状況の中にあって、イライラとアルフェリアは爪を噛んだ。
土の神剣を通して流れ込んでくる土のエレメントの気。
先ほどまでと打って変わって、秩序なくめちゃくちゃに暴れている。
たとえるなら、さきほどの暴走は赤ん坊が癇癪起こして泣いているのを宥める程度でよかったのに対し、現在は、前後不覚に好き勝手暴れる、小山ほどある巨大ゴーレムを、素手で何とかしろと言われているような状況だろうか。しかもゴーレムは現在鋭意成長中、と来た。
下手に手を出そうものなら、一瞬で叩きつぶされることウケアイだ。
キルド族の少年の行動が、その原因ということだけは、忌々しいほど明らかだったが、その対処方がさっぱり分からない。
(落ちつけ……)
ここは戦場だ。
傭兵として、命の危機にひんする場面は何度もあった。
村のことは、この際いったん置いておこう。
今、目指すのはただ一つ。
ここから全員無事に生き延びること。
(全員、無事に……か)
思って、アルフェリアは傍らで苦しむジュレスの姿をちらりと見やった。
土の属性の養分は、ジュレスの魔力だ。
彼女はそれを制御できていない。
つまり、奔流する土の属性の求めるまま、無条件に命を吸い取られている。
このままでは、ジュレスの命が先に尽きる。そして、おそらくその前に、土の属性は暴走し、その勢いで村を滅ぼしつくす。
(ふざけんなよ)
思って、手元の神剣を見つめた。
何が神の名を冠する剣、だ。やっかいな問題引き起こしやがって。
「そもそも、こいつが……」
つい、ぽつりと言葉に出ていた。
ジュリアの命を奪ったのも、ジュレスを苦しめているのも。
もとはと言えば、この神剣に端を発する。
思った瞬間、アルフェリアの手にした剣が、鈍く光って、突き抜けるような衝撃が体を衝いた。
一瞬心臓を握られたような錯覚を覚えて、アルフェリアは束の間呆けた。
「な、何だぁ、今の……」
自分自身の思いに反応したのだろうか。
微かに思っただけの、愚痴程度の八つ当たりじゃないか。
それが、こんなにも増幅して自分に跳ね返ってくる。
それは、周囲のエレメントへと、敏感に伝わり、土の暴れる気配が、ほんの少し加速する。
理屈ではなく思いが、自然を――世界を突き動かす。
それが、神の剣の正体なのか。
「もしも、こいつが原因なんだとしたら」
アルフェリアは、柄を握り締めた。
(神剣を壊すことで、すべてが収まるんじゃないのか……?)
聖魔の魔力剣。
二対ひと振りで存在するのなら、相討ちにすることもできるかもしれない。
「元凶を……壊しちまえば……」
ジュレスは救われる。
剣に貫かれて死んだ――ジュリアも、きっと浮かばれる。
そして自らの思いも、おそらく多少は晴れる。
すべて元凶を屠ることで……。
「……」
アルフェリアは、静かに刀身を掲げた。
反発し合うものならば、真っ向からぶつけてやればいい。
水と火が、聖と魔が、互いに反発し打ち消し合うように。
「やってやる……」
意識を集中し、ジュレスの魔力剣に標的を絞る。
武器破壊。
目には目を。神剣には、神剣を。
「あ、アルフェリア!! ちょっとちょっと!!」
「!?」
すっかり存在を失念していたティナが大きな声を上げて、アルフェリアは気を削がれてたたらを踏んだ。
「んだよ、ティナ」
「あのね、私も正直どうしたらいいのか分からないんだけどね、魔法使いの先輩としてね」
彼女自身整理できていないのか、しどろもどろになりながらも、ティナは懸命に続けた。
「属性が暴れてるのって、大体属性のエネルギーが収まりきれないような、狭い場所に閉じ込められてるからなのよ。だから、その上そのエネルギーを無理に抑えつけたり相殺しようとしたら、逆に反発して爆発しちゃうことが多いっていうか……」
「ほー」
こんな状況にあって、興味深くアルフェリアは言葉を聞いた。
閉じ込められてむしゃくしゃしてるエレメントに、さらにふたをすれば爆発する。
どこか人間の心理と同じだ。
「じゃあよ、ティナ。魔法使いのセンパイに、モノは相談なんだがよ……」
「え?」
アルフェリアの提案に、ティナはぱちぱちと瞬いた。
最後まで聞き終わって、微かに苦笑する。
「そーゆー細かい芸当は、カイオスの方が得意なんだけどね」
「やれそうか?」
「やってみる」
「よし、頼んだ」
アルフェリアは手の中の剣を見た。
先ほどの自身の思考は、まだどこかで過去を憎んでいる自分がいるからかも知れない。
属性に聖も魔もない。
ジュレスが神剣の闇にとらわれたのは、彼女自身が自分の憎しみを糧にしたからだ。
だとすれば、『光』の名を冠する剣であったとしても、自らの闇に呑まれた者に、属性は牙を剥く。
「解放してやるよ」
小さく呟いて、アルフェリアは剣を構えた。
暴れるエネルギーはそのままに。
邪魔をせずに神剣を通して誘導してやる。
鬱屈とした地下からの出口。
吹き抜けの鍾乳洞の入り口へ。
「遅れんなよ。置いてくぞ」
赤いマグマは寄り集まって螺旋を描き、一個の生き物のように躍動する。
蛇のような、竜巻のような。
どこか美しい形状の獣は、自らがそうであることを思い出したように、頭部を作り、手足を作り、尻尾を作り、伝説の姿を彷彿とさせながら、ひとところを目指して飛翔した。
空中――遥かなる、雪国の空へ。
その光景を、地下の奥深くに居ながら、アルフェリアは眼の前で見るかのようにまざまざと知覚した。
竜の目と一体化して、彼は美しい夜空を眺めていた。
大地はところどころ溶岩に侵され、赤く火を噴いている。
鍾乳洞から少し離れた森の中に、四人の人影――クルスたちだ。どうしてフェイのヤツもここにいる?
高度があがると、より遥かな光景が、眼前に美しく広がった。
混血児の村。
アベルやカイオス・レリュードや――エカチェリーナや混血児たちが、こちらを見上げて何かを叫んでいる。
案ずるな。この竜は村を喰らったりしない。
火を噴く溶岩をまとった赤い獣は、氷の国の冷気に水蒸気を上げながら、ゆっくりと上昇を続けた。
星空のもとへ。
ここまでくれば、もう、人も大地も関係なく、すべてがちっぽけで一体化した美しい風景のなかに織り込まれていた。
地下に淀んでいた鬱屈したエネルギーは、大いなる天空の大気に歓喜の悲鳴を上げながら、解放の歓びを奏でた。
不意に、手の中で暴れていた感覚が消失して、アルフェリアははっと現実の光景を見た。
地下の薄暗い鍾乳洞の中、立ち上がったジュレスが、憔悴しきった顔に穏やかな笑みを浮かべて、アルフェリアの手を取っていた。
「こんなに、美しい国だったのね。私たちの故郷は」
「ああ。そーだな」
言葉少なに応えることしかできず、アルフェリアはティナの方を見る。
神剣の間にすでに溶岩は欠片も残っておらず、元の冷気が静寂とともに閑散と漂っていた。
「ティナ、後は頼むわ」
「うん!」
頷いて、彼女は詠唱を始める。
「命の灯よりもなお赤く、逸る血よりもなお熱く……」
上空の竜の赤い体が、弾かれたように震撼した。
それが、今の二人には分かった。
ティナにも見えているのだろうか。神剣の力を借りずに。それは、大いなる時間の女神に守護を受けた、不死鳥憑きの巫女であるが故なのか。
竜の持つ熱エネルギーを、ティナの火の属性魔法が優しく受け取って行く。
原動力を奪われた竜の身体は、均衡を保てず空中でもがく。
しかし、すでに土のエレメントの栄養源となる『負』の力は、どこからも供給されることはなかった。
赤黒く光を放つ竜の身体から光が消えると、後は細かい砂の欠片が、ぱらぱらと、パラパラと――雪の欠片に交じって降り注いだ。
それは、赤く煮えたぎる溶岩の凶悪な厄災ではなく、遍く広がる空が気まぐれに降らせる、冷たい冬の置き土産のようだった。
■
「わあー、すごいすごいー!」
「ちょっと……コレは、予想外だったねぇ」
混血児の村では、ざわめきと安堵の声が、至るとこで漏れいでていた。
赤黒く明滅する竜のような溶岩席の塊が、山肌を突き破って地上にあらわれたときは、それが15年前に村を襲った災厄と重ねられ、絶望の声が上がった。
しかし、竜はそのまま遥か上空まで滑空し、天頂でほどけるように瓦解した。
その姿が完全に消えても、しばらく人々は天の頂に食い入るように視線を向けていた。
誰かが泣き笑いのような声を上げて、やっと空気が解けた。
「結局、大したことにならなくて、何よりだな」
「そうだねぇ」
どこまでも冷静を装ったカイオス・レリュードと、聖獣イクシオンは、夜の闇に呑みこまれていく山肌を見つめながら、言葉少なにかわす。
「さて、私はエカチェリーナと一緒に、他の人たちを迎えに行ってこようかな」
「……土の神剣のある場所に、近づいてもいいのか?」
「ああ、もう問題ないよ」
二、三歩歩きだして、聖獣は振り返った。
柔らかく目を細めて。
「土の属性は落ち着きを取り戻した。属性継承者があるべき姿を取り戻したからね」
■
「わぁー!! きれいだねー!!」
「これはまた……見事な」
鍾乳洞の近くの森では、ディーンとクルスが感嘆の声を上げていた。
ロイドは、立ち尽くすフェイの傍らの岩に腰をおろして、穏やかな目で一部始終を見つめている。
彫像のように動かない混血児が何を考えているのか。ロイドには手に取るように分かっていた。
(船を降りるだなんて、無茶言いやがってよー)
精いっぱいの強がりのつもりなんだ。
実際、ロイドは彼が何と言おうと、船を降ろすつもりはないし、今の彼を船から降ろしてはいけないと思っている。
「なあ、フェイ。これからも――」
「迷惑、なんだ」
「ん?」
「もう、迷惑なんだ。ロイド」
クルスとディーンが、息を呑んで振り返る。
恋人の破局に立ち会うよりも、気まずいかも知れない。図らずも、二人は同じことを考えていた。
「オレは死に呪われている」
「関係ねぇよぉ」
「だから、それが!!」
迷惑なんだ、とかすれた声で混血児は呟いた。
ロイドは少し寂しげに眉根を寄せたが、激することなくそうか、と呟く。
分かったよ、と立ち上がりながら続けた。
「お前が自分のことをどう思おうと勝手だ。だけど、オレがお前のことをどう思おうと勝手だ。オレは、――お前が自分をどう思ってようと、お前は大切な仲間だと思ってる」
「いつまで、そんなこと言ってられるかな」
「んあ?」
「オレの存在が――あんたの大切なモノを奪うことになるかもしれない」
「そんなことは」
「ジェイドみたいに」
「……」
おそらくその名前は、絶望しているフェイにとって、一つの切り札だったのだろう。
傍で聞いていて、クルスは何となくそう感じた。
しかし、ロイドの方は、切り札を切り札とも認識していない様子だ。彼の立っている土俵は、そもそもフェイのそれとかけ離れている。
フェイは過去。過去の経験が未来永劫繰り返されると――ある意味確信している、絶望の土俵。ロイドは『現在』。希望も絶望もない。ただ。目の前に在る現実をありのまま大切にする――未知と可能性を恐れない希望の土俵。
(本当に、ロイドはいいヤツだよなぁ。……鈍いんだけど)
クルスはこっそり思う。
「お前、いっつもそーだな。ジェイドのときも、じーさんのときも。そのうち、15年前の厄災だって、自分のせいだって言い出すんじゃないかって、オレは心配だよ」
「そうかもしれないね」
「あのなぁー」
このままでは堂々巡りだ。
ぼりぼりとロイドは頭を掻く。
「もう、迷惑なんだ」
それは懇願のようにすら聞こえた。
そこまで深く、彼を縛っているもの。
夕闇が暮れはて、雪国に夜が訪れる。
過去にとらわれた絶望か。現在を起点にした未来への希望か。
クルスの目に、それは非常に危うい均衡として映っていた。
あるいは二人とも、それを自覚しながらも、互いに離れられないのかもしれない。
結局、クルスとディーンが鍾乳洞のアルフェリア達を助け、再び戻ってくるまで、――果ては、エカチェリーナとイクシオンが皆を転移魔法で迎えに来るまで。フェイはその場を動こうとしなかったし、ロイドもその場を動こうとしなかった。
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