Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 悲しい子守唄
* * *
 ――死に呪われた子。

 七君主ベリアルにとらわれた闇の中で、ひたすらに繰り返し、その言葉を聞いた。
 一つの言葉は、一つの契機となり、一つの情景を思い起こさせる。
 千年竜の託宣。
 突きつけられた言葉。
 大人たちのざわついた気配。
 一つの言葉は、その意味も分からないまま、小さなトゲとなって胸に突き刺さり、そのまましばらく眠りに就いた。
 少なくとも、王城の中は『死』とは無縁であったし、幼い王子に言葉の意味を実感させる出来事は、巧妙に排除された。
 混血児の村から王子が王城へ迎えられる際に、彼の両親はすでに他界していたが、『お父さんとお母さんには二度と会えない』と言い含められていた。それは、幼い王子にとって、単純な別離を表す認識しかなかった。それが、『死』という言葉と結びつくには、その時の彼は幼すぎた。

――死に呪われた子。

 はじめて、その言葉の意味を実感したのは、いつだったのだろう。
 ミルガウスの石板が砕け散り、国王ドゥレヴァに犯人と断罪されて、崖から転落したときか。
 あの時は、当時の第一王位継承者スヴェルと、王女ソフィアが死んだ、と聞かされた。
 死んだ、という言葉の重みが、かつて『もう二度と会えない』と言われれた両親との別離と重なって少し成長した子供の胸をさざめかせた。
 だが、その死は間接的で、実際に亡きがらを見たわけではなかった。

――死に呪われた子。

 はじめて、その言葉の意味を実感したのは、いつだったのだろう……。


「どんな人間にも闇はある。闇をいざなう言葉がある」
 黒い燐粉を撒き散らしながら、ひらひらと蝶が舞っていた。
 それは、闇の残り香りだった。
 誰もが、その消滅を疑わなかった。
 七君主と呼ばれる存在の、淡い置き土産。
 誰も知らない、気付かないうちに、心の隙間に入り込み、甘美な声で囁き、弱らせ、からめ取る。
「闇への鍵を見つければ、後は勝手に堕ちていく。人間は脆いものね」
 鍵は――言葉は、無色透明。それ自体に善悪も色彩もない。
 ただ、言葉を捉える心に惑いがあれば、それは次々に情景を膨らませ、ひとつの闇を作り上げる。
 ひきずりだす――己自身で、己自身の罪と咎を。
「哀れなる存在よ」
 蝶は、ひらひらと舞い続けた。
 ゼルリア王城を進む、混血児の周囲を飛びながら。
 その行く末に誘うように。
 その行く末を惑わすように。


「フェイはさ、オレたちの船に乗るまで、暗殺集団の一味だったんだ」
 キリの言葉は、王城で育ったアベルに、どのような衝撃を与えたのか。
 周囲の大人たちが言葉なく見守る中、少女は視線を上げて、そうですか、と呟いた。
「暗殺者だった彼が、どうして海賊に?」
「……」
 一瞬ためらいがあって、キリは低く呟いた。
「最初に、フェイがジェイドって名乗ったの、覚えてるか?」
「あ、はい。そういえば」
「ジェイドは、お頭の――ロイドの親友だった。お頭は、海に出る前、賊に自分の村を焼かれてんだ。そのとき二人だけ助かった。お頭にとっては、ただ一人の家族で、同胞だった。その親友を、――フェイは殺したんだ」


 ジェイドと名乗ったその人は、暗殺者集団に突如降って湧いた、異色な存在だった。
 どこか『吹っ切れた』人間が多い中、理性に則って行動する、どこか穏やかで『マトモ』な人間に見えた。
 職能として暗殺を行う集団は、国家の依頼を受けて動くこともあれば、賊同士のナワバリ争いに依頼されて、力を貸すこともある。
 属する者は、金で買われた己の技術を、その金の効力が及ぶ範囲で、雇い主のために使う。同じ集団に居るものが、対立する別の依頼主に雇われれば、躊躇なく殺しあった。
 だから、人数は流動的だったし、明日には消えてなくなる存在を、特に気に留める者も少なかった。
 混血児の色を持った彼を、さげすむ者はいなかった。ひょっとしたら、自分の他に混血児がいたかも知れないが、特に知り合いたいとすら思わなかった。
 異色の集団を束ねる賊頭は、上納金を要求する代わりに、仕事のない間の生活の保障をしてくれた。
 それは、寝床であり、食事であり、服であり、最新の武器だった。
 服従しないものには、獣を躾けるような制裁が加えられた。
 シルヴェア王国を追われて、何年か経った頃か。
 混血児とくれば目の色を変えて襲いかかってくる人間たちに、最初は戸惑い、逃げ回っていた。
 天使の力を継いだ混血児は、『不死』――致命傷を負っても、生還できる。だが、数日は動けないし、再生回数には限度がある。
 できる限り人間と関わらないようにし、王宮で仕込まれた武術を頼りに、動物を狩ったり畑の物を盗んで何とか生き延びていた。
 それが――はずみで命を奪ってしまった。
 今から思えば、近隣の村からたびたび食物を失敬していた『盗人』を、職能暗殺者に『始末』するよう依頼されたのだろう。金さえもらえば貴賎問わず、依頼をこなす連中だ。
 襲いかかってきた男は、静かで、速くて、容赦なくて、何かを亡くした目をしていた。
 指の間からちらりとのぞく、果物ナイフのような短剣が、闇夜に光って、こちらを狙っていた。
 紙一重で避けて、息を整える。
 この時はまだ、相手に止まってほしい、との思いだけで、彼はこちらに追いすがる相手の体に身を添わせると、すばやく体勢を低くして、思い切りみぞおちをついた。
 ごほ、と音を聞いて、オチた、と思った瞬間、脇腹を思い切り蹴られて肋骨が悲鳴を上げる。
 今まで、これで意識を失わなかった者はいなかったのに。
 痛む箇所を庇いながら身を起こすと、始めて男が言葉を発した。
「速いなァ、小僧」
 そこには、残虐な喜びがあった。
 獲物を狩り、追いつめ、仕留める者の猛りと興奮。
 言葉と同時に、肉薄された。
 迫る男の顔面に、始めて恐怖を覚えた。
 コレは、人間じゃない。
「ふっ!」
 体勢を低くし、下半身のばねで思い切り頭を突きあげる。
 頭蓋骨に鈍い衝撃を感じ、狙いがハマったことを悟った。
「がっ」
 まともに顎を打たれた男は、白目を剥いて仰向けに倒れる。倒れながら――オチたと思った目が意思を取り戻し、血走った眼がぎょろりと自分を刺し貫いた。しまった、と思った瞬間、手首をつかまれた。
(イヤ……)
 はじめて、恐怖がよぎった。
 この男は、狂っている。
 地面に押し倒された。
 生温かい息が吹きかかり、吐き気がこみ上げた。
「いいねぇ」
 振りほどこうと身をよじった瞬間、頭を鈍い衝撃が襲った。
 殴られた。首をねじ切らんばかりの力で、地面に押しつけられた。
 そして、蹂躙された。
 絶望の中で、ひとたび認識した言葉のかけらが、絶対的な力で、幼い子供の本能を解き放つ。

――コレは、人間じゃない。

 全身で相手の体を跳ね返し、その腕を巻きこむと、逆手に思い切りねじり上げる。
 骨が砕け、腱が軋んだ。
 今思えば、王宮で仕込まれた武術は、剣術、馬術だけでなく、柔術、弓術、棒術とあらゆる分野にわたっていた。それは、幼い王子が今後巻き込まれる運命を見越し、それに備える意があったのか。
「ぎゃあぁあああ」
 獣のような咆哮を上げ、男は体をのけぞらせた。
 本来ならば――今までの自分であれば、そこで止まっていたはずだった。

――コレは、人間じゃない。

 自分の手が、何かに導かれたように、男が落した短剣を拾った。
 なんのために?
 足を傷つけて、追ってこられないようにするためだ。
 そう理性が囁くが、本能は無慈悲に、男の首筋に刃を当てるよう囁いた。
 少年は、本能に従った。
 絶命した男の返り血は、人間じゃないモノのはずなのに、温かかった。
 それが、少し意外だった。


 ぱんぱん、と手を叩く音がして、振り向くと男が立っていた。
 あんた、いいイカれ具合じゃなぁい、と人間の言葉をしゃべった。
 あんたは、自分を殺しに来たその男を殺した。今度はあんたが、その男の代わりに一緒に来なさいよぉ。
 来い、と言われたのは、シルヴェアの王城を追われてから、始めてのことだった。
 ああ、となんとなく分かった。
 今度は自分が人間じゃないモノになるのか。
 混血児は『ヒト』じゃないから、意外と合っているかもしれない、と。


「ジェイドは、村を焼かれた後、お頭と別れて、ゼルリアの諜報員みたいなことをやってたらしい。暗殺集団が根城を構えてたのは、ミルガウスとゼルリアの緩衝地帯。ちょうど、ゼルリアでは王位をめぐって諍いが起きてたから、暗殺者もけっこう使われたんだってね」
 キリの視線を受けて、ゼルリアの将軍たちは、それぞれに頷く。
「ダルウィン陛下も、海難事故に見せかけて、一度命を狙われたのです。ロイド海賊団に救われたと聞いています」
「うん、王様、海のド真ん中で、板につかまってぷかぷか浮いててさー。サメがうようよいる海域だったから、三日漂流して無傷だったって……本当に運がよかったよ」
 ベアトリクスの言葉に、キリは少し笑顔を見せた。
「で、そーいう暗殺者たちの根元を絶たんとして、ゼルリア王国――当時のセドリアから派遣されたのが、ジェイドだったって話さ。オレもそこらへんの事情は詳しく知らないけど、結果として、集団は壊滅状態。フェイは、――本人が言うには、ジェイドを殺して、集団を抜けて、ふらふらしてたらしい。で、お頭に拾われた」
「そうなんですか」
「壊滅状態って、……暗殺者を名乗る人たちが、どうしてそうなっちゃったの?」
「それは……」
 ティナが差し挟んだ疑問に、キリは困ったように視線を泳がせる。
「やられたのよぉ、たった一人の混血児に、ね」
 人払いをしたはずの場所に、第三の声がした。困ります、との制止の声がかかるが、その人物はお構いなく、ゼルリア王城最奥の青い廊下をこちらへ歩いてくる。
 一人――いや、二人、なのか。
 まず目に留まるのは、異様な風体の男。手に鎖を握っていた。信じがたいことに、その先には人がつながれていて、四足で歩かされていた。その目は布で覆われ、視界が定まらないためか、あちこちつまずいて膝は擦り剥け、爪がはがれかけている。
 だが、傍らに立つ男こそ、満身創痍の体だった。
 片腕はなく、顔はつぎはぎだらけ、右足が絨毯を踏みしめるたび、片方硬い木の音がこつんと鳴った。
 にたぁ、と笑うと、金箔を貼った歯がいやらしく、てらてらと輝いた。
「ティナ、エカチェリーナ。アベルを別室へ」
「でも……」
 鋭く指示を出したカイオス・レリュードの配慮は分かる。
 だか、鎖に繋がれた少女を放っておいて、この場を立ち去れというのか。
「ディアモンド海賊団の賊頭だね。ここ最近、ゼルリアにもアクアヴェイルにも属さない第三勢力を作り上げた、ちょっとした成長株さ」
 エカチェリーナが、アベルとティナを誘いながら、小声で告げた。
 クルスとキリにも来るように促し、その場を足早に去る。
「本来、あの子のように目が見えない奴隷は労働力として使い物にならないから、殺処分される。貴族の中には――この国の青竜ジョニー殿のように、そういった奴隷を買い取る慈善的な貴族もいる」
「慈善って……」
 そもそも人間に値段をつけておいて、慈善も何もあるものか!
「とにかく、放っておけば殺させるだけの人間を、助けようとする心根がお優しい貴族さまもいるって話さ。――で、ディアモンドはそういう奴隷を二束三文で仕入れて、大金で売りつける」
「な!」
「万一売買に応じなければ、金で購える人間の命を無残に見捨てた薄情者と、徹底的に吹聴して回る。人命と貴族の体面とをタテに脅迫するわけさ。で、結果売りたい放題ってわけ。それで、ここ最近勢力を増大させた。やってることはゲス中のゲスだけど、ウマい商売ではある」
 聞いていて、ティナは気分が悪くなってきた。
 キリが、ぽつりと呟いた。
「ヤツは、ゼルリアとアクアヴェイルの報奨金を秤にかけて、どっちの陣営に付くか計ってるんだ。今、お頭はあんなだし、ゼルリア側についてくれる勢力は、たぶんそこまで多くない。悔しいよ」
「そうなの? ゼルリア海軍って、ミルガウスの海軍を差し置いて、世界最強なんでしょう」
「ゼルリアにしろ、アクアヴェイルにしろ、海軍のなかで職業軍人――いわゆる正規軍と呼べるのは、多くて、半分ほど。後は、ふだん海賊だの何だのしてる連中を臨時に雇い入れて、戦力として使ってるに過ぎないのさ」
「そーそ、俗に言う日和見連中、ってヤツらな。正直、オレらの船みたいに、絶対にゼルリア側って勢力は、そう多くない。大半は、戦況次第、金次第」
「それって……」
 国同士の戦争と言えば、軍隊同士が互いのメンツをかけて競い合う、もう少し――『ちゃんとしている』モノだと思っていた。
 賊に頼るとか、金次第とか。
「結局何がしたいの、アクアヴェアル公国は」
 今回の戦争は、アクアヴェイル公国側から、一方的に宣戦布告されたものだと聞いている。
 もともとゼルリア王国とは関係がいいとは言えないが、均衡状態を崩すような兆候があったわけではないらしい。
「それは、直接聞いてみるしかないんじゃないのかねぇ」
「え?」
「戦争を引き起こそうとした、黒幕に」
「黒幕……」
 その人の名を、ティナは知っている。
 『ダグラス・セントア・ブルグレア』。
 かつて、七君主をその身に取りつかせ、世界の混乱を願った男。シェーレン国の死に絶えた都で七君主から自由になった男は、アクアヴェイル公国に返り咲き、今度はアクアヴェイル国王に取りついた七君主にこう告げたらしい。
 カイオス・レリュードを、殺せ、と。
「絶対に……」
 そんなことは、させない、と呟いた意識を引っ張られるように、ティナの耳は女の細い悲鳴を聞いた。
 エカチェリーナが、慌ててアベルの視界を隠す。
 遥か後方、さきほどの奴隷商が、杖を高く振り上げ、床に倒れた少女を打ちつけようとしている光景を、見止めた。
 かっと頭に血が上った。そのまっすぐな感情に火のエレメントが応えた。
 男の掲げた杖が一瞬で炭化し、ディアモンドは、ぎゃっと声を上げる。
 属性継承者の詠唱破棄。
「いい加減にしなさいよ……」
 その声が聞こえる距離だったのかどうか。
 ディアモンドの半分顔から剥きだした目が、ギラリと光ってこちらを見た。ティナはひるまず見返した。
「人体発火させてやろうかしら」
「それには及びないよ。愛しの君」
「あ、あんたは」
 廊下の向こう側をこちらへ歩いてきた極彩色の羽男と、アルフェリアの姉、ジュレスが、今にも飛びだそうとするティナの体を、やんわりと引き戻した。
「わたくしたちが、今から話をしてまいりますわ」
「あなたたちが?」
「ええ。これでも、青竜ジョニーの代理ですのよ」
 ぱちんと片目を閉じた美女は、羽男の傍らにあって、あろうことか馴染んでいた。
 混血児の村からゼルリア城に至るまでの道すがら、散々アルフェリアに指摘された『美しい肢体を惜しげもなくさらした』格好で、同性のティナも目のやり場に困ってしまう。
「なんというか……派手だねぇ」
「まぶしいねぇ」
 エカチェリーナとクルスが、しみじみ呟く。
 つぎはぎだらけの大柄な奴隷商と対峙するには異様と言えるが、これはこれで、有効な対抗馬なのかもしれない。
(というより、この二人を従えてるジョニーさんっていったい……)
 数度顔を合わせた程度の間柄だが、気のよさそうなおじちゃんにしか見えなかった。そういえば、カイオス・レリュードは彼のことを、ゼルリア将軍にありながら、剣をまともに使えない、と評していた気がする。
(ホントに何者?)
 ゼルリアの青の廊下を進んでいく二人を見送って、再び歩き出したティナの耳に、ふと誰かがすすり泣く声がかすかに届いた。
 それは、鎖に繋がれたあの憐れな少女が上げた声なき声だったのかもしれない。不思議なことに、自身の不運を嘆くよりも、誰かにひたすらに謝っているように、ティナには聞こえた。

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